Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

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証拠1 「尖閣は国外」と認識していた明国

2015-05-03 | 45の証拠

『大明一統志』(1461年)

明国の地理書である『大明一統志』(1461年)の「福建省福州府」の項には、「東のかた海岸に至る一百九十里」と記されています。

百九十里(約100キロメートル)は、福州の本府所在地から海岸までの距離であり、「明国の領土は海岸まで」ということを示した記述です。  

つまり、当時の明国の福建省の国境は海岸であり、明国は、尖閣諸島を明らかに「国外」と認識していたことになります。  

明国の領土が海岸までならば、海の向こうにある魚釣島は、当然、明国の領土であるはずがありません。

 

※参考 明国地図、尖閣は「国外」 中国公式見解を否定 石井准教授「具体的反論を」(八重山日報 2012.10.6)

『大明一統志』天順本(統一印刷公司)より、福建省福州府の項目(八重山日報2012.10.6より)

 

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序章 尖閣問題の歴史的経緯

2015-05-03 | 45の証拠
尖閣諸島は長らく無主の地(誰のものでもなく、どこの国の領土でもない地)であり、付近はカツオの好漁場として知られ、古くから琉球の漁民が漁をしていました。魚釣島や久場島には日本人が居住し、最盛期には二百四十八名もの島民が住んでいました。

中国は「明や清の古地図に釣魚島が記載されている」ことをもって、「尖閣は古来から中国の領土」と主張していますが、中国の海図に尖閣諸島が記載されているのは、単にその島が航海の目印となる位置に点在していたためであり、中国の領土であったからではありません。


一時期は古賀村という村ができるほど、多くの日本人が生活していた。(写真:外務省ホームページより)


1895年(明治28)年、明治政府は、尖閣諸島が無主の地であり、どの国の支配権も及んでいないことを調査し、確認した上で、日本領土に組み入れました。これに対して、どの国からも異議申し立ては行われませんでした。

ところが、1969年、国連の調査団が尖閣諸島近海の海底に豊富な油田がある可能性を示唆すると、中国は2年後の1971年、「尖閣諸島は、古来より中国の領土である」と、突然、尖閣諸島の領有権を公式に主張し始めます。

しかし、中国側の公文書や文献を見ても、海底資源が発見される前の中国は、「尖閣諸島は日本の領土」であることを明確に認めてきたのです。





明治28(一八九五)年1月14日の閣議で、尖閣諸島を日本の領土として組み入れることが正式決定されている









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尖閣諸島が日本の領土である45の証拠(まえがき)

2015-05-03 | 45の証拠
二〇一四年の暮れも押し迫った十二月三〇日、中国国営新華社通信は国家海洋局直属の「国家海洋情報センター」が沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の特別サイトを正式に開設したと発表しました。そこには、中国が尖閣諸島の領有権を主張するための史料や地図などが掲載されています。

中国政府が主張するそれらの「証拠」への反論として、本書を緊急出版することになりました。本書をお読みいただければ、彼らの主張が、ことごとく「ウソ」と「でっち上げ」であることがおわかりいただけるでしょう。

中国共産党は十三億の人民に「尖閣諸島は中国の領土である」と「嘘」をつき、国内の不満をそらすため、人民の反日意識、反日運動をあおり、日本への領土侵攻の正当化を図っています。

しかし、中国人民にとっての本当の敵はいったい誰なのでしょうか? 中国の人民から信仰の自由を奪い、言論の自由を奪い、あらゆる権利を奪っているのは、いったい誰でしょうか?

GDP世界第二位と言われる経済大国・中国では、共産党幹部と軍人などのエリート層が私腹を肥やす一方で、十三億人の民は、選挙権もなく、人権も与えられないまま、まるで奴隷のように虐げられ、劣悪で過酷な生存を強いられています。人民の不満が中央政府に向かないように、中国は南沙諸島や尖閣諸島への軍事侵攻を着々とくわだて、反日運動を扇動しているのです。

中国共産党の真の正体が白日の下にさらされることで、中国人民が解放され、一日も早く本当の「自由」「人権」「民主主義」を手にすることができるよう、願ってやみません。


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年表

2014-11-07 | その他

<中国>                <日本>

明朝時代(1368年〜1644年)
 『順風相送』作者・年代不詳(中国は1403年作と主張)
 『使琉球録』(1534年)
 『日本一鑑』(1555年)
 『籌海図編』(1562年)
 『重編使琉球録』(1562年)

