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心の波をどんぶらこ!双極さんの垂れ流しブログ

双極性障害を患う真面目で異常な私、双極さんの誰にも気を遣わないブログ

寝てばかり

2015-11-05 01:22:40 | 双極性障害
最近は毎日12時間は寝ている。
何だかとても眠い。

やらなきゃいけない事も出来ていない。

やらなきゃ、とは思うのに、

→あと一時間身体を休めてからにしよう…
 →眠い。少し寝てから確認しよう…
  →さて、やるか、あ、郵便局もう閉まってるわ…
   →期日はまだ間に合うから明日やればいいか

となる。

一昨日から同じ人から毎日電話があって
留守電まで残してあるのにまだ聞いてない。

メールの返事も返してない。

ラインも返事返さなきゃいけないのが2つあるけど
返さなきゃな、と思っているのに忘れるんだか何だかで
先延ばししてしまう。



どうして、こうなるんだろう。



ずっと寝ていたい。

診断前後の行動、異常、未遂

2015-10-27 23:33:49 | 双極性障害
身体が熱くて眠れない。
ので何となくツラツラ思い出してみる。

双極性障害だと言われる前、診断後の出来事。



発症は仕事のストレスが原因だとブロクの最初に書いた。

どんな症状が出ていたか。
どうして病院に行こうと思ったか。

正直、記憶が曖昧な部分がある。
もしかしたら、
過去に書いた事と違うことがあるかもしれない。
脳内で都合良く補正している可能性もある。

書いてみる。



当時仲が良かった人への異常な苛立ち。
それに伴う酷い発言と行動。
それが日々増大していく。

今までの私だったらしない事、言い方、テンション。

異常な私の態度に相手がおかしいと気付いたようで、
病院に行けと言われた。

私は、そんな風に言われるのは心外だったが、
病院に行けばこれからも友人関係を続けてやると言われ、
あー?!そんなに言うんだったら病院行ってやらぁ、と
よく分からない勢いで病院にかかった。

自分でも自分の行動がおかしい気がしていたので。

初診で双極性障害と言われた。

後でネットで色々調べてみたら、
初診で双極性障害だと診断する医師はあまりいない
ようだったので、
医師に対して不信感を覚えた記憶がある。

躁を抑える薬を飲み続けた。

友人は少し遠い位置から私を見ているようだった。

激しい感情は落ち着き始めたが、
今度は動けないほどの鬱状態へと移行した。
何もする気になれない。
その状態がしばらく続き、処方がかわった。

上げる薬に変更された。

友人は私と距離を置いているようだ。

その薬を飲んで一週間たち、
友人に対して憎しみを抱くようになった。

追記(2015.10.28)
 そもそもな、
 病院に行きゃ友人関係を続けてやるって
 お前言ってたけど
 何でお前上から目線なんだよ!
 考えれば考えるほどイライラする。
追記終わり。

てかコイツがいなければ薬飲むこともなかった。
薬飲まなければこんな鬱状態にならずにいられた。
普通でいられたのに。

コイツのせいで。
許せない。
死ねよ、マジで。死ね。

私は殺そうと思い立った。
家から包丁を持ち出した。

追記(2015.10.28)
 友人を汚くキツい口調で呼び出した。
 家を出る前、家中を見て回った。
 自分が住んでいた所を目に焼き付けた。
 幼い頃の写真も見た。
 もう二度と見ることは無い。
 胸が締め付けられた。
 目の奥が痛い。
 もう帰ってこない。
 …さよなら。
追記終わり。

途中、スーパーで果物ナイフも買った。

追記(2015.10.28)
 友人との待ち合わせ場所へ向かった。
 待ち合わせ場所が見えて自分の身も隠せる場所で
 待った。
 (私は何をしているのだろう)
 心臓が狂うように鳴っている。
 友人が来た。
 (コイツを殺して、自分も死ねばいい)
 頭がガンガンする。
 目の前が白く、黒く、チカチカする。
 (人を殺める、本当に?)
 バッグに入れた包丁。
 胸ポケに入れた果物ナイフ。
 手が、震える。
 (私はおかしい)
 頭の中が熱く冷たく。
 身体が固まっている。
 (ころす?コイツを?私が?)
 (イライラする)
 (お前さえいなければ)
 友人に前に姿を現す。
 友人は私の異常な様子に気づいている。
 こんな対面したくなかったよ、
 と友人は薄く笑った。
 
