オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

どいよ (友よ)

2015-09-16 | 鹿児島弁

どぃよ  よあくぃまえん くらんかなけで 

どぃよ  いっさんしたっすぃ ひどん もやさんか

よあっどな じきじゃ  よあっどな いっきじゃぁ

どぃよ こんくらんとぃ あひけにゃ   どぃよ かがやっ あしっどんあっが

 

どぃよ はんがなんだ はんが汗じゃれ   

どぃよ りっぱぃなっでくっ ひどんくっが

よあっどな じきじゃ  よあっどな いっきじゃぁ

どぃよ こんくらんとぃ あひけにゃ   どぃよ かがやっ あっどんあっが

 

どぃよ のぼいいとぃ ひさっが なけで 

どぃよ うれっせかどん  わくごっすっどかぃ

よあっどな じきじゃ  よあっどな いっきじゃぁ

どぃよ こんくらんとぃ あひけにゃ   どぃよ かがやっ あっどんあっが  ref

 

岡林信康という「フォークの神様」がいた。

彼は高石ともやのステージを見てフォークソングに目覚めた。    

そして高石ともやと共に「友よ」という曲を歌っている。

この曲は全共闘時代の希望のテーマソングだったのだろう。

彼は熱狂的フォーク教条主義者達(一方で自称全共闘世代)によって、全日本フォークジャンボリーの舞台を追われるように降りた。

そして26才の時に「おいら一抜けた」といってアメリカに渡った。

高石ともやもアメリカに逃げた。

そして二人とも同じテーマでアメリカをさすらっている。

それは日本のフォークを見直すこと。

高石ともやはルーツを探りカーターファミリーに辿り着き、岡林信康は日本の民謡に辿り着いた。

今の日本の音楽、にみならず日本社会の底の薄さは自分たちのルーツを完全に否定するところから始まっているところからのように思えて仕方がない。

彼らのようにオールドタイミーや民謡を学ぶべきだとは他人に強制しようとは思わない。

しかし自分たちの「今」には過去の累々とした流れの上に存在していると言うことは理解しておくべきではないのだろうか。

 

 さて、下に京都弁の「御連れはん」を載せておきます。

北海道生まれの高石ともやは京都に住み、滋賀県出身の岡林信康とともに関西弁が似合う気がするのだから。

 

御連れはん   夜明け前ん    闇ん中え

御連れはん   戦(いくさ)ん  炎をくべなはれ

 ※夜明けは 近こおますえ           夜明けは 近こおますえ

  御連れはん この闇の    向こうねぎ

  御連れはん 輝く     あすがおます

 

御連れはん  あんさんの涙   あんさんの汗が

御連れはん  むくわれへん   そん日がきはる

  ※

御連れはん  のぼりくる    朝日ん中で

御連れはん  喜びを           わかちあおう

  ※ 

 

 

 



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