背中の目

覚書

ありがとうございました。

2009年12月31日 | Weblog
もうあと少しで2010年。

何かやり残していることがあるとすれば
まだ書き終わっていない年賀状と(未だに)
ここでのご挨拶。

つらつら長い文章を書くのは
日付超えてからにします。


自分として2009年は
あまりいけてない年だったなーと振り返っていました。
何がどうって、うまくいえないけど。
気持ちが後退している年でした。

来年、といわずいつも
こんな気持ちを年末に持たずに過ごせるように
1年をもっと有効に使いたい。

除夜の鐘が聴こえます。
今年が本当に終わるなぁ。
紅白は白組の勝ち。まったく興味ないけど。
そうだ。
中島美嘉の歌は好きなのが多いのですが。
さっき紅白見ていて驚きました。
『流れ星』という曲、作詞がクボケンジ君なんですね。
メレンゲというバンドのギターボーカルを担当しています。
繊細な歌声、情景が浮かぶような歌詞が好きです。
バンド活動と平行して、そういうことをしていると
聞いていましたが目の当たりにした大晦日でした。

今年、出会った人へ。
今年、お世話になった人へ。
今年、私が不精をした人へ。
今年、ここを読んでくれた人へ。
会えた人も会えなかった人も。

1年間どうもありがとうございました。
来たる2010年はどんな年になるのかわかりませんが
どうかあなたたちにも私にも
よき1年でありますように。
全ての事柄が必然だったとしても
その一つ一つに起こる些細な驚きと閃きと
プラスであることもマイナスであることも
何がしかの糧となりますように。

どうぞ、よき1年が迎えられますように。

ありがとう。そして、よろしくお願いします。

寒さと鐘の音が染み入ります。

さぁ行こう

2009年12月30日 | Weblog
2009年がもうすぐ終わります。
本厄真っ最中の今年。
来年の節分まではまだまだ続くわけですが。

身の上に起こったニュースといえば。
・人生初めてのインフルエンザにかかる(1月)
・人生初めてのマラソン大会で、熱中症で倒れ救急車で搬送(4月)
・熱中症で倒れた10kmマラソンのリベンジ、奈良大仏マラソン完走(12月)
これに尽きる。

インフルエンザなんて流行みたいなもので
周りの誰もが割りと罹ったことがあると想いますが。
普段から風邪さえひかないので、私的にはニュースです。
当たり前だけど20代前半に比べると、
明らかに後半からは体調が悪くなる頻度があがりましたね。
元々健康なほうだし、かなり丈夫なほうですけども。
ここ最近は腸の具合がおかしくなったりもしてました。

2008年終わり頃から少しではあるけれど走り始めて。
4月末の堺シティマラソンという10kmマラソンに挑戦しました。
当日の天気は晴れ。
むしろ初夏過ぎの暑いくらいの天気に恵まれてしまい、
前日に寝れなくて(遠足前日の小学生状態)明らかに睡眠不足でした。
緊張していたのかよく分からないけど、
スタートした時点から既にしんどかったようにも思います。
なかなかペースがつかめず、周りについていかなくてはと思い
どんどんしんどくなっていき水分補給もままなりませんでした。
だんだん暑さが体の中から逃げなくなっているのが分かり
足がもつれていくのを自分でも分かっていました。
あと1km、の看板を見かけたような気がしていて
それなら頑張ろう・・・と思ったのに全然1kmが進まない。
あと少しあと少しあとすこし・・・

あと、すこし・・・

・・・



周りの音はガチャガチャとしていて騒がしく、
誰かが自分の周りに来たり遠ざかったりしていて。
目は開かないし体はびくとも動かないし。
何だか口は開けそうな気がするけど、開いてはいけない気もして。
とりあえず「歯」が折れていないか確認していました。
(今にして思えば、何で「歯」なんだ!!)
とにかく病院に自分がいることはすぐに理解したものの
どうして病院にいるのかが全然分からなくて。
病院ていうからには怪我でもしたのかな、と。
でも何で怪我?何していたのかな??確かジムの友達と一緒だったはず。
うーん。交通事故にでも遭ったんだろう。
体動かないし怪我もひどいのかもしれない。
どれくらい治るまでにかかるのかな。リハビリしないといけないのかな。
連休前なのに仕事どうしたらいいのかしら(この日は4月29日でした)
リハビリなんて私できるのかなー耐えられるのかなー・・・。

