新潟久紀ブログ版retrospective

燕市企画財政課16「燕三条工場の祭典(その1)」編

●燕三条工場の祭典(その1)

 人口減少や地域経済の衰退などが注目されるようになった頃から、役所の仕立てにより、地元または他所で活躍する仕掛け人達を呼んで、地域振興に向けてシンポジウムを開催するといった類いのイベントが増えてきた。地域の宝を磨き上げるとか地域資源を活用して新たな起爆剤を発掘するとか、そんな視点での啓発を意識して議論されるものが多いようであったが、大学教授ら有識者の講演には理屈くさく説教じみて感じたり、地域おこしの成功者といわれる人の話には"手柄話"に付き合わされているだけのような気がして、関心がもてなくなっていた。
 そんな折り、燕市に出向してみて産業振興担当者から聞いたのが「燕三条工場の祭典」というイベントだ。洋食器の金属加工など製造業が集積する全国有数の"ものづくりのまち"である燕市と三条市のエリアにおいて、有志の業者が工場を開放し、それを大勢の人たちから観て回ってもらうことを通じて、ものづくりへの理解や興味を深めてもらい、引いては地元産品の購買層や地域に関与するファンの拡大などにより、地域の活性化につなげようという年に一度、秋の一定期間に開催されるプロジェクトだ。
 本物の製造現場である工場の内部を観て回れると聞いて先ず思い出したのが、小学校の低学年くらいまで自宅周辺の遊び場の中に組み込んでいた個人事業主による鉄工所の工場だった。小さな野原や空き地をメインフィールドにして、入り組んだ住宅の間の路地小路、時に上蓋のついた側溝を通路にして缶蹴りなどで駆け回ったり、逃げ隠れたりと、毎日のように近所の同じ年頃の子供と大騒ぎしていたのだが、小腹が空けば知人の畑のイチジクやら庭のナツメなどをもいではおやつ代わりにしていたものだ。遊びの最中のそんな「補給策」の中でも、とりわけ真夏の炎天時に大いに有り難く重宝していたのが、くだんの鉄工所の工場内にある「冷水機」から失敬して飲む冷たい水であった。
 子供達がわらわらと工場に入り込んでも作業員達は寛大に見守ってくれていて、忙しいだろうに「そこは危ないから近寄るな」などと目配り声掛けなどもしてくれた。20人弱が各々旋盤機やプレス機などを操作する小さくて少し暗い工場は社長の自宅と一体となっていて、しばしば社長にも遭遇したのだが、自分の子供でもない我々に対して優しくとまではいかないまでも怒鳴りもせずに見守ってくれていた。昭和の半ばというのは、わんぱくな子供達に寛容だったし、子供達が迷惑を掛けてくるのはあたりまえのことという気持ちを大人達が持っていたように思い出される。
 話が横道にそれたが、子供の頃に遊び場として入り込んでいた工場では、目当ての冷水を飲みながら、作業員たちの仕事ぶりも面白くて眺めていたのだが、迫力のあるプレス機の動作と大きな音、旋盤機で見る鋼材の変化の様や機械そのものののメカニカルさに大いに惹かれたものだ。地元の柏崎は、自動車のレシプロエンジンの部品を製造で世界的なシェアを誇る大工場の城下街で、私の母を始め近所の大人達の大勢が工員としてその大工場に勤めていたし、関連する中小の工場が集積する土地柄だったので、日中はあちこちから工場の機械音が聞こえコークスの匂いなどが漂うといった中で、ものづくりの街らしさが染みついた育ちをしてきたのだ。
 そんな私が「工場の祭典」というイベントを聞いては黙っていられない。ネットなどで見ると見学ができる工場は割と広範囲に散在している。独自に回っていると肝心な所を見落としたり時間的なロスも増えるかもしれない。どうせなら効率的により有意義な見学をしたいものだ。燕市役所に出向赴任して半年程度であり、工場の祭典に関する担当者はよく知らない職員ではあったが、彼をつかまて「そのイベントを是非見てみたい。願わくば効率的でしかも良く見て回れるような方法を教えてくれないか」とお願いしてみた。

(「燕市企画財政課16「燕三条工場の祭典(その1)」編」終わり。県職員としては異例の職場となる燕市役所の企画財政課長への出向の回顧録「燕市企画財政課17「燕三条工場の祭典(その2)」編」に続きます。)
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