気分はいつも、私次第

何度も思い出す その都度

2019年10月15日・・・・台風19号の被害は、まだ全容が掴めていません。
報道を見る度に、新たな被害場所が!という声を聞き
視線が画面から離れない状態に。

災害大国、日本。
もう大袈裟でも比喩でもない。その通りだ。
狭い国土で、こんなに自然災害が起こるなんて。

令和になっても、続く続く・・・・

ウンザリどころではない。怖い。恐怖だ。

阪神・淡路大震災。
この震災は、今思うと、自然災害を意識した最初だったと思う。
当時、まだ息子ズが幼くて。
子供たちをどうやって避難させればよいのか?
一体何を準備すればよいのか?

リュック2つに、スティック状の粉ミルク。
紙おむつ。お尻拭きようティッシュ。
子供の服は?離乳食も?
今思うと、新米母だった私は、一生懸命考えて準備した。

子供服も、半年毎に入れ替えていた。
大き目のジャージー生地パジャマ。

今思うと、お笑い草だ。
何の役に立ったというのだろうか。
でも、当時の私は必死だったのだ。

阪神・淡路大震災で、被害に遭った若い女性の手記を読んだ。
何かの特修だったのだろうか?
ほんの短い文章だ。
今ならば、SNSで発信するような言葉なのだろう。

その女性は、神戸で被害に遭ったそうだ。
幸い家族は無事だったが、家屋は倒壊。
避難所に滞在していた時期のことを、書いていたと思う。

彼女は、親戚?知人?が、物資を支援してくれると連絡を受け
大阪へ向かった時のことだ。
自分自身も、何度も遊びに来ていた大阪の街。
いつも通り、駅に到着し、街に出た。

いつも通りの風景。
目を見張った。何も変わっていない街。
人々は忙しなく行き交い、自分と同じ若い女性は楽しげに歩いている。

いつも通りの大阪。自分が馴染み親しんだ風景。
でも、自分は違う。
自分自身も。そして神戸の街も。

「まるで、別の世界に来たようだった」

女性は手記で語っていた。

自分が変わったのか。変わった?いや無理やり強制的に変化させられたのだ。
地震に。自然災害に。

どんな気持ちだったのだろうか。
災害の報道を聞く度に、いつの思い出す。

今回の台風19号も同じだろう。

今週末の、ラグビーの日本戦で夢中になる人々。
来週から始まる「即位の礼」に歓喜の声を挙げる人々。

もう少し先になると・・・・クリスマスの賑わいが始まる。
そして新たな年を迎えようと、世間は騒がしくなる。

そして・・・・東京五輪に向かっての大騒ぎ・・・・

被害に遭った方々は、
その様子をどのような気持ちで眺めるのだろうか。

同じ国に住むのに、違う世界のようだと感じるだろうか。
同じ国の住人なのに、別世界の異人のように感じるだろうか。

被害の様子、被災した方々の声や様子を見ると思い出す。

まるで・・・・・取り残されたような気持ち・・・・

前回の災害の被害が収束しないのに、新たな災害が。

誰が悪いわけではない。誰も悪くない。
自然が起こしたことだ。
そうやって、過去の人々も自分を慰めてきたのだろうか。

そうやって、自然災害を宥めようと、理由を探し
「〇〇の怨念が」と考え、神社で祀り、怒りを沈めてもらおうと祈ったのか。


「まるで、別の世界に来たようだった」

そんな思いをする人々が、間違いなくこの国にいるのだ・・・・・
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