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ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

atamaとkaradaの不足

2008-04-03 11:55:57 | Weblog
蓄積が足りないなと感じることが多い。
この日記を書く時だってそうだ。
情報や経験、知識の絶対的不足。
受身で待ってるだけでは、それは解決してくれない。
能動的に動くこと。(なんか毎日同じことを書いているような気がする)
進歩がないってことか・・・

火曜の夜、nhkを見る。主に2人の人間の特集。
中村勇吾氏と松岡正剛氏。
見ていて気付いたのは、やはり、その圧倒的な蓄積。
中村氏はウェブデザインをする際、多いときには一時間に10回も試行錯誤をするという。
それだけ自己の中に文脈が豊かなのだろう。

松岡正剛氏の千夜千冊は前々から知っていた。
確か、「無為の共同体」という本が気になって(響きの面白さだけですが)
それで検索した際、サイトに辿り着いたんだと記憶している。
その頃は毎日更新していた。その圧倒的な胆力に驚かされたと同時に度肝を抜かれた。
最新のシステム工学についての文章もよく分からないところが多かったが
なんとか最後まで読んだ。
それにしても、どうやったらここまで多くの本を(それも広範な)自己内に
取り込め、消化し、アウトプットできるのだろう。
僕にとって、読書というのは、ある意味では逃避の場所だった。
だが、彼にとっては違うのだろう。
そのエッセンスだけでもいいから見習いたいものだ。

文書を書くこと、そこに動機がなくともただ書くこと。
そこに社会的要請はない、理由があるとしたら自らの内にだ。
春ということで、なんかあたらしいことが始めたくなった。
そしてウェブ上には、幸いにして僕のための場所がある。
ここに宣言する。
毎日書く。

牢獄と楽園

2008-04-02 15:13:25 | Weblog
昨日、同い年の大学卒が社会人となった。
そりゃあ、僕のために僕が社会的存在になるまで2008年4月1日は待ってくれない。
ある意味では、遥か昔から分かっていた厳然とした事実だ。
だがそれだけにテレビに映し出される、新社会人の姿が
なにやら記号的で交換可能なものとして、僕に迫ってくる。
(精一杯の強がり)

社会的存在になると言うのはどういうことだろう。
それは、自らの本名以外の呼称を獲得することではないか。
そういう意味では、小学生もニートも、ひきこもりさえも該当する。
いや、ちょっと違うな。
やはり、「労働」することか。
労働することについて僕は多くを知らない。
資本論もマルクス主義も、国家というものも全く理解できてない。
実体験としては、短期のバイトはあるけれど本腰いれて仕事に励んだこともない。
僕は、楽園に住んでいるのだろうか。

欲望は現実に適合していく。この狭い空間で僕はもう何年も生きている。
でも、変化のときだというのはうすうす感じている。
しかしまとまりのない文章だな。
それだけ、僕は現実に対して口ごもっている。
結局、自らに語りたいだけの文章かもしれない。

要は、自分自身に向けてこう述べたい。
もう、君の10代はとっくの昔に終わったんだ。
挫折感など打ち捨てろ。そして自閉の時代をもう生きるな。
学習しろ、強くなれ、他者を切実に求めろ
弱音を吐くな、文句を言うな、社会的・建設的意見を自らの内に取り込め
体系化された、学問なり言語なりに向かってゆけ
そしてそれをモノにしろ。
最後に働け

悩みはいつ果てるともない。
わざわざここまで読んでくれた人、ありがとう。

willの行方

2008-04-01 11:29:52 | Weblog
映画「グッドウィルハンティング」のエンドロールは極めて印象的だ。
恋人のもとへ向かうウィルの乗用車を俯瞰で撮りながら、
エリオットスミスの「ミスミザリー」と、ウィルが劇中、
睡眠療法で歌いだした曲(タイトルは失念)が流れ続ける。

その内僕は不安になってくる。
この車はどこにも向かってないのではないかと。

この映画は、僕の大好きな映画だ、もう繰り返し見たくなるくらい。
それゆえ、もう一度じっくり見て整理してから、文章にしたかったけれども
なんとなくもう先延ばしは出来ないなという気がした。

どんな経由でこの作品を見たのか。あれはこの作品が出た一年後か二年後だったと思う。
家族が「アカデミー受賞作だぞ」と言って借りてきてみんなそろって茶の間でみた。
第一印象はパッとしない映画だな、何も大きな動きもないし、退屈だったなというものだった。
登場人物の内面に思いを馳せることが出来てなかったんだと思う。
映画に現実以外のものを夢見ていたんだと思う。
それはある意味では正しい。
でも、僕が生きるのは現実だ。

自分の才能(らしきもの)と向き合うこと。
そこには過去に起因する苦痛があるかもしれない。恐れもあるだろう。
しかし、我々の一回性の人生を生きる上で避けられないことだ。

