心の波をどんぶらこ!双極さんの垂れ流しブログ

双極性障害を患う真面目で異常な私、双極さんの誰にも気を遣わないブログ

あの頃の僕らは

2015-10-15 00:19:48 | 過去
誰も助けてくれなかった。


先生からも意地悪されたし、
正しく見てくれなかった。


母さんも、僕らをひとりの人間として
見ていなかった。


父は酒飲んで力で支配する。


僕らは僕らだけの世界で
キラキラしたモノを追いかけた。


知能検査の結果を見てガッカリされた。


もう、昔の話。


なのに、今も胸の中で切なく痛む。




今度の通院では、知能検査を申し込もうと思う。





正直、子供の頃の奇行も重ね合わせると
私も兄も発達疑いあり。



私は、私なのに、私ではダメだと言われ続けて
私は、今はどんな私なんだろう。

子供のころ、記憶、兄と

2015-10-11 00:09:56 | 過去
小学生、習字を習っていた。

家から歩いて15分かかる教室。
夜、街灯の無く狭い道路を
兄と二人で歩く。
暗くて怖くて、手をつなぎながら。

習字教室はそれなりにやった。

帰り道、おなかが空く。
給食以来食べてないから
お腹がなる程、ペコペコで。

久しぶりにアレ食べちゃおうか、と
二人で決める。
嬉しそうな顔の私たち。

当時のお小遣いは月300円。

そのお小遣いの中から、それぞれ50円ずつ出す。
チョコクランキーを買う。

これが美味しくて大好きで、
でもたまにしか買えなくて、
だからこそ余計大切に大切に食べた。

次のあの看板までにこのひとかけらだけ食べる。

次の曲がり角まで行ったら、次のひとかけらを。

そうして、ひとかけらずつ、大切に
大切に食べた。

買ったことがお母さんにバレないように、
家につくまでに食べきるようにして。

贅沢なことをしている後ろめたさもあった。

暗い帰り道、二人で分け合ったクランキー。



本当に、本当に美味しかった。



幸せだった。

いたずら

2015-09-27 00:35:16 | 過去
悪い意味でのありがちな話。



私は小学校低学年の頃だったと思う。



学校から帰ってきて家の外で1人遊んでいた。



家の裏は茶畑で、季節になると良い香りがしていた。



知らない人がいた。



太っていて眼鏡をかけていて肌も汚い。



年は20代に見えた。



『お菓子をあげるから一緒に遊ぼう』



と声をかけられた。



私は本当に素直だったので、その人に近づいた。



手を引かれ、茶畑の中に入る。



まだ青々と茂る、お茶の葉。



座らされ、身体を触られた。



服を脱がされる。



外で脱いだ事がなかったので、急に心細くなった。



おかしい気がしていた。



手に握らされる。



握り方を説明してくる。



怖い。



変なところを触ってきた。



そこはうんちが出るところだし止めて



と言う。



怖い。



おかしい。



それでも触られる。



この上に座って、と言われる。



無理やり肩を掴まれ、肩を押され、



座らせようとする。



痛い。



こんな上に座れる訳がない。



怖い。怖い。怖い。



逃げなきゃ。



入らないことに業を煮やし、力が緩んだ瞬間、



全速力で逃げ出した。



怖い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。



その人は追ってきた。



追い付かれて、渡された。



ありがとう、という言葉と僅かな小銭。



そして急いで去っていった。



何が起きたんだろう。



何があったんだろう。



何をされたんだろう。



服が臭い。


手が臭い。


気持ち悪い。



…怖かった。



このまま帰ったらいけない気がした。



母さんを悲しませる気がした。



学校裏側の掃除用の手洗い台で、



服と手を洗った。



乾くまで校庭の隅でボーッとしていた。



そして何食わぬ顔で、家に帰った。








大人になった今は、何が起きていたか分かる。



あの時の自分を、守ってあげたかった。

この病気になる何年か前、鬱病と診断されたこと

2015-09-25 05:56:18 | 過去
このブログの最初に、
仕事のストレスで双極性障害になったと思われる、
と書いた。

実際、今回休職に入る程、
激しく症状が出たキッカケは仕事のストレス
しか考えられない。

その激しい症状とは、躁状態であった。

自分で自分の変調に気付き、病院へ行った所
その最初の診察で双極性障害と言われた。



それより6年前、
私は鬱病だと診断された事があった。

その時の話。



当時、仕事が忙しく、上司との折り合いも悪く
ストレスがたまっていたと思う。
朝、手ぐしで髪を整えていると、
指に髪の感触が無い部分がある気がした。
慌てて頭髪全てを確認する。
こめかみの上と後頭部にハゲがあった。

