日本の息吹 ~日本会議鹿児島版

強く、美しく、輝け日本。

日本の誇りを取り戻すために憲法改正を!

女性、主婦の立場から憲法問題を考える

2006-05-01 06:00:00 | エッセイ・コラム

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本年5月3日の開催要項につきましては、下記の本会のホームページをご参照下さい。

新たな憲法の制定を!鹿児島県民の集い[第二弾]

昨日もご紹介しましたが、昨年の5月3日の集いの企画で女性の立場から憲法問題を考えると題して2名の方に提言をお願いしましたが、国会議員、県議会議員をはじめ300名を越える参加者から好評を博しました。

本日は主婦の立場から発表された宮田さんの内容をすべて掲載しましたのでご覧下さい。

  女性、主婦の立場から憲法問題を考える

私は27、24、16歳の3人の娘をもつ主婦です。当たり前の事ですが、先祖に感謝し、主人を大事に、何よりも子供たちの幸せを願い、家族の絆を大切にしながら日々幸福な家庭生活を営んでいます。

しかし、今の世相を見た時に、親が子供を虐待し、殺し、子が親を殺す、学級崩壊、家庭崩壊、と私たちが子供の頃には考えられないような世の中になりました。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。

日本の憲法や教育基本法には、国が、家族や家庭を保護するような規定はありません。家族の絆の大切さ、子供たちが、この国に生まれてよかったと思える様な、そして日本人としての誇りを喚起するような条文はどこにも記述されていません。記述されていないどころか、それらを否定し、解体する方向に向かっていることに気づきはじめました。

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その憲法、教育基本法の根底に流れている悪しき思想を固定化して、必ず国家、家庭が解体して人間が人間でなくなり動物以下になることを目的とする法律を、最近たくさん目にするようになって母親として危機感をいだいています。

例えば、皆さんも手にしたと思いますが、数年前に各家庭に配布された鹿児島市の男女共同参画のパンフレットです。パンフレットには「ジェンダーフリー」という言葉や「男らしさ」「女らしさ」を否定する絵が描いてある事に疑問を感じ、関係資料を調べてみました。特に文部科学省が委嘱して作られた子育て支援のパンフレットでは男らしさ、女らしさやひな祭り、鯉のぼりを否定するなど、これまでの日本文化や風習、風俗、芸術を排除するような内容でした。

そもそも「男女共同参画社会」とは、男と女の特性を認め合いながら、よりよき社会づくりのために協力参画していくこと、を趣旨にしていますが、その趣旨とはほど遠いものでした。 また、「ジェンダーフリー」は、男と女の「性差の解消」「性差の否定」を意味しています。性別によって「男の役割」「女の役割」というものを決めてはいけないというのです。だから、女の子のひな祭り、男の子の鯉のぼりは「らしさ」を植えつけるということでパンフレットでは否定しているのです。

ある時、主人が電車に乗っていたら途中から乗車してきた数名の女子高校生が、座席は十分空いているのに入り口付近の床にあぐらをかいたり、ひざを立てたり、直に座っていたとの事で、その行儀の悪さ、恥らいのなさに「女らしさ」がなかったと帰宅したときに話していました。
後日、鹿児島市役所のパンフレットを作成した女性政策課に行き、「らしさ」は必要ではないのか、と主人の体験を交えて話をしましたところ、担当の女性の方が、「女の子が足を開いて座ったら何故いけないのですか?女らしさとは何を基準にされているのですか?」と、あきれた回答でした。皆様はこういう言葉が返ってきたらどう思われますか? 
私は、びっくりしたと共に愕然としました。
鹿児島は良識があってジェンダーフリー思想とは無縁だと思っていましたが、女性政策局の言葉を聞いて、着実に県内でも男女共同参画社会が目指している真の目的とは、まったく逸脱した危険なジェンダーフリー思想が、浸透していると感じました。

しかし、実情は解っても、この先、一主婦の立場で何が出来るのか、どのようにしていけばよいのか判らずにいたところ、鹿児島県議会で「県内の幼稚園、小中高校でジェンダーフリー教育を行わないように求める陳情」が採択されたことを新聞記事で目にして同じ考え方をもった人が県内にはいることを知って心強く思いました。
その時はうれしくて、すぐ連絡を取り一緒に勉強させていただく様になりました。 そして、何よりも「ジェンダーフリー教育」に対しての陳情を採択された鹿児島県議会の自民党県議の皆様方の見識の高さに感激し心から敬意を表したいと思います。

政府は、国会答弁で「男女共同参社会は、ジェンダーフリーを目指していない」事を明言し、「ジェンダーフリーという用語は政府も使用していない」と、ジェンダーフリーを否定した見解を述べています。
にもかかわらず、鹿児島市の男女共同参画の条例には「ジェンダーフリー」という文言が入っていると聞いています。

