「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

精神的に、周りの集団に絡みまくって空回りの方へ。

2016年09月22日 20時33分36秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)
ボーダーラインと呼ばれた事もあったが、心臓病の手当てをしたら、治ったという、そんな器質性疾患もあります。
PHP研究所

こんばんは。

 

ママ友とか、専業主婦や、養生中で、暇なひと程、集まりがあると、

集まりの自然な流れを無視して、暴走する傾向があり、集まりの全ての会話に口を挟もうとする衝動性があります。

あと、ヒントを得て、ひとりで妄想に浸って、暴走してしまう事も多いです。

 

基本、集まりがあれば、一辺に3種類の話題は出ます。

それ、全リードしたがるのも、こういう言うひとの困った特徴です。

 

違うんだよ、君の話じゃないよと、言われて始めて、安心するまで、猪突猛進、妄想に膨らみが増します。

 

暇なので、ひとつヒントがあれば、あーしたい、こーしたいもありますよね。

でも、世の中は、沢山の人のスケジュールの空きで成立します。

 

だから、焦燥感で焦って、ひらめいたことで、「こうしなきゃ」、「やらなきゃ」、「頑張らないと」って気持ちは、余計悪化に繋がると思います。

 

ひとには、自分の想像出来ない色々な事情があります。

それを優先せず、我が、我がでは、誰もついていけません。

 

 

昔、長男が幼稚園受験の時は、あれこれ、首を突っ込んだものでした。情報こそ命だと思っていましたし。

 

でも、その情報、ウチの子には、サッパリ通用しなかったんですわ。

 

情報に踊らされるのも有難くないことです。

また、すべからく、数多のお母さんや、職場のひととは上手くいくとは思ってません。媚びれば媚びるほど、相手は、逃げていきます。

 

わたしは、一番酷い時期は、お迎えの時間に、ソラナックス飲んで行きました。落ち着いて入られました。ひとの話題が、全部自分に役に立たぬと知ったのも、落ち着いてからです。

 

最近は、ソラナックス、デパス、セルシンは、ギックリ腰で、時たま、飲む位です。

話題にされてようが、必要とされなかろうが、それはそれで良いのかもと思ってます。

 

絶対、皆に好かれて、急遽急転して、忙しくなるより、

 

仕事以外では、マイペースを守ることが、メンタルヘルスの管理のひとつだと思います。

 

ちなみに、ママ友なんて付き合い、長く続きません。その場での集まりなんて、あなたが成長すれば、自然と離れるんです。

 

離れられない方は、強力なバイト先とか、動かせない予定を入れると、心が落ち着きます。

最近のわたし、保護者関係は、ドリンクバーで、目新しい新作を飲む会だと思ってます。時々、相槌入れて、お茶飲んでます。いやあ、お茶系、品揃え目新しくて。

まぁ、仕事で消耗してるって事も事実です。トラブルなしです。

あちこち、首突っ込んで、炎上系もいらっしゃいますが、

触らない、弄らない、アドバイスしないの三原則で、空回りを見守っています。

 

空回りの方は、理由があります。やましいから、空回るんです。

穏やかに。穏やかに。

 

 

 

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電気ショックビリビリ論

2014年01月19日 15時49分36秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)

こんばんは。

一時期は人道的じゃないと言われた精神科の電気ショック。

意外や意外、あれが、実は脳のバッテリー充電にいいとか言われだし、脳をリラックスさせるとか。

一回6万円するので、体験レポ書けないです(涙)。エステより高い電気ショック。まぁ、電気あんまを頭につけても意味がありません。(何気にエロに話を振った)電気ショックというと、風呂に水をためて、ドライヤーを放り込むという手法が昔の、殺しの手法でありましたね。

他、九州の方で連続殺人になったケースでは、通電という手法を、虐待のツールに使い、通電されたくなければ、殺せと命じて、一家が共に殺し合いになったという話がありましたね。それほど、電気ショックってのは、すごいのかって言うと、まぁ、心臓が不全になると、医者がバチッとアイロンのように焼け焦げを作ったりもします。AEDも安全だとか言いながら、ボタンを押したら、逃げろと。

おいおい、AEDでバチッとやられた奴の身の保全はどうなるんだよとちょっと突っ込みそうになりましたが(苦笑)。

意外と、電気を体に通すより、脳に通すと、脳のリラックス度が高まるようです。

決して、教祖のリラックスした状態をヘッドギアで受け取っても意味無いです。むしろ、一瞬殺されるかと思った程度の電流は、怖いですが、茫然自失となり、長い間、ループのように考え込んでいた状態から、無理矢理に引き剥がす手法にはなると思います。

ところで、わたしの脳は、なんで、調べる対象になったかというと、寝ている段階でも、脳波が常に起きて何かを行っている状態と同じだったんです。記憶が、寝てからの夢の記憶と、起きてからの記憶を持つわたしの苦痛感は、脳が落ちないからであるという理由になりました。そこで、脳を落とさないとイケナイということになり、現時点で、脳が落ちてないなと思う時は、強制的にシャットダウンします。

他、わたしが、寝ないでいられるということを知っている人もいるのですが、基本的に、脳が落ちなくても11日間くらいは、平気でいられるようです。

段々手足が震えだしてきたりしますが、脳の回転は通常通り。体力が持たないだけってことであったというのも、自分で人体実験をした結果、わかっています。その点で、非常に興味深いのは、この人間の脳波について、わたしが20歳の頃、脳波を取った医師がいうのですが、この人は思い込ませると、思い込んで実現してしまう。ありとあらゆる分野に、擬態をできる人間だけれど、脳の働きに体力が追いつかない。ついでに言えば、この人に恨みを買うと、呪いになるから気をつけろと、昭和の頃の医師が真顔で言うんですよ。

いや、医師から、呪いっていう言葉を聞くとは思わなかったのですが、「ひょっとして、わたしは、選ばれた、櫛をくわえて下駄の一本足打法で、丑の刻参りができる貴重な人材」なのではないかと思い、それでは、丑の刻参りをできるチャンスを頂こうと、ずっと思っていたのですが、口が達者なもので、丑の刻をする前に、人が皆、ワイプアウトしてしまうという事態になり、結局、未だ、咥える櫛さえ購入する機会に恵まれていません。

確かに18歳の頃、幽体離脱をして、憎い人のもとに行き、行っているという自覚がないので、チャラチャラ遊んでいるうちに、相手が段段衰弱したのでやめてくれという話は聞きましたが、その頃のわたしは、競馬、パチンコ、麻雀、女から遠ざかった生活で、強いて言えば、あんまりいい生活ではなかったので、何が原因かわからないんですよね。もっと憎んでた人もいたはずなのに、そっちには、あまり興味がなかったんですかね。

幽体離脱も、行き先を選べないのだと思ったことはあったのですが、昔、ここで、霊能者稼業をおおっぴらにやっていて、その中で遠隔なんかやってたじゃないですか。あれも、ひとつの実験で、知っている知人だと、やはり、心を読むことなんかに多少、制御がかかるんですよ。でも、全く知らない第三者、第三者の情報さえ知らないのに、その人の家の間取りが見えるのは何でだろうと。

見えたものの色が、どれ位現実と違うのかとか。

お金もらってやっておきながら恐縮でしたが、あれも、ひとつの実験ではありました。全く知らない第三者。その情報が、流れるように見えるのは、正直、おかしくなったのかなとか、ちょっと、自分を疑いましたが、症例を重ねていくうちに、100%へいくようになり、結局、そういう方法の規則性を考えたら、規則性があった。

だけれど、どうも、そういう脳の作りをしている人は少ないようで、現時点、うちの女子会にいるメンバーは、割りとそういう素質を持つのですが、当人たちは、恐らく自分がどういう脳を持っているから、こうなんだということはわかってないと思います。わたしも、そこまで人材をたくさん集めて、沢山の中で見ていく中で、規則性を見つけたわけで、まぁ、だからそれを公的な機関に持ち込もうとは思わないですね。

確かに、テレパシーとは、便利ですよ。スカイプのようなツールがいらないんですから。そもそも、タッチパッドがいらない、PCいらない、WIFI、ネットワークいらない、いらない物づくしでいいことには限りないんですが、結局は、スカイプのように、登録した相手のみ通話できるとか、受け取れるとか、そういう機能はないんですよ。駄々漏れなんですよね。そうなると、人間は、脳が情報処理に追いつかなくなって、アウトになるケースも多いんです。

考え込みすぎて、鬱になった人に、お風呂を勧めることはよくあります。理由は、脳に巡っていた血流が、体を温めることで、脳だけではなく体に循環するようになると、怒り出したくなる思いってのが、意外と薄れるんですよ。かっと熱いお湯にずっといるのは、危険ですよ。熱いお湯が冷めるように、自身の体もゆっくり体温が下がっていく中で、徐々にリラックスってのはあるんですよ。

わたし、子育て凄くストレスでした。子育ての間でストレス解消にしてたのは、風呂と寝ること。勿論、ネットでブログが流行っていた頃だったんで、読みたい書きたいで、寝ている暇なんてなかったんですが、風呂だけは一日2時間は時間割きました。息子が幼稚園に行くようになったら、息子らを送って、速攻で風呂に入り、3時間風呂に入って、即効で出て迎えに行く。それで、疲れるので、息子と昼寝して、昼寝の間に、気功の呼吸方法を勉強したり、学業の本を読んだり。息子が起きたら、早速、風呂(笑)。ここでたっぷりと2時間遊ばせて、自分の顔面をじゃんじゃん磨く。石鹸で遊ばせることや、風呂用のクレヨンを使って書いたり、髪を洗って、息子の髪を洗って、人の頚椎について学んだり、経絡について息子の体で学んだり、大人と子供の頭を比較したり。(息子さんごめん)。

そんなんで、まぁ、津々浦々オカルト論ですが、いずれは、超常現象でも何でもなくなると思います。

職場に極端に記憶力が少ない人がいます。でも、別にわたし的には問題ありません。付き合うのに、不自由しません。わたしも、記憶力は多い方ですが、でも、記憶しない部分があります。そこを補うために、職場の机の上には、何でも出しっぱなしです。ハーブティから、化粧品から、仕事のキーワードから何でも出しっぱなしです。そうやって補完しないと、限界はありますしね。

まぁ、それでも、温泉でバイブラバイブラしてくると、楽になりますよ。後、好きなのは、体の力を抜いて好みの温度で、体の筋肉をほぐすこと。

ぽきん、ぽきんって、体がストレッチをする以上に、伸びていきます。あぁ、こんなところ、歪んでいたんだなとか、思うことあります。

でも、体に覚えさせないと、また、風呂から上がったら体の覚えているような「過緊張の背中」になります。

ゆったりのんびり風呂にはいるって、すごく鬱の人には大事だと思います。

 

だってね。いくら考え込んだって、理論の通じない人にはなんにも通じないし、誠意の通じない人には通じない。だったら、考えるだけ無駄じゃないの。バイブラバイブラ、焼き芋の焼けた匂いを嗅ぎながら、風呂の帰りに焼き芋を食べて帰るなんて、贅沢でしょ?