その場の自分の状況も分からないのに考えていたら目が開きました。

「ここ、どこ?」

片目のコンタクトがないらしく片目でしかモノが見えない。
とりあえず一番そばに居た人に聞いて、尚且つ「誰?」と。
本当は声で先輩だということは分かっていたんですが。
顔が不確か聞かずにいられませんでした。

マラソン大会で熱中症で倒れ、救急車で運ばれたこと。
後から駆けつけた先輩が到着した時には
私は大声出して喚いていたらしいということ。
体内温度が40度まで上がっていて脳が揺れているかもしれないと。
熱中症は半分の確率で死に至ること。
明日は何が何でも会社は休みなさい、ということ。

脇の下、股のリンパの通っているところを冷やされてました。
寝ている間に投入された点滴は1リットル。
病院で1回トイレ行きましたが、その時はまだ大丈夫。
明日になったら頭が痛くなったり吐き気がしたりするからね、と言われつつ
タクシーで寮に帰る頃には既にその症状が現れ始め
帰ったら吐いたり下したり大変でした・・・。
水分を摂りなさいといわれても体が受け付けず。
夕方に戻ってから、日付け変わる頃までそんな状態。

まさか自分が倒れるやら運ばれるやら、
脅し文句とはいえ死にかけるとは思いもしませんでした。
心配をかけたみなさん、本当にすみませんでした。
一人完走できず本当に悔しくて情けない限りでした。
その日の夜にご飯に行こうと誘っていたのに行けなかった人もごめんなさい。
けして前日の「1時間以内じゃないとあかんでしょう」という
言葉がプレッシャーになったのではありません。
ま、要するに体調管理の問題でありました。

12月にリベンジした奈良大仏マラソンは気候もよく、
体調も万全で無事に完走できました。
ゴールできて本当に嬉しかったです。
これは単なる1本目に過ぎないけれど、とりあえず走れたのでよかった。
でも暑い季節に走るのは体力的にもきついなぁと実感。

ちなみに、倒れたマラソン大会で見たと思っていた「あと1km」の看板。
どうやら見間違いだったようです。
私が倒れた地点、まだ7km辺りだったらしいので(笑)
まだ残り3kmもあったら走っても辿り着かないはずです。



今年はそれほどライブに行っていない年です。
そして、それを後悔するハメになりました。

忌野清志郎さん、アベフトシさん、川村カオリさん。
そして志村正彦さん。

病気だった人、突然亡くなった人。
私がよく知る名前で亡くなった人たちです。

12月24日、クリスマスイヴにフジファブリックの志村君が
病院での検査の上でも病名不詳で亡くなった。
この「不詳」が今ひとつ腑に落ちずでしたが、
関係者のブログを読むと本当に不詳であり、
けして隠しているのでも人為的でもなく
ましてや一番不安に感じていた自らの手によるものでもなく。
だからといって、病名が分かったからといって
その死が何とかなるものでもないので。

昨日、インテックスであったFM802主催のライブRADIO CRAZYでは、
フジファブリックの出演枠はライブ映像が流されました。
本番で演奏するはずだった曲順のまま編集された、
2006年から2008年にかけてのライブ映像でした。
ステージには本番さながらに機材がセットされ、
私は見えなかったけれど志村君愛用の帽子も置かれていたそうです。
1曲目が「銀河」だったので思わず涙腺が緩み始めたけれど、
ライブそのものは久しぶりの変態曲に自分の想像とは違って
ずっと楽しかった。
「ダンス2000」の♪いやしかし何故に~が堪らなく好き。
志村君の目が好きですね。
真っ直ぐしか見てない様な、でもあまり力のない目(笑)
最後は「Sugar!!」でした。
ちゃんと「フジファブリックでした」のMCもあって。
そしてスクリーンに現れた最後の映像は。

