「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

「復活」からのカウントダウン その3 頑張らない

2009年04月17日 15時13分52秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~
こんにちは。

復活からのテーマを幾つかお送りしています。最初は、時間延長について。次は、向いてしまう方角を変える具体策、そして今日は、「頑張らない」をテーマに上げて生きたいと思います。

「頑張らない。」

結構、復活に向けて頑張る人がいますが、「余計な空回りで終わっている」人が多いと思います。無論私も四六時中空回りしています。あんまり気にしていません。

復活に向けて、自分の立ち居地を見ると、大体の人は深い井戸の底で、上から来る奇跡に近い光を見つけて(星程もない光)、それをめがけて上がろうとします。

いやー、そりゃ、無理です。
大体自分がどう上がったらいいのか、周りも見えない状態です。その星の光は、闇の中にいる自分にとっては一抹の期待なんだという事は誰もが承知です。けれど、星明りを頼りに帰れるほど、明るくはないです。星明りを頼りに井戸を上るのは、感覚が要ります。それこそ、視覚が使えないんですから、触覚や感覚で風を見たりして上がっていかねばなりません。殆ど触覚と、自身のバランス感覚だけが頼りになります。

それは、触覚だけで上がれる人はいいのですが、問題は窮地に立たされた時程、人って無駄な労力を使い、冷静さを欠きます。私もそうです。で、どうしたらいいか、考えるのに考える事さえままなりません。「誰かに聞きたい」気持ちで溢れます。けれど、自分の足元や、自分のいる場所を、一番詳しく知っているのは誰でしょうか。

「あなた自身」です。

そこに至るまでの経緯、どうしてなのか、理由はあなた自身が本当は知っています。あなたが相手と起こした経緯で挫折しても、あなたにはあなたの「言い分」があるでしょうが、「悪いところもある」でしょう。それを、本当に知っているのは、あなたに他なりません。

あなたはそしてどうしたらいいんでしょうか。
私は考えます。時間を稼ぎます。その内、星明りならぬ、月明かりが来るかもしれないし、じっと耐えて待てば、太陽が差し込むかもしれない。時間が分からぬまま、井戸の底の中で考えます。一体どんなところにいるんだろう。どうして来たんだろう。あの時の瞬間を走馬灯のように思い出したりします。

そして、待てば星明りの中では心寂しかったけれど、飛び出せる時が必ず来ます。それは「季節の変わり目」だったり、「急によその場所に行った」事だったり、何気ない事が実はドラスティックな展開を呼びます。その何気ない事を「見逃さない」のが、運命の女神の前髪を掴む行為です。

女性は結構観察眼が鋭いのですが、男性はそんなに事細かに観察しません。けれど、男性に限って部屋の中に一人立っていても、不思議と「方位」の分かる人がいます。それって、「勘」です。右脳をフル活動して、勘を働かせて、周りを把握していくのです。女性は視覚化にこだわりますが、男性は感覚で行う事が多いです。それは、右脳と左脳の働き方のちょっとした違いからもたらされるのだろうと思います。

で、風を見て、土の湿り気を見て、温度を見て、湿度を見て、勘は見えないものを捕らえていきます。そして光までの距離を図りだします。これが、触覚だけで、上まで上がっていける人の対応です。

さて、ここまでたどるにも、結構疲れます。自分の中をのぞくのは勇気がいるし、非常に苦痛な仕事です。尽きることない自分の我欲や醜い自分にうんざりして、立ち止まってしまう人が多いです。

でね、思うんですよ。
頑張って頑張って復活しても、復活した後の生活に息が切れます。頑張って頑張って、最初からダッシュで長距離を走る人はいません。息が切れます。だから、復活の日を目指して走るんじゃなくて、自分なりのペースで走って欲しいんです。

頑張ったって、復活してその後大丈夫ですか?大学生にもよく燃え尽き症候群ってのがいますね。頑張って頑張って、その学校に入った。けれど、本当にしたかった事は何か?その大学を目指したのは何でなのか。最初の原点のポイントを見失ったらアウトです。

