ギャンブル依存症と戦うんだ!

ギャンブル依存症の元夫との戦いの記録です。

否認という名の回転木馬

2018年04月01日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
ギャマノンに参加すると「否認という名の回転木馬」の冊子を配布されます。
もとは英文だったのを日本語に訳しているので、読みにくい内容ではありますが、何度か読み返すうちに徐々に理解できるようになりました。
私の場合、ようやく理解できるようになると今度はその内容が受け入れ難く、冊子をクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てたこともありました。
当時を振り返ると確かに私もオッサンのギャンブルに加担していました。
「私が選らんだ人が借金までしてギャンブルするはずがない」
疑惑が確信に変わると今度は
「私の力でオッサンを立ち直らせる」と、頼まれもしないのに一人相撲を取っていました。
どうしてそんな考えに至ってしまったのか。
私の場合、オッサンに掛かりきりになることで、本来自分のやるべきことから目を反らしたかったのではないか。
今だからこそそんな風に言えるんですけどねえ。

難解な内容ですが、ギャンブラーに振り回されているとお悩みの方にお勧めの物語です。


ご無沙汰になってるギャマノン

台1幕~ギャンブラーは否認し、その後は誰かに依存する~

第2幕~イネイブラーの過ち~

第2幕~犠牲者の戸惑い~

第2幕~挑発者の孤立~

第3幕~そして繰り返される~

~回復の為に~

~回復の為に~

2009年02月08日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
2009年2月8日の記事

脅迫的ギャンブリングからの回復が始まるとしたら
それは第2幕において、この病気の力学を学び、全く違った行動をするようになった人からしか始まらない
この劇を理解している他の人に頼り、その源泉から得た洞察力と理解を実行にうつすのです
そうでなければそれぞれが新しい役割を身に着けることは出来ない
もし第2幕が新しい脚本のもとに再演されたなら、ギャンブラーが回復すると信じるに足りる十分な理由がある
第2幕の登場人物たちはギャンブラーの回復の為の鍵を持っています
 ●もしギャンブラーが「イネイブラー」によって全ての危機が救われたなら
 ●もしギャンブラーの雇い主が「犠牲者」の役を甘んじて引き受け続けたら
 ●もし妻が「挑発者」の役割に留まっていたら
ギャンブラーが回復するチャンスは十にひとつもないだろう
実際ギャンブラーは無力であり、自ら鍵を壊すことは出来ない
しかし劇の他の役者たちが、この依存関係を壊すやり方を学んでいれば、回復することが出来る
他の人たちが彼等に同乗して回す手伝いをしない限り、ギャンブラーだけの力ではこの回転木馬を回し続けることは出来ないのである
ところが第2幕の俳優たちは、ギャンブラーに「どうしてギャンブルを止めないのか?」と尋ね続けてしまう
正にその言動こそが、ギャンブラーが自分の基本的・人間的な問題を、ギャンブルをすることによって解決するよう後押ししている他ならない
しかしこの事実に第2幕の役者たちは気が付いていない
「イネイブラー」と「犠牲者」が自分の役割を変えたいと思うなら
情報と洞察と理解を求めなければならない
とりわけ「イネイブラー」の役目は重要だ
専門科であるなら、脅迫的ギャンブリングに対処する方法を、専門の文献から手に入れる必要がある
そして重要なことは、ギャンブラーの危機を回復のプログラムの手法として使うのではなく、危機に直面しているその家族を訓練し条件付けることである
もし仮にイネイブラーが「あなたは私の援助なしでは出来ない」などとギャンブラーに言ってしまったとしよう
たちまちギャンブラーは自分の面倒さえ自ら見る能力がないのかと、イネイブラーに対し心を閉ざすだろう
イネイブラーの発した言葉は、彼等を信頼していないことを明らかにしているものであり、裁きと非難の一つの形であるからだ
「犠牲者」は、彼等を過度に擁護することで、ますますこの病気が進行していく事実に早く気付くべきだろう
犠牲者が取った行動は、イネイブラーがギャンブラーの直面した危機を救ったと丁度同じく、ギャンブラーの仕事を救っているのである
毎回「これが最後」と思っていても、今の情景を見ていると、問題が起きたのはこれが初めてではないだろうし、これで最後になるはずもないと、事実が明らかになるだろう
最後に「挑発者」
「イネイブラー」や「犠牲者」が気付くずっとずっと前から、妻は夫の病気に気が付いている
通常問題が深刻化してから「イネイブラー」と「犠牲者」はそれぞれの役割を開始するが、病気が重大になる前に、激しくなる前に、回復のプロセスをふんだ方がより効果的である
そう、妻こそが回復の行動を真っ先に開始しなければならない
しかしそこでも妻は孤立する
現在の社会では、慢性的あるいは嗜癖的な段階に達するまで、ギャンブルを病気と認めたがらない
聖職者はギャンブルを罪と言い、医者でさえ脅迫的ギャンブリングの存在に気付かなければ、妻の恥は大きくなり援助は断たれてしまうだろう
そうして状況が耐え難いものになり弁護士に相談すれば、提供されたサービスは別居か離婚の2つだけ
別居や離婚に伴う不安や悲嘆が妻を脅かす
もはや打つ手がないのかと打ちひしがれ、殆どの妻はもう一度回転木馬に乗り込んでしまう
私達家族は、脅迫的ギャンブリングに対する文化的、社会的な態度に根本的な変化が起こらない限り、回復には相当な時間がかかる、困難な過程であると認識を変えなければならない
「挑発者」である妻がその役割を捨て、自分を癒すセラピーに入る気持になり、プログラムや教育を熱心に続けることで、先ず妻自身に変化をもたらすだろう
夫であるギャンブラーはそれを妨げるかも知れない
しかしそれに立ち向かう勇気と強さを持たなければならない
参加し始めた頃の妻には、情緒面でも経済面でも1人の力で乗越えることは難しいかも知れない
しかしプログラムに何ヶ月、あるいは1年、2年と踏みとどまっていれば、最初は不可能と思えた問題が解決出来ているだろう
 ~否認という名の回転木馬より~

