新潟久紀ブログ版retrospective

財政課30「【番外編】財政課担当エレジー(その1)」編

●【番外編】財政課担当エレジー(その1)

<今の時代こんなことがあってはいけませんよという例え話です。フィクションとして読んで頂きたい「財政課担当エレジー」シリーズです>

①係長昇任研修は2年掛けて
 財政課においては係長相当職は係長ではなく調整員という役職名になる。いわばスタッフ制。係という組織としての括りで仕事をしているというより、属人単位で担当業務の責任の一切を追うスタッフ制。査定チームの職員皆が「一人親方」であり「個人商店」の集まりのようなものなのだ。なので、有事になると組織的な層の薄さによるしわ寄せをモロに個人が受けることもある。
 私は主任という一担当で財政課に配属され、4年目に主査、5年目に調整員に"居成り"となった。一応係長相当職への任用なので、「新任係長研修」という職員研修を受けることが必須となる。県庁から十数キロほど離れた自治研修所と呼ばれる単独施設にて、年の前期と後期に3日ずつの2回に分けての受講プログラムとなっている。
 財政課の査定担当チームとしては、当初予算編成作業の本格化前の夏迄は比較的に時間の余裕があるので前期研修は難なく受講できた。とはいっても、研修所出張は直行直帰の予定にしても、ケータイに呼び出しを受けて夜な夜な職場で残業という状況ではあったが…。しかし、後期研修の秋以降は、新知事の下で新規に策定する中期財政計画の担当となったこともあり、思うように業務繰りが出来なくなってきた、後期研修として用意された日程の選択肢が3パターンくらいあったのだが、ズルズルと受講時期の変更を繰り返し、ついにはその年度最後になる2月下旬のパターンでの受講となってしまった。
 くだんの中期財政計画と当初予算編成の作業を共に終えた後であり、いよいよ受講修了に漕ぎ着けるとばかり研修所への通いを始めたのだが、例によって夕方に職場に戻ると、私の机の上に白紙が一枚置かれていた。裏返して見ると、私が数日前に起案した私の研修所への出張伺いの紙であり、そこに紙面一杯に書かれた"バッテン印"とともに"不可能"と大きく手書きされていた。
 起案伺い先の補佐の元に駆け寄り意味を聞くと、「議会対応たけなわで答弁案作成を要する質問が増えるばかりの状況で、あんたを研修に出している余裕はない」とピシャリ。しかし、研修日程は明日の一日を残すばかり。もっと言えば、あと午前中のカリキュラムを受ければ午後は欠席しても研修修了要件に達する。これを逃せばまた来年度に前期研修の一からやり直しになるのだ。なんとか容赦してくれとばかり翌日午前中の受講を懇願するも「不可能」とにべもない。これまで見てきたこの人の仕事ぶりから推しても判断が覆らないことが明らかだったので、これ以上のやり取りは無意味だ。諦めて席に戻るしかない。私の席のそばには、同時期に調整員となり全く同じお沙汰を受けたばかりの同僚が諦め顔で座していた。この一年間で2週間近くも掛けた研修時間は何だったのか。研修担当の部署に救済措置は無いのか電話で問うたが「残念ですが来年やり直してください」と事務的な口調で返されるのみであった。
 そんなわけで、翌年に係長研修の一からのやり直しが始まった。日程をリスケさせた挙げ句にリセットとなった反省を踏まえて、前期後期ともに最初の日程に登録して何が何でも出席していった。研修の中にはグループ演習というコマがあるのだが、その年度に係長になったばかりのグループ内の受講生から言われたものだ。「貴方はすごいですね、なんでそんなに演習課題をスラスラとできるのですか」と。1年前に全く同じ内容を受講していて、全部を受け直しだからですよ…などと答える気力も無かったが。(泣笑)

(「財政課30「【番外編】財政課担当エレジー(その1)」編」終わり。「財政課31「【番外編】財政課担当エレジー(その2)」編」に続きます。)
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