苦痛はね、受け止めようとするから苦痛なの。受け止めないで、来たら来い!って気構えでいるとね、初めは辛いのよ。押しつぶされるような気がしてね。でも、そんなのほんの少しの辛抱よ。受け止めて耐えようとしなくていいの。来たら来い。来た時考えればいいし、来たら、すいませーん、きちゃいましたぁ、って涙の一つでも流しておけば、辛さも馴染んでくるわよ。

 

受け止めると、受け入れるって、ぜんぜん違うもの。だからこそ、自分最近考えても追いつかないなとか、報復したいとか思うときには、スーパー銭湯、バイブラバイブラ。超音波にて、バイブラバイブラ。

 

あなたの怨念、生霊、吹き飛びまっす。

 

 

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盗癖 続き

2010年02月01日 14時09分07秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんにちは。

盗癖で、公立の事をかきましたが、私立はもっと犯罪の温床です。なまじお金があるだけに、何が蔓延るかは全く予想できません。盗癖、恐喝、脅迫、麻薬、割と何でもありです。

昨今、公立こそが犯罪の温床と言われていますが、私の子供の頃には、既に、私立の方が重大犯罪の温床でした。確かに校舎は私立は綺麗です。全くないように見えます。ですが、見えない陰でこそこそやるのが得意なのは、私立です。公立だと、天井に穴が開いていました。まぁ、器物破損か、更に大きな強要罪になっているか、の違いでしょうか。どの道、犯罪は犯罪です。

無理して私立に入れる方もいて、だからどちらの方が、子供に免疫力がないまま、育てられるかと言ったら、私も分かりません。ですが、犯罪に対する防衛策を身につける事前ワクチンのようなつもりで学校を捉えていかなくてはならない時もあります。中には、モンスターペアレントのような人もいます。苦労してお金を出した上で、満足いかないサービスだと、怒鳴りこむ人もいます。

ですが、正直、子供が行う行動に関して、ある程度は親の規制があっても、ある程度はワクチンのつもりはあった方がいいかとは思います。だからと言って、盗んでいい訳ではありません。

今の子供は、何かに対する免疫力が全くない、過剰な母性本能(父親も持つ)に守られた子供が多く、意思を取り上げられているので、考えることなく、社会に対して免疫力もなく、何をしてもすぐにヘコタレテしまいます。

しかし、昨今の学校における盗みは、高度化し、そして暴く方も本当に苦労をします。無論、偏差値が高い学校であればある程、その高度化に関しては、プロ顔負けの所はあります。けれど、人として健全な道を踏み外しているのは、事実です。ですが、小さな社会で、法と秩序を既に身につけていかなくてはなりません。

ある程度、子供時代と言うのは、大人時代をシミュレートして育ってきます。そこで色々な社会への協調性、法、秩序の守り方等を学んできます。別に机上の数学だけ学びに行くんじゃありません。親はそれに専念して欲しいと願うんでしょうけれど、専念してたら、ろくな子供には育ちません。できる人は、学力も、免疫力もついているもんです。

ですが、親社会の縮小図が子社会だとして、だけれど親が盗みを行えば、それを知る子がモラルを守り抜くのは、本当に不利です。自分自身の生活の糧を失うおそれがあるからです。育児放棄をされては困るから、子はそれに従い、時に自分自身もアンモラル化していきます。

ですが、それも、ひとつの人生の経験と言えると思います。その毒になる親や毒になる友人から逃げ、法と秩序の思考を取り戻した時、初めてその人は、自分の犯してきた過ちに気がつきます。

ですが、こういう弱い時をまた突きあげるのが、新興宗教だったり、カルトの存在です。勇気ある行動を、そこでまた邪悪に捕まる必要はありません。共感して欲しい、慰めて欲しいと人は思います。ですが、だからどうなんでしょうか。それで、変わるんでしょうか。あなた自身が変わるには、ひとりで立つ事です。

盗癖があるのは、貧しかろうと裕福であろうと、頭がよかろうと悪かろうと、そして、社会的地位があってもなくても、関係ありません。

そして、最近の子供は、20年前と比べて、大学入試の平均点が20点も下がっているような非常にラッキーな状態にもかかわらず、世界視野が極端に狭いです。勉強とゲームだけとかいう子供も多いです。それでは、例え、有利な資格になるであろういい大学に受かっても、社会で大きく躓きます。勉強だけが、学生時代にやる事ではありません。大人の社会の縮小図を生き抜くんです。むしろ、親の保護であれば、その親次第で余計不利になった事もあるでしょう。けれど、今のあなたのタフさは、それで培われたようなもんです。

親と言うのは、完璧でもないですし、反面教師という言葉もございます。ですから、与えられなかったと嘆き倒すのではなく、与えてくれないと、我儘を言うのではなく、自分でひとりで立ってみましょう。ろくな更生施設もない現在です。現に最初のエントリで私が申したように、私自身が、「これは何かある。」と訴えても、取り上げる教師がひとりもいない状態の時もあるんです。そして、被害を「通報」されてから始めて、動き出す大人が多いです。私の時は、被害が通報されるまで、のほほんと私が使用していたら、私も共犯者として巻き込まれていたと思います。被害総額ですが、1万や2万を軽く超えた文具の量でした。

誰もあてにしてはいけない。自分ひとりで立ちましょう。


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盗癖 ~李下に冠を正さず~

2010年02月01日 11時49分58秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんにちは。

自分では、盗みを働いた事はないです。むしろ激しく嫌います。万引き等も、笑って「パチッた」とやった本人が言い始めた段階でどう縁を切ろうか考えだしています。「やる人の気持ちなんか分かんないでしょう」とやった人を捕まえて職員が来た時点でやった人によく叫ばれますが、正直、理解なんかできなくて結構です。

高校生の頃、やっと体が発達してきたんで、親が下着を買ってこいとお金を渡してくれるんですね。ところが、当の私は、ブラの買い方一つ分からない。しかも、殆ど親の意向で男の子のような格好で中学生を越えてきたんでね、全く女性モノが気恥かしく思えるんですね。で、ショーツなんかひとつとっても、「うわぁ、女もんだ」で、かなり挙動不審で赤面してたんだと思います。あっという間に、その売り場で、女性の方に質問され、事務所に連れて行かれます。

まぁ、要は、下着万引きだと思ったらしいんですね。まさか、高校生になって初めて下着を買いに来たという女の子がその当時いるとは思えなかったんでしょう。服を裏返しても、何も出てきませんし、ついでに財布にはお金が入っています。なもんで、丁重に菓子折をつけて謝罪を頂き、自分では家に帰ったんです。結局、そのお店は、随分前に閉店しました。

その時ですかね、思いだしたんですね。中学生になって都心に引っ越してきて、あっという間にクラスで人気モノにはなるんですが、どうも思ったような人物ではなく、やっぱり落ちてしまうんですね。で、転校早々、毎日、机の中に、新品の文具が入っているんですよ。それは、ある女の子が、親しくなりたいと言い出して、最初は手渡しで文具をくれるんですが、あまりに毎日が三週間も続けば、何かおかしいと思う訳です。買ったんだろうなと最初は思いましたが、その次からは、もしかしてと思い、殆どを手つかずにして、自分の家に溜めないで、学校のロッカーに溜めたんですね。

そして、親にその事を言って、先生に言うんです。先生もとぼけてましてね。「くれるって言うなら有難く頂きなさい。」って素っ頓狂な事を言うんですね。あてにならないぞ、大人は。そう思いましてね、それでも、ずっと、机には毎朝、新品のセルロイドの定規や、下敷きが入ってくる。本人にも言ったんですけれど、お友達になって欲しいからと言う。いや、友達になるのに、モノの授受はないんでと言い返して、そしてずっと反抗して、終わった頃ですかね。

あるお店が、文具を盗まれてばかりいて困ると、学校に通報があったんですね。その事を授業で聞いて、その後、貰ったものが入っている袋を職員室に持っていきましてね。まぁ、結果的に、生徒のSOSを見抜けない教師が、その処理に走りましてね。ものの見事に盗品だった訳です。

公立の小学校、中学校に入ってね、自分で思ったのは、犯罪から身を守る術を、自分で覚える為に行ったようなもんかなと思います。いじめだって、職場で起きれば凄まじいものです。自衛策を持たねば、鬱にもなり、パワハラモラハラ、もう、どうにも社会復帰不可能になります。
で、自分では、最初の万引き行為を疑われる事も嫌なんで、どこに行くにも、買わない時は、後ろ手を組んで見いっています。

瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず
君子たるものは、人から疑いを招くような事を未然に防ぎ、嫌疑をかけられるような振る舞いはしないものだ。

これを実践しています。ちなみに、息子らも、後ろ手を組むように言ってあります。

ちなみに、実家では、実家のそばの大叔母が、お手伝いさんに着物を盗まれるとか、結構遭ったらしく、いつもこぼしているのを聞いた事がありました。けれど、母が、大叔母を手伝いに行った際、外したアクセサリ(狼汗の大ぶりアクセ)を、大叔母に盗まれる等があって、母自体は、自宅の中であろうと、家族や親せきであろうと、見張れない時は諦めろと言うんですね。事実、私が友人を呼びたい時は、「親のいる時」が原則でした。

若い頃は、親のいない隙に、怪しい事やってと思っての注意かと思ったら、盗みの注意でした。若い頃の母は、ふんだんに高いものを当たり前のように身につけ、当たり前のような想像つかない裕福な生活を送って来て、結婚して東京に来たら、それがどんどん盗まれていく。それを見て、愕然としたらしいのです。まぁ、私も、昨今、家の中に人を上げると、人が調度物で「財産の値踏み」をして、幾ら引き出そうとか考える事が、「行政から遣わされた人」であっても、そうなんだと知った事件があったんで、よく理解は出来ました。

まぁ、そんなんで、お金があって裕福であっても、盗癖がある人はいます。そして、貧しくても行う人もいます。共通しているのは、心の病み具合です。息子に万引きをさせて、平然としている母親は、裕福な土地柄にもいます。パチッてくる事自体が、普通だとか、はずみでも行えると言うのは、立派に病んでいると思います。

