庭の花(猫)らい、らいな、みいな(孫)Ra 、Ri、夫の料理

後期高齢者でありながら忙しい毎日。アクティブに前に進みたい。

東日本大震災から10年あの時私はエレベスト街道トレッキングに。

2021年03月11日 | 日記
あの日11日は、プールから帰宅して下車しようとした時に門下ぶりの巻が大揺、これは何だ?地震だ!
家に入ってテレビつけると地震と分かった。2回目の時に庭に飛び出すと、夫がプールから帰宅。プールにいて大波だったとの事、今でもリアルにこの事を思い出す。

しかし私は3月14日からエベレスト街道トレッキングに行く予定だった。
15日に荷物を出したが戻って来て、それから旅行会社に電話しても繋がらず、やっと繋がり聞くと
ネパールの方は被害がないので催行されるとのこと。
 自分の事で精一杯だったのでこの辺りはあまり記憶がない
 
それからネットで成田のあたりのホテルを探しても満室だったが離れてはいるけれど、マイクロバスが出る所がやっと取れた。
 夫に荷物持って貰うのとホテルに一人で泊った事がないので一緒に行って貰う。13日に家を出る。
14日の日夫と別れて成田空港で待っている時も地震あり、背に津波が襲ってきている横を自動車が走っているのを見て間に合ったかな…?と思ったのが今でも脳裏に残っている。

 飛行機は何時もは準備が長く中々出発しないのに,機上したらすぐに飛び立ってしまった。
カトマンズ空港に到着したときは何事もない感じであった。

3月15日早朝出発の朝日 ここから何の情報もないテレビもない世界に入っていく。

 
参加者は被害にあっている家族がなかったこともあり、自分自身がきついので黙々と歩くのみ。

 
 休憩の時はやっとこさ。
 

 最初のエベレストビュー

ホテル前にて 後ろに見えるのがエベレスト。
 
エベレストサンセットを15分ほど歩いての丘にて。

 
 この時に75歳の男性が感動して泣かれていました。私は67歳前で嬉しい、幸せ!
 
この気持ちは70歳前にマチュピチュのワイナピチュ登山から下山ゲートに入った時にに泣いてしまった。
   この感動と同じだったのですね。
  
ホテルに記帳して来来ました。
 

 

 10日後にカトマンズのホテルで原子炉が被害、大事になっている事を知りました。
蘭菜は1歳でままと鳥取からお留守番に帰って来ていたのですが飛行機には4名しか乗っていなかったとでパパとは羽田での待ち合わせであったけれど中々電車も動かず連絡が取れて会えたのは夕方だったとのこと。
「食べ物が不足して大変だったとブーブー」
 
  帰宅してすぐに寄付をしに行きました。

 2年後に大地震があり、あのときのポーターさんたちはどうなったのかな?
 途中のナムチェバザールはテレビでは壊滅状態、ドラえもん寄付をしました。

 私は放送を見るのは怖い、じぶんに置き換えてしまうので。

 今,孫が今日中と知らせてくれたので、ヤフージャパンで貯まっているTポイントを寄付しました。
 

コメント
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