キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

甲状腺のこと

2012-10-18 11:01:25 | 知識

甲状腺機能亢進症(バセドウ病)と判定されてから約7カ月経過

8月の検査ではTSHレセプター抗体が19.6lu/1と基準値2.0>の約10倍になる。この数値は毎回検査ごとに上昇

その他の重要指標はTSH刺激ホルモン 046684、FT3 2.35、FT4 0.62とすべて基準値内に収まった

ところが9月の検査でTSH甲状腺刺激ホルモンの値いきなり、9.8026と跳ね上がりFT4も基準値を下回り始める。

同時に眼球の違和感強まり10月3日の血液検査で、TSH甲状腺刺激ホルモンが16.6460と一気にそれも急激に跳ね上がる

TSHレセプター抗体はいよいよ上昇して24.1を記録

ついに担当医が入院してステロイドパルス療法を受けませんか、入院は1カ月という

取り敢えず入院の方向で病室の確保を確認すると10月9日からOK。

予想していなかったので、担当医への連絡方法を確認し入院手続きはせずに帰宅。

3月から治療に通ってきて、一向に改善しないばかりか、目のほうがどんどんおかしくなって来るということは、全くの予想外だ。私の生活上何か問題があったんだろうか。不思議な気分だと敢えて担当医に言ってみる。

また、9月段階でこの数値が変化しているのは何を意味するのか担当医に確認するが確かな回答なく、さぁー?というのみ。

さすがに心配になり、ネットで甲状腺専門を探し、名古屋市港区の医者へ出向くが、この医者は勝手にしゃべって、勝手に手術医を紹介などと言い出す。こちらの言い分悩みは聞く耳持たず。不思議な医者だ。結構患者もいるがほとんど内科受診者のようだ。ホームページでは結構いい感触だったが、逢ってみないと分からない典型的なだめ医者。

もう一度ネット検索。あった。ありました。見つけました。クリニックの医師履歴から今の担当医の上司であった医師が開業医として自宅近くにいるではありませんか。

10月3日そのクリニックに相談ということで訪問。担当医のことはよく知っていると云う。

今までのデーターすべて提出。症状の悩み訴える。

甲状腺眼症を診断できる医師が名古屋にいない。(ただし、愛知医大、第一日赤に一人ずついるが病院として眼症を専門にしていないので勧められない)

さて、データーのほかに、過去の処方薬の服用状況を見せるとこれは甲状腺機能亢進症が逆に低下症に変化しているが、ヨウ化カリューム丸の服用機関が1カ月長すぎること、メルカゾールの投与過剰が見られると判定。

血糖値も上がっているし、現状でやることは、TSH甲状腺刺激ホルモンを下げることだが、メルカゾール(甲状腺治療薬)の処方4錠は多いので3錠にして、チラージンという低下症改善薬を1錠処方するから逢わせて服用するように指示される。

医師曰く、変な感じだろうが、亢進と低下を消しあう作用で早急に改善しないと、眼症改善治療に向かえないと診断される。

また血糖値(HcA1c)もやや高いので、この改善も入院治療に徒(あだ)しているので、担当医はこれも気にしているのだろう判断してくれる。

自分なりに悩んでいたことがやや理解でき、方向が見えてきた

10月5日日 担当医へ電話。入院キャンセルを申し入れるとそれでは10月10日来院してほしい。眼医者を紹介したいので来してほしいと促される。OK。

10月10日 担当医と面談。第2オピニオンとして東京のO眼科(甲状腺眼症では専門医として極めて優秀のようだ)を受診して、その結果で、あなたが(私のこと)納得する治療をしましょうと提案される。

私が了解できたら、連絡ほしいとのこと。すぐに紹介状を書くからと。

家に帰り家内と相談。賛成。

10月13日 紹介状依頼する。10月17日 紹介状発行するので来院と血液検査をして欲しいと要請される。もちろん了解。

10月17日 病院へ。

血液検査は何とすべての数値が基準地内。(ただし、TSHレセプター抗体は保険で月1回しか認められていないので検査除外)

クリニック処方のチラージン服用とメルカゾール以上減らしたのが効いたようだが、担当医には言えない。担当医は1カ月分のメルカゾール(120錠分)処方される。仮に余ってもこれから先相当長期に亘って服用せざるを得ないと思うのでそのまま受ける。

担当医にネットで調べてので素人判定だが、機能低下症にになったいたのではないか、眼症はTSHレセプター抗体が高い値が影響しているのではないかと聞く。低下症はうなずくが眼症については首を傾げるばかり。