何度か言いましたが、完璧な犯罪などあり得ません。1回2回の成功は、実は見逃された傾向が多いんです。ですから、立件する前に、自身が辞めるのが一番です。ちなみに、私はコレクターなので、非常に気をつけています。隙があるんじゃないかと言われると、人間生きてて、一日を通して、隙のない時がない人がいますか。


犯罪はやろうと思う事自体や、実行した時点で、病んでます。



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その人は壊れたのか ~忘れてはいけないモノがひとつある~

2010年01月30日 21時53分50秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

昨日の理解できないモノを理解しようとすれば、混乱するの続きです。

基本的に学問を学ぶ上では、「何故?」という疑問を持ち続けろと言います。どうして?なんで?ねぇ、どうしてなの?しかし、その疑問が現実に明らかになる時は、そうはありません。子供は、親からも答えが貰えず、誰からも貰えず、学問にあるのかと思い、それぞれに真理探究を目指していきます。ですが、なぜという疑問を「自分自身」に持ち始めた時、人は容易く道を外れていきます。

最初は、何気ない自分へのクエスチョンだったんだと思いますが、段々、答えが見つからず、探しても答えられる人がいない。もしかして、こういう疑問を持つ自分こそが、「問題なのか」と考えだしてしまいます。人とは、奥深いものです。そして、自分の進退に行き詰る程、思い詰め過ぎて、そして人がはまるのが、その感覚共有の場である、新興宗教の勧誘場です。

最近は、大勢で、あんたが悪いと説得するのではなく、むしろ、その疑問に対して、病んでしまった自分の境遇を共有し、そして、自分の問題を共有し、自分がおかしかったのかどうか、共有したがります。ですが、残念ながら、宗教は必ず、あなたを自我崩壊させて、ある事を洗脳する手法として、あなたへの共感をしているだけであって、そこに本当の答えなどありません。そこは、共有して、共有して、持ち上げておいて、がくっと落とし、そしてあなた自身の今までの過程を、「否定させる」為に存在します。

あなたは、その時、その教義に一抹の救いを見出します。あんなに探して探して、見つからなかった幸せの青い鳥がここにいた。そう思うかもしれませんが、思いが素直で、素朴で、本当に一途であればある程、洗脳は簡単になります。そして、あなたは、そこで、今までの自分を、全否定します。

そして、与えられるものは、とても素晴らしいものに思えると思います。生まれたてのヒヨコが、最初に見たものをお母さんだと思い込むように、例え、その教義が、アンモラルであっても、あなたにはそれが、最高善のように考える事が出来ます。

ですが、他者から見れば、その光景は、凄く滑稽なんです。ですが、本人が一途に願ったその素直な思いを妬んだり、冷やかしたりしている訳ではありません。一途に思いつめ過ぎて、道を大きく踏み誤ったその姿勢を、口やかましく注意しているだけです。ですが、あなたは、お母さんだと思い込んだ「とても邪悪な存在」に目を奪われていますから、法や秩序を侵しても、割と平気です。一抹のやましさがあってはならないのです。一抹の不安があったら、またそれは教義によって踏み潰されます。そして、徹底的に、壊されたあなたの自我は、もはや、法や秩序などには目をくれなくなります。狂信的人間を作るのは、こうして作るか、利権によって洗脳するのも一つです。ですが、利権の場合は、利権がなくなると、反旗を翻しますから、大変に危険です。ですから、一抹の「疑い」なきよう、徹底して自我を潰すのです。

昔は、日本でも特攻隊には、やはり志願もおりましたが、それでも、不安が大きかったものです。志願しておきながら、脱走と言うケースもありました。ですが、そういう時、日本軍は、麻薬を使いました。そうです。ヒロポンです。そして、それによって、万能感を得てしまった場合、怖いものが無くなります。

疑う事を捨ててしまえば、不安などありません。ですが、本当に疑わずに生きていけるのでしょうか。

もし、あなたにアレルギーがあるとして、確認せずに、目をつぶって何でも食べたら、どこかしらで、必ずその食材に出会い、アナフィラキシーショックを受けて、死ぬ可能性があったとします。

あなたは、それでも、目の前の食材を、何も疑わず、後悔せずに、怖がらずに、見ることなく食べる事が出来るでしょうか。私は、自分がマンゴーにかぶれたり、メロンにかぶれたりしますから、そういう食材の匂いや、舌触り、味に敏感になりました。ですが、私はまだ致命傷まで行きませんが、ひどいアレルギーの方だと、その場で応急処置をしないと亡くなる危険性があります。そして、往々にして、このような手法にはまる人は、危険性がある人だったりするのです。

元々、どこか危うい一線を持って暮らしている。けれど、それに怯え、怖がり、逃げる毎日が、「本当に普通なのか」そんな事を考え出して踏み外す人もいます。無論、教義で食べる時には、既に死の事など忘れ、恍惚として食べている人が、そういう団体に多いです。

何故、あなたは危険な目にこれから遭うと言うのに、そんなに恍惚としていられるのだ。

その人はこう答えます。「逃げる事に疲れた。私は、許された。だから、全てを受け入れる。」

果たして、受け入れる事は、死に向かってもいいと言う弁論になるのかどうかは、全く疑問ですが、結果的に、彼らは、その恍惚感で、現実のショックの痛みを乗り越えてしまう場合があります。脳内麻薬のせいと、教義を狂信的に受け入れた場合です。殆ど、プラセボ効果です。ですから、乗り越えたけれど、その先は、死です。

その人は逃げたくて逃げたくて、合理的に、自殺に向かったとしか、私には考えようがありません。

ですが、彼らが壊れたのかと言えば、壊れたんだと思います。現実を疑問に思い、現実を拒否して、そして逃走し、逃げる。しかし、逃げ切ったように見えて、実は、恍惚感の先に、何を見ていたんでしょうか。信じるモノは救われたんでしょうか。結果は、それで今生のカルマ清算が出来たとでもお思いですか。更なる負債を抱えて、次になだれ込むおつもりですか。その次でも、逃げますか。

過去のある日を、一生懸命考えて、疑問に思う人も、自分自身の存在に疑問を思う人も、痛みや病を持つ自分を疑問に思う人も、全ての不安に逃げてしまいたくなる時も、あなたは、それでも、捨ててはいけないモノがある。忘れてはいけない事がある。

それは、「疑う」事だ。



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麻薬中毒 ~繰り返す狂気~

2010年01月23日 16時28分48秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

そんなことはないと言われるかもしれませんが、麻薬犯罪者は、再度繰り返します。

覚せい剤ってのは、今まで、勉強が凄く嫌だった人が、逃げて逃げて逃げまくって、机の前に座り、そして読もうと思っても頭の中に入らない本を読み広げ、何とか苦戦していく内に、試験期間となり、その試験期間だけ、猛ダッシュしてきた時のその猛ダッシュピーク期間を、定常的に薬でその状態に維持するんです。

普通、そんなにやると、学生は大体翌月倒れるように、バイトで肉体労働しか役に立たない感じになるんですが、普通の脳内は、バランスを取って管理します。ですが、薬では、定常に猛ピーク時を、「時」ではなく、「帯」で自分に期待するので、寝食惜しんでやった結果、何事も成し遂げられず、どんどんお粗末になっていきます。身体耐性はすぐつくので、すぐに量が増え、そして最後は身体的依存の虚脱感とフラッシュバック逃れに、廃人同様になるまで打ち続けます。ですから、「作られた」猛ピークです。人工猛ダッシュが、自然猛ダッシュに敵わないのは、適切な加減がない事と、適切なコントロールがない事です。

普通にそこまで行ったら、人は体が酷使されてボロボロです。人体は、兼ね合いで、バランスを取ろうとしますから、うまく脳が働かないようになり、休んだりします。ですから、試験明けの時に、学生が「あっ俺、もう役に立たないから。」とか「半分死人」などと揶揄するのは、体内管理ではごく自然な事です。

ここで、ひとつだけ専門用語を出しておくと、猛ダッシュというのは、交感神経優位を、人工で作るのです。手軽に、目の前の嫌な事が忘れられると囁く前に、その薬は万能感(何をやっても何でもできるような気がする超人感)をもたらします。余りの冴えわたりに、多幸感が押し寄せ、何でもできる気になります。(実際は、本人のできる事以上の事を超えられないんで、お粗末です)

ですが、初回のインパクトはでかいでしょうけれど、二度目三度目、段々耐性がつき、次第に、並みな量では効かなくなります。そして、毛髪診断で使用履歴が分かるということで、何らかの身体的依存がないと言われてきた覚せい剤ですが、身体的依存症状としては、虚脱感・フラッシュバック、脳内物質コントロールの破壊、人格破綻が上げられます。

万能感の後の虚脱感は、人工で作っただけに、上がって降りての差が激しく、人はとても目の前の事が、前より我慢が出来なくなり、嫌になります。元々、嫌な目の前を越えて行こうと思って使ったのに、何を好き好んで、目の前が更に一層暗くなる事が好きな人はいないでしょう。画して、シャブは、一回打てば後は喜んで、本人がやってくると言われるのは、それだけ激しいんです。ついでに、心臓に凄く負荷をかけます。ですが、自然体で得るのなら、ランナーズハイとか、そういう点でクリアできます。寝食惜しんで脳内のドーパミンを出して、今だ、膨大な計算式を解いている退官後の教授もいます。

私自身は、誠に情けないんですが、天然で超絶交感神経優位と副交感神経優位がドラスティックに現れます。専門書を読み出す時、頭には要らない時があります。ですが、子供の相手をしながら、10分で専門書を読んで、全部丸覚えして頭に入る状態の時があります。何冊でもイケます。そりゃ、凄まじい面白さです。

ですが、残念ながら、そういう時は、自分がテンパっている状態なので、殆ど眠れないです。前に、クライアントに、あなたはそれでも狂わないのかと言われたんですが、そうですね、不安定になった事はありますが、狂った事はないですね。論理的思考が維持できるんですから。昔も今も、どんどん読みふけって行っくと、体はもはや悲鳴を上げるんです。で、ブレーキを引いても間にあわなくて、もはや好奇心の大暴走をしてね。昔の教授職と言うのがこんなもんでしたから、父もそうだったんですが、今じゃ、そういう家系だと思っています。

で、これがまた、面白いんですが、そんな時にふと葬式をしている家の前を通りがかって重苦しい気を拾ってしまう。すると、今度は、副交感神経に傾きましてね。天秤ひっくり返しで、もはや、秤なんてないんじゃないのと思う程、傾いて行きます。で、私はその行き帰りが激しくて、若い頃は精神的に悩みましたし、人格障害と言われる事もありましたが、どうもそういう投薬もなしに治ったのは、自分がコントロール術を考えなければと思い始めたからだと思います。

