ここ最近、参加人数が増えたり減ったりしながら、ある程度の人数で安定しつつある久里浜一般部です。
過去には、大会などで活躍が出来る有力な選手も何名か生まれてきていますが、最近は日々の稽古をひたむきに頑張る高校生や大学生、一般稽古生やシニア世代の稽古生が頑張っています。
ある程度人数が安定してきていることで、お互いの仲が良くなり、組手の中でも自分の基準を作る事ができるようになるというのが良いことです。
この自分の動きの中での一つの「基準を見つける」というのが大切で、ある限定された人と組手を繰り返していると自分の出す技や動きが決まってきて、一つの癖が見えるようになってくるという事です。
多くの人数でいつも違う人と組手をしていると、自分の癖を感じたり、良いところや悪いところを認識するのに時間がかかります。
同じ相手と組手を繰り返す中で、自分の形(かたち)が見えてきたら、そこから新たな工夫を凝らすことで、新しい稽古が始まります。
自分が良く受ける技や、相手に良く入る自分の技、攻められるパターンと攻めるパターン、ある技に対する反応の仕方や反撃の仕方が限定されてくると、自分にも相手にも、そして指導者にもそうした癖が見えてきて、そこから幅を広げるアプローチに繋がっていきます。
ただし、自分の戦いの形が見えてきても、こうした次のアプローチがなければ、技術の幅は広がっては行きません。
そもそも、戦いの中において、固定化されたパターンが自分でわからなければ、また指導者がそうした固定化されたパターンに変化をもたらす、新しいアプローチの仕方を知らなければ、技術の向上にはつながりません。
そのためには、見る力と感じる力、新しい体の使い方や、その動きを身に付けるための、練習の仕方を知らなければ、いったいどこから手を付けていいものやら理解ができず、ただひたすらに自由攻防の組手をこなし、ミット打ちをこなすだけで、パターン化された動きを強固にするばかりで、技量の向上にはつながらないものです。
指導者の役割は、そうした気づきを提供することであり、またその方法を提供することであり、その時々で動きの良し悪しを評価し、きめ細かく軌道修正をしながら、その人の持てる能力や特質、性格や希望に応じて技量を向上させていくことです。
分からないことは何での指導者に聞いてください。
自分の望まない内容であれば、最初から撥ねつけずに、一旦聞いて咀嚼したうえで、その課題に取り組むかどうか自分で判断して取捨選択してください。
自分でやりたいこと、自分が身に着けたい戦い方や、強くなるために注げる時間やエネルギーは自分でなければわからないもので、指導者が望むものとは異なるのは当たり前。
指導者はそうした学ぶ者との違いを感じつつ、学ぶ者の気持ちを尊重して、必要なだけの指導を提供するものであり、そうしたお互いの尊重の姿勢が、互いの信頼関係に繋がり、敷いてはその信頼関係の上に築かれた稽古が、技量の向上につながるものだと考えます。
またまた話が固くなりましたが・・・
要は参加人数は多くても少なくても、それぞれに良いところがあり、十分に稽古になるものであるという事。
稽古の中では、稽古の積み重ねの中で一つの形(かたち)が作られ、その中での気付きと、技量向上のためのアプローチが大切だという事。
指導者と稽古生の信頼関係が何よりも大切だという事。
などなど。
皆さま、今日も頑張っていきましょう。
過去には、大会などで活躍が出来る有力な選手も何名か生まれてきていますが、最近は日々の稽古をひたむきに頑張る高校生や大学生、一般稽古生やシニア世代の稽古生が頑張っています。
ある程度人数が安定してきていることで、お互いの仲が良くなり、組手の中でも自分の基準を作る事ができるようになるというのが良いことです。
この自分の動きの中での一つの「基準を見つける」というのが大切で、ある限定された人と組手を繰り返していると自分の出す技や動きが決まってきて、一つの癖が見えるようになってくるという事です。
多くの人数でいつも違う人と組手をしていると、自分の癖を感じたり、良いところや悪いところを認識するのに時間がかかります。
同じ相手と組手を繰り返す中で、自分の形(かたち)が見えてきたら、そこから新たな工夫を凝らすことで、新しい稽古が始まります。
自分が良く受ける技や、相手に良く入る自分の技、攻められるパターンと攻めるパターン、ある技に対する反応の仕方や反撃の仕方が限定されてくると、自分にも相手にも、そして指導者にもそうした癖が見えてきて、そこから幅を広げるアプローチに繋がっていきます。
ただし、自分の戦いの形が見えてきても、こうした次のアプローチがなければ、技術の幅は広がっては行きません。
そもそも、戦いの中において、固定化されたパターンが自分でわからなければ、また指導者がそうした固定化されたパターンに変化をもたらす、新しいアプローチの仕方を知らなければ、技術の向上にはつながりません。
そのためには、見る力と感じる力、新しい体の使い方や、その動きを身に付けるための、練習の仕方を知らなければ、いったいどこから手を付けていいものやら理解ができず、ただひたすらに自由攻防の組手をこなし、ミット打ちをこなすだけで、パターン化された動きを強固にするばかりで、技量の向上にはつながらないものです。
指導者の役割は、そうした気づきを提供することであり、またその方法を提供することであり、その時々で動きの良し悪しを評価し、きめ細かく軌道修正をしながら、その人の持てる能力や特質、性格や希望に応じて技量を向上させていくことです。
分からないことは何での指導者に聞いてください。
自分の望まない内容であれば、最初から撥ねつけずに、一旦聞いて咀嚼したうえで、その課題に取り組むかどうか自分で判断して取捨選択してください。
自分でやりたいこと、自分が身に着けたい戦い方や、強くなるために注げる時間やエネルギーは自分でなければわからないもので、指導者が望むものとは異なるのは当たり前。
指導者はそうした学ぶ者との違いを感じつつ、学ぶ者の気持ちを尊重して、必要なだけの指導を提供するものであり、そうしたお互いの尊重の姿勢が、互いの信頼関係に繋がり、敷いてはその信頼関係の上に築かれた稽古が、技量の向上につながるものだと考えます。
またまた話が固くなりましたが・・・
要は参加人数は多くても少なくても、それぞれに良いところがあり、十分に稽古になるものであるという事。
稽古の中では、稽古の積み重ねの中で一つの形(かたち)が作られ、その中での気付きと、技量向上のためのアプローチが大切だという事。
指導者と稽古生の信頼関係が何よりも大切だという事。
などなど。
皆さま、今日も頑張っていきましょう。
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