ルアンパバーンの風景

ラオスの世界遺産『ルアンパバーン』(Luang Phabang)の静かな風景を載せていきます。
実際は暑かった。

ΘдΘ

2008-06-03 | 
開発は進み街のプラーナは希薄化し
新しい駅で降りてもなにもなし。


  (・v・ )


   ( ・v・)


  (・v・)


(無題)

2007-01-13 | ヤプログ!のログ
楽譜は1ナノメートルにも記述できるがそれを読んで演奏すればホール全体に広がる。


初日の出

2007-01-02 | 宗教
アーオーサー

年末に霊感は振動だと悟りました(妄想)。初参りでも散歩参りでも生命に心地のよい霊性を得るわけだけどそれは神の気が浸透'してきているわけではなく、振動'だったかもしれないね。振動による物理の連鎖、素粒子と原子の通様相的関係だ。そうすると今までの考えがすっきりしました。もちろん 原子核:原子 の面積の比率(0.0001%)ぐらいは浸透してきてる成分もあろうけど、自分が思っていたよりは浸透'よりも、振動'の影響が大きかったかも。
。...。..((( ,, ・∀・)).。....。
日の出の光景も目にやきつくけど、それは光が目に浸透しているわけではない。エネルギー全体の0.0001%ぐらいを除いて。
音も同様、振動のハルモニアの連続は、心に音響ではなく音楽としてのインパクトを与える。神は神としての振動をもっているから神話はミュトスなのね。楽譜上に留めるならロゴスだけど。
DNAも振動している。振動の3D波形まで併せ持ち、しかも時間を加えたすべてを描こうものならまだしも神は永遠に証明されはしない。神自体'は、器楽指導の行われた個人にたいして証明されているようなものだけど。
でもこのようにわかったとしても「わからない」と言う方が更によくわかっている気がする。神社の神殿で思うけど、なぜかそこにいる。なぜかいるそこに。時間も空間もない世界を、時間も空間もある物質で理解すること自体が矛盾、まさに全知全能の神に「自分に持ち上げられない岩を造る」ことはできるかといったような命題を、すべての知的定義が否定されるその対象に投げかけてるような混同に同じく。だから文章など一切書き残さなかったソクラテスの「無知の知」とかお釈迦様の「色不異空」。これこそ現象をいちばん自然に捉えうる態度だと思う。現実の反意語は仮想。飛行機は99.9%の仮説で飛んでいる。


(無題)

2006-12-08 | ヤプログ!のログ
12月になってもまだゴキブリがいる
だいぶ鈍くなった
僕の手に反応しなかった
米の上からよっこら降りる動作とか


[気]

2006-12-04 | ヤプログ!のログ
霊性は光子、W粒子、Z粒子、グルーオン etc 全てを包括するので同じと言えば同じだけど別と言えば別になる。でも素粒子的な[気]のみでなく、神饌を供えれば「反応」があるので、それを放っているのは存在形態の違う生命とも言える。


(無題)

2006-12-04 | ヤプログ!のログ
人が自分から喜ぶことは稀
喜ばせてもらうことが殆どになる



(無題)

2006-12-03 | 
人を持ち前の錬金術で感覚引き上げようとするオーディオ界の鬼才パラビッチーニ。幽界では神霊のように、生物を高い波長により介抱や覚醒させようとするものがいる。人が酩酊し、それを讃えるのは悪いことではない。足を引っ張るものに悩まされてなければ内側より溢れるもので交歓するものである。
基本的に社会は上層にゆくほど善良である。それに向かって努力をする意志は、そういう見識に基づいている。幸薄くも、低いものしか見えていないのはよくない。人生の無駄になるばかりだと思う。


(無題)

2006-11-27 | ヤプログ!のログ
第一印象を、第二印象、第三印象に変えてしまう、その変換方式が歪な場合、パーソナリティ障害が疑われ、その変換方式を解体し、形成過程を辿る
まがつひ培養器をなおび形成器に作り替えるには高度なテクネと本人の自覚が必要になるので一般的には墓の中に封じ込めることになる



(無題)

2006-11-23 | ヤプログ!のログ
職業(Beruf)は一種の運命(Schicksal)と見られるが、一定の職業については、一般にそれにくっついた外的必然性の形式はすてなければならない。職業は自由に選び、自由に續け、また果たさなければならない。
説明。人間は、運命がもついろいろの外的な事情や一般に人間が直接的にもっているようなすべての外的な事情に關して、それを自分のものとし、それから外的定在の形式を取り除くようにしなければならない。人間が自分の使命に忠實であるなら、すなわち人間が自分の職業を全面的に果すなら、自分が運命によってどんな外的状態におかれているかは重大なことではない。或る地位にある職業(或る地位に召されていること Beruf zu einem Stande)は、一個の多面的な實體である。職業は云わば素材(シュトッフ)であり、材料(マテリアール)であって、不純な點や欠け易い面や地につかない部分が少しもないように、あらゆる面を隅々まで磨き上げなければならない。私がそれを完全に自分のものとするかぎり、私はその中にあって自由である。人間は自分の職業を果たさないときは何よりも充たされない。ところが、人間は眞實に自分のものと思えないような關係におかれることがある。しかもこれは同時に、その人間の身分である。人間はこの身分から自分を解放することはできない。すると、人間は自分自身の意に反した關係の中に生活し、行為することになる。


(無題)

2006-11-23 | ヤプログ!のログ
人間は知的教養と道徳的教養とによって、他人に對する義務を果す能力を身につける。他人に對する義務は實在的(レアール)な義務と名付けられてよい。これに對して、教養に關する義務はむしろ形式的(フォルメル)なものである。