ちなみに、副交感の時は、そうですね、尿量が一日普通で4リットルを行くんですね。だから、シーソーゲームのように傾くんですよ。そりゃ、精神だって悲鳴を上げます。でも、私は残念ながら、何で狂わなかったのは、本当は分からないです。脳内処理が追いついた事もあると思います。普通の万能感では、思考障害になる程、なにをやっても中途半端になるんです。でも、私は、何やっても最後までやり遂げるんで、逆に体に負担が来ます。違う意味で、クレイジーであるのは認識しています(涙)。クレイジーというか、マッドかな。

で、統合失調症が、麻薬のなれの果てと同症状になるんですが、麻薬は統合失調症の「陽」症状を人工で作り上げたものです。ですから、慣れない勉強や、頭に入らない本を読む「苦痛」というものを味わう前に、シャブ打って、本開いたら即、理解って事になります(実際は理解した気になっているだけです)。ですから、普通の人の「苦しみ」をすっ飛ばすので、現実逃避したい人には止められないモノとなります。ちなみに、私の若い頃の知り合いは、結構そういうのが好きな人が多かったんです。ただ、私は自身が天然なので、そういうものには理解がなかった。徹底的に嫌っていた。ちなみに、その当時の友人は、相変わらず繰り返しているか、既に鬼籍です。覚せい剤は、出所しても、売人が追いかけてくる。それとフラッシュバックが起きると、身体症状の凄さから、手を出してしまいます。だから、止められない。売人ネットワークは凄いもんです。手を切ったと絶対に信用は出来ません。一生の内のいつフラッシュバックが起きるか分かりません。

ですが、ダウンよりアッパーの方が確実にインパクトはあるわけですし、エネルギーを凄く消耗しても時として届かないのですから、人は惹かれます。ですが、それは確実に人工手段であり、手軽だけれど、陽症状を行い続ければ、人は破滅の道を辿ります。バランスですから、陽が強ければ、陰になった時、凄まじい希死念慮も起きるでしょう。

天然成分ではなかったら、その反動はもっと大きいでしょう。そして、一生の中で、また何か苦痛があったら、あなたの頭には、それを苦労して乗り越えるのではなく、「シャブでお手軽システム」として導入してしまうと思います。ですから、足を洗うと言うのは非常に難しいです。

私は、何故友人らがはまったのか、昔の疑問の理由を問いたくて、昨年大学で、犯罪心理学を取った時、衝撃的な事を精神科医である講師達から聞くのです。そして、その後も教えを請いながら、その更生法についていかに無力であるか、理解をしました。ろくな施設もないし、ろくなお金もない。

世の中、正直に言えば、レイキは、まだましかなとおもいますが、レイキと名を打ってのカルトや、カルト霊能者やカルト宗教は、様々な薬剤を飲ませて、その万能感で、奇跡体験を作ります。だけれど、本人は凄いと思うんだそうですが、どう足掻いてもその時の本人の能力や経験を遥かに越える動きは脳はしないんじゃないですか。どうなんですかね。奇跡ってそんな作り方しなくても、意外とできるけれど、そういう依存傾向の強い人の場合には、その方法しかないんでしょうか。依存傾向の強い人は、欲求も人一倍強くて、「もっともっと」って請求します。今の現状に満足する事をしないんで、すぐ廃人です。最も、ドーパミンがもたらす多幸感の凄さは、そこに山があるから登る以上の凄さですよ。でも、山登りの方が相対的に健全ですね。

で、ステロイドの飲み薬だって、似たような状態を作りますし、エフェドリンが入った麻黄等は、漢方にありますが、飲めば似たような感じになるでしょう。E社のB液って昔は流行りました。ただ、ステロイドの場合には、もっと深刻な症状が身体症状として体に出ます。過剰投与のエフェドリンは、心臓に致命打を与えます。世の中、別に覚せい剤だけが、ひどいんじゃなく、危険な薬は、他にはモルヒネや、麻酔剤もあります(PS:すいません、私は覚せい剤をアンフェタミン、メタフェタミンと考える癖がありました。幅広い意味では、麻酔薬も麻薬管理法で管理されるので同じですね。)。でも、本当の疼痛患者には、それと引き換えにしても、必要なものです。

私の父は末期癌で、最後はモルヒネでした。昼夜を間違えた彼は、本当に自分自身の理性が薬で飛んでしまったと思い、痛恨の念に駆られていました。私は、疼痛がある時がありますが、実はこういう薬が好きではないので、余程ひどい疼痛で眠れない日が続いても、要らない。何の解決策にも繋がらないんだから。

今や、薬売人は、ピザ屋の配達より早く来るそうです。目の前の現実逃避は、簡単な電話一本で済むそうです。ですが、している事のちぐはぐさは、万能感がある時には、客観性が欠けるので、理解できていないだけに裸の王様です。

乱用しない程度というのも、犯罪です。認識を持ってください。ですが、何度かやる人間はもはや、その人の環境の、どこかが麻痺しています。一線をキープし続けてください。




ちなみに、私が中学生の頃から既に友人たちは、染まって、染まったらいなくなって、全員、やった人は消息不明になった。だけれど、どうも今だに、その友人らの残党が残っていると聞いて、唖然とした。

それより、大学の隣の席の女性が、「そうそう、簡単に呼べるのよぉ。携帯一本よ。」って仰った時の方がもっとびっくりした。どう呼べるのか、知りたかったが、危険すぎて踏み込めなかった。もっとも、その方は、本当にメジャーではない地方である(私にとってはその瞬間で、その地名がメジャーになったのは言うまでもないが)。その地方への確実な染まり具合に、息子らと一緒に食事をしながら、唖然とした。
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杞憂の人 ~サイコホラー~

2009年12月26日 20時31分45秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

先ほど、セカンドオピニオンの元に行きまして、一撃必殺で悩殺された朋です。歯に衣はちょっとは着せた方がいいけれど、その心療内科の先生は、一切妥協がない。時に伺う時は、既に報告しに行く事しかなく、ご相談する事は何もない。で、自分は、その病院を訪ねる時は、割と足が軽い。別に、この医者がどうしてくれる訳でもない。必要な投薬ももはやない。ただ、ただ、現状について自分が考える事を、医師免許を持った第三者の意見として、後押しして欲しいのかもしれない。

ですが、こういう科に行く人の中には、ほんと、一歩一歩が人生のバランスが崩れるかの如く、重い足取りで歩く。まるで、世の中が本当に崩れてしまうかの如く、その足並みが、現実と虚構の世界の境界線の切り分けが出来ていない。それ故、「杞憂の人」と思う事がある。現実に、虚構の世界を持ちこみたいのはスピリチュアルの良くある癖だが、良く考えた方がいい。

現実は現実だ。虚構は、似て非なるモノだ。例え、どらえもんが、心理の情景を表したとしても、真面目に、どらえもんがいる訳ではないのは、誰もに分かる事だと思う。けれど、時として踏み外していく人の中には、「どらえもんは実在する。」と真面目に考えて、信じて、堕ちて行くのだ。心の闇と言う奈落の底に。

その人の生活の何処に、どらえもんがいただろうか。その人が、崩れると泣き叫んで、実際にヘルメットをかぶって、机の下から出てこない姿勢に、虚構と現実をごっちゃにしてしまっている面が見えるだろうか。その人の心は、病んでしまった。そのひとつの認識が、虚構と現実の境界線の曖昧さである。

そして、その人に、どうやって、日常生活にどらえもんがいると信じさせたのだろうか。誰がどんなプロセスで行ったのか。誰にも、それは分からない。ある日、積み重なった沢山のストレスが、音を立てて、自身の体の中で崩れた、その衝撃に耐え切れられなかったその人は、その崩れた感覚が、現実のこの足元さえも、崩れていくと考えるのだ。サイキックアタックではあり得るが、しかし、物理現象にはあり得ない。あくまで、それは感覚の問題だ。その感覚を、「一線」おいて見る事が出来なくなった心の余裕のなさは、昨日今日出来るものではない。

少しずつ、歯車は狂い、不協和音を本人も感じて暮らしていく。けれど、ある日、何かが、急激なブレーキングを掛ける。そうして、脱線してしまい、本人は、その衝撃から、立ち直れなくなる。長い事、歯車の狂いを自覚してきたら、その長さ分だけ長い。病は、人とのふれ合いが必要ではあるが、既に、虚構と現実の区別のつかない人には、他人との境界線を引きようもない。それ故、しばし、諍いはどこでも起きる。どこのデイケアでも、閉鎖病連でも、誰が一番だとか、誰が偉いとか、そうやって、小さな作られた空間にすら、「上下関係」が出来てしまう。しかも、その上下は極めて、不適切な事柄で上下関係が出来る。つまり、自分がやってしまった事(自傷)の大きさで決まるのだ。

ただ、ひとつ言えるのは、健全な心を持ち、健全な遊びだと認識して、「そうだよねー、どらちゃんはいるよねー。」と言っている内は救いがあるが、座った目で(虚ろな目より既に怖い)、瞳孔が開いた瞳で、

「どらちゃんは、いるの。ほら、あなたの横に。ほら、いるでしょ?キャハハハ、いるでしょう。どうして見えないって言うの?どうして?どらちゃん、悲しんでるよ。自分が見えないって悲しんでるよ。どらちゃん、わたしがいるからね。わたし何処にも行かないよ。どらちゃん、ほら笑って。キャハハハ。どらちゃん・・・」

ちょっとしたホラーだろうか。だが、これが実在する空間がある。どらちゃんでなければ、東のエデンで、「ノブレス・オブリージュごっこ」だろうか。それとも、ガンダムだろうか。何でも、結果的には、人は、心の均衡を崩しやすい時に限って、スピリチュアルは読みたくなるものだ。健康な人に限って、こんなものは、考えないものだ。だから、均衡を崩しそうになったら、

脱兎のごとく逃げなさい。

うかうかすれば、隣の人が、「どらちゃんは・・・」と言い始めてしまう。それこそ、虚構と現実がごっちゃになった人の世界からは、脱兎のごとく逃げなさい。冗談が冗談を超える日に、サイコホラーは実現するのだから。



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洗脳のテクニック ~詐欺師生誕~

2009年12月25日 20時33分43秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

自身の中で、それを理論として、現実として知っているだけに、あまり公開したくないけれど、書くべきかなと思って書きます。

洗脳ってのは、簡単に言えば、ズバリ人の弱い所を、転化して言いかえれば出来るんですよ。あと、多少、暴力と、睡眠不足と、睡眠薬と、歌を聞かせるなら、サブリミナルの歌や、画像でも、サブリミナルかな。人が、自分ずっと問うてきた、一番弱い部分を叩くんです。すると、簡単にできる。ただ、問題は、洗脳されやすい人は、割と暴力を受けて成長してきた過程や、割と、普通に考えれば、「そりゃビッグトークか、トンでも論だろ。」とか「そいつ、大丈夫か?」って事がね、真剣に信じられるようになるんですよ。