第3幕~そして繰り返される~

2009年02月08日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
2009年2月8日の記事

第3幕は第1幕と同じように始まるが、一つの新しい次元が付け加えられる
今度は否認の必要がずっと大きくなっていて、しかも直ぐに実行されなければならない
人がギャンブラーを助けたことを否認し、ギャンブラーの仕事が危うくなっていることを否認する
とりわけギャンブラーは家庭に問題を起こしたことを一切否認する
実際ギャンブラーは「この騒ぎや、なじりあい、ごたごたは、全部お前たちのせいだ」と家族を責める
しかしながらギャンブラーは自分のギャンブリングが引き起こした失敗に気付いている
ギャンブラーの罪と悔恨は耐え難いほどのものになっている
否認を達成する為に、次のような手を使うギャンブラーもある
石のような沈黙
ギャンブルのエピソードに関わる一切について話すことを拒絶する
ある者は家族でさえ、沈黙に留まるよう命令する
何故ならその記憶はあまりにも苦痛に満ちているから
一方である者はオープンに告白することを許可する
しかしギャンブラーと「挑発者」はその罪を決して忘れない
適当な時間が経つうちに、家族はどんなものであれ、自分たちなりの規準に自ら適合させる
ギャンブラーは「もう絶対にギャンブルはしない」
イネイブラーは「もう二度と助けてあげない」
犠牲者は「今度ギャンブルのエピソードがあったらもう我慢出来ない」
挑発者は「こんな状態では一緒に生活していくことは出来ない」
この状況で口にされるこれらの一切の言葉は現実とは全く逆である
「イネイブラー」「犠牲者」「挑発者」は同じことを前にも言ったが実行しなかった
このことの結果は、ギャンブラーの罪の意識と失敗したという感覚を増大させる
ギャンブラーの即効性の安楽の知識は、その必然的な結果の記憶をはるかに凌駕する
ギャンブラーの心の奥底には、今度こそギャンブリングをコントロールしてみせよう
かつてそう出来たように、最高の恩恵を手に入れよう
こうして第3幕では必然の出来事が起こる
ギャンブラーはまたギャンブルを始める
彼等が賭けを始めることで、この劇は終わりにならない
観客席に座っている人たちは、劇というより三本立ての映画を観ているように感じる
幕が下りないのに、劇は突然第1幕に戻るからだ
この劇は何年も何十年も繰り返される
登場人物は年老いていくが、台本や演技には変化がない
あったとしても殆どない ~否認という名の回転木馬より~