担当医は医局内で私の症状に対し治療方針の検討会を開いた由。

結局、東京O眼科の診断結果で最終治療方針を決定することで了解

実は、現在の担当医は10月で病院を退職。次のステップに進んでも途中から別の医師があたることになるので、今回は後任の医師も同席。

次回10月24日には東京の診断結果報告書を持って、面談することにした。

帰宅してすぐに東京のO眼科へ電話。

22日月曜日午後1時30分の予約確保できた。

夜、クリニックへ出かける。チラージン継続すべきか相談に。

結局、しばらく今のまま継続しないと直ぐに悪化する可能性があるので、今後の治療が決まるまで服用することを勧められ、処方をもらう。

やれやれだ。そもそも甲状腺が悪くなる原因がいまだに不明だそうだし、治療法も結構経験が必要のようだ

7年前に初めて発症した時の経験から、少々甘く見ていたことと、医師の力量不足?があいまって、結構深刻な事態に追い込まれた感じ。

途中で担当医に「先生は糖尿が専門では?}と聞いたこともあるが、その時はややキツイ顔で甲状腺も専門ですと答えていたが。

ようやく、先の診療方針が決められるところに近づいてきた。

もう少しの辛抱だが、恐らく九割が他入院の方向性が強いようだ。1か月

今日は朝から涙の量が多い。

 

 

 


矢並湿地見学

2012-10-12 17:17:52 | 知識

9月30日から10日ばかり、ブログアップできずもがいていたが、その間撮り貯めた写真もそのまま。

ようやく、豊田市の矢並湿地の見学会へ出かけた様子を書こうと思い発った次第。

甲状腺の具合が芳しくなく、特にこの1カ月、やる気が起きず、無理やり出かけては、帰っても疲れが出て写真ばかりたまってしまった。

矢並湿地は、9月24日に投稿したブログで紹介した、ラムサール条約登録湿地 東海丘陵湧水湿地群のひとつ。

ところでラムサールってなーに?

"1971年にイランのラムサールで開催された「湿地及び水鳥の保全のための国際会議」において「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択されました。この条約は開催地にちなみ、一般に「ラムサール条約」と呼ばれています。"(環境省自然環境局野生生物課 作成より)

毎年、湿地見学会を開催しているようだが、地元の保存会の人たちが、この地方特有の絶滅危惧種を保存するため、精力的に活動されて、今回のラムサール条約湿地として認められ登録された。

自宅近くには、八竜緑地、島田緑地などもあり、それぞれ保存会の活躍で絶滅危惧種の保存に取り組まれている。

それぞれ、厳重にフエンスで囲まれ年に1~2回、一般に公開されていんだ。

今回の矢並湿地は、テレビで紹介されたことで、例年の2~3倍の人が見学に訪れたようで、保存会の人も説明に追われ大変。

今日の新聞に、午後から見学に来てほしいとアナウンスされている。

10日から14日までの開催で、私は11日に行ったとき既に2~3倍と言っているので、保存会の人たちも困っていた。

豊田市駅のバス乗り場。ガラーンとして乗客我々のほか数人。

ここから、鞍ケ池公園東(終点)まで行くと湿地まで無料のバスが3台でピストン輸送してくれる。

現地に着くとみんな車で来ている。それもそうかな。バスだと豊田市駅から片道@390円だからね。

湿地行きバスの乗り場には既に長蛇の列。一台で1回に30人。

 

3台目でようやく矢並湿地へ。乗車時間5分ほど。

前方のゲート前で案内者の人を待って入場。案内不要の人はそのまま入場OK。

入口に案内板。

現地パンフレット。

パンフ不レットに「東海丘陵要素植物群は、主に東海地方(愛知県、岐阜県、三重県、静岡県)の丘陵地帯の湿地やその周辺の痩せた土地に生育する植物です。他の植物が育たないよう厳しい環境に適応した植物で、この地方に多く分布します。矢並湿地では、クロミノニシゴリ、シラタマホシクサ、トウカイコモウセンゴケ、ヘビノボラズ、ミカワシオガマ、ミカワバイケイソウなどが見られます。」と書かれている。

入場するとあちらこちらに、案内にについている人たちの塊と、案内を必要としない人の列で湿地内は満員。湿地が傷まないか心配になる。

棒で差し示している方が私たちの案内人。

今日は5組目だと疲れた様子。食事もとる間がないようだ。

湿地なのに、入場してすぐはあまり水を感じない。

しばらくすると、小さな橋。橋のたもとに咲く花はダイコンソウという名前。

奥に行くとシラタマホシクサとミカワシオガマの共演。

 