人間、極度の睡眠不足の中に置くとか、そういう一番弱い所、駄目だしして、徹底的に叩かれるとね、自我崩壊する訳ですよ。そこに新しく、新しい「事」を刷り込むんですよ。

若い頃、サブリミナルの画像も、サブリミナルの音楽も、作った事ありますよ。まぁ、世の中には出しませんがね。コンマ何秒目かに、ほんと、ズサっと。自分は、その音楽を聞いてて凄く不愉快な訳ですよ。え?どうしてかって?そのコンマ何秒かの不協和音に気がつくタイプだから。動画もそう。

最初にお目にかかったのは、宗教団体かな。ビデオ見せてくれて、耳で聞く。ヘッドフォンをつけた途端、体中から湧きあがる不快感でね。途端、ヘッドフォンを外して、まず、画像を近くで見たんですね。確かに、何秒かに一回、特殊な絵が出てくる。だったら、耳もそうかと思い、ヘッドフォンをして、目を閉じて聞いてみると、何だかな、お経みたいなもんが流れている。何か言いたいのは分かる。でも、不愉快。で、思ったんですね、まさか、出てるお菓子もそうじゃないかって。

食べる癖はなかったんですけれどね、一口食べてみて、何だか凄く眠くなる。1時間ぐらいやっているのかな、出ようと思っても出る訳にはいかないから、そこで、どう逃げるかを考えて、ビデオは見ないで、ヘッドフォンも頭に当てて、頭は多少痛いが、食べ物も皆、鞄に空けて、空にしてね。で、迎えに来たお姉さんの上気した凄い綺麗な陶酔の表情を見ながらね、ラリってるのか、天然なのか、やってきたのか(失礼)、それでも、自分を「酔ってない」って見極められたら事だから、慎重に運んでね、逃げましたよ。

まぁ、父にお菓子の科学鑑定を依頼したんですが、父が一口食べてみて、「これは入ってる。」と申し、近寄るなって事になったんですね。まぁ、ここまで悪辣な手腕を振るわれると、他の宗教が小物に思えますか。他も他で中々な所がございますわよ。

洗脳ってのは、その人の一番弱い所を、叩きのめす。で、論ずるに値しない根拠なき混乱を、至極まっとうに定説のように、逆切れ的に述べるといいんですよ。ただ、普通の人が洗脳をしようと思ったとしてですよ、やった最初の一発目で、「ハイハイ、こちらへこちらへ」って、病院に連行される事はあり得る。で、今までの詐欺師たちってのは、凄いビッグトークを惜しげもなく言うけれど、実は、調べてしまえば、すぐ分かるんです。ただ、調べさせようと思わせない、なりきりぶりってのが必要なんですね。霊感をこういうのに使うと、こよなく美味しいのは分かるでしょ。初回インパクト大だから。だから、霊感もちが詐欺師になるって封印されるのは、そう言う事。

割と、詐欺師は、行き当たりばったりの、マッチポンプで、要は自分もその場の勢いの躁状態な状態が多いんですよ。で、万能感があって、詐欺師が自分を自分で信じ込むと、サイコパスって言って、こりゃまた、凄まじい才能になっちゃうんですね。まぁ、検証すれば、何処の誰か、すぐ分かるんですが。

だけれど、サイコパスな奴って、結局は劣等感が物凄く強い。だから、どうしてもまず、お前より桁違いに偉いとか、支配欲や、邪悪さはある訳ですよ。で、暴力癖もあるんです。人は、ほんと理解を超える行動を他人が取ると、恐怖で信じてしまう癖はあるんですよ。ただ、許容力の大きい人がいると、途端にその場は、「ハイハイ、こちらへ。」になっちゃうので、一か八かの賭けにはなるんですが、失敗しても何度でも繰り返し、餌を探して、理由なき暴力を繰り返して、人の自我を壊し、そして支配し、また上に登ろうとするんですよ。

妄想癖ってのがあると言うより、多分妄想にこよなく近い所のビッグトークでないと、人を理不尽な恐怖には陥れられない。だから、一見普通に考えると、・・・・お前は馬鹿か。って路線に走る。その路線をキープしないと、詐欺師ってのは立件しないのだと思いますよ。

後、容姿とか、気にする人多いから、容姿が滅茶苦茶いいと、これはカリスマモデルになる。で、容姿で人を安心させるほど、そんなでもないと、カルトモデルになります。詐欺師ってのは、基本的に美人局ではない限り、見かけは綺麗じゃない。むしろ、そこに安心とか食う餌が、見下し感を持つ、その見下し感を逆手に取るんですよ。顔を整形して綺麗な、ただのビッグトークってのは芸能界にいるでしょう。だけれど、社会は相手にしないじゃない。多少、油断させる所が無きゃ、カルトモデルは務まらない。

それと、桁違いな虚言癖。まぁ、今更だけれど、カルト教祖が言う言い方を、どうして皆信じるのかなって思うけれど、薬物や、画面や、耳や、睡眠不足で、補うとか、後は情けに絡めて、情けを人に貰いながら、その後すぐに増長して、豹変するのもいる。何にせよ、その過程で、微妙な駆け引きとか、顔色見りゃすぐ分かる。顔に出ない人は、滅茶苦茶だから、下手すれば、自分は神に守られているから大丈夫と言って、飛び降りる奴もいるんだ。で、死なないんだけれど、大けがだと。後遺症が残ると。いや、おっさん、その階で、おっさんの飛び方だと、死にませんって。ただ、人は愕然として、ついて行ってしまう時が割と多い。捨て身のアタック。

だから、日常生活にもいるでしょう。身近に詐欺師タイプが。虚言の為に、身も心も魂も捧げるってのが。あれ、間違ってると思うけれど、本人は、その時ほんと万能感と全能感だからね。勘弁してほしいところだよ。大物の詐欺師に限って、毎度、同じ種類の虚言を吐くんだ。自分の現実から虚言を捏造するのに、本(どうせ大した本ではない)で読んで想像して、大体それが限界なんだろうね。だからそれも悩ましいね。

ちなみに、詐欺師と洗脳はそんなもんで出来ています。



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虚言癖

2009年12月14日 15時10分36秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんにちは。

割と、人生身近にいるのが、虚言癖の人です。
基本的には、その場を盛り上げようと思うサービス精神で虚言を展開する人もいますが、無論自分を大きく見せたくて、虚言を展開する人もいます。常識と言うラインを大きく逸脱した時点で、既に病んでいます。

子供がらみになると、お母さん同士で、見栄の張り合いで虚言癖が出てくる人がいます。大体、幼稚園や小学校のお母さん同士と言うのは、非常に、その本人自体の未熟さもありますが、学生生活の延長線上のような馴れ合いが多いんです。

職場ですと、あまりに虚言や自己愛が強すぎると、チームワークを乱すので、多少給料方面から制裁が入りますが、入らない分野と言うのが、お金が絡まない人間関係です。いや、無論、職場でも迷惑な人はいます。正社員でその人がいる限り、本当に効率が悪いです。ですが、これは、会社から離れると、割と収まります。お母さん同士とか、ご近所とか、姻戚関係とか、親戚とかだと、プライベートの中に割り込んでくるので、非常に排除しにくいのです。

まぁ、病的な虚言癖ですと、他者に損害も与えます。
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心理学とドラえもん

2009年08月22日 20時37分52秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

よく心理学には、ドラえもんの登場人物が出てきます。それは、本当に社会の特別な特徴を掴んだキャストになっているからです。

じゃいあん、とか、のびたとか、すね男とか、ついでに本尊 ドラえもん(笑)。

もう、ドラえもんに泣きつけば、何でもポケットから、何でも出てきちゃいますよね。結構依存しちゃいますよね。どの話でも、出てこなかった事ないですもんね。というより、ドラえもん無しで、片付いたら、多分あの話は最終回になってしまうので、のびたクンやすね男くんには、頑張って精神的依存、肉体的依存(苦笑)をしてもらわなくては、夏休み恒例の冒険映画さえ上映できませんものね。

よく考えると凄い心理情景映画を作ったんですね。で、それが子供対象と・・・(笑)。

今考えれば、的確な心理情景なんですが、昔の頃は、アルアルで、自分をじゃいあんに投影したり、すね男に投影したり、のびたに投影したりしてたんですね。で、いつも、最後はとてつもない「科学」の力で、ドラえもんが解決してくれる。

解決してくれるドラえもんの原動力が、「科学」で良かったです。魔法の力とか霊能力ではない分、前向きに社会の認知が進みますね。ほんと、よかった。よかった。


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「私 怒ってます」 怒り・憎しみ・恨み 三点セット

2009年07月22日 16時34分29秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

基本的に皆さん怒ると、疲れると思うんですが如何ですか。

強い不条理に、直面して圧倒されたり、それを認めることが困難な場合、その体験に関する意識の統合が失われ、知覚や記憶、自分が誰であり、どこにいるのかという認識などが意識から切り離されてしまうのです。まぁヒステリーとも言いますが、実際昔のヒステリーの方は、ある決まった形を取るんですよ。

硬直して弓なりにのけぞるっていう。4パターンの行為を決まって取られたものでした。私も実際に見た事があります。

元々怒りが全身運動ですんでね、普通に、怒れば、全身硬直しますね。それでも押さえきれないモノを、ガタガタと足をゆすったり、肩を震わせて、その感情から来るものを外に出しますわな。それでも、処理が出来ないと、モノに当たったり、誰かに聞いてもらいに行ったり、誰かに八つ当たりを言います。まぁ、結局その感情から来るものを自分の中で処理し切れなくて、外に出すって行為には違いないんですけれど。

その頃には肋骨、縮み上がりまくりですけれどね。

で、外に出せない時には、逆に、自分の意識を飛ばして、解離性健忘(かいりせいけんぼう)、解離性遁走(とんそう)、解離性同一性障害、離人症性(りじんしょうせい)等の、意識障害を起こします。

結局、それ程、自身がどうにもならない軋轢と言うのはストレスをかけてくるわけです。元々怒り自体がこういう風に全身を使って、体を使うので、やはり怒っている時はクタクタです。で、身体症状に出るか、意識症状に出るか、どの道、出ている間は、猛烈な不条理をその軋轢に感じているわけです。