論理が行き詰ると、肉体性や暴力にたどり着く。
自分の周りに見えない乗り越えれない壁を感じて、それを破りたくなる。
現実との衝突は、時に危険な形で起こりうる。

周りの励まし。大人になること。自らを確信すること。

エンドロールでそこにあったのは確信だ。
紛れもない確信。
わたしは(それを)するだろう。と

一番好きなシーンは、四人が明朝車に乗って各々が映される場面だ。
ここには調和がある。小さく流れるエリオットスミスもまた良い。

今日はこんな形になったけど、あしたまたこの映画について書けと言われたら
全く違う文章になるような気がする。
それだけにこの映画は奥深く、柔らかだ。




ふるふるふれる

2008-03-28 08:29:58 | Weblog
昨日、こちらでは雪が降りました。
辺りはすっかり、雪化粧です。
ひらひら舞い降りる雪に感化され、精神が浄化されたのか
朝、起きた瞬間から思い立ちこの日記を更新することにしました。
伝えたいことは、僕の手に余るほどある。
それに、全くの思い違いなのかもしれない。
でも、とりあえず書いてみます。

茂木健一郎氏の「脳と仮想」を3日前読み終えました。
全てはこの一キロ足らずの脳内で起きてるに過ぎない。
現実自体に触れることは、決して出来ない。とはっとした。
という記述には僕も同様の驚きをもちました。
そして仮想という概念・・・
今我々が、共有してると思ってる現実も仮想に過ぎない。
みんなが現実と思っている現実が現実なのだと・・・
そしてクオリア(感覚質)
赤という色、長嶋茂雄っぽい感じ。
だけど、近代科学の持つ局所的因果律の限界というものが
いまいち理解できていないので、僕にとってまだクオリア
というものは、しっくりきていません。

上手く、書けているだろうか。本の紹介にすらなっていないかと思うとぞっとする。

ここで、僕の「主観的体験」を書こうと思う。
昨年10月中旬頃から、いささかややこしい場所に僕は立たされることになった。
それは、僕の望んだことでもあるし、そうしないと戦うことも不可能だった。
何のために戦うのか、それは「他者の心」のためだったんだなと今なら言える。
それは、実体のないものだった。自分さえ透明に感じられるほどに。
利己的で、恣意的で、そのうえどんどん拡散していく攻撃性も兼ね備えていた。
だが、それはとても魅力的で一度傾いた心はもう戻らないようだった。
何故だろう。
なんであのような出来事が起きるほど「他者の心」が荒んでいたのだろう。
様々な要因があると思う。顔の見えない匿名性がそうさせたのだろうか。
それはインターネットの普及に負うところが大きいのだろうか。
個々人の生活が、偏った要因で成り立っていることで
相互理解に支障をきたしている事も一因としてあると思う。
さて、漠然とした文章になってしまいましたが、
そういう風に語ったほうが伝わりやすいと思って・・・
具体名を出しても、そもそも因果関係もつかめないし。
影響を受けあった人は確かにいると思うので、その人のためにこそ書いている。
勿論、まだ見ぬあなたのためにも。

既視感。
まだ読んだことのない本や文章に時たま感じることがある。
先を越されたなと思うのと同時に、これで間違っていないのかもなと確信を深めたりする。
語句がたまたま一致しただけかもしれない。
思考回路は、全然違うところを辿っているかもしれない。
そもそも、まったく異なる言語を操っているかもしれない。

「脳と仮想」に少し話を戻そう。
外にある「志向性」。
高名な脳科学者と一介の若者が、それを共通しているというのはおこがましいことだろうか。
でも、生きている場所も環境もまったく違っても、
こころが、魂が触れ合うことはきっとあるはずだと思う。
僕は、そう信じる。

3月27日付けのクオリア日記を読み、少し「クオリア」が理解できたと同時に
サイエンスたるものが全く理解できなかった。でも、
全て英語のせいにしてしまおう。だが、「自発性」の問題は
僕の人生にも深く関わっているような気がしている。
それでは

アーヴィング

2008-03-13 10:39:35 | Weblog
たった一人の観客に向けて、演技をする。
ジョンアーヴィングの「また会う日まで」にそんなくだりがある。
果たして、僕は、そんな気持ちでこの文章を書いていただろうか。
と、暫し考えた。そこに他者がいるのか、と。
画面の向こうは見えない。具体的な顔は見えない。それは相互的に。
そこで失われてしまうものがないのか、あるのか。

ところで、僕が紹介なり自分で読んでいる本は、メジャーなものが多い。
その理由はただひとつ。それしかここまで届かないから。
探せばあるだろう。だけど、なぜかそんな気にもなれない。
なぜだろう。環境が変われば読む本の種類も変わるだろうか。
たったひとりのあなたへ
それでは、また

