皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

男系男子への固執について考える。

2005-06-14 21:14:02 | 皇室の話
皇位継承の在り方について,最近の筆者は,女系容認に傾いている。
ただ,当初は,男系男子を維持するべきとの考えであった。
この移り変わりについては,今まで掲載した記事に表れているところであるが,今回,改めて,振り返ってみることにしたい。
まず,筆者としては,皇室というご存在の意義を,深く考えたいという立場だ。これは昔も今も変わっていない。自分自身,深く考えたいというだけでなく,皇室の地位が,日本国及び日本国民統合の象徴であることにかんがみれば,日本人全体が,深く考えるべきだとも思っている。
皇室の方々の苦境というのも,皇室というご存在の意義が,忘れられていることによるのではないかと,筆者は考えている。
忘れられているが故に,ワイドショーに代表される低俗な興味の対象ともなり,また,皇室というお立場に対する共感があればおよそ考えられないような,思いやりのない嫁いびり的な批判も,ときに見られると思うのだ。
このような立場の筆者としては,当初,女帝論についても,同じく,皇室というご存在の意義を深く考えない立場からの主張として,これは許せないと感じたのだ。
すなわち,男でも女でもどちらでもいいという発想のように思われたのである。
「思われた」と述べたが,現在でも,そのような発想の者は多いかもしれない。
そして,この発想の浅はかであることについては,男系男子に固執する立場の方が多く述べておられるところであり,筆者も同感である。それは今でも変わらない。
ただ,男でも女でもどちらでもいいという発想を排除し,改めて真剣に,皇位継承のあり方を考えようという場合,これはなかなか難しい。
女系容認は,今まで125代男系男子で続いてきた皇位継承の在り方を,根本的に変えるものであると言われる。
そうすると,女系容認だけが,大変革のようであるが,男系男子維持のための旧宮家復活・養子案にしたって,大変革である。なぜなら,それは,平成,昭和,大正,明治,江戸・・・と今まで続いてきた皇室のご血統よりも,570年前に枝分かれしたご血統を選ぶということだからだ。
よく安易な女系容認論ということが言われることがある。
確かに,男でも女でもどちらでもいいという発想であれば,安易な論であるが,今まで男系男子だったのでやはり男系男子を維持すべきというのも,現在の皇位継承の危機的状況に照らしてみれば,やはり安易な論であると言うべきではないだろうか。
日本人にとっての皇室というご存在の意味は何か,皇室を大事と思う心の中に,男系という要素はどれほどの重きをなしているかを改めて考えてみなければなるまい。
筆者としては,そのように考えてみた場合,現在の皇室のご血統との絆が,やはり重いものと思われ,女系容認もやむなしと思うに至ったのだ。
もちろん,そのように考えて,なお,男系男子を維持するべきという立場もあるかもしれない。そして,そうであるあらば,筆者としては,そのような深い男系男子論というものを,是非とも拝聴したいものである。
ただ,残念ながら,現時点では,そのような深い男系男子論というものは見当たらない。
ここで,深い男系男子論ということを述べたが,既存の男系男子論につき,何が足りないのかについて,いくつか述べることとする。
まず,男系男子論を主張する際には,女系では皇統の正統な継承者になり得ずそれ故に男系男子を維持するべきと主張するのか,それとも,女系も皇統の正統な継承者ではあり得るが過去の実例を重くみて男系男子を維持するべきと主張するのか,どちらの立場であるのかを明確化する必要があろう。
しかし,実際には,しばしば混同されている実態がある。
前者の立場に立てば,女系天皇というのは原理的に認められないことになるはずで,男系が維持できなければ天皇制は消滅するしかないということになるはずである。
ところが,Y染色体の議論を持ち出す八木秀次などもこの立場に立つと思われるが,一方で,男系維持が不可能となった場合に女系容認の可能性について言及したりしている。
これは,思想的に,いい加減にして,おかしな話である。その場合の女系天皇というのは,どのような存在なのであろうか。正統性に疑いのある天皇ということになってしはしまいかと思われるが,それは皇室にとっても日本にとっても不幸な状態である。