MASAHIKO SHIMURA
1980-2009

帽子をかぶった志村君がポーズをきめた笑顔の写真。

きっとこれは遺影だったのではないかと思います。
とびきりの笑顔でした。
ぶわーーーっと涙が出てきたけど、
同時にこっちまで笑顔にさせられる写真。

ありがとう。志村君。
ありがとう。フジファブリック。
ありがとう。FM802。

音楽は消えないものだから。
今日からまたフジファブリックを聴き始めます。
あなたの独特な声、眼差し。
音楽は鳴り止みません。





茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、 子供の頃の寂しさがない

君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

僕じゃきっと出来ないな
本音を言うことも出来ないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

フジファブリック/茜色の夕日

銀河

2009年12月29日 | Weblog
晴れている空が眩しくて涙が出たり

たくさん見えるわけでもない星空を仰いで涙が出たり


昨日の12時に彼は空にのぼったのだそうだ。
そっと 両手を握りあわせて心で祈った。
もしかしたら 願ったのかもしれない。
未だに ほんの少しの期待で。
わずかな希み。



昨日は、朝方は天気が悪く
真っ暗な夜明けだった。
昼が近づくにつれて回復して
正午には美しく晴れの空。
冷たい空気がどこまでも突き抜けていくようで
山梨はこっちの方角でいいのかなーなんて
まだ瞼は腫れたまま。


茜色の夕日は見えなかったけど
帰り道に見上げた夜空
ほんの少し星空。

銀河

ゆらゆらと ぼやけていく。

UFOの軌道まで、まだしばらくかかるよね?



せめて今日は大阪の上くらいで
のんびり漂っていてください。
たぶんもうすぐ、気持ちの整理ができそうな気がしています。

ちゃんと見送れそうな気が

します。

今日だけは泣こう

2009年12月28日 | Weblog
とつがいうように、
色んなブログを読んでいると
涙が止まらなくて
今も泣きながら書いている。

本当に信じられない思いだったけど
rockin'on編集部のブログの
「通夜」というタイトル、
そこに書かれていた志村君の姿、
もう本当なんだと分かった。
事実なんだと分かった。

胸が痛い。
これはどういうことだろう。


フジファブリックを初めて見たのは
大阪市内にある小さなライブハウスだった。
当時はまだインディーズバンドで
ライブ後に自分達で物販を売っていた。
とつがそこで確かCDを買ったんだと覚えている。
変な歌を歌うバンドだと思った。
妙に耳に残る言葉と声、そして個性的なメロディー。
ファーストアルバム「フジファブリック」は
きっと彼らのアルバムでも一番聴いたアルバムじゃないかと思う。

志村君の人間性や性格なんかはよく分からない部分だけど
変わった人なんだってことは不思議とよく分かった。
そして、こよなく音楽が好きなんだということも。
ひねくれているんだろうな。
でも、そういう部分も含めて
彼のつくる音楽が好きなんだと思う。私。

ここ何年か前まではよくライブに行ってた。
春恒例の大阪城野外音楽堂でのSWEET LOVE SHOWER、
本番前日のフリーライブを観に行ったな。
それから本番のトリを任されもしていた。
新しくなる前の神戸チキンジョージにも観に行った。
あんな小さなライブハウスのチケットよくとれたよね。
勢いで帰りにTシャツ買ったな。

時々覗いていた志村君のブログは
長くはない文章で、淡々としているのに
くすっとどこか可笑しい。
たまに思い出しては読んでいた。
最後の日付けは亡くなる2週間前。

病名不詳はどういう意味なのか考えた。
でも、結局事実は変わらない。
29歳という若さで彼はもうこの世から消えてしまったのだ。
友達でも家族でもない、ただ一方的に知っているだけの存在だ。
だけどこんなにも悲しい。
まだフジファブリックの音楽を聴けない。
あの声を聴いてしまったら
普通でいられる自信がないのだ。
でも今も普通じゃないのかもしれない。
分からない。
分からないけど、
今だけは泣いていいことにしよう。


