ギャンブル依存症と戦うんだ!

ギャンブル依存症の元夫との戦いの記録です。

妹の病気について③

2020年06月23日 | 日常(令和元年8月~)
昨日に引き続き末の妹の病気についてです。
姉としては痛みや体調不良に苦しむ妹を、少しでも楽にしてやれる方法はないかと模索する日々ですが、妹自身はそんなこと少しも願っていないのではないか。
思い返すと答えのヒントになりそうな事柄がありました。
近頃、妹を物心両面から支えていたパートナーとの関係がギクシャクしているとのこと。
3月の段階では、肺がんの疑いが晴れたら生活保護を抜け彼と籍を入れると聞いていたので、別れるかもと聞いた時はビックリするだけでしたが、突き詰めて考えると妹の本心が見えた気がします。
肺がんが疑われた時点の妹は、同居していた娘との関係が悪化したために、世帯分離の手続きを終えたばかりでした。
障害を持つ娘が自分の手から離れた安堵感が、病気を受け入れる要因になったと思われます。
残りの人生をパートナーと過ごしたい。穏やかな気持ちで最期を迎えたい。
そう語った妹は、これまで見せたことがない謙虚で真摯な姿でした。
ところがすっとこどっこい、違うと分るやいつもの妹に逆戻り。
先は長いのにパートナーとの関係がずっと良好なままでいられるか保証はない。
だったらこのまま生活保護を受給し続ける方が得策じゃないか。
とまあそういう理屈が妹の頭にはあるのかも知れません。
妹が抱える「身体醜形障害」は16のカテゴリーからなる精神疾患のうちの「身体表現性障害」に分類されます。
<診断基準>
 ①一般身体疾患を示唆する身体症状が存在するが、一般身体疾患、物質の直接的な作用、または他の精神疾患によっては完全に説明されない
 ②その症状は臨床的に著しい苦痛、または社会的、職業的、または他の領域における機能の障害を引き起こす
 ③身体症状は意図的でない
つまり、身体面で「器質的機能的な異常が見当たらない」のに、身体症状を訴え続ける精神障害ということになります。
しかし妹には、機能的・器質的異常が存在します。
 めまい・・・・・メニエール病  
 喘息発作・・・・肺MAC症
 腰痛・・・・・・腰仙部移行椎
 左腕の痺れ・・・頸椎椎間板ヘルニア
 胃痛・胸焼け・・神経性胃炎・逆流性食道炎
一生付き合う必要がある疾病もあれば、手術をすれば完治が見込める疾病もあります。
私なら完治が見込める疾病から治療を始めますが、妹は難癖つけて先延ばしにしますし、白黒つけるための検査も受けません。
生活保護を受給し続けるには、身体の具合が悪いままの方が都合が良いのでしょうか・・・
「疾病利得」という言葉があります。
一度病気により手にした恩恵は手放すのが難しいのだそうです。

妹の病気について②

2020年06月22日 | 日常(令和元年8月~)
私もかなり後になって知ったのですが、末の妹は体重が増えることを極度に恐れているらしく、精神科医から摂食障害と醜形恐怖症の診断を受けているとのこと。
妹が若い頃から規則正しい食生活と適度な運動を心掛け、実践し続けていることを私も知っていました。
しかしそれは健康維持のためだと思いっていたので、まさかという感想でした。
なので現在妹を悩ませている胃痛や吐き気、食欲不振は、太りたくない妹にとって都合が良いんです。
妹「今日も食べられへんかった、体重が○㎏も落ちちゃったー」
背景を知らなければ心配になる案件ですが、知っている私は「あっそう」とそっけない返事しかできないんです。
当時の妹は身長168cmに対して体重が48kg。
本人は「7号サイズでも大きい」と喜んでいましたが、抵抗力がおちた結果、去年の年末に肺炎を発症。
長引く咳により右肋骨が骨折し、痛み止めの乱用から神経性胃炎に加えて逆流性食道炎を発症。
更に体重が45kgにまで減少。
本人大喜びするのも束の間、夜中に呼吸困難になり救急搬送された病院にてCT検査を受けたところ、右肺の上部に影を発見。
肺がんの疑いで全身麻酔による胸腔鏡検査を受けるも病巣は右肺全体に広がっており、この時ばかりは妹の口から不定愁訴は一切発せられず、全てを受け入れたかのような潔い姿勢が印象的だった。(初めてまともな感じ?)
病理検査の結果、右肺の影はがんではなく肺非結核性抗酸菌症(肺マック症)と判明するや不定愁訴が再開される。
私なら、肺がんじゃなくて良かったとホッとすると同時に、肺非結核性抗酸菌症は40代以上のストレス体質で痩せ型の女性に多いことから、普段からリラックスを心掛けて、胃に優しい食事を摂取しつつ体重を増やそうとします。
しかしながら退院するなり妹は連日のように「右目と左目の大きさが違う!」と騒ぎ(そう言う時は胸腔鏡検査の傷跡は全く痛まないらしい)、めまいや腰痛のせいで家事が出来ないにも関わらず、あちこちの美容整形外科を巡っては「ここは~だから駄目」「あそこは~だから駄目」と、電話で報告してくる時の妹の声のまぁ~弾むこと弾むこと。
妹「姉ちゃん、自費でやるんやから平行二重が良いかなあ?それとも末広二重が良い?」
私「好きにして(呆)」
眼瞼下垂の手術後は、いつもの流れ通り胸腔鏡検査の傷跡が気になり始め、突然画像を送りつけられ見たくもない妹の乳首と乳首の隣の傷を見る羽目に。