登場人物達は自ら回転木馬を回していることに気付いてないんですよ。
「あれ?知らない間にまた第1幕に戻ってるやん」
観ている方は飽き飽きしますよね。
演じている我々は辟易しております。
回復の鍵は第2幕にあります。
第2幕で述べたようにそれそれの登場人物が演じてしまえば、第3幕は突然第1幕に戻ってしまいます。
既にギャンブラーがギャンブルをコントロール出来ないことは証明済みです。
第2幕においてのみ、否認による悲劇の回転木馬を止められる可能性があるのです。

第2幕~挑発者の孤立~

2009年02月07日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
2009年2月7日の記事

第2幕の三番目の登場人物は、この劇のキーパーソンである
ギャンブラーの家庭の中心である重要な女性
すなわちギャンブラーの妻、あるいは母である
通常は妻であり、この人物はベテラン
この幕の他の登場人物に比べ、ずっと長い間この役割を演じ続けている
我々はこの女性を「挑発者(挑発し、苛立たせる女性)」と呼ぶ
彼女はギャンブルの逸話が続くことに腹を立てている
しかし彼女は脅迫的ギャンブリングによる崩壊から家庭を守りつなぎ止めている
そのお返しが挑発の源となる
彼女はギャンブラーをコントロールし、強制し、調整し、決して諦めない
決して屈服せず、決して手放さず、決して忘れない 
この人物のことを「償う人」と呼ぶことも出来るだろう
彼女はいつも脅迫的ギャンブルが引き起こした危機を調整し、家庭がうまくいかない点を補償しているのだから
妻として主婦として時には生計の支え手として通常の役割に加え、看護師となり医師となりカウンセラーとなる
彼女自身、夫を傷つけずにこの三役をこなすことは出来ない
今日の社会は妻がこの「挑発者」の役割を演じるよう、あらゆる面から条件づける
そうしなければ彼女は妻のあるべき姿として社会から外れてしまう
「挑発者」はギャンブラーの回転木馬に同乗する最初の人である
彼女が不正に甘んじ、欠乏に苦しみ、引き続く経済的困難に耐え、守られない約束を受け容れる
ギャンブルの状況に対処しようとあらゆる試みを覆され、自分に向けられた敵意に連打される
そうだとしたら、彼女は結婚生活に自分の反応を敵意、皮肉、怒り、不安の形で投げ返すのは必然的だ
 ~否認という名の回転木馬より~


私が最初にギャマノンに参加した時、ちょうどこのアディクションを手放すことについて語られていました。
ギャマノンに参加なさった方なら一度は抵抗を感じる部分ではないでしょうか。
 「私が夫をコントロールしてるですって?
  振り回されているのは私の方よ
  私は被害者なの
  夫をコントロール出来ていれば、こんなに借財も増えなかったわよ」

否認を続けるギャンブラーですから、当然権利を堂々と主張してきます。
 「俺の稼いだ金を俺がどう何に使おうと俺の自由だ!」
妻が挑発者になる過程において見逃してはならないことがあります。
社会によって科せられた無知や恥の狭間に妻が捉われているという点です。
妻がこの役を演じることを辞めてしまったら孤立してしまうでしょう。
代役がいないこの役を降りたら、他の登場人物は「彼女が劇を台無しした」と責めるからです。