私は草花の名前はよく覚えられないが、ツリガネニンジン(トトキ)。

ツリバナの赤い実。かわいらしい。

その他、パンフレットにはカキラン、ウメバチソウ、ハルリンドウ、コバノトンボソウ、コオニユリ、キセルアザミ、モウセンゴケ、サワギキョウ、トキソウ、サギソウのほか、ハッチョウトンボ、ヒメタイコウチ、モートンイチチンボなどがしょうかいされている。

結局家を出たのが9時30分ころだが現地に着いたときには正午を回っていた。

豊田市駅に戻った時には14時30分。

今日の外出は多くの出会いに恵まれた一日でもあった。

行きに八事から乗り込むと、隣に座った方と話し始め、お互い行き先が矢並湿地。

話しているうちに、お住まいが上社とか。我が家も上社を利用していることから現地まで話がはずむ。

湿地見学終了後、帰りの豊田市行きバスを待っていると、家内の友人とバッタリ。友人も矢並湿地見学したそうでと豊田市駅まで家内と話が弾んでいた。

八事に到着して乗り換えホームに行くと、今度は私の仲間、名東史跡の回のメンバー(女性)とバッタリ。

本山駅までご一緒する間にお互いの出かけ先を交換する。

家内の友人、私の仲間そして全くの他人だがご近所の人と思いもよらない人たちと逢うなんて、豊な気分。

話は変わりますが甲状腺の話。

甲状腺の状況が芳しくない。6カ月経過したが目の状況がバセドウ眼症になってきた。

この眼症は名古屋にも専門医がいないようで、名大病院でも東京の専門を紹介しているようだ。

来週名大病院の担当医に紹介状をもらって、検査に行くことにした。

ただし、検査結果で入院となると1カ月。理由はステロイド点滴と放射線照射をするそうで、通院では困難とか。

それと副作用に胃潰瘍の恐れといわれると躊躇する。

できるだけ、この治療は避けてきたが、来週担当医と最終懇談する予定。

TSHホルモンの増加(当初はほとんどゼロ)亢進症が低下症に変化したか

レセプター抗体が増加し続けていることが眼症を促進しているのか

今月は27日にNPO の活動報告会が予定されているので、仮に入院するとしても11月。

当分ブログも投稿できそうもないな。

日記として、撮り貯めた写真だけでも投稿するか思案中。

TVコマーシャルではないがちょうど今年は8の倍数の年だ。

 

 

 

 


肺がんと乳がん つづき

2012-09-04 09:34:19 | 知識

愛知医科大学公開講座 9月1日第2部。昨日のつづき。

講座の演題は「定期的な乳がん検診はあなたの命を救い、大切な家族をまもります」。

乳腺・内分泌外科 教授 中野 正吾氏(47歳)

・ 乳がんの発症者数と死亡者数の推移からみると、毎年5万人の方が乳がんと診断されている。乳がんで亡くなる方も年間1万人に達し、女性壮年層(30~64歳)における死亡原因の第1位となっている。

・ 女性の部位別、年齢別乳がん発症率では、40歳から50歳代の女性に多発し、特に45歳から49歳の女性では、乳がんの発症率は胃がんの約3倍。

・ 40歳から50歳の乳がん発症率は、この20年間で約2倍に増加している

 乳がんの発生や増殖には「エストロゲン」と呼ばれる女性ホルモンが深くかかわっている

・ 乳がんが増加している背景には、乳腺がエストロゲンにさらされる時間(=整理)がながくなったことが要因と考えられている。

・ 乳がんと関係すると考えられる主な危険因子に、 年齢(40歳以上)、 未婚の人、 高齢初産(出産していない人)、 初潮が早く閉経が遅い人、 閉経後で肥満(標準体重×1.2以上)以上の5項目はエストロゲンに関係あり、ほかに、 血縁者に乳がんになった人いる、 良性の乳腺疾患になったことがある、 乳がんになったことがある、 等々の人は乳がんになりやすい体質。

・ 乳がんの多くは「乳管」を構成する細胞から発生する悪性腫瘍。

・ 乳がんは「非浸潤がん」で発症するが、「非浸潤がん」でとどまっていれば転移しない、おできのようなもの。非浸潤とは乳管内にでおさまっていることのようだ。よって時間の経過によって、管を破って血管やリンパ管に入り込む可能性が生まれる。

