日本の息吹 ~日本会議鹿児島版

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昭和27年独立後の我が国に「戦犯」は存在しない

2012-05-06 15:47:35 | エッセイ・コラム

1、はじめに

  米軍普天間飛行場移設問題で、鳩山氏の選挙目当ての甘言は、沖縄県民に淡い期待を抱かせたものの、現行の日米合意案を最善とする米国や県外移設候補地の住民の反対にあい彼(彼が苦悩するのは自業自得だが……)の考えは揺れ、国民の不安を増大させている。

  かように国民が軍事施設に拒否反応を示すのは、GHQの占領方針に則した戦後の平和教育に起因し、それは、いわゆるA級戦犯合祀を口実に首相の靖国神社参拝を反対する中国におもねる日本人の自虐意識も、その延長戦と考える。

 そこで『世界が裁く東京裁判』から昭和27年頃(独立回復)の国民の戦犯釈放運動の一部を紹介する。


2、いわゆるA級戦犯について

  鳩山氏は平成21年8月、政権を取ったら国立追悼施設建設に取り組むべきだと述べた。そこで釈放運動を紹介する前にいわゆるA級戦犯について述べる。

  A級戦犯は、B・C級に比し最も罪が重い戦犯と日本人の多くは誤解しているようだが刑の軽重ではない。A級戦犯とは東京裁判で「平和に対する罪」(当時国際法になく事後立法で国際法違反と世界の識者批判)を理由に起訴された28名のことである。この方々は戦勝国の日本への復讐裁判であるいわゆる東京裁判で全員有罪になり、東条英機首相以下、7名が処刑されたが、A級戦犯のうち14名(前記7名を含む)は、昭和殉難者として昭和53年に靖国神社に合祀されて今日に至る。


3、独立後の戦犯釈放国民運動

⑴4000万人を超えた戦犯釈放署名

  我が国は昭和27年4月28日独立を回復した。しかし、独立の恩恵を受けることなく、巣鴨、モンテルンバ(比国)、マヌス島(豪州)等に1224名がA級及びB・C級戦犯として服役していた。

  このことを知った国民は驚き立ち上がった。日本健青会の人々が中心となって「海外抑留同胞救出国民運動」を発足して「戦犯受刑者釈放運動」が始まった。

  これを受けて昭和27年6月から「戦犯受刑者の助命、減刑、内地送還嘆願」の署名運動が全国各地で行われた。

このことについて大原康男・国学院大学教授は「まず日弁連が口火を切り、同年6月、戦犯の赦免勧告に関する意見書を政府に伝えた。これをきっかけに戦犯釈放運動は瞬く間に全国に広がり、一大国民運動となった。……署名運動も急速に広がり4千万を越え、各種団体の国会・政府への陳情も膨大な数にのぼった」ことを紹介している。



⑵戦犯釈放に立ちあがった政府と国会

  世論の盛り上がりを追い風に政府は国内及び海外で服役しているB・C級をはじめA級を含む全戦犯の赦免・減刑を関係各国に要請した。

  一方、国会では自由党、改進党、左右両派社会党、無所属倶楽部の共同提案による「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」を圧倒的多数で可決したのである。



⑶社会党議員による「東京裁判」批判

  決議採択に際し、日本社会党の古屋貞雄議員は「戦勝国にも戦争に対する犯罪行為があります。広島、長崎における人類最大の残虐行為で、かかる行為を棚に上げ敗戦国のみ戦争犯罪の責任を追及するのは、不公平で断じて承服できません。…現に戦犯として服役中の人々には、弁明の機会も与えられずいい加減な調べで戦犯にされている。…我々全国民は服役中の同胞に同情を禁じ得ず即時釈放を要求してやみません」と、切々と訴えた。


⑷可決された「戦争犯罪」否定の国会決議

  かくして昭和28年8月、前年に引き続いて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が再可決された。

  一方、自由党、改進党、社会党右派・左派による全会一致で戦傷病者戦没者遺族等援護法が改正され、困窮を極めている戦犯遺族に対しても遺族年金及び弔慰金が支給されることになった。


4、おわりに

  かように昭和27~28年頃の国民や政治家は各派を超えて東京裁判を批判し服役中の一千二百余名の釈放と名誉回復に取り組んだ。

  鳩山氏は衆院選前「A級戦犯が合祀されているから陛下は靖国神社に参拝されない」旨を言っていたが無知もよいところだ。

  先帝は「英米にとっては戦犯かもしれないが、日本国にとっては功労者だ」と述べられ、今上天皇も靖国神社の春秋の大祭には勅使を遣わされている。

  天皇皇后両陛下の英霊への思いは多くの御製、御歌に込められている。たとえば


    平成6年

    天皇陛下「硫黄島」

精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

    皇后陛下「硫黄島」

慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ


と御詠みになられるなど、両陛下の思いは深い。

  A級戦犯とされた賀屋・重光両氏は独立後、賀屋氏は法務大臣、重光氏は外務大臣に就任し祖国復興に尽くされたがA級戦犯として処刑された東条英機以下7名がもし生きていたらなら前記2氏に劣らぬ活躍をされていたであろう。



 本会副会長 持留 忠二(元公立中学校校長) (3月26日記)