                    1600年 関ヶ原の戦い
満州にて清朝が建国される(1636年)
清朝時代(1644年〜1912年)

 1708年 『指南広義』
 1719年 『中山伝信録』
 1744年 『大清一統志』
 1767年 『坤輿全図』
 1785年 『三国通覧図説』
 1792年 『琉球国志略』
 1812年 『清一統志臺灣府圖』
 1835年 噶瑪蘭志略》附圖
 1852年 『噶瑪蘭廳地輿全圖』
                     1853年(嘉永6年)黒船来航
                     1867年(慶應3年)大政奉還

                     1879(明治12)年 『大日本全県地図』 
                     1879(明治12)年 『大日本全図』 
                     1879(明治12)年 『大日本府県管轄図』

                     1884(明治17)年 古賀辰四郎が尖閣諸島の開拓開始
                     1885(明治18)年 古賀、黄尾嶼の開拓を申請
                        内務省は沖縄県に尖閣諸島の調査を命じる
                     1885(明治18)年 『日本沖縄宮古八重山諸島見取図』
                     1886(明治19)年 『洋語挿入大日本輿地全図』 
                     1890(明治23)年 沖縄県知事が内務大臣に
                                  国標建設を上申

『西太后詔書』1893年←偽物と判明

1894年 日清戦争勃発(1894〜1895)

                   1894(明治27)年 尖閣諸島の領有方針を内務・外務卿が決定
                   1895(明治28)年1月14日 尖閣領有を閣議決定                                  

1895年4月17日 下関条約(日清講和条約)締結
                   1896(明治29)年9月 4島を国有地に指定。 
                               無償で古賀辰四郎に貸与することを決定

                   1919(大正8)年 嵐で遭難し、魚釣島に漂着した福建省の漁民31名を古賀善次ら島民が救助 
                   1920(大正9)年 漁民を救助した魚釣島島民に、中華民国から感謝状が贈られる 

                   1932(昭和7)年 国有地であった尖閣諸島は、
                             古賀辰四郎の息子、善次の私有地となる

                   1940(昭和15)年 戦争激化により、島民は石垣島や那覇に
                              引き揚げ、無人島となる

 

<アメリカ>                <日本>

1941(昭和16)年12月7日 真珠湾攻撃 大東亜戦争(太平洋戦争)開戦

1943(昭和18)年 カイロ会談(カイロ宣言

1945年3月26日〜6月23日 沖縄戦
1945年4月1日 米軍が沖縄本島上陸、琉球列島米国軍政府を設立 

1945(昭和20)年8月15日 終戦

   1946年1月29日 「若干の外郭地域を政治上行政上日本から文理することに関する覚書」

1951(昭和26)年 サンフランシスコ講和条約締結

   1951(昭和26)年 『台湾省通志稿』台湾省文献委員会) ・・・台湾の最北端は彭佳嶼と記載

   1953(昭和28)年1月8日『人民日報』 ・・・尖閣諸島を日本領と認める記事を発表

1955(昭和30)年10月 米軍は久場島(黄尾嶼)を演習地として使用
1956(昭和31)年4月  大正島(赤尾嶼)を米軍演習地として使用
1958(昭和33)年    高等弁務官布令20号に基づき、米軍、久場島を軍用地に指定。
                古賀善次氏と米軍との間に、地料契約が結ばれる。

   1958(昭和33)年 『世界地図集 日本之部』(北京市地図出版社)・・・尖閣諸島を日本領と記載
   1959(昭和34)年 『台湾地理』 商務印書館)・・・尖閣諸島は琉球群島に属すると記述
   1960(昭和35)年 『世界地図集』 第一版(北京市地図出版社発行)・・・尖閣諸島を日本領と記載

 

1961(昭和36)年4月 石垣市は土地借貸安定法に従い、土地等級設定のため、係員11名が渡島。

   1965(昭和40)年 『世界地図集 第一冊 東亜諸国』(中華民国発行)・・・尖閣諸島を日本領と記載

1968(昭和43)年   米民政府は不法入域を取り締まるため、尖閣諸島海域の軍用機による哨戒を開始。
               琉球政府も巡視船による定期パトロールを実施。