私「もうーほんま、アンタは私にどないして欲しいんや?」
<③へ続く>

妹の病気について①

2020年06月22日 | 日常(令和元年8月~)
間が開きましたが前回の続きになります。
末の妹の左腕の症状は今も続いているようで、病院で検査を受けたものの原因は分りませんでした。
医師は筋電図検査を勧めたようですが、妹は拒否したとのこと。

私「なんで?やってもらったら良いのに」
妹「だって、お姉ちゃん前に痛いって言うてたやん」
私「確かに痛いで、私もやったからな、でもそれでハッキリするし、なにもなければ安心できるやろ?」
妹「だからー!」
私「だからなに?
妹「もういい!」

毎度の流れです。
わーわー騒ぐだけ騒いで、肝心なところで逃げるんですよ。
私も妹が嘘を言ってるとは思っていません。
朝に夕に「痛い、痛い」と電話がかかってくるので、日常生活にも支障が出ているはずです。
私も筋炎で全身の痛みを経験しているので、痛みが生活の質を低下させることは熟知しています。
なんとかならないものか、痛みから解放されて平温に暮らせる日が訪れないかと願うのですが、最後の段階で肩透かしを食らわす妹の本当の狙いは何なのか?
今回の記事はそのことについて考査してみようと思います。

現在の妹の不定愁訴
 めまい
 胃痛
 吐き気
 食欲不振
 左腕の痙攣
 腰痛
 胸腔鏡検査による傷跡の痛み
 眼瞼下垂手術による傷跡の違和感

愁訴の内容はその時によってくるくる変わりますが、二つ以上同時に起こることはありません。
<例>
 三日前、午前/めまいがする、午後/腰が痛い
 二日前、午前/左腕が痙攣する、午後/食欲不振
 昨 日、午前/胸腔鏡検査の傷跡がズキズキする、午後/胃痛がひどい

これを聞いて私が思うのは
 めまいがするなら横にもなるだろうから腰が痛くなっても不思議じゃない
 左腕が痙攣するなら気にも病むだろうから食欲が落ちても不思議ではない
 胸腔鏡検査の傷跡がズキズキするなら痛み止めを服用しただろうから胃痛が起きても不思議ではない
つまり因果の法則ですから、いちいち大騒ぎするほどのことでもなかろうと捉えます。
しかし妹には生死に関わるほどの大問題なようです。
不思議な点はまだあります。
眼瞼下垂について一度は保険適用の手術を受けたものの、本人曰く「失敗だった」とかで今年に入ってから急に大騒ぎし始め、美容整形外科で自費手術を受けました。
これでようやく落ち着いてくれると金を出した側の人間は期待するじゃないですか。
いやいや全然、全くです。
あの調子だともう一回やり直したいと騒ぐでしょうね。
右肺の胸腔鏡検査については本人の希望ではなく、内視鏡検査では難しいと医師が判断したために検査手術を受けたのですが、体質的な問題なのか傷跡の治りが遅くてまた大騒ぎ。
「日にち薬」と言おうが聞く耳持たずです。
とにかく思い立ったら、直ぐ、その場で、妹の希望通りにならないと駄目なようです。
これを執着と言うのでしょうか。
<②へ続く>

