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中村俊輔、“夢”だった天皇、皇后両陛下に謁見

2006-05-17 02:00:00 | エッセイ・コラム

俊輔、感動4年分!“夢”だった天皇、皇后両陛下に謁見(SANSPO.COM  5月17日より引用)

6月9日に開幕するドイツW杯の日本代表MF中村俊輔(27)=セルティック=が16日、ジーコ監督(53)らとともに天皇皇后両陛下から皇居・御所に招かれた。4年前の02年日韓大会メンバーから漏れた俊輔は、両陛下がかけられた「4年間たいへんでしたね」というねぎらいの言葉に感激の面持ち。この気持ちはドイツから感動という形にして“お返し”するだけだ。17日、W杯戦士は国内最終合宿地の福島に集結し、ジーコ・ジャパンの最終章が動き出す。

                 ◇

癒される思いがした。俊輔は屈辱をバネに、全力疾走してきて本当によかったと感じた。

「4年間たいへんでしたね。よく頑張りましたね」 両陛下がかけられたねぎらいの言葉が胸に染み込む。しかも自分のことをご存じだったとは…。緊張気味に「きょうの日を迎えられて自分としてはうれしく思っています」と答えると感激が込み上げてきた。

この日、皇居・御所に招かれたのはジーコ監督と日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン、そして俊輔とMF中田英、主将DF宮本、GK川口の選手4人。雰囲気だけで圧倒されそうな中、気持ちをほぐしてくれたのは両陛下だった。それぞれと握手をされ、俊輔には「スコットランドのセルティックですね」ときさくに話しかけられた。

俊輔以外の3人は02年日韓大会に出場。壮行天覧試合となった直前の5月25日のスウェーデン戦(国立)で両陛下にお目にかかっている。俊輔にとって初めての拝謁が、これほど感動的だとは予想もしなかった。

運命を変えた4年前の5月17日。その日韓大会メンバーリストに名前がなかったことから、すべてはスタートした。あのとき以来「次のW杯は絶対に出る」と強く決意した。

同年7月にはセリエA・レッジーナに移籍。3シーズンにわたりA残留に貢献した。そして昨年7月、熱烈なラブコールを受けスコットランドプレミアリーグ・セルティックへ移籍すると、中心選手としてリーグ優勝&カップ戦の2冠に導いてみせた。世界の舞台の道を閉ざされた男は、この4年間でもっとも世界を知る日本人プレーヤーへと成長した。

当初の予定を15分間も延長し、45分間にもおよんだ謁見。最後に川淵キャプテンとジーコ監督以下、全員がサインを入れた代表ユニホームを両陛下に手渡した。その背中に刻まれていたのは、俊輔がジーコ・ジャパンの中心として君臨してきた象徴、ドイツW杯でもつけるのが確実な背番号10だった。

17日に国内最終合宿地の福島入り。18日からジーコ・ジャパンの最終章が動き出す。俊輔は不動の指令塔として、自身初のW杯に臨む最終調整を開始することになる。

「4年間やってきたことが形になってよかった。報われたと思う。自分にしかできないプレーをやってみたい」。前日のメンバー選出会見でこう決意表明した俊輔。この日の感激は、ドイツから感動という形にして両陛下に“お返し”するつもりだ。 (芳賀宏)

★ヒデ流応援の仕方…「見る人が楽しんでいただければ一番です」 川淵キャプテンによると、両陛下はそのほかの選手らの知識も豊富で、デンマークリーグなどに所属したGK川口には「長い海外生活はいかがでしたか」と尋ねられ、日韓大会でフェースガードで“バットマン”として名をはせたDF宮本には「その後、鼻は大丈夫ですか」と話しかけられた。また、W杯での応援のしかたを尋ねられたMF中田英は「見る人が楽しんでいただければ一番です」と答えた。