1969(昭和44)年5月 琉球政府が尖閣諸島に標杭を建てる

1969(昭和44)年 国連調査団が、尖閣近海の海底に石油資源が埋蔵されている可能性を指摘
1969(昭和44)年11月22日 佐藤・ニクソン会談 沖縄返還合意

   1969年 中国政府作成の機密扱い地図

1971(昭和46)年3月 台湾が米国に対し、「尖閣諸島の日本返還保留」を申し入れる

1971(昭和46)年 中華民国の中学校教科書で国境線が書き換えられる・・・尖閣を台湾領と記載

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2014-08-13 | ニュース
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シナ人にもわかる「尖閣諸島の真実 」




<英語版>




<簡体字版>





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尖閣に中国旗立てた写真入りの1ドル紙幣 香港の活動家が資金目当てに販売

2013-02-18 | ニュース
2013/02/18 J-CASTより一部転載
http://www.j-cast.com/2013/02/18165765.html

問題の「尖閣ドル紙幣」は、2012年8月に尖閣諸島に不法上陸して逮捕された香港の活動家グループ・保釣行動委員会が販売しているものだ。
一見すると普通の1ドル紙幣なのだが、本来中央にあるはずのジョージ・ワシントンの肖像の代わりに、中国国旗(五星紅旗)の立てられた尖閣諸島が描かれている。そのすぐそばには、「中国 釣魚島 DIAOYU ISLANDS OF CHINA(中国領の尖閣諸島)」という表記まである。

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尖閣「570年前に見つけた」 中国の女性大佐が森本前防衛相に主張

2013-02-18 | ニュース
2013/02/18 産経新聞

 森本敏前防衛相は18日、東京都内の海上自衛隊幹部学校で開かれた「アジア太平洋諸国海軍大学セミナー」で講演。沖縄県・尖閣諸島について、「日本固有の領土であることに一片の疑いも持っていない」と述べたのに対し、中国海軍の出席者が自国の領有権を主張した。

 講演で、森本氏は「日中に領有権問題がないというわが国の公式の立場は国際慣習から見ると難しい解釈だ。政治、外交上の重大な問題の存在は認めるべきではないか」とも述べ、日中間の歩み寄りを促した。

 会場にいた中国海軍上級大佐の女性はそれでも、「中国は日本よりも570年前にこの島を見つけた記録がある」と主張。中国側が領有権の根拠とする明代の文書を念頭に発言したとみられるが、森本氏は「中国が領有権を主張し始めたのは1970年代以降だ」と反論した。
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中国、リアルタイムで歴史改ざん中【尖閣文書発見】

2012-12-25 | 近代中国の出版物
中国外交文書「尖閣は琉球の一部」…記者会見録から関連部分カット(2012/12/29 サーチナ)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1228&f=politics_1228_006.shtml

 時事通信社は27日付で、中国(中華人民共和国)が1950年、「尖閣諸島は琉球(沖縄)に含まれるとする外交関連文書を作成していたと報じた。同日、北京市内で行われた中国政府・外交部の定例記者会見では同件についての質問が出たが、華春瑩報道官は「よく分からない」などとして直接の回答を避けた。外交部はホームページに掲載した定例記者会見の記録で、関連部分を削除した。

  これまでも、中国が1971年に初めて「釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)は中国領」と主張する以前に、共産党機関紙の人民日報や、中国国営・地図出版社(当時)が「尖閣諸島は日本領」と解釈できる文章や図を掲載したことがあったが、政府文書において「尖閣諸島は日本領」との記述が見つかったのは初めて。





  「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」と題する文書で、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記述した。

  中国政府は、「台湾は中国の一部」、「釣魚島は台湾の一部」、「日本は第二次世界大戦の敗戦の結果、台湾本島などと同様に釣魚島も中国に返還して当然」と主張している。中国政府の公的文書に「尖閣諸島は琉球の一部」との記述があれば、中国側の論法が崩れたことになる。

  中国外交部が27日に行った定例記者会見では、同公文書の問題について質問が出た。華春瑩報道官は「報道の状況がよく分からない」と述べた上で、尖閣諸島について「中国の主権は歴史的にも法的にも十分な根拠がある」と主張した。