にしき、深い深~いため息をつく

2020年04月14日 | 日常(令和元年8月~)
昨日の続きです。
末の妹が仔犬を手放そうと思い立った理由が分かりました。
左腕に力が入らず掛かりつけ医を受診したところ、脳外科を紹介されたからだとか。

妹「私もしかしたらALSかも知らんやん?だからやんか!」
私「診断されてからでええんとちゃうの?」
妹「いいや!それでは遅いねん!」
私「違うかったら後悔せーへんか?お利口さんで可愛い仔犬や言うてたやんか」
妹「姉ちゃんはずっとケージに入れられてる方がええ言うんか?」
私「だからー、ハッキリするまで待たれへんかったんか?と聞いてるんや」
妹「逆にすごいと思うわ、姉ちゃんは身体が不自由やのに猫二匹も飼うんやから」

何なん?この展開。何で私が引き合いに出されるん?
妹の体調不良は今に始まった訳ではなく、4年前に大阪に戻ってきてからずーっとなんです。
2.3日前までは、瞼を二重にした時の糸が外れたかも知れないと、連日電話でワーワー言ってきました。
その前は肺がんの疑いで胸腔鏡手術を受けた時の傷が思ってたより大きかったとかで、頼んでもないのに写メを送りつけてヤイヤイ文句を言ってました。
やれめまいがする、耳鳴りがする、やれ吐いた、下痢した。
こんなんばっかり毎日毎日、多い時は午前、午後に報告ですよ。
少しでも私が面倒くさそうに返事すると「私なんかどうせ死んだ方がええねん」
だったらいそいそと病院行くなや!
ほんまは死ぬのが死ぬほど怖いくせに。
つまるところ、自分の症状をネットで調べALSと思い込んだ妹は(譲渡の有無に関わらず)里親募集の反響が思いの他あったことに、気分が高揚したのだろうという結論に至りました。
全く、人騒がせな奴め!



にしき、久しぶりに荒ぶる

2020年04月13日 | 日常(令和元年8月~)
アップすることは沢山あるのですが、今日は文句を吐きたいと思います。
怒りの矛先は末の妹で、直接の原因は妹が子犬を里親募集に出したらその日のうちに30人から応募あったと、私に話したことでした。
その時の口調が私には「やけに嬉しそう」に映りました。
違和感を指摘したところ、「違うやん、やっぱりみんなタダで純血種の子犬が欲しいねんなって言いたかっただけ」の言葉に、とうとうブチ切れた次第です。
妹に対してはこれまで何度もブチ切れそうになっていました。
その度に「あの子は精神面に問題がある」と自分に言い聞かせてきました。
正直なところ、何故ここまで腹が立つのか自分でも気持ちに整理がついていません。
こうやって文字を入力している間にも自分の考えがまとまることを期待しているのですが・・・
妹が生後4ヶ月の子犬(プードル)を手放すことにしたのは、建前上「自分の体調が悪い」としていますが、これまでの経緯を鑑みると、ヤンチャな子犬の面倒を見るのが嫌になったからだと考えられます。
妹の目の前を通り過ぎていった子犬の数は片手では足りません。
その度に最もらしい言い訳を並び立て、ほとぼりが冷めるとまた子犬を飼うのがお決まりのパターン。
近年、アニマルホーダーによる多頭飼育崩壊が問題になっていますが、妹の場合は子犬が大きくなると飼育を放棄します。
その後必ず自分を責めて自暴自棄になるので、その対応に周囲が追われることとなります。
たった今気付きました。
私はこの件で振り回されるのが嫌で今猛烈に腹が立っている様です。