■俊輔が乗り越えてきた4年間

★02-03年 02年日韓W杯メンバーの落選でスペインリーグ・Rマドリード移籍が消滅し、セリエA・レッジーナへのレンタル移籍を決めた。背番号10の中心選手として公式戦36試合で8得点5アシスト。03年1月に完全移籍。ジーコ体制初陣02年10月のジャマイカ戦で代表復帰した
★03-04年 移籍2年目はデカーニオ監督がイタリア人選手を重用し、公式戦18試合で2得点2アシストと不完全燃焼。代表では03年コンフェデ杯・フランス戦でGKバルテズの逆を突くFKやマルセイユルーレットを披露。1次リーグ敗退も仏紙レキップで「宝石のように輝いた」と評された
★04-05年 移籍3年目はマッツァーリ監督のもと“俊輔システム”で存在感を誇示。公式戦33試合2得点3アシストで3季連続のセリエA残留に貢献した。代表では04年アジア杯で日本の2連覇を導き、同大会MVPに輝いた。W杯1次予選も随時参戦した
★05-06年 スコットランドプレミアリーグ・セルティックに移籍。リーグ優勝&国内カップ戦の2冠を達成し、公式戦38試合6得点11アシストの成績を残し 

■国内最終合宿地の福島・Jヴィレッジ Jリーグの基本理念『百年構想』のもと97年7月に完成したスポーツ総合施設。福島県、日本サッカー協会・Jリーグ、東京電力のパートナーシップにより建設された。サッカー日本代表をはじめ、老若男女を問わず誰でも利用できる天然芝のサッカー場10面のほか、陸上競技場、室内サッカー場、フットサル場、体育館、プール、テニス場などを備えている。総面積49ヘクタール(東京ドーム約10.5個分)。総工費130億円。
(引用はここまで)

 天皇、皇后両陛下が、4選手らを皇居・御所にお招きになられ、予定のお時間を15分も延長されて45分にもおよぶ謁見という。その時の緊張感と感動が上記の新聞を通じてひしひしと伝わってくる。

 これからサッカー界の世界の頂点を目指してその舞台に立とうとする中村選手らの感動、喜びはいかばかりだったでしょう。

 上記の記事を読んで思い出したのが、7年前の話になるが、皇后陛下の年頭の御歌に対するサッカー日本代表GK川口選手の感動の手記が掲載されている月刊誌『祖国と青年』誌(平成11年3月号)である。

 改めて同誌を紐解いてみたが、天皇、皇后両陛下がサッカー日本代表選手におかけになられるご期待は、次代の日本を担っていく青年に対する大きな御期待でもあることが拝察されます。

グラビアには、
皇后陛下のサッカー・ワールド・カップの御歌―「大変光栄に思っています」と川口選手
の見出しの後、次のような文章が掲載されている。

皇后陛下が年頭にご発表になった御歌の中に、次の一首があった。

 サッカー・ワールド・カップ

ゴール守るただ一人なる任にして青年は目を見開きて立つ

サッカー日本代表のゴールキーバーといえば、川口能活選手(横浜Fマリノス)。96年のアトランタ五輪で日本が強豪ブラジルを一対〇で破った時のキーパーとしてその堅守が絶賛されて以来、世界的にも高い評価を得ている。98年ワールドカップのために日本代表チームが結成されて以来、「日本の守護神」という形容詞は、川口選手のものだった。  

 この度川口選手は、本誌の求めに応じ、事務所を通じて次のようなコメントを送ってきて下さった。

「この度皇后陛下様が、私またはサッカー日本代表の活躍について御歌をお詠みになられたことは、大変光栄に思っております。私自身も現状に満足せず、これからもより一層精進して日本の為にがんばりたいと思っております。」

 さらに本文には新年歌会始(注 平成11年)での皇后陛下の御歌を拝された廣瀬誠・富山女子短期大学客員教授が、「青き梅実る頃 皇后陛下の御歌を拝して」と題して論文が掲載されている。

 さきほどの皇后陛下のお歌に秘められている御願いが「これからの日本を担ひゆくべき「青年」のたくましき力に寄せられた皇后さまの並々ならぬ御期待を思ふのである」と表現されています。

 本来ならば廣瀬先生のご文章を全文掲載するところですが、失礼ながら本稿の趣旨に沿って関連する箇所に限って抜粋させていただきます。

 同論文の小見出しは、一、語らざる悲しみ 二、うらら陽のなか 三、青年の力 四、両陛下の御歌のひびきあひ 五、昭和天皇と辞書  付、皇室伝統のしらべ  その中の二、と三、を転記します。