それ自体が出ている時に、何が役に立つかと言えば、その感情を感じる自分自身に対し、鈍感にさせることしか現在の医学では出来ません。また、軋轢に関しては、個人差があります。沢山の人にとって大した事ではない事で、物凄くストレスを感じやすい人もいます。また、無論、沢山の人がどうしようもないストレスを同じ時に感じる事もあります。こういうのは、天災が多いんですけれどね。

で、ストレスの元は、自身が過敏である所から、また、どの人間も太刀打ちできない事情から、様々です。そのストレスをうまく解消していかなければ、結局私達は、体を蝕むか、心を蝕んでいくようになります。

エンパスや、霊感霊媒体質も、基本的には、元々はストレスの原因にもなります。他のものとの境界線がない訳ですから、不条理なほどダイレクトに着ます。ですから、ここでは、必死に、そのエンパスである自身、霊感霊媒体質である自身の、悪い面ばかりをターゲットに当てるのではなく、そういう面があって、だけれどそれを反対面に活かして使おうと言うバランスを提案しているわけです。

しかし、そうではない人も、感情に振り回されるのがつらい時には、私はあえて、精神科の薬を飲むのも一手だと思っています。私自身が、ずっとそういう判断をされてきた事があるからではなく、本当にどうしようもないPTSDになりそうな、ストレスを抱えた時、人は眠ることも出来ず、怒りの感情に振り回されます。自身の中に是ほどにまで凄いエネルギーの感情があったのかと言われれば、そうなんです。それに対して、自分が今まで気がつかなかっただけなんです。

「人に投げつけた言葉の悪さ」も、人を「待てない自分」も、「心の闇が自分にはない」と言い切れていたあなたも、本当は、あなただけが、気がつかなかったんです。

あなたに、もし言葉で「待ちなさい」と伝えても、突っ走りたい時のあなたは、制止を振り切って突っ走ってしまいます。その挙句、出た事情に対して、待たされてストレスを感じるのではなく、そうしてしまったんなら、丸ごと自分自身のした行為を自分自身で受け止めるより他には策がないのです。

誰もあなたの人生の責任を取ってくれないのだから、自分を信じて自分がそうだと思うなら、傲慢のままでいけばいい。そして奈落に落ちたとしても、その奈落の尻拭いをきっちり自分で行って、そしてまた上がってくれば何も問題はないんですから。

ただ、世の中は、自分だけが受け止めるのか、自分ばかりがこういう目に遭うのかと思う人もいると思います。ですが、あなた自身が他人にとってストレスになっている場合だってあります。人はそういう大きな意味で、あなたの不条理、私の不条理、どうも「お互い様」なんですよ。

ただ、理由なき不条理を、受け止める行為が素直に出来るまでは、感情をそのまま感じていると痛みで厳しいでしょうから、感情を鈍くする薬でも貰うしかない。ただ、精神科医の薬ってのはそういう使い道があるというだけの事です。ワンタイムでも、眠れればかなり世界は変わります。全身怒りであった時には、とても呼吸していられる場合ではないんでしょうけれど、精神科の薬も結局はね、「リラックス」する為に使うんですよ。だから、どんな方法であっても、リラックスできる、ほんの数分でもあれば、本当に救われる思いなんですよ。

災害の時等に、私は寝袋を用意したほうがいいと前に書いた事があるんですが、あれはね、プライベートの空間が無くなってしまう避難所で、プライベートの空間を自発的に作れるから、いいグッズなんですよ。そのプライベートの空間にいる間、あなたはリラックスするでしょう?シェルターに避難した時、ほっとするでしょう。そのリラックスが、ほんの一日の間の少しでもあるといいんですよ。それがあれば、怒りに飲み込まれる事無く生きていかれるから。

ただ、もう自分が「私怒ってます」になっちゃったら、こりゃ、私だったら丸ごと受け止めるでいいんですが、怒りって、ホント、「待たない」奴ですわ。

だから、「待てる自分」になる事から先に心がけて生きましょう。その次に、受け入れるとか、許すとか、許さないとか、考えてもいいんじゃないですか。まず、「私怒ってます」から、脱出しましょうよ。

全くお互い様なんですから。


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理不尽 ~情けは人のためならず~

2009年05月28日 17時20分11秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんにちは。

今日はちょっと具合が悪いんですが、それを含めて書きます。

基本的に、人間の存在なんて理不尽で不条理の二言に尽きると思っています。何処かのブログに、自分に素直で誠実であれば、人と協調できるとあるんですが、んなとんでもない。

自分に素直さを強い、誠実さを通せば、それは「我を通すこととなります」。

私は確かに自分に嘘はつきません。見えることも見えると思っています。それはそれです。それを表に出すか出さないかが、協調性の源です。自分が見えていて、皆がそれを噂してもそ知らぬふりをします。それを嘘と呼びますか?私はそうは呼びません。私はそれも自分に対する正当な答えだと思っています。

人間は誰しも自分に誠実に素直でありたいと願います。ですが、それが欲求に結びつく時、そして人との利害関係に絡んだ時、非常に理不尽を構成する因子の一つになります。

現在、人の生霊で悩む人も多いと思います。私もここにログが残っていますが、確か2年前には華麗なるロングラリーを繰り返し、想念は膨れ上がり、雪だるまのようになり、自分で返すのもほとほと、苦痛でした。

さて、始めのちょっとした理不尽を「もし、自分が受け流していたら」と考えてみてください。

後で雪だるまのようになった想念からインディジョーンズのように逃げまくるのも、脱兎さんの一つですが、あまりに逃げ遅れた時は、ダメージが大きすぎます。で、最初の他愛もない想念の時に受け流しておければ、雪だるまより、ダメージは確実に少ないのです。で、その他人の理不尽を許せないあなたの許容量は、正直に言えば余裕が少ないです。

精神科医と患者とで、よく「余裕の少ないものの方が患者である」と揶揄される時があります。それと同じ様に、普通の人が、生霊となってあなたの元にやってくるほど、あなたが「何をしたのか」考えてください。全くの人違いって事もあります。ですし、「え?そんなことを」と思うこともあります。ですが、返すのは簡単で、返して相手に致命打を打つのは可能です。ですが、その前に、その致命打が、更なる決定打で返ってきたらどうしますか。

そして、人間というモノは、皆が皆、自分に嘘なく素直に生き、自分にストレスのない環境を求めています。ですが、押し通すのも時には手ですが、「引くのも手」です。押せば押すほど、かっこ悪いときがあります。引けば引くほど、相手が押していたその反動で相手が転がる時もあります。

でも、その相手を無様だとも思って欲しくないんです。

どの道、明日はあなたが転がる番ですから。だから、人間と人間のやり取りというのは、確かに自らへの素直さと誠実さで我執が出来、それをやりとりするんです。あなたが、どこで転んでいるか分からないから、いつ次に転ぶか分からないから、今転んだ人の事はそのまま見守ってください。そして、自分にされた理不尽を、

「目には目を」で返さないように心がけてください。


大きな柔軟性がない時は柔軟性を持つ人が譲ればいい。それをずるいとか、言わないんです。ずるいんじゃなくて、その人を良く見てください。ちっちゃなちっちゃな、我執を妄執に変え、固執に変え、そうしてストレスで大きくなった背中を見てください。肩甲骨のところに、ありえないストレスが溜まって、イライラして八つ当たる。でも、そうなると、その人だけの問題じゃなく、周りも迷惑です。だから、周りのためにも、多少の人様のわがままなんか、見てみぬ不利です。そういう時だけは、「どうせ、因果応報で巡るから、あばよ」で結構です。

理不尽を一回受け流すか、理不尽が飛んできた時にヒラリとかわしてしまうと、本当にサイキックダメージが少なくなります。ついでに、心は健康になります。そのかわせるかわし方は、流しそうめんの台を目の前において、流してもいいんですが、私だと、身を左右に振って除けております。それでも、受け止めなくちゃならないものだってあります。

ぐっと受け止めて、受け止め切れなくて、きつくて痛くて、痛くて苦しくて、卒倒する時もあります。

ですが、返すな。かわせ。その一言に尽きます。
そして、自分に嘘をつくなという生き方は、表現であらわすのではなく、最終的に自分の心が納得さえすればいいんです。それを嘘をつかない生き方と申し、ただ、直情的に口に出す事ではありません。
「どんな不条理にも一抹の慈悲を持て」です。それが、「情けは人のためならず」という言葉に繋がりますから。


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病得

2009年03月05日 18時00分49秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんにちは。

お日様が照って、久しぶりに綿毛布を洗ってみました。主人と息子Aの綿毛布だけ洗いました。私と息子Bは、徹底的な花粉症ですので、たった布団を干したその布団で、既にのどが痛いです。けれど、お日様に当たってぬくぬくです。

さて、「病得」という言葉がございます。

どういう場合に使うかと申しますと、病気になっていると、回りが自分を構ってくれるので、治る病気を自分で治さない場合と、特定のお金が発生するので、わざとその振りをしてお金をもらうケースがあります。治さないケースとして本人の場合は痛々しくも、骨折を再度叩きつけるとかね、そういう事を平気でいたします。また、母親が子供をだしに使うのは、「ミュンヒハウゼン症候群」と申しまして、「母親が構って欲しい」ただそれだけから、子供にとんでもないものを飲ませたり、点滴に入れてみたりします。

バッチフラワーで言うとチコリー・フェザー・ウィローですか。それとビーチを選んだ場合には、自分に対し良く見つめることが重要です。それらは、「自己中セット」と私が呼んでいるからです。

ホリーは、良くどんな人にでも処方されます。理由は、これは触媒ですので、他のエッセンスの効き目を強化します。ですから、更にバーナーオンという場合、私も喜んでホリーを飲みます。ついでに慈愛が増えて、一挙両得です。こういうお得は好きなんです(笑)。

大体、年齢にして50代と40代後半の女性には、極端にACが多いです。バブルで踊った世代なんですが、実にこういう人が多いです。中々、自分で認めませんし、第一自分自身をかたくなに受け入れませんので、こういう人は治りにくいです。

ただ、この方々が一応に訴えるのは、「自分はしてもらっていない」と訴えます。そして、実際にいつまでも、子供の視点で物を語ります。生きていれば、親の立場もあります。一人っ子なら出来た事も、二人いれば出来なくなる事もあります。3人いれば、もっと目が届きません。親のエゴを押し付けられたといつも被害者視線で物を語ります。本人が産んだら、「過保護・過干渉」か、「放置」かどっちかです。