円形脱毛症になったのだ。

元々髪型に無頓着で髪をいじらず
比較的髪の毛が多い為、気付かなかった。

皮膚科に行くと漢方薬が出た。
飲む。
治らない。
むしろハゲは広がっていく。

こめかみの上のハゲは拳大の大きさになった。
さらに別の箇所にもハゲが出来た。

さすがにこの頃になると、
ハゲを隠すように髪をセットしないと
見えてしまうようになった。
周りから気付かれないように、
帽子を被ったり、髪で隠したり。

そうする内に、人から少しでも見られると
異常に不安になりドキドキするようになった。

もしかしてばれているのでは、
笑われているのでは、と思ってしまい、
人の視線を感じると体が強張るようになった。

通勤時、周りに人がいるだけで緊張して
足が震え、うまく歩けなくなった。
(遅刻ギリギリの時間は人がいないので
そういう人がいない時間に通勤するようになった)

社内集会で大勢の人が集まる時、
足が震えて真っ直ぐ立つのが難しかった。
(だから、社内集会がある日は休んだ)

一つのテーブルを囲み座っての朝礼で
人との距離が近いため緊張して首が震えた。
(だから一番端の席に座り、
出来るだけ目立たないように俯いていた)

社内食堂でお盆を持つ手が震える。
食堂内を歩くと足が震える。
箸を持つ手が震える。
湯飲みが震えて持てない。
(だから、お昼は更衣室の隅で
オニギリを食べた)

そんな日々を繰り返していたら
気が付いた時には眠れなくなっていた。
(もし夜中に寝て朝寝坊したらいけないので
車で会社の駐車場に行き、
朝まで待機するようになった)

何をしても気分は重く、悲しく、
苦しかった。
それが随分続いた。

精神科に行ったきっかけはもう覚えていない。
上記症状を話したら鬱病と言われ、
鬱病の薬と睡眠薬と安定剤をもらった。

飲んでもすぐには治らず、
初めて休職をすることになった。
その時は半年休職し、薬を飲まなくなるまで
二年かかった。
(休職中に婚約者から振られ、鬱が悪化)



こういう経緯が私にはあった。



ちなみに今でも強いストレスを受けると
小さいハゲが出来たりする。
今ではもう気にならなくなった。
多分、免疫系の何かが元々おかしいんだろう。

人前に出るのは未だに苦手だが
当時の極度の緊張よりはマシになっている。



私のその当時の症状は
ただの鬱病だったのだろうか。

双極性障害の鬱症状が出ていた可能性は
ないのだろうか。


今となっては、もう誰にも、分からない。

思い出すと辛い、人生の中で

2015-09-21 03:38:48 | 過去
辛い事がたくさんあった。
ふと頭の中に、急に蘇ってくる。

唐突に思い出しては、当時の気持ちを思い出し、
また嫌な気持ちになっている。



小学校の時



授業に必要なものを忘れた。
授業中、先生に報告した。
先生はいきなり、家に取りに帰れと言った。
今まで他の生徒にはこんなこと言っていないのに。
本当に今から家に行けばいいですか?
と聞くと、
取りに行け、という。
教室内は冷ややかな雰囲気。
この日は雨だった。
泣きながら家に帰った。
荷物を取って教室に戻った。
先生は何も言わなかった。
授業はもう終わるところだった。


食あたりで授業中に吐いてしまった。
その後、クラスメイトがその吐いた場所を
わざとらしくジャンプして避けるように
なった。
避けきれない時は、うわっきったねーと
笑いながら侮蔑の表情を見せた。
それから卒業まで続いた。


卒業式の後、
担任は母に、
ちゃんとした子にしてあげれなくてすみませんでした
と言ったらしい。
帰り道で母は、
そう言われて恥ずかしかったと怒った。
私は出来の悪い恥ずかしい存在なのだと思った。


