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NARAYA CAFE のできるまで

歴史あるリゾート、箱根宮ノ下駅前で、古い建物を利用したカフェ&ゲストハウスをオープンするため、改装にはげむ日々を綴る

旅ブログ:熊野古道・中辺路一人旅(後編)

2018-07-08 06:10:27 | 2018シーズン
更新が遅くなってしまいました。
忙しかった訳ではありません、ただの怠慢です(笑)。


この熊野古道中辺路のルートに難所があるとすれば後半です。
僕の宿泊(テント)した近露という集落のもう少し先に野中という集落があるのですが、そこからゴールの本宮近くまで、約13kmくらい間、人家が全くないのです。

ようやく人家が現れる発心門王子から本宮まで約7km。
ガイドブックでは初心者向けのトレッキングとして、この区間だけ歩くのを薦めています。
残り7km、しかもなだらかな下りで初心者向けのコースでゴールは目前、、、となると一気に行っちゃいたいのが人間の心理ですよね。
なので、2泊3日の無理のない行程にしたとしても、最終日は約20kmを一気に歩くことになっています。

この途中の峠のどこかに山小屋(避難小屋でも可)があったら、きっと予約の取れない宿になることでしょう。
まあ、最後のところがちょっとキツいからこそ、本宮に着いたときの感動が大きいということもあるのかもしれませんが。


ということで2日目は朝5時過ぎに起床、6時前から歩き出しました。
快適にテント泊できたからか前日の疲れもそれ程残っていません。





歩き始めて少し行ったところの集落。野中。
ここも良いところでした。
農家民宿やゲストハウスもあったので、2泊3日でやるとしたら1泊目が「霧の里たかはら」、2泊目がこの辺りが良さそうです。





この山が別名「乙女の寝姿山」というそうです。



とにかく前半で距離を稼ごうと、林道部分はトレラン気味に走ってぐいぐい進みました。



林道歩き〜山道の繰り返しで、こんな感じの峠が続きます。



ここの峠の別名はなんと「蛭降峠(ひるふりとうげ)」
朝、立ち話したおじさんも「わしらも山仕事するけど、この辺、蛭は多いよ。血ぃ吸われたらライターでジューってやんな!」とか言ってました。
熊野古道歩きの必需品に「ライター」も加えといたほうが良いと思います。
幸い、僕は蛭には会いませんでしたが、、、、



歩き始めて2時間くらい、本来の熊野古道が崩落してしまっているため、迂回路が作られています。



迂回路、ウッドチップが敷かれていたりして、「新しい道」という感じで歩きやすかったです。
随所に鹿よけのネットがありました。



簡易トイレと水場もありました。
それにしてもこのあたり、歩き始めて3時間以上全く人家がありません。



三越峠という昔関所のあった峠に出ます。
ここまで来ると先が見えてきた感じ。





この旧関所の少し先に、「道の川」という廃村跡があります。
昭和48年までここに集落があって、廃村と同時に田畑だったところに杉・檜を植えたのだそうです。
40年以上経ち、植林した木は大きく育っていますが、足もとの石垣にかつて田畑が営まれていた形跡を残しています。



その後は川に沿って進みます。



発心門王子に着きました。
ここへは本宮からバスが出ていて、ハイライトの最後7kmだけ歩く人も多いところです。
ここまで、途中少し走りつつ15kmを5時間ほどで歩ききりました。



この先は美しい農村風景が広がります。
外国人ハイカーの目にも苦労して歩いた峠道の後に現れる美しい日本の里、ひときわ美しく写ることでしょう。




このあたりから増えるのが、お土産の無人販売所。
ゴールも目前となり、荷物を持つことに余裕も出てくるからでしょうか、、、
一方でもうこの先、宿泊需要はなくなります。



ようやく外国人ハイカーに会いました。
ドイツから来たというこのファミリーには、通訳ガイドの女性が付き添っていました。
今回は熊野古道がメインだったけれど、次回来たときは是非、長野の「スノーモンキー」を見たいと言っていました。
「そこなら去年の夏、家族で行ったけど、夏はお猿たち全然風呂に入らないから、冬に行った方が良いと思う」とアドバイスしました。



県道とのオーバーバス。
箱根旧街道にもこんなところがあったような、、、




もう本宮まで目と鼻の先となった茶屋跡の休憩所で、近所に住むおじいさんとお話ししました。
なにげない世間話から始まったのですが、いつの間にか「満州」の話に。
引き揚げ船に乗れなかった若き日のこの方は、中国人に助けられ、北京近郊など中国各地を転々として、戦後だいぶたって郷里に戻ってきたそうです。
「機銃掃射で伏せたとき、弾丸の飛ぶ音で近いか遠いか聞き分けることができるんだよ」なんて話も聞きました。
助けてくれた中国人の方は本当にいい人で、感謝を伝えたかったけれど、再び会うことは出来なかったそうです。
年齢的にもう亡くなっているだろうけど、名前は今も覚えている(Yan Shu fuさん?)とのことでした。

今回の旅、最大の出会いだったかもしれません。
毎日散歩しているそうですが、御年90。
次に熊野古道を僕が歩くことがあってもお会いできないだろうな、、、
「お元気で」と別れました。




いよいよゴールは近くなり、「見晴らし」と呼ばれる本宮の大鳥居(正確にはかつて本宮が会った場所「大齋原」)が見える場所を通ります。
コース的にはちょっと寄り道になりますが、ここは絶対オススメ。



本宮到着。
最後、中辺路から来ると本宮の裏側に到着します。
鳥居〜石段〜と通るのでなく、いきなり着いてしまうのでちょっと面食らいます。
本宮が川の中州にあった明治の大水害以前だったらこうではなかったのでしょうけど、、、



本宮にお参りして



石段を降りて





バスで次なる目的地「湯の峰温泉」へと行きました。
本宮と湯の峰温泉の間も「大日越え」というハイキングコースがあるのですが、今回は時間がないので端追ってしまいました。




お目当ては「日本最古の共同湯」といわれる「つぼ湯」



まずは公衆浴場でチケット(30分制)を買います。
先客が1組だけいて、30分待ちとのことだったので、まずは2日間の汗を流すため共同浴場に入りました。
こちらは男女別の共同湯のほかに「薬湯」という源泉掛け流しのタイプの湯もあります。

今回、つぼ湯に入れたので「薬湯」は入りませんでしたが、次回来たらトライしてみたいですね。



そうこうしているうちに「つぼ湯」が空きました。
自分の番が来たら番号札を入口に掛けて入ります。



めっちゃワイルドな浴槽です。
お湯は底から沸いていて、各自水を足して調節します。
(蛇口が2つありますが、どちらも水でした)



かなりの弾丸トラベルでしたが、熊野古道(中辺路)満喫することが出来ました。

ちなみにこの後、本宮16:20発のバスがタイムリミットで、新宮駅から特急ワイドビュー南紀に乗り、名古屋で新幹線に乗り継いで小田原22:50着。
ちょうどこの日はサッカーワールドカップ日本=ポーランド戦がありましたが、23時のキックオフになんとか間に合いました。(笑)
それにしても最も早い交通機関でも片道6時間以上、熊野は遠い!!
でも遠いから魅力的なのかもしれませんね、、、またいつか行きたいです。



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