皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇位継承問題について、皇室と日本人との絆という視点から

2005-06-11 01:05:12 | 皇室の話
平成17年6月8日おいて、皇室典範に関する有識者会議における識者ヒアリングの2回目が行われた。
ヒアリングにおいては、専門家による様々な意見が述べられたが、この際、筆者なりの一つの視点を示すことといたしたい。
それは、皇室というご存在の意義ということから、遡って考えるということである。
皇位継承の在り方自体については、パターンは限られてくる。
すると、問題となるのは、いずれのパターンを選ぶかにつき、どれだけ納得できるか、覚悟できるかということであろう。
そのためには、システム論的な合理性だけでは不十分であり、皇室というご存在の意義ということから、どうしても、遡って考えることが必要だと思うのだ。
この皇室というご存在の意義ということについては、今まで何度も述べてきたところであるが、筆者としては、皇室と日本人との歴史的な絆であると考える。
皇室は、日本人及び日本の始まりとともにあり、今に至るまで、長く苦楽を共にして歩んできた。そして長く共に歩んできたことによる絆があるのであって、その存在意義は、功利主義では計れないものである。
例えるなら、親と子の関係に似ていよう。
子が幼いころは、子にとって親の存在はとても重要である。では、子が成長し、親が年老いたとき、親は不要にして邪魔な存在となってしまうだろうか。
そんなことにはならないはずである。
親にとっては、年老いても、子は子であり、慈しみの対象であり、子は親を慕うのではないだろうか。
お互いが共にあることにより、幸せを感じることができるはずである。
それは、両者の間に、長く共にあったことによる絆があるからであろう。
さて、皇室というご存在の意義について、そのような絆と捉えた場合、皇位継承の在り方の問題については、どのような帰結が得られるであろうか。
ここで、皇位継承の最低限の核となるルールを血統とするのであれば、現在の皇室に連なる血統との絆を重視するということになるであろう。
現在の皇室に連なる血統との絆ということについて、改めて思い起こしてみるといい。
平成の世の前には、昭和、大正、明治、江戸・・・と実に長い歴史である。
そして、これらの時代は、単に長いというだけでなく、日本という国にとって、まさに激動の時代ではなかったか。
昭和においては、世界大戦における敗北も経験し、日本始まって以来の危機も経験したではないか。
そして、そのような時代において、日本人は、皇室と共に乗り越えて来たのではないか。その絆は、筆者にはとても重いと思われるのだ。
一方、男系男子を維持するための、旧宮家の復活・養子案もあるが、血統としては、約570年も前に遡って枝分かれした存在である。
そのような血統の方を選ぶということは、570年前に立ち返るということであり、それ以後現在に至るまで築かれてきた、皇室と日本人との絆をリセットするということにならないだろうか。
それも、皇室の方々が、御簾の向こうの存在で、日本人の一人一人の実感として、没個性的であるような場合であれば、あるいは良いのかもしれない。
しかし、とりわけ、昭和、大正、明治の時代というものは、皇室の方々が表に現れ、まさに国民と共に歩んできた時代ではなかったか。
その絆については、決して捨て去ることのできるものではあるまい。
このように考えれば、皇位継承の在り方の選択肢としては、女系容認もやむを得ないと、思うのである。
男系男子にこだわりたいという気持ちも分からないではない。
皇室制度については、従来より、伝統的なものを破壊しようとする勢力の攻撃にさらされてきたし、また、軽薄な興味の対象としようという勢力によって消耗させられてきた。
そして、女性(女系)天皇容認論につき、しばしば、そのような勢力の立場から論じられることもあるのだろう。
そして、それ故の反発から、男系男子をことさらに維持したいという気持ちが生じるのも、分からないではない。
ただ、そのような反発故の主張では、多くの人々を納得させるだけの真実には、到達できないのではないだろうか。反発の熱が冷めた場合のことを考えてみるといい。
いや、そのような反発ではなくして、やはり、連綿と続いてきたこと自体に価値があるのだとする立場もあろう。
ただ、それは、日本という国を万邦無比なものと見なしたいという気持ちと通ずるものではないだろうか。
それは、自らのエゴを国の有り様に投射したもので、皇室というご存在自体に着目し、深く見つめるということとは、異なるもののように感じられるのである。
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