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日本の息吹 ~日本会議鹿児島版

強く、美しく、輝け日本。

日本の誇りを取り戻すために憲法改正を!

護国神社の昭和祭に参列しました

2006-04-29 15:20:13 | 活動報告

P4290068__1 ※上の写真は、護国神社の齋館から本殿に向かって神職が参進している場面

午前10時、護国神社で斉行された「昭和祭」「全国植樹祭奉告祭」に参列しました。全国各地の神社でも斉行されています。

祭は、野村浩平宮司の祝詞奏上、巫女による「浦安の舞」など約40分、厳粛な雰囲気の中でのお祭りでしたが、あらためて先帝昭和天皇のご遺徳を深くおしのびすることができました。

私は、参列しながら心の中で反芻していたのは、終戦の詔書です。

宜しく挙国一家子孫相伝へ確(かた)く神州の不滅を信じ任重くして道遠きを念(おも)ひ総力を将来の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏(かた)くし誓て国体の精華を発揚し

の部分が心の中で反芻され、美しい日本の再建に向け、明治維新の地ここ鹿児島において微力を尽くす誓いも新たにすることができました。
ちなみに、巫女の浦安の舞で歌われている御製は、

あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

という昭和天皇の御製(朝海 昭和8年)です。

昭和6年に満州事変が勃発し、同8年に日本は国際連盟を脱退しますが、日本の国際的孤立が深まる中、昭和天皇は国際協調を強く念じられていたことがおしのびできる御製です。

ある一部の祝日は除いて、毎年、祝祭日を迎えるたびに思うことですが、我が国にも戦前まで、国民は、元旦に国民が等しく年齢を重ね、子供たちは、紀元節、天長節、明治節の日には学校に登校して、節の歌を歌い、紅白饅頭をいただき、国民としての自覚を深めていました。どこの国にも国民としての自覚を深める節があるようにかつての日本もそうでした。

しかし、戦後は、建国記念の日制定運動のような熾烈な国民運動の歴史もありますが、祝祭日の「祭」の文言が消えて、祝日となり、その精神は骨抜きにされてきたばかりか、例えば成人の日のように祝日と日曜日を連休とするために祝日の日が毎年変わるという異常さ。

これでは、ただ単なる休日として過ごしている国民が多いのもむべなるかな。

国民としての自分を自覚する祝日を国民が公の場で祝う事を自ら否定するようになってから久しいが、戦前も戦後も一貫して皇室をはじめ、全国の神社、心ある民間有志の団体の力でその精神は守り続けられている。

来年から本日は、みどりの日から「昭和の日」に祝日名が変わることとなります。

昨日の主権回復の日といい、今日の4月29日を含めて国民の祝日をどのような精神で過ごすのか、そのことを次代を担う青少年にいかに伝えていくのか、ひとえに家庭、地域、各団体での教育力が問われていることを深く考えさせられた今日のお祭りでした。

[紹介図書]

Img062青少年向けブックレット

「昭和天皇」 

価格は420円[税込み]

詳しくは、明成社のホームページ