「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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父がギフテッドだっただろうと言う噂

2017年03月31日 17時56分29秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~
ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)
当人がギフテッドさんの子育てシリーズ(笑)。
学研プラス

こんばんは。

 

 

わたしは、ギフテッド、タレンテッド。職業、分析屋。企画屋とも呼ばれる。「思いつき」で金を稼いでる。

兄は、知能指数が高いアスペルガー。医者。

母は、迷わず天才。美術の造形を好み、絵を描いたら、入賞。内職シリーズでは、昭和の女の中で、子育てとの両立を図る在宅ワークを模索する人。故に、団扇に絵を描く仕事をしたり、造花を作ったり、服なら、和装洋装どっちもの先生、に付け加えて、実は、学校の教師の免状も持っていた。

 

父は、恐らくギフテッドだっただろうと言う噂。

 

本来の得意分野は、物書き。と言っても、ファンタジーや小説ではなく、全然学んだことのない法学の教科書のゴーストライター。公務員の仕事の範疇で、問題はない。昭和時代、副業で学習塾を開いてたことは、流石に問題だった。苦笑。

しかし、現実は、物理博士で、研究職。全然得意じゃない分野で、辞書に載ってしまった人。物理博士では、本名で教科書を出してる。

常に、20年先を読む人で、

 

わたしが、先読みの才能があるのは、父からの遺伝の分と教育の仕方の環境だろうと言う噂もある。

 

しかし、残念ながら、わたしには、5年位先から、13年位先しか読めない。故に、その予測力を活かした仕事をしているのが、最終形態だ。正確には、7年先がベストヒットだ。(笑)

単なる超能力や、単なる霊能力じゃなく、わたしは、読んだ手の先を、データ分析と結果で裏付けしていく。なので、短期予測より、長期予測に自信がある。

お天気さえも、似たようなもの。

 

父には敵わないんだろうと、時々、未だに父がずいぶん前に見つけたことが、今更、新しい技術と言われると、やっぱり悔しい気がする。

まだ、父は亡くなって20年経ってないので、現在進行形で、父の末期までの研究は、父をまだ、この世に存在している人とする、現役ぶりである。

父の教科書は、没後かなり経っても、現役で教科書中であり、大学や、大学院では、未だに求める人が多い。

 

そんな父が、苦労の子供時代を送り、それでも、誰からも助けられたのは、人懐っこさと、助けてやりたくなる素直さだっただろうと言われる。

 

窮地に陥った時、人の真価は試される。

 

どれだけ、助けてくれる人に恵まれるかである。

幸い、貧乏でも、最後に、富豪の娘まで嫁に来てしまうのは、「誠実さ」と、ついでに、「勤勉さ」にある。文句を言わず、得たもので、大体の大筋を把握し、学問の大雑把な理解と為す。故に、博識であった。

 

ただ、感情のコントロールが難しく、妻となる母が、小説など一切読まない完全哲学少女だったので、哲学にのめり込んだこともあったが、それで心が穏やかにならず、暴力と豊富な語彙の暴言は尽きなかった。

 

妻に天才を迎えた所為か、子供への完璧を強いる姿勢や、自分と同じことはできて当たり前の姿勢はあまり変わらなかった。むしろ、自分を負かす分野が子供にできた時は、それを応援しながらも、自分の守備範囲の分野の教育は欠かさなかった。

 

不遇でなければ、あれもこれも、できたと思ったのだろう。子供に対する期待値が高すぎて、子供が一定のレベルを超えていて、それが如何に凄かろうと、妥協と納得はしなかった。

 

あえて言えば、熱狂的な求道者だった。

 

恥の文化は、父由来であり、施しは、当人の成長にならないと、何事にでも、キッパリ門戸を閉める姿勢もあった。ただ、施しでなければ、面倒見の良い人であった。少なくとも、身内がミスすることは許せず、赤の他人のミスは積極的にフォローしていた。

 

ただ、小心者であることと、感受性が強かったことは確かで、どうしても当人が行きたがった映画が、ひとつだけあった。「ET」である。

最後は、小学生のわたしがドン引きする位、泣きの涙で涙して嗚咽を堪えて見ていた。

恐らく、ETを自分に重ねたのだろうと、幼心に思った思い出がある。

あとは、テレビや、ビデオレンタルで、見てたし、泣く程じゃなかった。ETの号泣ぶりは凄まじかった。

 

こんな父は、語彙も豊富で、色々言い回しを変えたり、今でこそ、ネットのボケてと言うサイトで、一本取れるほどの、頓智やウィットに富んだ人だった。

娘が、音楽を聴いて、器用に長調短調に変調したりする遊びをしていた時は、誰に教わったのか、どうやってやり方を見つけたのかと、尋ねることがあった。

全て、自前のアイデアで、こんな感じで大雑把に掴めると言うと、顔がほころんだ。夕飯では、毎日、わたしも兄も今日の発見が如何に自前のアイデアかを話した。ドンドン、話が膨らんで大きくなって、お互いいいインスピレーションのきっかけになった。

それが父の楽しみだったところを見ると、ギフテッドの、同士達のコミュニケーションで、癒される面があったのではないかと思う。

 

昔のギフテッドだっただろうらしき人の生活をちょっと話してみた。

 

ちなみに、わたしも、そんなに勉強しなくても、割と大枠を掴むことが早く、大体の資格試験は独学で突破していて、習いに行くと分からなくなって逆に敷居が高く思えることが多い。

 

これで、父が子育てをどうして行ったのか、わたしが子育てをどう迎えたのか、ちょっと書こうと思う。

 

 

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