・ 非浸潤がんは、手術で切除すれば完全に治することができるが、多くは、腫瘤を触知しないので、マンモグラフィの石灰化でしかわからない場合も少なくない。非浸潤がんは本当の意味での早期がんと言える。

・ 「浸潤がん」は進行するとリンパの流れや血流にのって、リンパ管、骨、肝臓、肺、脳に転移をきたすようになり、小さいものでも転移をきたすので、乳がんは怖い。

・乳がんの臨床病期は5段階に分類、数・アルファベットが進むにつれて病勢が進んでいると判断する。

・ では乳がんから身を守るためには その1 -マンモグラフィ検診ー 米国・英国では乳がん発症率が増加しているにもかかわらず、乳がん死亡率は減少し続けている。これは、マンモグラフィの受診率が60~90%に上り、より早期の発見が進んだため。対して我が国のマンモグラフィ検診は(2006年)23.8%と依然低い。2010年には30.6%にじょうしょうした。厚労省の目標は50%。

・ 平成21年度から一定の年齢に達した女性に乳がんの検診無料クーポン券が配布されるようになった。

・ マンモグラフィ検査について解説あり。(省略)

  解説で痛みについては、10秒程度で 教授自身男性だが体験してみたそうだ。

  マンモグラフィ検診制度管理中央委員会の認定を受けた医療機関、医師を目安に選ぶとよいそうだ

・ 触診について解説(省略)

・ 乳がん早期発見を目指して新たなマンモグラフィ撮影法の導入が進められている。

  -トモシンセシス・・・圧迫された乳房を短時間でスキャンし複数の角度で画像収集する3次元撮影技術。従来法に比較して格段に解析が進化。

 聴講者の質問から  男性も乳がんなるか? 教授曰く女性の100分の1ほどの確率で乳がんあり。

以上が第1回公開講座のメモだが、画像や表は書きにくいのであらかた省略。ために知識不足に加えて舌足らず誤解いていることも多くあると思うが、自分メモなので乞許。

15時40分終了。スクールバスが聴講者用に特別待機してくれたいたので、藤が丘まで楽に帰れた。

次回の講座も楽しみ。


肺がんと乳がん

2012-09-03 15:46:11 | 知識

9月1日ウオーキングの後、午後1時20分から愛知医科大学公開講座聴講に出かける。

講座は「ここまで進んだ医療と予防」を主題にしている。

聴講は事前に受講申し込みの結果当選。前後4回開催される。

毎回学内の二人の教授がそれぞれの専門分野の現状を解説してくださる予定。

地下鉄藤が丘駅前より、医大スクールバスが出ている。

このバスに乗れば、会場前に降ろしてもらえるので迷わずに済む。乗り場には長蛇の列。

結局席は満杯。約20分立ってゆくことに。たちばなホール前に到着。

会場は2回ホール。

  

講座開始1分前。

学長のごあいさつの後、公演開始。

第1部 「ここまで進んだ肺がんの診療~肺がんから身を守るために~」13時30分より14時30分まで。

呼吸器・アレルギー内科 教授 久保 昭仁氏。

テキスト27頁あり、これを1時間で話されるのだから教授も大変。

以下、教授の解説を要点だけ記す。

・ 主たる死因別死亡数の57%は生活習慣病で、全国民の約3分の1ががんで死亡する時代になった。

・ 部位別がん粗死亡率の推移は~2009年で悪性腫瘍死亡原因のうち男性の1位、女性の2位が肺がん。

・ 肺がん年齢階級別死亡数の推移では高齢者(70歳)以上の肺がんの増加が顕著。(男女とも)

・ 肺がんの予防=危険因子は本人喫煙、間接喫煙、職業暴露(アスベストなど)、大気汚染、室内ラドン、肺の基礎疾患(間質性肺炎、肺気腫など)。

・ がんは遺伝子の病気 ー肺がんの多段階発がん説ー 遺伝子異常の蓄積。

・ がんの成長速度はゆっくり進行しながら、みつかるときはある程度成長してからなので進行は早くなる。

・ 日本の喫煙人口2300万人。男性は緩やかに減少傾向(特に20代)、女性はほぼ不変。

・ 男性人口10万人に対する肺がん死亡率の日米比較でアメリカは減少、日本は未だ上昇中 。

・ 喫煙開始年齢が早いほど肺がん死亡リスクが高い。

・ 進学塾の河合塾の調査では禁煙すると合格率が上がるそうだ。???