一、語らざる悲しみ

 年頭の新聞紙上、皇后陛下の御歌三首を拝誦して感動し、熱涙滂沱(ねつるいぼうだ)として溢れ落ちた。
(中略)

二、うらら陽のなか

 三首目は「うららか」と題された。

ことなべて御身(おんみ)ひとつに負ひ給ひうらら陽(び)のなか何思(おぼ)すらむ

  注はつけられていないが、御歌の内容からも、「御身」「負ひ給ひ」「思す」の敬語の御使用状況からも、明らかに御夫君天皇陛下についての御詠作である。

 天皇陛下の日本国象徴としての御任務、国事を担当したまふ御心事はかくも深く、かくも重い。春のうらら日にも安らはせたまふごとく、日本国のすべてを御一身に集め、御一身に担はれて深思したまふのである。その事実を、天皇陛下に最も身近な御存在であられる皇后さまがしみじみ実感され、切実なお言葉で詠嘆されたのである。うららかな春の光を浴びて大君の御姿は一層沈痛、崇高そのものである。大君の念々連持の御軫念(ごしんねん)が目に見えぬ力となって日本を支へてゐるのである。

 「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する機能を有しない」といふ日本国憲法の条文を浅く解釈して、象徴とは内閣の助言のもと儀式その他に形式的に臨むだけの単なる飾り物のやうに解釈する人もあるが、この皇后さまの御歌は、天皇の御存在意義を何よりも重々しく切々と示された。実に貴重な御一首である。

三、青年の力

 便宜上、順序は逆になったが、二首目。

ゴール守るただ一人なる任(にん)にして青年は目を見開きて立つ

  皇后さまはサッカー・ワールド・カップのゴールキーパーに注目されて印象強く歌はれた。この熱烈な競技の勝敗を決する重要な責任者としてただ一人ネットを死守する青年の「目を見開きて立つ」緊張した姿である。ここで「ただ一人なる任にして」と詠まれたお言葉は、三首目の「ことなべて御身ひとつに負ひ給」ふ天皇陛下の御姿にひびきあふ。あたかもサッカーの御歌が「うららか」の御歌の前奏曲の如くである。当然別時点での御作であらうけれども、このやうに配列されたところに特別の御気持ちがおありでないかと思ふのである。

  なお、「青年は目を見開きて立つ」の御歌は平成十一年歌会始での御詠「雪原にはた氷上にきはまりし青年の力愛(かな)しかりけり」にひびき、これからの日本を担ひゆくべき「青年」のたくましき力に寄せられた皇后さまの並々ならぬ御期待を思ふのである。 (後略)

 7年前、皇后陛下がお示しになられた青年に対する並々ならぬ御期待。
なかんずくW杯の日本代表選手の皆さんにお寄せになられたそのお気持ちに対して川口選手が、「この度皇后陛下様が、私またはサッカー日本代表の活躍について御歌をお詠みになられたことは、大変光栄に思っております。私自身も現状に満足せず、これからもより一層精進して日本の為にがんばりたいと思っております。」と語っています。

 そして、昨日、当初のご予定を15分も延長されて45分にもおよぶ謁見は、両陛下のサッカー日本代表選手たちに対するご期待の大きさの御現れと拝察致します。

 中村選手の感動を記事では「4年間たいへんでしたね。よく頑張りましたね」と両陛下がかけられたねぎらいの言葉が胸に染み込む。しかも自分のことをご存じだったとは…。緊張気味に「きょうの日を迎えられて自分としてはうれしく思っています」と答えると感激が込み上げてきた。その気持ちをドイツから感動という形にして“お返し”するだけ。と表現しているが言葉では言い尽くせないほどの感動だったと思います。

 天皇、皇后両陛下がサッカー日本代表選手にお寄せになられたそのご期待が、出場の決定したすべてのサッカー日本代表選手の思いとなって共有され形となっていくならば、必ずや勝利の女神は日本代表に微笑むのではないでしょうか。

天皇、皇后両陛下のご期待を胸に がんばれ!サッカー日本代表

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Img079__1 ※なお、当ブログで引用した『祖国と青年』誌は広くお読みいただけるよう、見本誌贈呈の案内をしているそうです。

詳しいお問いあわせ先は、下記まで
〒153-0042  東京都目黒区青葉台3-10-1-602
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