  中国外交部は記者会見の様子をホームページ上で公開しているが、同日の定例記者会見で、「尖閣諸島にかんする質疑応答」の部分は掲載しなかった。

  中国外交部は、週2回の定例記者会見の様子を公式サイトで掲載している。主に国内向けの情報公開の一環だが、“微妙な問題”では削除する場合がある。

  2010年4月6日の記者会見では、麻薬密輸罪で死刑が確定していた赤野光信死刑囚(65歳)に対する刑執行にかんする質疑応答を、09年6月2日の記者会見では、発生後10年を迎える「天安門事件(89年6月4日)」にかんする問答を削除した。02年の日本総領事館に北朝鮮から脱出した家族(脱北家族)が駆け込んだ事件や、08年の「毒ギョーザ事件」でも、情報を掲載しなかった。(編集担当:如月隼人)
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中外は琉球の内外、外は公海

2012-12-24 | 尖閣諸島に関する研究・論文
八重山日報 2012.12.24
http://bit.ly/Tl11lZ


『尖閣東に琉球との境界線 新説、中国公式見解を否定』



 中国政府が今年9月に公表した「釣魚島(ちょうぎょとう)(今の尖閣諸島)白書」で、尖閣諸島の東に清国(しんこく)の境界線があったとした見解について、中国でなく琉球の境界線だったとする新説が発表される。長崎純心大石井望准教授(漢文学)が23日までに明らかにした。

 清国の派遣使節・汪楫(おうしゅう)は、1683年に琉球に渡航し、「使琉球雑録」(しりゅうきゅうぞうろく)という記録を残した。その中で、尖閣の東に「郊」(こう)が有り、船員がこれを「中外(ちゅうがい)の界(かい)」だと言ったことを記録している。中国側はこれまで、この中外の界が「中国」と琉球との境界線だと主張して来た。中国国務院は今年9月25日、「釣魚島白書」を公表し、この主張を公式に採用している。

 石井氏の研究によれば、汪楫は自身の漢詩集「観海集」(かんかいしゅう)の中で、福建省沿岸の東沙山(とうささん)(今の馬祖島(ばそとう))を中国の東端だと記録している。そこから遥かに尖閣附近の公海を越えた東側の「中外」の記述には、「国」の字が含まれず、中国と外国との境界ではないという。

 石井氏は、「郊とは近郊・郊外の比喩(ひゆ)で、道教(どうきょう)的な都市の内外の境界を指す。琉球国は明国(みんこく)の道教の影響を受けており、ここで言う中外とは、風水思想における琉球の『内外』を指す」と指摘する。

 さらに石井氏は、「汪楫の使節船は、台湾の北端を経由しない琉球人特有の航路を採用しており、船中で針路を主導していたのは琉球人であった。中外の界を言ったのも琉球人だ」と話す。
 石井氏の研究成果は、間もなく発行される「純心人文研究」19号に掲載される。

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長崎純心大 石井望准教授の研究

2012-11-29 | 尖閣諸島に関する研究・論文
<八重山日報に連載されている、長崎純心大准教授 石井望先生の研究一覧>

八重山日報は、「防人の島」、石垣島にある小さな新聞社です。
沖縄の左翼メディアが県内90%以上のシェアを独占する中、尖閣諸島を抱える町から、
真実の情報や石垣島民の声、良質な論評などを発信しています。

※八重山日報公式HP http://www.yaeyama-nippo.com

下記の石井望准教授の論文も、ぜひご一読ください。

中国・明代の文書に、尖閣諸島が「琉球」と明記されていたことを初めて指摘した、長崎純心大の
石井望准教授の論文。

◆尖閣前史(ぜんし)、無主地(むしゅち)の一角に領有史料有り  2012.8.3掲載

◆尖閣前史、無主地の一角に領有史料有り ◆2012.8.4

◆尖閣前史、無主地の一角に領有史料有り  2012.8.5

◆尖閣前史、無主地の一角に領有史料有り 2012.8.7



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◆明国地図、尖閣は「国外」 中国公式見解を否定 石井准教授「具体的反論を」 2012.10.6