クラブ活動で、
普段はクラブ員ではない人が参加しても
顧問は何も言わないのに、
私が部屋にいると
クラブ員じゃない人は出て行きなさいと
追い返される。
私は嫌われていたのだと思う。



中学校の時



クラスの全員で集合写真を撮った。
担任がシャッターをきった。
私は一番端に並んでいた。
私だけ顔も身体も半分切れていた。
もしかしたら担任の腕が悪く、
たまたまそうなってしまったのかもしれない。
でも、その写真は普通に展示されていた。
私に何の言葉もないまま。


授業中腹が減るので朝飯をたくさん食べて対処。
でも腹は鳴る。
もっと食べないと、と思って食べる。
相当太る。
母は食事のコントロールをしてくれなかった。
母は幼い頃、満足に食事が与えられていなかったので、
私たち子供にはとにかく腹を膨らますように
育てられた。
ひもじい思いをしなくていいように。
母は自分のエゴを満たす為に子供に食事を与えていた。
本当の意味で子供の健康や社会的な立ち位置、
それに伴う影響など考えてもくれなかった。
だから、子供がデブになろうとも、
母は何もしなかった。
健康管理をしてくれなかった。


授業中、腹が鳴りまくった。
過呼吸にもなった。
息が苦しかった。
過敏ガス型らしく屁もやたら出る
汚い人間だった。
後ろの席の奴は、
私の席からできる限り離していた。


給食の焼きそばが大好きだったので
その献立の時に、思い切って
少し多めによそって下さい、と配膳係に伝えた。
無視され、よそわれた量は半分だった。
私は嫌われていたのだと思う。


体育の時、ドッジボールをした。
デブの割に反射神経は良かったらしく、
このままでは最後まで生き残ってしまう。
相手の内の1人に、
もう外に出たいから軽く当ててくれ、と
お願いしてみた。
思いっきり力一杯ボールを投げつけられた。
怖かった。ショックだった。痛かった。


文化祭のクラス演劇で、
主役たちを大きなウチワで扇ぐという脇役
をした。
本番直前、ウチワが折れた。
先生に言っても皆忙しく、誰も聞いてくれない。
どうしたらいいか分からず、
そのまま舞台へ出た。
折れた部分を片手で抑えた。


合唱コンクールの時、
緊張のあまり足が震えた。
まっすぐ立っていられない程、ガクガク震えた。
辛かった。恥ずかしかった。
みっともなかった。恥ずかしかった。みじめ。


クラス替え、新しい教室に足を踏み入れた瞬間、
うわっあいつと同じクラスかよ!と言われ
教室内がざわついた。
恥ずかしい。惨め。
その場にいられなかった。
カバンを置いて、すぐ教室を出た。
トイレで泣いた。


修学旅行、班に入れてもらった。
ホテルの部屋に着き、荷物を整理していたら
同室の同じ班のメンバーが
皆部屋から出ていった。
私はいない方がいいみたいだ。
その後、旅行中はただ後を付いていっただけ。
行く場所は、私を除くメンバーで
決められていたから。


卒業式の練習、
名前を呼ばれたらはいと返事をして壇上にあがる。
呼ばれた。
返事をする。
壇上にあがる。
校長役の教師は、私に仮の卒業証書を渡すはずだが
何故か渡してこない。
壇上でうろたえる私。
校長役の教師は、いきなり言った。
声が小さい!やり直せ!と。
涙目になる私。
大きな声で返事出来るように
体育館から出て廊下で練習してこい、と言われた。
私だけ。
声が小さいのは私だけではなかったと思う。
でも私がやり玉にあげられた。
本当に一人で、誰もいない廊下で
はい!はい!と何回も叫び続けた。
体育館の中からは、予行練習が進んでいるのが
何となく聞こえてくる。誰も私を見にこない。
迎えにもこない。


家では
父の機嫌が悪い時、暴力的な行為に怯えていた。
母は何も言わなかったし、
それから助けようともしなかった。



高校



友達が出来た。
しばらくたって、その友達とクラスメイト全員に
無視されるようになった。
クラスメイトが使ってるネットの掲示板にも
たくさん悪口かかれた。
見に覚えのないことばかり。

