新潟久紀ブログ版retrospective

燕市企画財政課17「燕三条工場の祭典(その2)」編

●燕三条工場の祭典(その2)

 民間の取組である「工場の祭典」に関しての市役所における窓口的な担当者は、私が燕市役所に赴任して以来半年ほどの中で、仕事での具体のやりとりなどをしていない相手ではあったのだが、私のことを県庁からの出向者と承知していたようで、地元住民ではない私が地域の知見を深めたいという思いからの要請であることを即座に理解して、見学ツアーバスへの乗車を段取ってくれた。
 金曜日の午後に業務を早めに片付けると、上越新幹線の駅である燕三条駅のロータリーに向かい、そこで工場の祭典見学ツアーのためのマイクロバスに乗り込んだ。新幹線を降りてきた東京からの見学参加者が既に十数人ほど乗車しており、最後部に座って居並ぶ後ろ頭を眺めながら彼ら彼女らの話し声を側聞くと、どうやら都内の大学生や若い会社員が多いようだ。学生が多いのは平日の午後に時間を取りやすいということなのだろうが、女子学生など若い女性が多いことに驚いた。「工場の祭典」というと、薄汚れた鉄工所で火花を飛ばす無骨な漢(おとこ)の仕事ぶりなどをイメージするのだが。会話からは、理工系やデザイン系のワードが漏れ聞こえてくる。有名な工業デザイナーが関与した包丁などハウスウエアの製造現場に関心があるらしいということで、若い女子学生のツアー参加が腑に落ちた。
 ハウスウエアや洋食器の製造工場が集積しているエリアに止まっては、ツアーバスから降りて、祭典用に公開している工場の内部にぞろぞろと歩み入って並び、当該企業の担当者から、製造している品やそのための機械や技術技法、ものづくりのポイントなどの話を聞いて回った。工員というと経験的に寡黙な人という印象が強かったのだが、そこは工場の祭典と称して地元を盛り上げたいとする人たちなので、説明ぶりも饒舌であり、なによりもリアルにものづくりをしている人たちなので、いずれの話も説得力が凄い。見学者はみるみるうちに説明の迫力に引き込まれてその工場の"ファン"になってしまうのだ。
 工場の多くは部品製造や素材加工といった、いわゆるBtoB企業が多いのだが、包丁や洋食器など消費者が手にする最終形の商品をつくる工場も中にはあり、それらにおいてはショールームと直売所を兼ねた場所も併設されていたので、製造過程を見学してからその場で包丁やフォーク、スプーンを購入していく見学者も多かった。製品が、どのように手間暇掛けて丹精込められて作られているのか、その「物語」込みとなれば、ホームセンターなどに比べれば結構なお値段でも皆納得して買っていくのだ。工場の見学でものづくりに対する理解を広めよう深めようという理念だけでなく、商売としての実利も強かに得ていこうとする設営に、さすがと感じずにはおれなかった。
 ツアーバスには工場の祭典の実行委員会役員がバスガイドよろしく添乗していて、バスでの移動中は燕三条地域のものづくりの系譜や特徴、豆知識などの話で乗員を飽きさせない。彼らは工場の祭典参加企業の社長や役員なのだが、高齢の重鎮ではなく、跡継ぎの若旦那といった風の人たちであり、やり慣れないガイド仕事で時折話しにつまったりしながらも、かえってその素人っぽい誠実さがまた好感が持てて、バスの中を和やかにしていた。ガイドによれば工場の祭典を始めて3年目、2万人程度まで来場者が増えてきたという。若い経営者達中心の純粋な民の発意による地域振興の企てが、地域外から多くの人を呼び寄せ、もはや小さいとは言えないような経済効果まで生んでいる。そして商売としての利益や採算性もしっかりと押さえようとしている。役人による仕立てのアマアマのイベントとは大違いに私は大いに感化されたのだ。
 工場の祭典ツアーバスのコースを回り終えてもうすぐ日も暮れそうな頃に役所に帰ると、くだんの窓口担当職員が丁度これから公用車で出かけようというところに鉢合わせた。聞けば、工場の祭典の拡張版として、農業においても野菜畑などを公開して人を呼ぶ"耕す場の祭典"、すなわち「耕場(こうば)の祭典」も展開を始めているのだといい、その農家との打合せに出かけるのだという。「それは面白い。わたしも是非」ということで彼の車に乗せてもらい、連れて行ってもらうことに。行った先では若く意欲ある農家から、青臭さが無く爽やかで水みずみずしい特産の"きゅうり"の売り出しとブランド化に力を入れている話を聞いた。
 あれから数年たった今日では、きゅうりそのものの美味さはもとよりメディア広報戦略も効いて、燕市に隣接する政令市の新潟市においても「もとまちきゅうり」の認知度は高まっている。「工場(こうば)」の祭典は「耕場(こうば)」の祭典へも拡張し、更に燕三条製品をより良く買い求め出来る「購場(こうば)」の祭典にまで展開されているという。令和2年度以来のコロナ禍は集客型のイベントには大変な逆風であり、大々的な祭典は休止を余儀なくされているようだが、"彼ら"はそんなピンチすらもチャンスに変えんとして戦略を企て密かに準備をしているに違いない。

(「燕市企画財政課17「燕三条工場の祭典(その2)」編」終わり。県職員としては異例の職場となる燕市役所の企画財政課長への出向の回顧録「燕市企画財政課18「地方創生交付金を活かせ(その1)」編」に続きます。)
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