さて、どんな家族にも、機能完全な家族はいないと先日も書きました。多少の艱難辛苦は、誰もが経験あります。借金、暴力、性的暴力、破産、家庭内不和、これらは、スピリチュアルが好きな人の「バリューセット」のようなもので、大体これらのどれかを、子供の時に体験してきます。最初から、疑問で始まりますから、答えが欲しくて、ガイドが欲しいのです。理由は、親は絶対に答えてくれないからです。

で、「病得」と言えば、誰もが子供の頃ずる休みをしたでしょう。おなかが痛いと言って見せて、おなかを押さえたり、風邪っぽいと言えば、親が振り向いてくれる。あの時の快感を、「親」ではなく「他人」に求めて歩きます。他人は、あなたと同じ歩幅では歩いてくれません。しかし、こういう人は、「病気」を振りかざし、その名の下に専制政治を始めます。なもんで、治らないです。回りも愛想をつかして、逃げていっても、この本人は「気がつきません」から。いつも、見捨てられた感一杯で、「ついにこの歳まで来ちゃった♪」事が多いです。

若ければ、立ち直るきっかけもありますが、基本的に結婚している人もそうでない人も、非常に自分の中を冷静に見ることもできず、うるさく言われると、どうもその間だけ、「解離」するほど、現実逃避です。非常にうまく出来ています。サイコパスにならないのは、この方々は、「程ほどで、見破られる程度の浅さ」なのです。なので、騙し続けることが出来ません。直ぐに皆、舞台裏を見せてしまいます。知識も浅く、思考を捨てています。自分で答えを見つける前に、考えることを捨てて、病得のネタ(スピリチュアル等)ばかり探します。なもんで、右脳ワークの方で、依存が多いのは、基本的に「構ってチャン」の独壇場だからです。

まぁ、子供を生んでも生まなくても、相変わらずの子供視線のままです。そして、ないものねだりをします。自分は大人になったんだから、そろそろ「してあげる側」にならないと、自分が望んでも望まなくても機能不全にしてしまうというのに、意外に、甥や姪もすっ飛ばして、子供もすっ飛ばして、どういう訳か、子供目線です。だから「遺伝する」とまで揶揄されるのです。実際は本人の心がけで連鎖が切れます。

困ったものです。

で、構って欲しくて構って欲しくて、騒ぎ立てるので、しゃべりますし、そりゃ、奇妙な屁理屈をつけて訳わかんない事も申します。一事が万事つじつまが合わない。その矛盾を冷静に勉強して突くと、あっという間に玉砕し、逆にキレたりします。
ここら辺までは、心療内科ぎりぎりゾーンではないでしょうか。

それを高じてしまい、ペラペラ奇妙なことをしゃべり始めると、これは私も手には負えません。夜中に、今すぐマンションを買いに行きたいとか、株の上場は、どこでなら出来るか、それも今すぐに、と聞かれても、これは私の範囲ではありません。これは、専門医に依頼すべきです。

で、無理に精神病になった振りをして、障害者手帳をもらう人もいます。これが、心は計れませんので、意外に簡単に出ます。統合失調症のまねなど、誰にでも出来ます。ただ、ずっと壊れっぱなしの演技はきついでしょうけれど、ずるい手を使ってまで手帳が欲しい時は、既に心が壊れていますので、その点は安心されてもいいかと存じます。

まぁ、それでも、人の関心を集めたいあまり、一生懸命悪くもない足を引きずり、痛くもない体をかばう人がいます。いつしか、体が、痛くなりたいと願うので、腰は曲がって痛くなり、背中も肩も痛くなります。形から入ったけれど、心は既に病んでしまっていたケースがあります。

病得の場合はほとんどが、心の病です。治りたくないその気持ちは病んでいます。人は健康に暮らす義務も権利もあります。で、向かって努力するから、補助もあります。

私も何度も循環器の医者に叫ばれていますが、「心療内科」に一ヶ月に一回くらいは顔を出してその循環器の医者の対応がこうで、今回はこうなったと報告します。セカンドオピニオンのようなものです。彼氏は先日私に言いました。「しかし、運悪いよね。」医者がそれを言ったらおしまいなのですが、まぁ私の人生を総括すると、医者の運は悪いです。この心療内科の先生は、戦地を駆け巡っているので、究極の土壇場をご存知です。「しかし、あなたはさ、それ以上のものだ」と良く嘆いておられます。

アメリカでは、高収入の人間は、精神コントロールまで要求され、カウンセラーを必要とするケースが多いです。高名なカウンセラーは、いつも週末の予約は一杯になります。しかし、そのカウンセラーや、精神科医が言うところの人格障害は、薬では治りません。本人の自覚でしか治りません。アメリカでは、そういう精神的なマネジメントをきちんとしている事をよしと尊びますが、日本人は何でも自宅の秘密にしておきたがるものです。

日本人は、諸行無常が根底にあるので、やはり消極的です。

アメリカ人のように、「明日首を切られたらいきなり路頭に迷う」というプレッシャーの中にいないからでもあると思います。日本はどんなに稼いでも、ある日地震でおじゃんって事がありますが、他の土地では、まったくその心配がないと、やはり考え方も変わります。

生活保護の受給の考えも違います。日本人は、やはり受け取りに行き最低限の教育をスタートしますが、アメリカ人は受け取りに行きません。かなり、危険地域のおじさんですら、「申請に行きません」。それを施しと受け取るのが向こうの考えなのです。だから、受け取らない。どんな人間も、ちっちゃなプライドで生きていきます。

けれど、どーでしょうね。病得さんは、自立に必要なプライドがないですから。自力で何かしてみようという思考を捨てているので、やはり根本的に難しいです。スピリチュアルの方で、見事に自立を失っている人がいます。そんなに教えてもらわなきゃ生きていけないんだ・・・って絶句です。見事なまでの精神力の弱さです。4文字熟語で言えば、「厚顔無恥」。はいそれまで。

悲劇のヒロインに酔っているうちは、自分に酔いしれてもらうしかありません。確実にその生活ぶりで、あなたへの評価はどんどん決まり、皆逃げていきます。ジプシーのように居場所を探し、「どこへ行っても異国だ」と嘆く前に、ご自分を良く見なければなりません。

変わるべきものは一つ。けれど、口だけで変わらない人。
自己責任でたどり着く、人生の行き先は、おひとつでございます。

「孤独 経由 野垂れ死 行き」





PS:大丈夫。霊能者だって、ろくな死に方しないでしょ?有名になっていけば、集金装置となってハイエナに集られ、その場から逃げることも出来ず、やめることも許されない状態に追い込まれますでしょ。どんな偉そうな人だって、「やばい現状からまっしぐらに夜逃げしてでも、逃げる覚悟」が出来なきゃ、結局、誰でも野垂れ死によ。いいんじゃない?何事も経験だよ。その覚悟が出来ないうちは、行き先は、おひとつってことでね。

私は脱兎さんの単位は既に取得してあるからなぁ。どこからも脱走しちゃうもん。ひどい時は、海外までも。けれど、「自分と向き合う」ってのからは、どこへ行っても逃げられないものなんだよ。分かる?どこへ逃げても、自分は自分なんだから。
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距離感の掴めないハリネズミ 「よくしゃべる人」 に困っている人へ

2009年02月18日 20時36分01秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

様々な集団の中で、必ずいるのが、「よくしゃべる人」です。まぁ、延々と最初は自己アピールなのかと思うほど、自分の経歴を物語り、それが終わると、周りを攻撃始めるのがそういう人です。で、また、しゃべっていないと逆にストレスを感じるようにこういう人は出来ています。

どうして分かるかですか? 笑 私も以前そういう人だったのです。

劣等感や、仲間にいたい、仲間はずれにされたくないがために、イニシアチブを取って、しゃべり始めますが、とにかく、まず自分の経歴から話し始め、最後は、とにかくしゃべっていることの内容がストレスになり、そのしゃべっている内容のフォローにまたしゃべる・・・ほどでしたね。
まぁ、しゃべることが無くなると、第三者の悪口とか推察であの人あぁなんじゃない?と中傷してしゃべっていきます。事実が発覚した時、足をすくわれた途端、もっと根回ししてしゃべってフォローしようとして、画して、お尻に火がついたようにしゃべるか、しゃべっていないと、心の闇に飲み込まれて行きそうなほどしゃべりつくさないと、身の危険を呼ぶんじゃないかと思うほど、ヒステリックにしゃべり続けます。

会社の時代はそうでしたね。外資って結構どろどろしていましてね。自分が落とさなくちゃ、相手に蹴落とされるわけで、それがいつ起こるか分からないという部分はあります。ある日、ピンと来て、上司のそれも光って見えたファイルを出してみた時、無茶苦茶でたらめな口実で、私を辞めさせようとしている文書がありましてね。それ、コピーして、その後、上司に呼ばれたとき、既に用意していたICレコーダーをいきなり目の前のテーブルに置いたほどです。
いや、これは極端な例ですけれど。そういうしゃべって勝手に中傷する人から身を守るには、ICレコーダーで、こっそり隠し撮りする位の勢いがないと、サイコパスだと、その日の会話がいきなり相手の脳裏から消えますしね。統合失調症だと、時系列がぐちゃぐちゃで、いつ誰がそんなこと言ったの?って事があります。

鑑定の際に、メールで鑑定するしないでもめた方で、いきなり「訴える」と言い出した方がいましてね。冷静にログを取ってあるから、そんな事は一言も言っていないから、「お好きにどうぞ」というケースは良くあります。鑑定中にも、話していない内容を、話したとばかりに言い出す人。会話の成り立たない人。そういう場合、ICレコーダーとか、メールの保存は、後日自分が危うくなった時に身の保障になります。友人でも、やばい人もいますね。なもんで、矛盾点を見出すべく冷静に見る癖がつきまして、今はもうしゃべり続ける人ではなくなったのです。

こういう場合のケースを平凡な家庭の主婦の、まぁ凄い井戸端会議に持っていくとですね、何だか、しゃべっているのが嫌になっちゃいます。実際には、今は私は、場があれば、当たり障りのない雑学でお茶を濁してしまうのですが、そうではない方は、とにかく相手を捕まえて、相手と仲良くなりたくて、誰かを中傷することで、秘密を分かち合った気になり、何となく心の平穏を保つのです。

根本的な所では、「みんなの輪に入っていたい」「仲間はずれにされた経験があるからはずされたくない」それが、本当の、そういう人の内なる願いです。

それと、「否定されたくない」と言うことでしょうね。元々「精神面で弱い」んですよ。

なもんで、しゃべらないで相手といると、3日間持たないです。しゃべる機会がないと、携帯に延々メールしてくる人もいますからね。常に繋がっていたいわけです。何かこういう人が、やばいことをすると、メールの嵐か、いきなり何か送りつけてきて、逆ギレして「さようなら」とか言い出しますしね。