後者の立場に立ち,取りあえず女系天皇にも正統性があることを認めるというのであれば,思想的な矛盾というものはないであろう。
ただ,この場合でも,実際の運用において,きわめてリスクの高いものと言わざるを得ない。男系男子を維持することとして,現在の皇室のご血統を皇位継承から除き,旧宮家復活・養子を行ったとする。しかし,庶系の認められない男系男子というものは,所詮無理のあるものであり,よほど宮家の数を増やさない限りは,早晩再び皇位継承の危機が訪れることが予想される。さて,その段階になって,今さら女系容認に踏みきろうとしても,それは無理であろう。そのようなことをすれば,なぜあの時女系を認めなかったのかという議論になるであろうし,それこそ皇位の正統性をめぐって大混乱が生じるであろう。
旧宮家復活・養子による男系男子の維持が,どれくらいの期間継続できるかという問題があり,現在の皇室のご血統に連なる方々が人々の記憶から消えてしまう程に長く維持できるのであれば,あるいはそれほど大きな問題にはならないかもしれないが,そのような見通しがあるのであろうか。
そのような見通しなくして,男系男子を維持することとし,その半面,現在の皇室のご血統を皇位継承から排除するというのであるならば,それこそ軽はずみと言わなければなるまい。
また,男系男子を維持するための旧宮家復活・養子というが,その候補者が,実際にどれくらいおられるのであろうか。また,資質ということについては,どうなのであろうか。
あまり資質といった議論はしたくはないが,皇室というお立場は一般の国民とは異なるはずで,特別な資質が求められるであろう。それは端的に言えば,自らの立場というものに対する深い自覚ということではないだろうか。
皇室には皇室というお立場があり,国民には国民の立場がある。
ここで,旧宮家については,なかなか難しいところがある。その皇籍離脱については,事実上,GHQの圧力ということもあったであろう。
ただ,いかなる理由があるにせよ,一定の手続,すなわち皇室会議の議と一時金の支給を受けて国民となったからには,もはや一国民というべきであろう。
おそらく,旧宮家の方々というのは,胸の奥に,元皇族としての誇りを抱きつつ,そして,そうであればこそ,現在の国民としての立場を全うされておられるのではないか。
それは,もしかすると,皇室という立場に居続けるよりも厳しい道であるかもしれず,そのようなお方であれば,資質ありと言えるかもしれない。
しかし,皮肉なことに,そのような自覚がおありであればあるほど,皇籍への復帰を辞退されることになるのではないか。
皇室という立場と国民という立場というものは,簡単に行ったり来たりできるような,半端なものではないはずだからである。
また,女系が容認されれば,皇位の正統性につき,反皇室の立場からの攻撃が始まるという懸念が述べられる場合がある。
ただ,改めて考えてみるに,もともと女系に正統性を認めない男系男子論の立場であれば,そのような心配をする必要はないはずであるし,女系にも正統性を認めるのであれば,そのように主張すればよいだけの話ではないだろうか。
どうも,この反皇室の立場からの攻撃の懸念というのは,よく分からない話である。反皇室の立場の者がそのようなことを仄めかしたことがあったとしても,それはむしろ,挑発ではなかったか。カーッとさせられて不利な状況に追い込まれているだけなのではないか。
そのような気がしてならない。
以上,男系男子論の問題点を述べてきたが,最後に,皇位継承の問題の捉え方につき,男系と女系との問題として捉えるのも,実は不十分であると思う。男系か女系かと問われれば,いかにも男女平等の問題のようであるし,抽象的にそのように問われれば,筆者にしても,女系には反対である。
しかし,問題の本質は,男系か女系かということではないのではないだろうか。それは,皇位継承の在り方としての,いくつかのパターンを分ける争点ではあるにしても,日本人として問われているのは,そういう問題ではないのではないだろうか。
日本人として,今,問われているのは,現在の皇位継承の危機的状況を乗り越えるために,現在の皇室のご血統との絆と,男系男子という継承原理との両者について,どちらを重く見るかということなのではないか。皇室というご存在の意義,皇室と日本人との関係において,どちらがより本質的なものであるか,という判断なのではないだろうか。
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