何のために、ここまで来たのか。そして何をしたくて、ここにいるのか。

若い頃の大学ではそれを見失って、大学で、5月開けに飛び降りる人は多かったです。3月も就職が決まって、見知らぬ世界に入るのが怖くて躊躇して、飛び降りる人が多かった。


何もかも、自分の目標を「ネームバリュー」では決めて欲しくないのです。


そのネームバリューを決めたのは、沢山の人の価値観です。人間は本能的に人と足並みをそろえたがります。ですが、一人として同じ人間ではないのに、それは無理です。格差ではありません。特性を生かしてこそ、あなたが生きるのです。

人の価値観で良くても、あなたが納得しなければ、どんなものも色がつきませんし、輝きません。

あなたが、あなたの納得のいく道を、自分のスピードで、転んでも間に合うような設計で、走っていって欲しいのです。

人生は一度きりしかありません。失敗はこの先も山のように続きます。失敗した子をはやし立てる児童を今回、下の息子のクラスで見ていますが、正直に言えば、そんな思いやりのない人間は、放っておけばいいのです。はやす、ご自身はきっと失敗をされないのでしょう。では、もしその方が失敗したらどうするのでしょうか。

失敗しないように、日々緊張してお暮らしになります。大変な事です。そして、自身は人の失敗をあげつらって、その緊張のストレスを発散するのですが、正直に言って、その人の人生は「つまらないものです」。挫折を知って立ち直れなくなるのがこういうタイプです。簡単に鬱になります。それは、今までのアプローチが間違っていたと思ってください。


失敗を恐れるものは、「経験のチャンス」さえ、自らリリース(手放す)したがります。

経験を積まないと、どんどん狭い器量の人間になり、その価値観で話をしようとします。けれど、どんなに人を煽ろうと思っても、よその世界を知る人は、もうその煽りには乗りません。

画して、出遅れ、最後には「自分より低い人を見つけていじめる事」で躍起になります。放っておいてあげてください。気がつかない人は気がつきません。自分がそうだと思うなら、プライドを棚に上げて、躍起になってください。

進みたかったら、後悔したくないなら、「経験と失敗を恐れずに生きてください」。人の価値観で固定されたネームバリューに踊らされず、本当の自分のやりたい事、心から望むことを探してください。そして、多少失敗しても、道を一本間違えても、人生の最後には軌道修正が間に合うように、スケジュールを立ててください。途中で、行き先を変えたくなったら、変えられる様にいつでも自分を磨いてください。

外見磨きだけが自分磨きじゃありません。うわべだけの教養も要りません。あなたの品性を高めるのは、「人生に幅を持つ」事であり、余裕を持つ事です。どんな服も、美しい体型の人が着ると似合います。けれど、その服に手が届くには、どれ程の努力があり、それが長続きする理由を考えてください。即効性は危険です。即効性には大体毒があります。だから、即効なのです。じんわり、緩やかに手が届いていくには、自分に何が必要なのか考えてください。

頑張らずに自然体でいけるような道を作ってください。道がなければ、あなたが最初のパイオニアになればいいのです。ご自身が「平凡」だと自分を思うのは、自分のやりたい分野を人と比べての事でしょう。けれど、本当に特性を活かせば、あなただって非凡になれるのです。ただ、興味が向くか、向かないかだけで。

いつでも、自分はよそに移れると思うと心に余裕が出来ちゃうのは、人の心にある本質です。それが、挫折感を立ち直らせるきっかけになります。自分の非凡な分野を知り、目指したいものへの覚悟を決め、いつでも、移れるだけの準備をしておいてください。それが、復活を超えても、輝き続けられる息の切れないコツです。

私達は、頑張って「平凡」になろうと努力している訳ですから、頑張らないでゆとりある進み方と、自身のスタートの最初の思いを、思い出す事、心にゆとりを持つ事。時間のゆとりではなく、別の場所をキープして置く事は、背水の陣にて挫折した人に特にお勧めです。

道はひとつじゃない。先は長い。今、ダッシュしても、人生には何にも響かない。転んだって長い人生、そんな大したことじゃない。大したことなのは、転んだ事に執着をいつまでも持つ事。バネにもならない執着なら、目先を変え、視線を変え、ゆっくりと無理なく変わりましょう。

「復活」しましょう。


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