今日は合格発表

2019年08月20日 | 日常(令和元年8月~)
次男は大学院2年生です。
去年の秋から塾に通い、国家公務員試験と地方公務員試験に挑みました。
今日の14時半に合否が分かるとのこと。
本人もさることながら私までドキドキしています。
去年、長男が国家公務員試験を受験した時は、詳細な情報を聞かされていなかったのでハラハラしようもなかったのですが、次男は面接に向けての相談や論文の添削を依頼してきたことから、私も一緒に受験したような気分になりました。
次男が就活を迎えるまでには色々とありました。
中学の数学教師になるべく教育大学に進学したものの、次男が専攻した学科では情報処理の教員免許しか取れないことが判明。
編入すれば卒業が2年遅れることもあり、気を取り直して勉学に励みつつ塾講師のバイトを続けるも、3年生の秋に「僕は教師に向いていないと思う」と意気消沈して私に打ち明けました。
結局就職活動を一切しないまま、大学院へ進学することになりました。
春休み、気分転換を図りに愛知に遊びに来た次男。
名古屋城と本丸御殿を見学し、名古屋飯を堪能した次男は帰り際に私に尋ねました。
次男「お母さん、僕に向いてるのはどんな仕事だと思う?」
 私「あなたは小さい頃から自分とお兄ちゃんを比較しては不満を述べていたわね
   資本主義において平等を目指すのは難しいけれど、公平・公正な社会なら現実可能だと思う
   あなたに向いているのは国民の権利を守る仕事じゃないかな」

その瞬間、晴れやかな顔を見せた次男でした。
折しも長男が公務員試験に合格すべく独学で勉強に勤しんでいたこともあり、次男も後に続けと塾に通い始めました。
次男が受験したのは、国税専門官、国家公務員一般職(行政)、地方上級公務員(行政職)です。
神様、どうかお願いします。次男を合格させてやって下さい!














ダニ退治

2019年08月17日 | 日常(令和元年8月~)
ベッドに横になった途端、アーノルドが「チカッとした!」と飛び起きました。
見るとポツッと赤い点がありました。
私「もしかしてダニがいるのかしら?」
今年の梅雨は期間が長かったこともあって、週に一度布団乾燥機を用いるだけで、屋外に干せていませんでした。
そこで今日は早朝からシーツ、敷きパット、敷布団カバー、枕カバー、タオルケットをコインランドリーで洗濯・乾燥を行い、敷布団とマットレスにスチーマーをかけて天日干しをしました。
取り込んだあとは掃除機の先に布団用のノズルを取り付けて両面をゆっくりと掃除機をかけると、いたるところでダニセンサーの赤いランプが点灯しました。

マットレス2枚と敷布団2枚に掃除機をかけただけで、白い粉と綿埃が沢山溜まっていました。
ギョエーーーッ!
今後はもっとマメに掃除することにします。

義母カフェ

2019年08月14日 | 日常(令和元年8月~)
以前から猫カフェに行ってみたい私ですが、住んでる地域にはなく名古屋市内まで出掛けないといけません。
いくつか候補を挙げてみたものの、車いすのままでは入店できません。
ガッカリしている私をアーノルドが慰めてくれました。
ア「義母カフェで辛抱して」
つまりケアハウスに入所している義母と喫茶店に行こうと言う訳です 
義母が自ら進んでケアハウスに入所して早5年。
徐々にではありますが認知症は確実に進行しています。
身の回りのことは自分でできることから要介護1の判定ですが、中核症状が顕著になってきています。
今の義母は直前の出来事を記憶に留めることができませんので、例えば義母からの要請で急いでケアハウスに駆けつけると「今日は何しにきやあした?(今日は何をしに来たの)」てなことになります 
最近多いのは「作話」です。
①アーノルドが一人でケアハウスに行った時に、義母の部屋にあったたこ焼きをペロッと平らげたことで「あの子はにしきから虐待を受けている」と大騒ぎする
※義母の部屋に行く時は必ず二人だし、義母からたこ焼きをもらったことは一度も無し 
②義母が食堂に行っている隙に孫が離れから義母の荷物を持って部屋に置いていった
※その荷物はケアハウスに入所する時に義母が持参した
③長男が畑を売ってその金を妹(叔母)に渡そうとしている
※そのような事実は一切無し
初期にあった物盗られ妄想は無くなりましたが、義母の作り話によって家族が振り回されているのです。
一番の被害者は義兄嫁でしょう。
義母にとって身近で最も頼りにしている存在は義兄嫁なのに、こともあろうか非難の対象にされているのも義兄嫁なのです。
母「長男嫁はわっちをどこにも連れていけせん(私をどこにも連れて行ってくれない)」
私「昨日姉さんが美容院に連れて行ってくれたでしょう?
  終わった後はいつものところでお茶したって聞いてますよ」

母「あーれ、ほーやったかね」
認知症あるあるですね。