明日もまだ悲しい気持ちは消えないと思う。
でも泣いていたって何も変わらない。
29日のインテックスには彼らの姿はない。
少しずつ、少しずつ。
また、フジファブリックの音楽を、
志村君の歌を聴けるように。
前に。





heavenly days 胸のポケットの部屋
君の消えたぬくもりを探すよ
もう二度と君を想う事はなくても
手を伸ばしてみても ここにはもう居ないよ
新しい光の下 歩き出すよ

メレンゲ/heavenly days


悲しい

2009年12月27日 | Weblog
ほんとかな

って、まだ思う。


時間が経つほど ありえないという気持ちが
大きくなって仕方がない。


受け入れられない死ってものが
あるんだなーなんて
ぼーっとした頭に何となくよぎる。


時間が過ぎるほど悲しくて
悲しくてやりきれない。


やっぱり事実なんだろう
間違いないんだろう
でも
早過ぎるよ、あまりにも。

訃報

2009年12月26日 | Weblog
フジファブリックのボーカル、志村くんが亡くなった。


突然過ぎて混乱している。


来週には久しぶりにライブを見るはずだった。


さっき

差し込む太陽の光があまりにきれいで

笑ってさよなら


なんて歌が流れてきて

初めて悲しみが襲ってきた。



そりゃないよ。。。

その右手をよこせよ

2009年12月24日 | Weblog
当たり前に半日という日は過ぎて。
あっという間に。
そりゃもう。あっっという間に。



月曜日、某毛布屋軍団との忘年会。
思えば泉大津に来て、初めてできた友達は
一部の人を除けば毛布屋の人たちなのかもしれない。
友達というほどの付き合いはしていないけれど
気が付くと毎年こうやって忘年会には呼んでもらっている。
去年は断っていたので、2年ぶり。
今年は幹事が交代していて、しかもなかなかの大所帯で開催。
遅れて行ったので既に盛り上がりはピークを過ぎていた。
酔っ払った、しかもそこそこおっさんな盛り上がりなので
そのトークをかわすのは至難の技だった。
笑ってごまかすような歳でもあるまいしな。
それでも楽しかった。最終的には。

けっこう核心をつく分析と言葉で複雑だった。
普段いい加減なように思える人ほど
物事を考えているし洞察力は鋭い。

しかし、夜中12時過ぎのラーメンは危険だ。



火曜日は毎年恒例のチーム忘年会with取引のある人たち。

いつから始めたのか定かではないが、
広島の人となった元お隣様係長が言い出したのが最初。
それ以来、開催日や場所や連絡など仕切ってきたけど
今年は期待の3年目、ダルビッシュ似の男前な新担当者が幹事。
彼は典型的な「要領のいい男」だけど、
案外熱いところもあったりして最近かわいい。
今は色々揉まれて大変な時期だったりする。
それくらいが当たり前で、その状況と困難を
何とかしようともがくくらいが3年目なんだろうな。
(と、勝手なことをいう12年目・・・ははは)

そんな幹事のダルビッシュ。
小悪魔と私が考えすぎだよ、と思うほど
変に気をまわしながらの忘年会。ま、気負っていたんだね。
しかし。
店の手違いで何と予約落とされる(!)というイレギュラーが発生。
移動したり待ったりと約1時間も遅れてスタート。
何とかこのまずい空気を挽回しなくてはと思うのに
店員はみんなホストかと思うようなおにーちゃんばかりだし
対応遅いしで切れそうなダルビッシュ。
小悪魔は翌日10kmのクロカン走るのにピッチャー持って奔走。
私はとりあえず一番押さえとかないとまずいテーブルに座って
おじ様の話を聞いたりなんやかんや。

スタートが21時過ぎだったので、お開きしたら23時まわってました。
大人しく帰るわけがなく、帰るつもりもなく。
楽だったなぁー。変な緊張感なくて。

よくもわるくも。
私は12年もこの場所にいるので
ありがたいことに色々な人に知ってもらえているのです。
ほっとする部分と、甘えている部分と。
今、貢献できることといえば何だろうか。