…尖閣諸島(石垣市登野城)が明代(1368年〜1644年)の中国の「管轄範囲」だったことを示す証拠として、中国政府が公式見解に採用している明国の軍事書の島嶼(とうしょ)図が、実際には国外であるだけでなく、海防範囲外を示していることが分かった。中国の主張に対する有力な反論になりそうだ。



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◆領有主張「完全な誤り」 「中国が600年前から支配」 石井氏、学術的に反証 狎躋佞藁圧緤顕酬瓩隼愿 2012.11.9

…尖閣諸島問題をめぐり、ラオスで開催されたASEMの席上、中国の楊潔篪(よう・けつち)外相が「中国は明の時代より600年間、釣魚列島(尖閣諸島)を支配している」と発言したことに対し、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)が8日までに「完全な誤りだ」と学術的に反証した。石井准教授によると、中国側の根拠となる古文書は600年前でなく、約440年前に成立。文中の記述も、尖閣が中国ではなく、琉球に帰属することを示す内容となっている。中国側の領有権主張に歴史的な根拠がないことが、改めて浮き彫りになった。

---------------------

◆清国史料、また「尖閣は国外」 台湾総統「発見」が逆証明 中台の領有主張崩壊 2012.11.5

…今年9月、台湾の馬英九総統が「発見」し、尖閣諸島の魚釣島(台湾名・釣魚台)が清国に属する証拠とされていた史料が、実際には尖閣が清国の国外だったことを示していることが分かった。石井望・長崎純心大准教授が4日までに明らかにした。石井准教授は「馬英九総統は、尖閣が国外だったこと示す史料を、自ら発表したことになる。日本の領有権の正当性が改めて証明され、尖閣を日本が盗んだとする中国の主張も根本から崩れた」と指摘している。

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◆馬英九閣下 尖閣史料ご提供に感謝 第一囘 石井 望 2012.11.26

◆馬英九閣下 尖閣史料ご提供に感謝 第二囘 石井 望 2012.11.27

◆馬英九閣下 尖閣史料ご提供に感謝 第三囘 石井 望 2012.11.28
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突然動き始めた国境線

2012-11-28 | 近代中国の出版物
海底資源が発見された1969年を境に、
まるで生き物のように、国境線が突然動き始めた!


1965年10月「世界地図集」琉球台湾図



        

ところが、1969年に地下資源が発見され、蒋介石が尖閣の領有権を主張し始めると、
とたんに国境線の位置が動き始めている。




大きく改ざんされている尖閣付近を見てみよう。


国境線が、まるで生き物のように大きく向きを変えるとともに、尖閣諸島まで伸びている。



    ↓↓↓

尖閣諸島と八重山群島の間に、国境線が引かれている!



名称も、「尖閣群島」から「釣魚台列嶼」に変わっている。



それまで一度も、台湾の地図に尖閣諸島が描かれたことはなかったが、
突然、学校の教科書では、台湾の地図の左下に「釣魚台列嶼」の地図が付け加えられるようになった。





台湾の領海を示す緯度と経度も、いつのまにか書き換えられている。


1970年発行の『台湾省通志巻一土地志疆域篇』には、台湾の北限は「彭佳嶼」であると記載されている。


ところが、1989年発行の『重修臺灣省通志卷二土地志轄境篇』では、国境の緯度と経度が変わり、これまで台湾の北限は「彭佳嶼」とされていたものが、尖閣諸島が台湾の領土に勝手に書き換えられている。


1989年《重修臺灣省通志卷二土地志轄境篇》





1970年版では…

極東…東経122度6分25秒
極西…東経119度18分3秒
極南…北緯21度45分25秒
極北…北緯25度37分53秒

1989年版では…
極東境…宜蘭県●●●赤尾嶼東● 東経124度34分9秒
極西境…澎湖●安●花嶼西● 東経119度18分3秒
極南境…●●●北緯21度45分25秒
極北境…宜蘭県●●黄尾嶼北● 北緯25度56分21秒
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1970年まではどの地図・書籍も「台湾の北限は彭佳嶼」と記載

2012-11-28 | 近代中国の出版物
11月台灣省政府編印之「台灣省地方自治誌要」將台灣省極北界定為彭佳嶼,所附地圖無釣魚台。

1967年,中國發行台灣地圖。






1968年10月 台湾作成の「中華民国年鑑」では、台湾の最北端は彭佳嶼となっている。
(尖閣諸島は、彭佳嶼のはるか東北に位置するので、台湾の領土ではない)

1968年10月台灣印行的「中華民國年鑑」也以台灣極北為彭佳嶼.