でも、本当は、「単なる寂しがり屋さん」で、「構って欲しい」人なんですよ。

その凄まじいほどまでのエネルギーを他に向けさせると、意外にうまく行きます。分からない様にでも、それとなく興味を持つように、そっちの方向をしろ示すと、意外にそっちで友人を作って、その方面でしゃべってくれて、井戸端会議が好きではなくなってくれます。けれど、こういう方は基本、努力するのはお好きではないのでね。向けさせる方角に四苦八苦します。

まぁ、現在は私も、ブログのネタの勉強に忙しく、母親業に忙しく、学校の勉強に忙しく、傷口が化膿しまして、昨日から動けなくなり、それでも何とか休みを取って、家族で30分勝負のイチゴ狩りに絶対行きたいと思っています。なもんで、しゃべっている暇はそんなにありません。実は、四方山電話していても、時計見ています。すみません。

興味の持てる分野が出来るまでは、そういう人はしゃべり続けるんでしょうけれど、

問題は、このしゃべりに、スピリチュアルを持ってくる人ですね。

こうなると、手には負えない。勝手に霊視とか霊聴したわ、「お告げよ」で、人を支配したい、絶対外さないでいれば、人はそばにいてくれる。

そこまで落ちぶれて、そういう能力を、仲間の人を繋ぎ止めるのに使う、その人の精神力は、本当に情けない位「弱いんです」よ。

だって、勝手な「お告げ」自体、脅しですもん。一回や2回当たれば、やっぱ、人は恐怖を感じますしね。その人が、「呪われろ」とか、ニコニコ顔で去っても、いい気分は残らないし、下手すれば、生霊送り込みますしね。
うかつに追い詰めれば、牙をむくか、もしくは、精神を病む。大体は、病んだ経歴がありますから、そこまで、熱中してしゃべるわけですけれどね。
宗教もそう。一回や2回、何か当てられたり、治されたりすると人は凄く相手に弱くなります。

理由は、「人の弱みに付け込む行為」が正しくこれに相当するからです。

井戸端会議だの、何だの、閉鎖的な地方でも、何でも、随分人の動向を良く見ている人がいます。いやー、何時に出ただの、何時に帰っただの、うざったいですね。ですが、この方たちは、「仲間意識」を誰かと共有したいんですよ。それを程々の距離に保てないのは、「距離感のつかめないハリネズミ」なんでしょうけれどね。

でも、その距離感の掴めないハリネズミが、精神力が脆くて、依存性が高くて、そして、考えることをしたがらないし、新しいことに挑戦できないのは、世の常でございます。職場でも、家の周りでも、PTAでも、何処の集まりでも、困っている人が多いのも実情でございます。
それでも、この方々が、一生懸命仲間はずれにされない方法を考え出して、こうやって病的な程しゃべっていくのですが、私も見ているだけしか出来ませんが、自分の過去も振り返って、その方の背中のストレスを視ると、パンパンに張ってらして、お気の毒なものだと思います。

世の中はもっと広いのですがね。

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「感覚には協調性は要らない」

2009年01月30日 16時38分33秒 | 失われた均衡(心の病・脳について)
こんばんは。

本来、舌に味覚過敏というものが存在し、現に私のように猫舌であったり、辛いもの、甘すぎるもの、しょっぱいもの、様々な味覚を、ほんの薄味で過ごさなければ、口の中の感覚が麻痺する人がいます。私もそうです。

そして、同様に、まるで麻薬のように、チョコレートが好きであったり、カフェイン中毒になりやすかったりします。甘みは頭に痛烈に、ガーンと来るのですが、食べずにいられない。

けれど、胃に不快感があって、医者を訪ねても、薬の効き目がドラスティックには出ませんし、医者も胃カメラで覗いてみて、「何にもないよ、ちょっと荒れているけれど」と言われて終わりです。大体は、ドグマチールを処方されるようです。ドグマチールは、胃を健康にし、ついでに鬱病気味にも良いとされます。しかし、健康な胃になると、食欲が出ます。そして食べてしまいます。しかし、ここで問題なのは、そのドグマチールでも、まったく太らない人です。

要は、胃の荒れの不快感を誰よりも察知するんだと思います。それは、胃にばかり気持ちが集中するのではなく、感覚過敏だと思います。舌がそうであれば、同じ内臓として、胃もやはり、あまり「強い刺激」は受けたくないんでしょうね。

私もかつてそうでした。胃部の不快感を訴えていましたが、その時には理由がありました。10代の頃は私は自分では超えられない修羅場で悩んでいて、吐く息さえ臭って、担任や先生方が、悩まれるほどでした。けれど、何一つ変わらず、私は青白い土気色の顔で、下を向いて歩きました。下を向きたい気分なのは、「胃」が痛いからです。つい、「胃をかばう」姿勢を取って歩いたのです。母はそれをとても嫌がりましたが、私は家を出て、国立第二病院で、アルミニウムの今で言えば、粘膜保護剤をもらったら、すっきりしました。
父は24で胃潰瘍で、私は10代の頃には既に胃潰瘍と咽頭がんを抱え込んでいましたから、四六時中、私の家に、私が大学を休んだりバイトがない時、父が昼やってきてご飯を囲んで話していました。

「お前も胃がんになるのか。お前の祖母も胃がんで45には死んだぞ。」

父は自分の母が胃潰瘍から胃がんになって即亡くなったのを寂しく思っていました。そして、「お前は気をつけろ。俺よりサイクルが短いぞ。」といつもいつも申しました。からかっているようで、目は真剣でした。止血剤を持ち歩いていたときは、本気で心配していました。下血についても、父は色々あったようで、私にその症状の見分け方を教えてくれました。

私はその後、アメリカに渡り、ピロリ菌を退治します。そしてきれいな胃を取り戻し、そこからは胃の痛みはなくなるのですが、決して自分でしない事がいくつかあります。

「舌でどうしようもない味覚である場合、摂取はやめる」

これです。

舌も胃も、細胞のつくりは違っても、同じ内臓です。感覚は同じです。まして、胃の入り口が開きやすい人と締まりやすい人もいます。ですから、簡単に吐けば、そんなに胃にはダメージはきませんが、普通は吐かないで処理しますし、通常自分の出す胃酸すら、自分にとって胃部の不快感を呼ぶ人がいます。

けれど、医者は見た感じ、血まみれとか、真っ赤とかただれて潰瘍でとかでなくては、動きません。結果そういう人は、みな心療内科送りです。医者自身は覚えがない症状であれば、正直に言えば、その医者には理解不可能なのです。

私の兄は、消化器内科ですが、彼氏は若い頃胃を痛めた事はありません。現在、どうしてあぁも、患者が逆にこの先生は病気じゃないのかと思うであろう程、「口臭」がしても、彼はそれは自分が精神的に弱っているからだと思っています。

私が現在、きつい薬のせいで、食欲が落ち、その胃の痛みだけは我慢できませんでした。心筋梗塞の痛みを乗り越えた私でも、「胃」だけは我慢できません。故に、私はきつい薬を飲むのであれば、胃の粘膜保護剤を常時使用します。セルベックスとかありますが、私は私に合うものを、何回も薬を変え試し、現在常時飲む薬があります。
それと、極端な味のものは一切手を出しません。カフェイン中毒でもありました。理由は、チョコもそうですが、「摂取して手っ取り早く糖分を取りたい気持ち」がありましたが、チョコとコーヒーは体を冷やすため、一日朝一杯のみにしています。カフェインの量の多さは、むしろ紅茶にあります。しかし、体は温まります。

それでも、そんなに飲みません。

胃が不愉快に思う人は、自身の食生活を、人と同じにする必要はありません。外で食べてむかつくこともあるでしょうし、食べられないものもあるでしょう。外で働けば、選択の余地もないかもしれません。けれど、味覚や口の中が麻痺するほど、食べなくて結構です。そういう場合は、朝、家で口に合うものを食べるしかありません。

それを、人は何でも他人と同じでなくては嫌がります。

けれど、よく考えてください。同じ細胞でできた同じ人間は二人もいません。同じ親から生まれても、別です。人と何故同じものを食べなくてはいけないのでしょうか。その強迫概念を捨て、自分は自分の味覚に合うものをと思えば、ストレスも和らぎます。
また、味覚過敏の方に限って、みかんすらいけない事もあります。パイナップルで苦しんだ覚えもあるでしょう。で、大体においてビタミンCの摂取が足りないのも事実です。それはもう、普段の生活で補えないのであれば、リンゴが出回らなければ、少々サプリメントのお世話になってもいいと思います。

アメリカでは、子供がお腹を下せば、リンゴジュースを飲ませろと申します。反対に詰まっていれば、みかんジュースで下せと申します。赤ちゃんなどで、うまく排泄ができないとき、お母さん方はそのジュースの糖分にばかり目が行きますが、実際は、みかんを絞って与えた場合、それ程糖分はありません。問題になるのは、果汁の少ないジュースの砂糖のことです。

私も実際にはそう子供にも使いますし、自身にも使います。

自分の体質を良く知り、よく勉強することで、うまく変な薬から逃げることができます。その胃部の不快感を実際に体験していない医者は、あなたを「心理的な問題」の方角からしか診ようとしませんし、診る角度を決して変えません。私の心臓の症状を診る角度を変えなかった医者に私は診る角度を変えさせましたが、長い忍耐が必要でした。

ですから、食べる物の味覚で、人と同じになろうと思わなくて結構です。味覚や、皮膚のアレルギーやアトピーの分野には、「協調性」等必要ありません。
花粉症ですら、始まる時期が早い人から遅くに始まる人までいます。まったくない人もいます。ですから、感覚に対して、「協調性は必要ありません。」

自分に居心地のいい物を食べ、そして暮らすのが一番ストレスのたまらない秘訣です。
協調性は、他の分野で必要になりますが、ランチに「協調性」を押し付けてくる同僚がいたら、華麗にスルーで結構です。その協調性を無理して、結果あなたが痛い思いや不快な思いを背負うのであって、人は背負いませんから、「無責任なことを申します。」

そして、感覚はあらゆる分野にあります。聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚、挙げると大体これが5感です。その研ぎ澄まされちゃった部分は、大事にしてください。

最近は学校では、アトピーやアレルギーには理解があるようです。けれど細かい感覚までは何とも・・・・。分からない人にはわからないのです。痛みを知らぬものが痛みについて説教しても、重みがありません。そして、心に背負う痛みを分からぬ者が、心の痛みを分析しても、統計学上の数字でしか分かりません。

故に、「感覚には協調性は要らない」という事で締めくくりたいと存じます。

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