 私は、何も出来なかった。
追記終わり。

友人は帰っていった。

私は一人で死のうと思った。

生きていけない、と思った。

心のどこかで、
人を殺そうとしている自分への恐怖心があった。

絶望。

もう家には帰れない。
遠くまで車で移動し知らない山に入った。
薬はない。いらない。

レンタカーを一週間借りていたので、
よく知らない山の中の舗装されていない道を
進めるだけ進んで、適度な所に停めた。

包丁で自分の喉を突く勇気はなかった。
車を汚すことにも罪悪感があった。

死ぬ前に、誰かと話したくなった。

携帯で命の電話を調べて、電話した。
繋がらない。
他県の番号にもかけた。
根気よくかけ続けて繋がった。

一時間ほど、私の今までの人生を聞いてもらった。
慰められた。
これが人と話す最後の会話になるのか。

それから
何も食べずに3日間、車の中で小さくなっていた。
息を潜め、ただじっとしていた。

追記(2015.10.28)
 メールがたまに入ってくる。
 家族から、いつ帰ってくるの?
 兄から、大丈夫か?
 ただ、見ていた。
 何も考えず、じっとしていた。
追記終わり。

日が昇り、沈む。
そしてまた日が昇り沈む。
ああ、そうか。
私はここで死ぬ為に今まで生きてきたのだ。

そう思うと自然と涙が流れた。

母、父、兄、妹。
家族が泣いている光景が急に浮かんだ。

帰らなければ。

でも、人を殺そうと思った私が
生きていていいのだろうか。
分からなかった。
そう考え更に1日。

ここがどん底だ、と思った。

家に帰りたい。
怖い。
辛い。
悲しい。
会いたい。

寂しい。

たくさんの感情。
家族の顔。

私はふらつく頭と身体で、ハンドルを握り
少しずつ山を降りた。

途中自販機でジュースを飲んだ。
味が濃くてキツい。
現実に戻ったと思った。

レンタカーを返し、電車で帰る。

人々の日常に混じった。
学生が音楽聞きながらドアにもたれかかってる。
サラリーマンがだるそうに椅子に座ってる。
駅の構内も、電車の中も、何もかも何も変わらず
日常は続いていた。

家に帰っても家族からは何も言われたかった。
恐らく連絡が来ているはずだが。

病院へ行った。

医師は知っていた。
殺そうとした友人が連絡していたらしい。

医師から謝られた。
上げる薬が原因だ、と。
その薬の効果で、あなたはそういう行動をしたんだと。

今思うと、私の心を守る為に
薬のせいだと言ってくれた気がする。

抑える薬に変更された。



あれから2年以上たった。

友人とは一回だけ偶然会った。
元気そうだった。



私はあの時死なずに帰ってきてしまった。

もしかしたら、また、本当に死のうと思って、
どこかに行くかもしれない。
分からない。

今は、家族を悲しませたくないから
自分から死を選ぶことは出来ないけれど。



私の躁は怖い。
上げる薬が怖い。
双極性障害の何型かは知らされていないが、
次おかしくなったら間違い無く入院したい。

人に迷惑をかけないうちに保護されたい。



私は、こんな人間です。

通院~次回、知能検査

2015-10-22 00:23:10 | 双極性障害
今日は通院日。

いつも通り時間ギリギリに着き、待合室で待つ。
相変わらず待合室は混んでいて
隣の人と肩が触れ合いそうで嫌な気持ちになる。

密室で人との距離が近いと、
人の吐いた息が混ざっていることを意識してしまい
その空気を吸うのが気持ち悪く感じてしまう。

まあ、意識しなければ良い話なのだけれど。

今回は、前に日記に書いた通り
医師に知能検査をしてみたいとリクエストした。

結構アッサリとOKでた。

通院し始めた頃にこの医師に話した、
幼少期の知能検査数値が低かった記憶や
発達疑いエピソードを覚えていたらしく、
確認してみましょう、とのこと。

ただ、幼少期に受けた知能検査と、大人がやる
知能検査は違う内容ですよ、とは言われた。

それと、
性格診断テストと心理テストもやりましょうか?
と言われた。

ぜひ、と回答。

これらの結果で性格や傾向の凸凹が判断出来るかもね、
と言われた。

医師ははっきりと言わないが、つまり
発達障害かどうか診断出来る一つになるだろう、
ということだと思った。

あと、これは私の推測なのだが、
今回テストを受けることになったのは
去年まではこの病院にいなかった臨床心理士?が
今この病院のスタッフとしているからかもしれない。