1969年の中華人民共和国国家測量製図総局が発行した地図では、「尖閣群島」と表示されている。
1969年中華人民共和國國家測繪總局發行的地圖以尖閣群島標示釣魚台








1970年発行の『台湾省通志巻一土地志疆域篇』には、台湾の北限は「彭佳嶼」であると記載されている。

1970年《臺灣省通志卷一土地志疆域篇》記載台灣極北為彭佳嶼




『台湾省統計要覧』(1946〜1971)にも、やはり台湾の北限は「彭佳嶼」との記載がある。

《臺灣省統計要覽》於 1946 年發行第一期,至 1971 年發行第三十期 (下圖)。以彭佳嶼為極北。





このように、1970年までは、台湾が発行した文献も、中国が発行した文献も
いずれも「台湾の北限は彭佳嶼である」と記載されている。
尖閣諸島を記載した地図や文献は見当たらない。

それが突然変わるのは、1971年からである。


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書き換えられた中学教科書

2012-11-28 | 近代中国の出版物
1970以前の台湾は、国民中学の地理の教科書で、釣魚島を琉球の領域に記し、名称も「尖閣群島」という日本名を使っていた。
台湾の地図には、釣魚島はなかった。

1970年以前台灣國立編譯館編印之國民中學地理教科書將釣魚台劃入琉球,名稱也使用尖閣群島. 台灣地圖無釣魚台。



下は1958年の地理補充教材。台湾の北限は彭佳嶼となっている。

1958年地理補充教材指出台灣北端是彭佳嶼




地理の教科書に、琉球群島の位置が緯度で示されているが、明確に琉球群島の中に尖閣諸島が含まれている。

民國51年 初中地理45頁中,琉球群島位置為北緯24度到30度 東經122度半到131度之間,經緯度明確包含釣魚台。






<書き換えられた中華民国の中学地理教科書>


【為啥保釣】

百年來,中國從來沒有向釣魚台進行過任何統治行為,甚至於連宣稱釣魚台是中國領土這麼基本的事都沒幹過,根本忘了世界上還有這個地方。直到一九六九年五月,聯合國遠東經濟委員會發表探勘調查結果,指出釣魚台周邊海底可能埋藏大量石油及天然氣。蔣介石才開始主張釣魚台是中國固有領土,並且竄改地圖。



【なぜ領土返還運動をするのか】

百年来、中国はこれまで魚釣島に対して、いかなる統治行為を行ったこともない。
ここにきて「釣魚島は中国の領土」というが、世界上にそんな土地があったことも忘れていたはずだ。
1969年5月、連合国遠東経済委員会が、海底調査の結果を発表し、尖閣諸島の近海に豊富な海底資源が埋蔵されていると指摘した。
蒋介石は、その時から急に「釣魚島は我が固有の領土」と主張し始め、地図まで勝手に書き換え始めた。




1970年版
国境線は、明らかに尖閣諸島を日本領土としてあらわし、
最大の島は「魚釣島」と日本名で表記している。



(拡大)





1971年版
国境線の向きが、突然変化し、「尖閣群島」から「釣魚台列嶼」に、
「魚釣島」は「釣魚台」と表記が変わっている。





1972年版
台湾と沖縄の間の国境線が、突然消滅している。
以後、この地図が台湾の中学教科書では使用されることとなる。

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世界地図集第一冊 東亜諸国(1965年)

2012-11-28 | 近代中国の出版物
台湾国防研究院と中国地理学研究所が共同で出版した『世界地図集第一冊 東亜諸国』(1965年10月版)には、釣魚島列島(尖閣諸島)は琉球の領土として描かれている。
国境線は、魚釣島と台湾の中間に、しっかりと引かれている。
その表記も、日本名の「尖閣群島」と記されている。