第2幕~犠牲者の戸惑い~

2009年02月07日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
2009年2月7日の記事

第2幕の次の舞台に表れた登場人物を「犠牲者」と呼んで良いだろう
この人はギャンブラーの上司であったり、監督であったり、仕事の同僚であったり、時には一番頼りになる雇い主である
「犠牲者」は次の様なことをする人である
ギャンブラーがギャンブルの為に仕事を休んだり、ギャンブルをしたい衝動で仕事を休んだ時、仕事をなされているように責任を取るのである
ギャンブルが仕事に悪影響を与え始めた時点で、ギャンブラーは同じ会社に10年15年と働いて、上司は彼の本当の友達になっているかも知れない
その人を守るのは全くの通常であって、いつも「これが最後だ」という希望がある
クビになれば妻や子供が苦しむだろう
しかし彼は会社としてどう対処すべきか確信が持てないし、この社会的偏見のある病気にどう対処すれば良いかも知らない
個人的な関心や友情が動機となって、「犠牲者」は再びギャンブラーの依存を深め、否認の必要を大きくする行動を取っていくこととなる ~否認という名の回転木馬より~


私が過去勤務していた職場にも、ギャンブルで多額借金を抱えた男性がいました。
事務所を預かる私は、何度も彼あての督促電話を受け取りました。
しかし上司に報告しても「電話を繋げるな」と言い、社長自ら彼に資金繰りの相談を持ちかけていました。
また会社まで押しかける金融会社に、時々肩代わりもしてやるのです。
そういう周囲の行いが、ギャンブラーを根本的に助ける手段でないのは分かっていても、誰も適切な措置を知りませんでした。

第2幕~イネイブラーの過ち~

2009年02月07日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
2009年2月7日の記事

いよいよ第2幕が始まります
この幕でギャンブラーは全く受動的になり、他の3人の登場人物のなすがままである
最初に登場するのはイネイブラー(支え手)である
イネイブラーは自分自身の不安と罪の意識から、友人であるギャンブラーが苦境に耐えるのをそのままにしておくことが出来ない
救済作戦を組織して、ギャンブラーを目前の危機から救い、状況が生み出した緊張を取り除こうとする
しかしこれらの作業はみな、イネイブラーの必要を満たしている行為であり、ギャンブラーの為ではない
通常このイネイブラーは家族以外の外部の男性である
職業的にこの役を演じるのは、聖職者、医師、法律家、ソーシャルワーカーである
イネイブラーの役目は重要だ
単純な救済作業では簡単に回転木馬を止める事は出来ない
イネイブラーが判断を誤れば、後に登場する人たちを回転木馬に引き戻し兼ねない ~否認という名の回転木馬より~


オッサンも一度だけ私が電話カウンセリングを受けていたカウンセラーと話したことがありました。
オッサン曰く「君は深刻な状況ではないですよ、ちゃんと抑制できていますから」とカウンセラーが太鼓判を押してくれたそうです。
その後に問題が表面化してようやくカウンセラーは動き出しましたが時は既に遅しでした。
あの時ばかりは人生初の人間不信に陥りました。

第1幕~ギャンブラーは否認し、その後は誰かに依存する~

2009年02月07日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
2009年2月7日の記事

ギャンブラーはある出来事がきかっけでギャンブルを始める
何度か賭けに成功すると、ギャンブラーの心理に深い変化が現れる
成功感、達成感、幸福感、自己満足
彼等は世界の頂点に舞い上がり全能感が膨らんでいく
この時の彼等に何を言っても聞く耳を持たない
ギャンブルを否定する人間を彼等は強く反発し否定する
もし彼等が自分のギャンブルが激しいと気が付いていなければ
我々に賭けた額や費やして時間、場所などの事実を隠すことなどしないだろう
しかし実際は隠す~否認の第一段階である
隠すことで繰り返し否認を続けると、待っているのは過度なギャンブリングである
しかしギャンブリングが十分に長く続くと、ギャンブラーは危機を生み出す
トラブルに巻き込まれ、どうしようもない状態に陥ってしまう
どうなるかは千差万別だが、第一幕の進展はいつも同じである
依存的な人物は非常に依存的な仕方で行動をする
真実であることを自分に納得させる為に更にギャンブルを行う
結果、自分を守るか、結果を解消させるために他に依存する状況に彼等を押しやる
どうしようもない状況に陥った時、彼等は何かが起こるか単に待つ
もしくは無視したり、逃げたり、または何とかしてくれるよう、他人に助けを求めるのである
第1幕では、脅迫的ギャンブラー達は、自分自身で招いた結果を、解消したり解決出来ない非常に依存的な人間になっていく
かつては彼等に心理的な成功感を与えたギャンブルは、今や彼等から独立の衣装を奪い全能の仮面を剥ぎ取る
見えてくる彼等は依存的な子供である ~否認という名の回転木馬より~