また、つい先日、鹿児島市議会においてジェンダーフリー教育を行わないように求める陳情が否決されました。なぜ否決されたのか、その真相を一度お聞きしたいと思います。
全国の学校現場では先ほどの政府の見解から逸脱した教育が堂々と行われ、男女混合名簿、過激な性教育など子供たちの心に悪しき影響を及ぼしています。

例えば、他県の中学校や高校では男女が水泳などの体育の時間に一緒の更衣室で着替えをさせられたり、修学旅行で男女が一緒の部屋で宿泊させられたり、男女が一緒に水着で身体検査を受けさせたりしています。これらは、羞恥心の破壊ですが、ある学校では、担当教諭に抗議したところ、保護者に対して「恥ずかしいと思う気持ちが男女を区別し差別意識の表れ」と力説したと聞いてびっくりしました。 鹿児島市内でもある私立高校では男女が同じ部屋で着替えをさせられ、男子がパンツ一枚になったのを見てとても恥ずかしかったと学校から帰ってきた娘さんが話していたと、あるお母さんから聞いたことがあります。私の娘の学校もそうですが、高校でも男女混合名簿になっているそうです。

過激な性教育では、学習指導要領からまったく逸脱した教育がなされています。セックスの自由、中絶の自由も肯定しています。性器教育、射精の学習、タッチ学習、コンドームの使い方、セックスの学習など挙げればきりがないし、これ以上恥ずかしくていえないような教育が行政のチェックのないまま野放しに行われています。

ここに驚くべき数字があります。日本、アメリカ、韓国、中国の四ヶ国の高校生の規範意識調査では、「結婚前は、純潔を守るべきだ」という質問に、肯定的な答えを出した女子の割合は、日本だけが極端に低いのです。アメリカ55.9%、中国76.5%、韓国76.6%に対して、日本は何と29.2%しかありません。日本の高校生の10人のうち7人以上は、女性の純潔は守らなくていいと答えています。すでにこの調査結果にジェンダーフリー教育の悪い影響が顕著に示されています。ある一部のフェミニストたちのフリーセックスを奨励し性秩序を破壊する考え方が、あたかも日本の女性すべての考え方であるような発言に対して女性として憤りを感じます。

表向きは、女性の見方を装いながら女性を利用し苦しめる思想であることは見過ごすことは出来ないと思い、私の周りの友人にその意味と現在行われている教育の実態を話しますと皆さん一様にびっくりされます。

私は娘の学校の役員をしていた関係上、校長先生などと話す機会が多く学校の現状、教育について話を聞かせて戴くことがありました。その中で校長先生が中学校の時は男として女としての自覚を持つことが社会に出たとき、自立した人間になるのだから、絶対に「らしさ」の教育は必要だと言われました。
このような正しい教育がすべての教育現場にあるのなら安心なのですが、川内市、川辺町では、男女共同参画条例の中に、産む、産まないは個人の自由という性の自己決定権を実質認めるような条例が採択されています。

子供は神様からのたまわりものです。それを社会人として自立していない子供までもが、自分の快楽の結果、こんなに無責任に小さな生命がいとも簡単に闇から闇に葬られていいのでしょうか。この様な実態を理解し、ジェンダーフリーという危険な思想とその影響をしっかりと勉強して戴きたいと思います。

日本社会が欧米と比較しても犯罪が少なく、先ほどの大石原さんの話のようにどんな小さな社会でも秩序が保たれ、文化的にも経済的にも繁栄したのは、親子、とりわけ母と子の固い絆で構築された家族を基盤として男女の異なる特性を活かす文化を形成したからだと思います。これを破壊すれば社会はたちまち混乱し崩壊してしまいます。単位を個人に置き、家庭と言う共同体が解体されようとしています。家庭は国家社会の最小単位です。その家庭が健全でなければ子供の健全育成はできないと思います。

最後になりましたが、これからの日本の将来を担って行く子や孫が、この国に生まれてよかったと、先祖や親に感謝し、日本人としての誇りを胸に抱きながら、世界に貢献して信頼される人になれるような社会を一日も早く作って行きたいと思います。
そのためには、憲法改正に当たり、日本の歴史や伝統文化に基づく、正しい憲法を制定して戴きたいと一主婦として切に願っています。
そのためにこの日本会議の趣旨が広く女性に広がっていくように協力していきたいと思っています。本日は、このような機会を戴きましたことに心から感謝を申し上げまして、意を尽くしませんが私の提言を終わらせて戴きます。

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