・ 肺がんの早期発見(検診)は症状が出る前に、かつ小さいうちに。

・ 胃がん、大腸がん、肺がんは、毎年受診しないと早期がんで発見されるりつが低下する。=当然だね。

・ 子宮頸がんと乳がんは毎年受診しても、2年に1回に比べて効果は上がらずに、不利益(がんではないのに がんの疑いがかけられる)は増加する。

・ 肺がん検診を巡る世界の状況では、低線量CT検診が主流。日本は99市町。

・ 検診に対する批判。ーセルフセレクションバイアスー 長生きする人だけを検診している?のではないか。

・ CT検診で解明されたこと。1.レントゲンの検診より多数の肺がんが発見される。2.より微小な肺がんが発見される。3.生存率が改善される。4.小型肺がんの特性が検証された。米国では肺がんによる死亡率が20%改善された。

・ 肺がん治療の現状と目標

 ここは大変専門的で私では書ききれないので、私なりに要約すると、1~3A期の一部は早期外科手術で完全治癒、3A期~3B期の局所進行は完全治癒または放射線で長生き、4期進行は抗がん剤でがんに負けずに元気に長生き。(図式になっているので説明がしにくい)

・ 最新の動向は~個別化治療~薬剤の開発が進み分子標的薬でピンポイント攻撃する。

・ 分子標的薬は今後もまだまだ登場する。

きわめて大まかにまとめてみた。疲れた今日はここまで。

第2部 別の日に。

                                                             つづく  

 

 


出雲の神社巡りその6

2012-08-13 10:56:05 | 知識

いよいよ最終日。午後2時の特急八雲で帰るので、どうしても参拝しておきたい神社は二社と松江まで来て参観しないのも失礼なので松江城を見ることとする。

その前に、その5の最後にアップするつもりだった、前日の宍道湖の沈みゆく夕陽を見てください。

それでは、最初に神魂神社(かもす)へ。

なんでかもすと読むのか案内板見ても不明。検索もしてみたが、これといった確かな説はないようだ。

しかし、神社本殿は国宝。摂社にも重文建物がある。

こんもりとした森の中に、参道から荘厳さをもった神社。

 

祭神はい伊弉冉大神(いざなみのおおかみ)、伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)。(案内板のいざなみのなみとういう字はIMEパッドにないので普通いざなみと書くときに使われる漢字利用した。)

鳥居には、何か神祭りの儀式機関だったのか地の輪のような竹笹で作った大きなわが鳥居にくくられている。

たまたま地元の方が三人ほど参拝を済ませて降りてこられたので、鳥居のくぐり方を教えてもらう。

風習は輪越祭(わこしさい)というらしいが、まず輪をくぐり左の曲がって、輪と鳥居の間を通る。また正面から輪をくぐり今度は右の鳥居と輪の間をくぐる。もう一度正面から入って左に曲がりもう一度輪と鳥居の間を抜けて正式に正面から境内に入るそうだ。

地元の人たちのお祭りらしく、案内板にも書かれていない。

参道を進む。石段で森に囲まれて気持ちのいい空間。

右に曲がると、本殿へ通じる石段。まっすぐ行くと女坂で緩やかな坂になっている。

本殿は大社造りの立派な国宝建築。

 

ここの神紋は二重亀甲に有。これは字を分解すると十と月になる。出雲では十月は神在月なのでありを神紋にしたようだ。

その5までは分からなかったので、屋根の紋と書いてきたが、正式には神紋というようだ。ひとつ利口になった。

境内には、二重流造の摂社があり、貴布禰神社と稲荷神社が祀られ、社は重要文化財だそうだ。

境内には他に伊勢社などいくつかの祠が見られた。

また、氏子の人以外触るなと書いた札をつけた一角があり、囲われている。この囲いの左奥に洞窟が見えるが、関係は不明。

社務所によりご朱印を頼むと、朱印帳以外書かないとすげなくはねつけられる。愛想もなく、朱印帳も売っていない。なんだかなぁ。

さあ次に行こう。

出雲国一宮 熊野大社へ

ウワー大きな神社だ。出雲大社と並び大社を名乗る。出雲国風土記はじめ多くの文献に記載されているそうで、平安中期に出雲国で最も神格の高い一宮とされたとのこと。

  

祭神は 神祖熊野大神櫛気野命(かぶろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)この神名は、素盞鳴尊の御尊称、右手に御后神 奇稲田姫を祀りしている稲田神社、左手に御母神 伊弉冉尊をお祭りしている。