尖閣諸島を日本領と認識していたことが、はっきりわかる。

1965年10月台灣國防研究院與中國地理學研究所合編出版的世界地圖集第一冊東亞諸國,將釣魚台列嶼畫為琉球領土,並寫成尖閣群島。






(以下、「尖閣諸島は日本固有の領土である」茂木弘道:著 より一部転載)


『世界地図集第一冊 東亜諸国』(1965年版)は、中華民国(台湾)が1965年と尖閣問題が起こる5年ほど前に出した地図である。共産国家ではないが、この地図は「国防研究院」と「中国地学研究所」の共同出版ということなので、明確に国家の方針が表現された地図ということになる。

台湾と日本との国境線が、尖閣諸島と台湾との間にも伸びている。
また、「魚釣島」「尖閣群島」という日本名が使われている。(台湾名では「釣魚台」「釣魚台列嶼」)













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1955〜1962の中国・台湾の地図

2012-11-28 | 近代中国の出版物


1955年 台灣公文書中將釣魚台標示為琉球群島的一部分

台湾当局が1955年に発行した公文書の中で、釣魚島を琉球群島の一部分と表記している。

日本名  中国名  面積(平方キロ)
魚釣島  釣魚台  3.82
久場島  黄尾嶼  0.90
大正島  赤尾嶼  0.06
北小島  北小島  0.31
南小島  南小島  0.40
沖の北岩 沖の北岩 0.05
沖の南岩 沖の南岩 0.02
飛瀬   飛瀬   0.01




1958年11月 北京地図出版社発行の地図には、釣魚島を日本の領土内に描き、しかも「魚釣島」「尖閣群島」という日本名で表示している。

1958年11月北京地圖出版社編輯部編印的地圖「日本之部」,將釣魚台劃入日本領土之內,並以尖閣群島標示。


「世界地図集」(北京市地図出版社)1958年

同じ年に中国で発行された台湾の地図には、尖閣諸島は含まれていない。

同年中國發行的台灣地圖




つまり、1958年時点で中国は、尖閣諸島は台湾に属するのではなく、日本の領土と認識していたことになる。


1959年、商務印書館が出版、新華書店北京発行所が発行した『台湾地理』は、中学校の補助教材として使われた本。
「全区島嶼の分布 最も東は台湾本島の東北にある棉花嶼という島、最北は台湾本島の東北に位置する彭佳嶼という島」「尖閣諸島は琉球群島の内側」との記載がある。

下の画像は中国で発行された1959年版の「台湾地理」だが、この前年、1958年に中華民国(台湾)で発行された『台湾地理』にも、まったく同じ記述がみられる。

1959年商務印書館出版、新華書店北京發行所發行《台灣地理》(作者吳壯達):「全區島嶼的分布,最東,是本島東北的棉花嶼,……最北,是本島東北的彭佳嶼,地距瑞芳鎮的鼻頭角約五十六公里,與琉球群島內側的尖閣諸島遙對」。





1960年、中華民国内政部製作の《台湾省5市16県詳細図》には、台湾付属の76の島が明記されているが、台湾の島は北緯21度45分25秒(恒春七星岩)から25度38分(基隆彭佳嶼)までであるとし、尖閣諸島はこの領域に含まれない。

1960年,中華民國內政部製作《台灣省5市16縣詳圖》,明記台灣附屬島嶼七十六座,分佈範圍從恆春七星岩到基隆彭佳嶼,未記載釣魚臺。


1960年4月、北京地図出版社発行『世界地図集』第1版 で、日本の部分を見ると、釣魚島は日本の領土として描かれている。

4月,北京地圖出版社發行《世界地圖集》第一版的日本地圖仍將釣魚台劃給日本




1961年、中華書局出版が歴史学者向けに出版した『雨種海道針路』の中の、釣魚嶼の項目では、釣魚嶼は台湾の基隆から琉球へ渡る途中にある尖閣群島の中の一つの島であり、その名を魚釣島というが、釣魚島ともいう、とある。

1961年中華書局出版由歷史學者向達著作的《兩種海道針經》,其中之「釣魚嶼」項目:「釣魚嶼為自台灣基隆至琉球途中尖閣羣島之一島,今名魚釣島,亦名釣魚島」




1962年北京地圖出版社發行臺灣地圖

1962年 北京地図出版社発行の台湾地図

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