新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代73「被害の爪痕」

●被害の爪痕

 トタンが飛んだアパートの屋根は、被災翌日の昼過ぎにはブルーシートが張られ、防風災害の余韻のように残る海からの北西風にパタパタと音を立てていた。少なくとも部屋の中の雨漏りは止まると不動産業者は言い残して帰っていったので、私は落ち着いて居室の被災状況をつぶさに点検していくこととした。丁度、今日明日と連休なので、そんな作業には好都合だったのだが、明日1987年11月23日の月曜日は勤労感謝の日というのが、勤め人となって初めて迎えるにしては皮肉な状況だなあと一人苦笑させられた。
 外も晴れて来て、窓から入る明るい陽射しの下でじっくりと部屋の中を歩き回ると、畳の上に敷いたカーペットの所々で足の裏に濡れた感じになる。やはり、壁伝いのみならず、部屋の中ほどでも雨漏りが滴っていたことが分かった。目を凝らして天井を見ると未だに水の雫が散見された。
 唯一の財産と言えるオーディオセットも、アンプやスピーカなどの機器そのものは被災時に動かしたので無事だったが、木製のラックや関連する棚などはやはり濡れる被害を受けていたようだ。それほど重要でない図書なども同様だった。
 私は、徹底的に被害額を見積もってみようと考えた。水濡れ被害を受けた物品は、この部屋への入居時に調達したものでも5か月間ほど使い込んだものだし、実家から搬入したものなどは何年物という感じだったので、弁償してもらえるようなものなのかとも思えた。少し逡巡していると、部屋の外で物音に続いて驚くような声が聞こえてきたので、何事かとドアから出て見た。
 隣部屋にすむ30歳台くらいの女性が帰宅して部屋の惨状を目の当たりにして思わず驚きの声を上げたタイミングだったようだ。水商売の勤め人らしく、生活パターンのズレのためか、私が引っ越してきて以来5か月近く全くお会いしたこともなかったのだが、被災がきっかけで初めてご挨拶となった。
 挨拶もそこそこに「これを見て頂戴」というので、ドアの外から隣の部屋を覗かせていただくと、床一面が目で見て分かるくらいにヒタヒタの水浸しとなっていて歩くこともできそうもないくらいだ。天井の備え付けの丸形蛍光管の照明器具も雨漏りの直撃を受けたためか斜めになっていた。
 壁一枚隔てただけで被害はここまで違うのかと驚き、私の部屋の被害状況を伝えると「その程度で良かったわね」に続けて「友達の家に居させてもらうわ」と言い残してサッサと行ってしまった。水たまりのようになった隣部屋の真下の部屋はどうなっているのだろうと私は余計な心配に気を取られたが、ハタと思い直して、先ずは自らの損害を早く把握して整理しなければなるまいと自室に引上げた。

(「新潟独り暮らし時代73「被害の爪痕」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代74「被害額算定と清算方法を決着」」に続きます。)
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