   

朱印も書いたものをいただくと袋に入れてくださるが、出雲大社と同じ 上 の字一字のみ。

まず、隋身(神)門を通って境内へ。先ず本殿に参拝。主祭神は素盞鳴尊。

左手の伊弉冉尊を祀る神社。神社名称は 伊邪那美神社(いざなみじんじゃ)となっている。

右手の神社奇稲田姫(くしいなだひめ)を祀る神社。神社名稲田神社(いなたじんじゃ)。相殿はあしなづち・てなづちで稲田姫の親神二神。合祀は少彦名命。

境内の左奥に茅葺の古い建屋がある。見ると何か曰くあり気。立ち寄る。

建屋の前に建屋の説明札がありこの屋を鑚火殿(さんかでん)としてある。説明札をそのまま書き写す。

「御祭神スサノオノ大神は檜の臼、卯木(うつぎ)の杵」で火を鑚(き)りだす法を教えられたので、日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも讃えます。出雲国造(いずもこくぞう=出雲大社宮司)は、古来しきたりにより、襲職(しゅうしょく=代を継ぐ)には必ず大神の霊幸[よめない]い給う神器の燧臼(ひきうす)・燧杵(ひきりぎね)を拝載し鑚火して「火継=霊継」の式を仕え、大神より霊慮を戴き神性国造となります。この鑚火殿はその古伝由緒を伝える建物であり、神器が奉安してあります。毎年10月15日の鑚火祭は出雲国造が出雲大社で用いられる神器を拝載するために参向し斎行されるまつりで、特殊な亀太夫神事として奉仕され、また神歌・琴板のもと神慮一体の祈念の百番の榊舞を納める。」

少々消化しにくいが、出雲国造とは出雲大社宮司の苗字で熊野大社の社務所にいた巫女さんに聞いたところ千家国造家という言い方だった。

この建屋の中のは白布で仕切られその奥には、火おこしの神器が置かれているそうだ。火は手で神器を使って起こす。

現在の国造家はしなかったが、それまでは襲職のとき先代の遺体の傍に一晩中付き添ってきたそうだ。

ここの神紋は一重亀甲の中に大の字1字。

神社巡りの纏めをするのが、こんなに大変とは思ってもみなかった。

祭神の名前一つとっても、神社ごとに表記が異なったり、祭神の名前に使われる漢字も簡単ではない。

できる限り正確に書くよう努めてみた。

神社の説明は、初めて参拝したところばかりだし、神社側もあまり説明できない場合があった。

しかし、初めてながら、出雲という土地の古代からのありようや、位置づけがおぼろげながら見えてきたような気がする。これは大きな収穫だ。

さあ最後の松江城へ。

驚いた。石垣は野面積みだ。

 

城の敷地内に入ると、説明人が所ところに拝されている。石積みについて聞くと、野面積みだが、あちこち手入れしてきている。色の違うところはほとんど修理痕とか。

城内には巨樹もある。

左:樹齢350年のクスノキ。木の直径160㎝。   右:バクチノキ。(なかなか見られない木)

       

もうひとつ、洋館あり。案内文では、明治天皇の行幸を仰ぐためにご座所を作ろうと建てたが、結局行幸成らずだったとある。

 

さてそろそろ天守閣へ。

天守閣内部はどこのお城でもそう突飛なつくりはない。

しかしこの城の天守閣は太い柱が間隔狭く、しっかりと囲んでいるので、耐震性もありそうな感じ。

天守閣から宍道湖方面をみる。宍道湖の向こうにある白い平たい屋根が美術館。

これで全部終了。あとは、昼食と土産物を買って、午後2時の八雲に乗るだけ。

城のそばの観光会館で済ませることにして、ゆっくり休む。

午後1時30分松江駅に到着。

駅前はバスターミナルになっているが、一番暑い時間帯のためか、人はまばら。駅構内に売店あるが休憩所で休んでいる人ばかり。

駅前には商店らしきもの見られず。

時間になり、改札に入り松江とお別れ。

今回の旅行で、多くの神社参拝をしてきたが、いざ写真の整理をすると200枚以上で整理に時間がかかった。また神様の名前が同じでも神社により漢字が異なったり、改めて調べないとわからない年代とかまとめるのに、大変四苦八苦。

結局6回に分けてブログアップしてが、8月に入って得た話がまとめられずになっている。

一段落したので、たまった分をなるべく早くブログに書き込むつもり。