「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

性善説 性悪説

2020年07月07日 21時26分31秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~

こんばんは。

 

わたしは霊能者やってきて、1番身に染みたのは、

 

人間とは性悪説なのだと思え。

 

と言うことかな。

 

人畜無害そうな人が、どんどん崖っぷちに立たされるのも、始めはつけいられるからだと思っていた。けど、違うね。本質的に、緊急時に本当の姿が出る。

 

先の震災の時も今度のコロナも、本当に、人を思いやってる風な人程、実は自分だけ抜け駆けしたいとか、底意地が悪くなるとか、八つ当たりしてキレ芸を振りまくとか、

 

相手のことなんて思う余裕なんてない。

 

その癖、こっちが不安定だと、あっという間に突き放す、実は見下してた、実は、実はが多い。

 

わたしは一応無料じゃん。その無料を上手くこき使う人もいて、ホント無料ってロクでもないなと思う。相手がやってることには対価を払って、自分に尋ねて来る話は、正直1時間1万円どころじゃない話。

都合よくカウンセラー扱いして、何を言っても許されると思ってる人が本当に多い。

 

人畜無害だと自分を言い、ひとは自分を利用するだけしてと言う割に、あなたはわたしを粗末に扱う。嫌味も意地悪も言われれば開き直る。

 

わたしは共感して、そういう人の母親になるなり、身近な人になれるわけじゃない。あくまで無責任の無料なんだろうけど、誠実に対応すればする程、

 

増長天が増えるのは、恐らく程度が低いんだろう。

 

わたしの父は、祖父が満洲から帰国して財産を祖母に取り上げられて、生活保護世帯のバイトを小五からして育った。中学から高校に行く際に、世帯分離して、大学に行った。

世帯分離の手続きをしてくれた人も、大学の費用の援護もバイト斡旋も、してくれると申し出る人はひっきりなしだった。結婚後も、母方の祖父は大層父を気に入り、母方の大伯父も気に入ってくれた。

 

それで、父は格差社会のドン底から這い上がったけれど、決して誠実さは失わなかった。信用と信頼は、財産である。人を裏切る事は、財産を得る機会を一生失う事であると言っていた。

祖父にせよ、大伯父にせよ、気難しいので大変だったと思う。

けれど、社会的に、父は誠実であり続けた。間違った知識を正しく伝え、ガセネタで金を稼がなかった。必要な時はどんなに具合が悪くても行った。

 

娘のわたしには毒親だったと思うが、それでも、誠実さで当たってもくれた。

 

父は人懐こく、自分を後回しにし過ぎて、癌を拗らせた。

 

 

だけれど、それと今日日の格差社会の是正とは違うと思う。弱者だからと言う錦の御旗で、何をやって良いのか悪いのか、区別のつかない人が多い。

 

わたしも社会的には弱者だし、体力的にも弱者である。けれど、自分が公の手助けに切り捨てられる理由もよく分かってる。文句を言ってキレ芸した事はない。むしろ、そこで役に立たないなら、役に立つ分野を見つけて、とことん働く。

経済的強者でも、使う面は適度にキチンと使う。

 

いつでも冷静でメンタルが安定してることが、1番運が良くなる。

 

けれど、時折、弱者を振り回して、ひとをこき使っても、なんとも思わないひとに出会うと、誠実さは、相手を変えることができないのだと思う。誠実で相手がやってる理不尽を悔い改めてくれる事はないのだと思う。

 

レ・ミゼラブルは、わたしが好きな小説の一つだ。司祭は、銀の食器を盗んだジャンバルジャンに更に燭台も渡して、庇い立てる。ジャンバルジャンは、不幸な育ちだった故、そんな人の行為を見て、考えを改める。

 

けれど、世の中には、更に燭台も貰えてラッキー的な人が多い。

 

犯罪を未然に考慮して、色々システムを作る際、犯罪を犯す人の心理インタビューや抜き打ち検査も、行う。周りの友人関係も皆テストモデルである。

 

これをやればやる程、闇は深く、自業自得や、性格の問題、色々考えると、切り捨て止む無しと思う方が多い。要は天秤は傾き過ぎると、万人向けではなくなる。切り捨てられる人の悲しみは、わたしがわたしを切り捨ててるのだから、よく分かる。

 

けれど、性善説より、性悪説に傾きざるを得ないのは、その格差の下の社会がどれ程環境が悪いかである。

だからといって、格差から抜け出すには、誠実に過ごせばよいだけではなく、亡父のような身体を壊す程の努力や苦労も必要だし、何代もかかる。

 

わたしは隠キャであり、富裕層に偽装した姿をしているため、誤解されやすいが、自分の身の回りも含めて、穏やかな人だけに包まれることも無理そうである。

 

霊能者は無料であろうと、ある程度を超えれば、その人からブロックされるのも当たり前だろうし、第一に人の会話の中で、神扱いにされるのはたまったもんじゃない。

 

わたしは、感情もある人間である。どんなひととでも話はするけれど、キッパリ、プライベートでも、ビジネスでも、わたしとの距離は読んで欲しい。

 

 

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