卒業式が終わり、その元友達から謝られた。
私が主導していた、と。
ねたましかった、と。
今更謝られても、私の高校生活はもうおわってしまった。
その謝罪は、ただの自己満足だと思った。



社会人になり。



同僚と恋におち、結婚の約束をした。
付き合って三年目、仕事のストレスから
円形脱毛症になり、
人の目を気にするようになり
対人恐怖症になり、
その後鬱になってしまう。
それを見て、婚約者はこう言った。
自分で抜いているのではないか、と。
そんな風に思われていたなんて。
傷付いた。
結局、私と付き合っている意味がわからなくなったと
振られた。

その恋人は一年後に結婚していた。

私以外の職場の人間をほぼすべて招待する
大規模な結婚式を挙げたと、後から噂で聞いた。
職場の人は皆私には黙っていたようだ。


気がおかしくなっていたと思う。


腕を切ること、
もっと深く、もっと強く切ること。
どこまで切れるのか自分を試していた。

腕は肩から手首までたくさん線が入っている。

切ると、
切った達成感があった。

薬をたくさん飲んだ。
安定剤を貯めて、一度にたくさん飲む。
どれくらいで死ぬかなと思っていた。
死なない程度のチキンレース。
丸二日寝ていたり、起きても真っ直ぐ立てない。
言ってる事も支離滅裂だったらしい。
記憶も飛ぶ。
いろんな嫌な事も忘れる事が出来た。
頭が重くふわふわしている。
視界がヨレている。

この時のオーバードゥズのせいで
記憶力が明らかに落ちるという後遺症を得る。


その後、また恋人が出来た。

恋人は金がなかったので、
一緒にくらすと金銭面で助かるとのこと、
一緒にいたかったし、okした。

恋人と付き合ううちに、恋人の身の上を知る。

大家族で父はおらず、母は遊び歩いて家に帰らない。
家には幼稚園~19までの子供たち8人いる。
大きい子供が小さい子の世話をする生活。

恋人の実家に行った。

ひどい有り様だった。
ガラスは割れ、雨風が入ってくる。
ゴキブリがそこら中にいる。
猫だらけで押し入れで出産している。
臭い。汚い。
そんな中、子供だけで暮らしている。

児童相談所にきいてみた。
過去にも通報があったようだ。
相談員に現状を見てもらった。

恋人の母の行方をおって、相談員と話し合いが
行われた。

恋人の母は子供と暮らしたいと希望したが、
相談所の結論は異なった。

学生までの子供は全員施設に入る。
18から19の2人は施設に受け入れられないから
恋人と私の家で共同生活をする。
それしかなかった。

共同生活をしながら、
出来る限りのことをしていく。

恋人は仕事が続かず、家にいる。
働くよとは口にするが、働かない。
私が皆を養う。
社会経験のために子供たちにもバイトしてもらう。

18の子がバイト先である事件(未遂)をおこす。
19の子の行動がどうにもおかしい。
てんかん持ちで知能も低いことが判明。
恋人は相変わらず働かない。



限界だった。
もう暮らしていけない。

働くと言いながら、働かず遊んでばかりの恋人。


18と19の子にできる限りの事をしていたけれど。

私は恋人と、恋人の兄弟を切り捨てた。

もう無理だった。
私だけの給料じゃやっていけず、
私名義で消費者金融にも手を付けた。


もう本当に無理だった。

別れ話の時、恋人から包丁を突きつけられた。

恋人の兄弟18の子19の子、彼らの地元に
帰ることになった。
行く場所がないから、地元に、と。
バスに乗り込む前に見せた2人の顔が忘れられない。

それから、五年後、彼は事件を起こした。

恋人は私に金を返すと念書を残した。
最初の3ヶ月は月に一回払いにきた。
それから音沙汰はない。

300万ぐらいどぶに捨てたようなものだ。
人に貸した金は返ってこないと学んだ。
今でも強く憎んでいる。
許さない。



私はどうやって生きてきたら良かったのだろう?

嫌な記憶ばかり、急に思い出して、
当時のリアルな心境も蘇ってきて
本当に嫌な暗い気持ちになる。



嫌な記憶を忘れるには
どうすればいい?



忘れたいことがたくさん、ある。




あんなに死にたかった過去の自分を
哀れにも思う。





もう、いいだろうか。




死にたいと思う気持ちは
いつもあった。