この物語では回転木馬に発展していく過程において、ギャンブルを始めるきっかけは重要視されていません。
私自身も若い頃に当時人気者だったオグリキャップを見に何度か競馬場へ足を運んだことがありましたが、きっかけとなる出来事はなかったように覚えています。
自分の勝敗について皆で盛り上がり、和やかな雰囲気のまま競馬場を後にしました。
一方でオッサンは、自身がギャンブルに興じていることを他者に隠し続けました。
ギャンブルに縁が無い人間だけでなく、ハマっている人間に対してもです。
頑なに拒む姿を通して、何度「だったら辞めればいいのに」と思ったことでしょう。
仕事が営業に変わってからは、賭け方が尋常じゃないほど激しく、しかもぺースが早くなりました。
個人再生をした際に、消費者金融から取り寄せた履歴を弁護士に見せて頂いたところ、一日で数回に分けて合計27万円もキャッシングしていました。
その場でオッサンに理由を尋ねると「この台は絶対に出ると思ったから」と答えました。
第一幕に真実であることを自分に納得させる為に更にギャンブルを行うとあります。
ギャマノンに通い勉強していた当時は理解できない箇所でしたが、今振り返るとそういうことかと納得しています。

この段階で最も不愉快だったのは、オッサンがギャンブルする理由を私のせいにする点でした。
朝一から終業時間までパチンコ屋に入り浸り、ようやく帰って来たかと思えば「大負けしたのはお前のせいだ」と責められました。
「お前が毎日グチグチ言うから気分転換しないとやってけないんだ」とか
「お前がいつも機嫌良くしていたら俺はパチ屋に行く必要もなかったんだ」など。
まるで自分のギャンブルを正当化させるために私と結婚したかのようでした。

ご無沙汰になってるギャマノン

2009年02月07日 | 依存症~否認という名の回転木馬~
2009年2月7日の記事

今年に入ってからギャマノンには殆ど参加出来ていません。

理由は私が話せないから。

勿論ギャマノンでは参加するメンバーの話を聞くだけでも良い。

だから話さなくても参加オッケーなんですが足が遠のいています。

今日はギャマノンの日ですから、朝から行こうかどうか思案しているところ。

でも毎日ギャマノンで配られている冊子は読んでいるんですよ。

中でも興味深いのは「否認という名の回転木馬」

架空の劇という手法で、ギャンブラーの生活に直接関わっている人たちが、現実には病気の回復を妨げている実際を描いた内容となっています。

2回目のカウンセリングの時、カウンセラーから一瞬ええっ?と耳を疑う様な質問をされました。
(当時うつ病を発症して電話カウンセリングを受けていました)

あなたはご主人がギャンブルで勝って帰って来た時、何かご褒美をもらいましたか?

私の回答はいいえでした。

実際は何度か休みの日にオッサンが外食に連れて行ってくれた覚えはあります。

これがギャンブルを助長させてしまった要因なの?

だとしたら時間の針を巻き戻して欲しい。

ギャンブルで稼いだ金を元手に外食など行きたくなかった。

私は思います。

オッサンが1度や2度、私に食事をご馳走したこと。

それが依存症を助長させる要因になったのではありません。

家族の喜ぶ顔が見たいという理由で、ギャンブルにはまる人などいるものですか。

嘘を更に嘘で塗り固め、借財まで作って続けられるギャンブリング。


その仕組みの全容は「否認という名の回転木馬」が教えてくれています。

この週末はこのテキストを元に、私なりの意見を書いていきたいと思います。