彼女は、子供(次男)が小学校の養護学級に通っていたころのお母さん、彼女の子供さんは
筋ジストロフィーで、お母さんが毎日車いすを押して登校、学校で付き添い
帰りはまた車いすを押して下校、毎日のことで大変だったと思う、それから中学校、
高校から岸和田に転居され、京都の大学を両親の送迎を受け卒業、夏期講習の時など
京都の宿に親子で泊まり込みで授業を受けていた、
そんな子供さんを、30歳を超えた頃亡くされ、それから夫婦二人で頑張ってこられたが、
3年前頃からご主人が病気がちになり、認知機能も衰え入院生活に・・・・
週2回彼女が病院に通い、会って話をしたり病院の喫茶でお茶を飲んだりしていたが、
このコロナ禍でそれがかなわなくなり、病院に行っても会えなくて・・・・
「この前行った時、遠くにいる主人をスマホでちょっと見ただけ、瘦せて元気がなくなっていたわ」
と電話をもらったことがあった、
病状が悪化して転院したが、このコロナ禍、そこでも会えず逝ってしまわれた、
「主人がコロナに感染していたら、会えなくてもしょうがないが、コロナでもないのに
最後まで会えないなんて・・・生きているうちに会いたかったわ」と電話で涙声だった、
それが5月20日にことだった、
彼女も、兄弟もほとんだ亡くなり、愛知県にいる姉が一人、姉が葬式に行くと言ってきたが、
もう80歳半ばを超えていて、足も弱くなっている、こんな時期だから来なくていいと断ったとか、
同じ岸和田にいる、甥っこさんが、力になってくれたようだ、
「もう、心にぽっかり穴が開いたようで、何も考えられなかったが、二週間たって、
ちょっと気分が落ち着いてきたので、あなたに電話しようと思って・・・」
もう、私も友達も皆80歳前後、誰がどうなっても、おかしくない年齢である、
「ちょっとコロナが落ち着いたら、あなたのおうちに行って、仏さんにおまいりさせてもらうわ」
悲しい、寂しい話ばかりで、楽しい話はあまりないが、でも、これからもがんばらなくっちゃね~