そのスタッフの実績作りの為でもある気がする。

が、受けれるだけありがたいので気にしないことにする。

今日医師と話したのはその検査についてと
今私が色々行動し始めていることが躁の始まりではないか
私自身恐れている、という事について。

今週末はある講義を受けることになり遠征するのだが、
それをしようと思ったこと自体が良い事なのか分からず、
実は躁転しているだけなのでは、と思ったのだ。

今現実として、前よりやる気は少し出てきているし
チャレンジしたいという気持ちがあって講義に行くことに
したのだが、
それが躁のエネルギーなのが、
自分が本来持っている通常のエネルギーなのかが
自分では判断が出来ない。

これぐらいの事は普通の事だとも思ったりするし、
でも自分が躁である可能性も消せない気がした。

医師に話したところ、
自分で自分の状態に疑問を持ちながら
自分の状態を考える事が出来ているようなので
これは躁と決めるには早いと思う、
通常の範囲内の行動なのでは?とのこと。

これぐらいは普通の人でもそのように行動するだろう、
と言われ、少しだけ安心した。

が、怪しさはあるので
自分に対して注意深くありたいと思う。

次回、通院は1ヶ月後。

楽しみだ。

どんな結果が出ても、受け入れる。

知能は低い気がしている。
発達かもしれないと思っているので、もしそうでは
なかったら、逆にラッキーだとも思える。

結果を知ることで、
自分で自分の事をより把握出来ることがありがたい。


また報告する。

死なない理由

2015-10-10 23:16:55 | 双極性障害
本気で死のうと思えば、実行に移せる
と思っていた。

いつでも自分の好きな時に
自分の人生を終わらせていい、
そう思っていた。

いざとなったら、死のうと。



そう思っていたのだけれど。



私は私の考えが間違っていた事に気付いた。

自ら死を選ぶ事は出来ない。



私が死ぬと
本当に心から心を痛める人がいるのだと、
理解したから。

私が死んだ後もその人は
私のいない世界で生き続けなければならない。

もう二度と私に会えない。



そんな思いをさせるなんて、私には出来ない。



それだけではなく、
私が幸せに生きていることが
その人の望み。

その人は言った。

私が辛い思いも苦しい思いもせずに
毎日自分なりの幸せを感じながら
生きてほしい、と。

そしていつか遠い遠い未来、
お互い独りきりになったら一緒に暮らそう、と。

昔のように、
一緒に寝て、起きて、
一緒に朝ご飯を食べて、
朝の気持ちの良い時間に近所を一緒に散歩して、
近くのスーパーや一緒に買い物に行き、
一緒に昼ご飯を食べて、
一緒に昼寝して、
一緒にテレビ見て、
夕方涼しいころにまた一緒に散歩して、
一緒に夜ご飯を食べて、
一緒にお風呂入って、
くだらない話してお腹が痛くなるぐらい笑って、
一緒に寝よう。

毎日一緒だ。

子供のころに帰ろう。

だから、お前それを楽しみに生きてくれないか?



その人はそう言った。



私は考えたこともなかった。

未来には私はいない気がしていたし、
私が皺だらけになって生きていたとして
どうしているかなんて思ったことすら
なかった。



子供のころの幸せな記憶だけの世界を
未来につくること。

それを目標に、生きていくこと。
出来る限り幸せに。



そんな事をいってくれる人に
私を殺してその人をグチャグチャにすることなんか
出来ない。

もし逆の立場だったら、
その人が自らを殺したら、私は狂うだろう。

それが、本当に、分かった。

その人が、本当に、そう思っていることも。



最愛の者、兄よ。

どうしてこんなにも結びつきが強いのだろうね。

性対象じゃないけれど、異常なまでの愛を感じる。

お互いに。



でもあなたのおかげで、私は生きていける。

あなたの心を壊したくないから。

私の幸せが、あなたの幸せだと気付いてしまったから。



いつか遠い遠い未来で、あなたと子供のころに還りたい。



私を本当に愛してくれて、ありがとう。

通院日~医師は忙しいようだ

2015-09-26 00:31:06 | 双極性障害
眠れていないこと、

昼夜逆転しそうなこと、

外に出掛けるようにしていること、

今後のこと、仕事に復職するか転職するか。



先生は薬を減らしたいらしい。

が今回も薬はそのまま続行された。



先生は最近新患を受け入れるようにしており、

患者を増やしている。

分院を作りたいらしいので、稼いでいるのだろう。



そのせいで、今までよりも1人の診療時間は減った。



話も前より聞いてくれなくなった。



先生の顔は疲れきっていて、

患者から心配されているらしい。



患者から心配される程、疲れた顔で

診察しないでほしい。



分院を増やしたいのは分かるが、

そのせいで、診察時間は短く、

話が出来ない。。。




結局今日も、したい話なんて

ほとんど出来なかった。




実は、睡眠薬以外飲んでない、と

いつか打ち明けられるだろうか。




先生