だいぶ眠くなってきて、25時ころ解散。
タクシーの中で何度も頭が傾いているのに気が付き
夜中のタクシーでは寝ちゃいけないって思っているのに。
帰った頃にダルビッシュからメールが入り
またかわいいこと言ってるなー、って感じだった。
本音か要領がいいのか。
でも、まだ3年目なんだよなぁ。なかなか思わなかったけど。
この子のために仕事したいな、と一瞬よぎりました。

こういうスタンスもどうかと思うけど。
今、自分のモチベーションが今ひとつ上がらないのは
その対象がないからなんだって分かっているから。

若者、がんばれよ。



本日は、ていうかもう午前3時??
寝ないと寝ないと!

半日過ぎるまで寝ていたのがまずい。
夕方から買い物行ってコート買いました。
定期も買ったし、クリスマス会の差し入れも用意したし。

タワレコ行って。
黒い箱につまった闇を照らす光を 手に入れてきました。
でもきっと封を切れないんじゃないかと思う。

syrup16g/A COMPLETE UNKNOWN

いつかのメリークリスマス

2009年12月20日 | Weblog
この季節になると、必ず流れる名曲。
冬になるとユニコーンの「雪が降る町」が流れるのと同じかな。

さて。
この際ですから。

いや、この際もどの際もないね。
今年ももうすぐ終わるしさ。

いい大人、そりゃもういい大人です。
そしてみんなプライドがあります。
これは大人だろうと上だろうと下だろうと関係ありません。
関係は平等です。
これにも上も下もないのです。
払っているからえらい、てのは私は通用しないと思うのです。

お客様は神様です?

利害は一致しているはずでは。
サービスを提供します。
金銭を収受します。
そして、ドライな関係(対物であるとか)でない限り
人と人、そこにはハートがあります。
気持ちがあります。
気持ちってなに?
あなたが好き。わたしを助けて。

違う。違うね。

対等であるべき。
けしてそれが平らかな世界ではありません。
いつだって、どこにだってそんなものはない。

今年は自分の周りの小さな世界を実感する年だと。
つくづく、しみじみ、最近思います。

だから、何がどうかっていうとね。
気持ちは一方通行だってこと。
コミュニケイトしよう。


発信するのが苦手な私は呟くしかないのでした。

つづく。

その中の何点、そしてスカ、さらにメキシコ料理。

2009年12月20日 | Weblog
最近ちょっと食欲がおかしくて
食べたい症候群です。
忘年会シーズン、ちょっとやそっとじゃ落ちないぞ。
このままでは・・・体重。



日曜ジムにもまだ1回も行っていない12月。
なんとか木曜ショートは参加していますが
きっと来週はそうもいかなさそうな雰囲気が。
何とか行ける方向でもっていきたいな~とは思ってます。けどね。

そして忘年会、もしくはただの飲み会が多数。

今月はまず先週になるけど、おとうさんの会。
相変わらずにくい演出のママの手書きメニュー。
鴨吸がしみる季節です。
その週末、金曜日は寿司を食べていたら南海の終電を逃す。
私が言いたいことを言える、唯一のお人ですね。ありがたい。
翌日の土曜日はミスチル@ドームの後にミナミでお疲れ会。
今週は金曜日に久しぶりに子悪魔とサシ飲み。
通称「私達の店」系な、その名も荒磯市場という居酒屋(笑)
小悪魔は奥が深い。
誰が何といおうと、私はこの人と仕事してるんだったら安心する。
けっきょく長年の付き合いということは、
そういうことなんだろうと思ったり。
世の中、そういうことばかりではないだろうけれども。
ありがたいなーと。

で、本日も小悪魔とスカパラのライブへ。
その後におねーさま方と合流し、長堀の近くのメキシコ料理のお店へ。
ここの手作りハラペーニョソースが最高に美味しく、
お持ち帰りもできるとかで次回行ったら絶対に買おう。
お料理も美味しかったです。もちろん。
rana、というお店。



久しぶりにこんな時間。
寝よう。

氷のような手の冷たさは、いかんともしがたい。