あなたに

2008-03-12 11:57:31 | Weblog
高校生だった(7年前になるのか)高校生以外の何者でもなかった。
友達もいない、彼女もいない、そんな鬱屈とした日々。
誘われて野球部に入部したが、青春とは程遠い日々だった。
クラスでは、はっきり言って何をしてたか殆ど覚えていない。
或いは、ほんとに何もしていなかったのかもしれない。
女子たちはモンゴル800の「あなたに」をハモりながら歌っていた。
男子たちは、b-dashに夢中のようだった。普段話してないやつに歌詞の意味を訊かれたりもした。
そんな、甘く、青い季節にゴイステもいた。そこで鳴っている音楽は、
決して僕のものではなく、彼らのものだった。
そこには厳然たる壁があった。
僕は、おとなしく一人で、ハイロウズの新譜を聴いていた。
その年の11月。僕は学校に行かなくなった。いや、行けなくなったというほうが正しいかもしれない。

そして、僕の10代はどこかに行き、寒々とした身体だけが残った。
僕はひきこもった
昼夜逆転の生活。夜はテレビか、ビデオか、インターネット。
昼間は日常を避けるように。ただ、眠った。
自分でも厭だった、でも抜け出せなかったんだ、どうしても・・・
カウントダウンtvでゴイステのpv見たのもその頃だっけ。
よく覚えていないけど、兎に角、何かから逃げていたような気がする。

フジロクフェスティバル2002.wowowの15日無料キャンペーンを行使して僕はそれを見た。
ゆらゆら帝国、ハイロウズ、sonic youth,white stripes,red hot chile peppars
ここでは、書ききれないほどの豪華な面子がブラウン管を支配した。
そんななか、ゴイステの姿もそこにはあった。
彼らは暴れていた。叫んでいた。今まで見たこともないほど熱かった。
dont trust over thity

時は移ろう。音楽フェスのリンク先で、彼ら「銀杏boys」のホームページの存在を知った。
日記を、彼、峯田和伸氏が書いているのも初めて知った。
確か長野県での入院生活のときだったと思う。
なんだか、切なかった。一人の男がこんなにも全てを打ち明けていたいいのかと。
そして、彼が、冴えない高校時代を送っていたことも知り、
鼻くそみたいな誤解も解けた。僕は誰とも隔たっていないのだと。。。

銀杏boys.彼らのアルバムは一枚だけ持ってる。
「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」
ちなみに一番好きな曲は「トラッシュ」です。
少しこことそこでは時差があるみたいで、まだまだ現役です
新譜出たみたいだけれど、後2年後位に届くかな(笑)
それでは応援しています。
それではいつでも、お元気で。


試みから脱出して

2008-03-07 14:17:20 | Weblog
小説のようなものをここに書いた。
昨年末に大学ノートに殴り書きしたものを、文章として起こしていった。
推敲したわけではないし、なんといても字が汚いのが苦痛として
僕に襲ってきた(もっと綺麗に字を書けよ、俺!!!)。
そんな訳で、基本週末その作業を行うことにした。
今考えると、一片に片付けてしまったほうがよかったのかもしれない。
でも、読んで下さる読者の方々の、リアクション、息遣いみたいな
ものをより身近に感じれるかもしれないと淡い期待を持っていた。
それにしても、こうやって自分の「作品」というべきものが、
即、発表できてそれに触れてくれる人がいるということはなんと不思議なことだろう。
テクノロジーに感謝しなければいけませんね。
それでは、また

革命とか、初恋とかは

2008-01-19 15:30:40 | Weblog
ひとりの人生において、一度きりのものなのだろう。
よく分からないまま、終わり始まっていく・・・。
さて、それにしても、
コメントが辛口すぎて、泣けてくる。

お奨め映画「あの頃、ペニーレインと。」
少年が大人になっていく、映画です。
キャメロン・クロウは好きだな。

建築論

2008-01-04 09:06:28 | Weblog
建造物は、ひとり一人の手によって
造られる。だが、崩壊するのは{低確率だが}一瞬だ。
それは、幸福にもいえる。
不幸に落ちるのは、すぐだ。

それでも、ひとりでなにかを、
築き上げれば、見てくれる人は
きっと。いる。。

お奨めcd
radiohead[ok computer]

中田英寿氏の齟齬

2008-01-04 03:20:41 | Weblog
中田さんは、この世間と、考え方・生き方がこれ以上なく
乖離しているので、そのサッカー人生において
奇異に思われることが、多々、あっただろう。
それでも、続けるというのは凄いことだと思うし、
それは、本人も言っているように、
ホームページの力が大きいのだろう。多分。
ぼくも、同感です。