県立嵐山史跡の博物館主催の「板碑が語る中世ー造立とその背景ー」と題したシンポジウムが行われたので聴講した。(会場、国立女性教育会館)
基調講演、「板碑の出現とその背景」講師、坂詰秀一(立正大名誉教授)
報告1「初発期板碑の系譜と様相」磯野治司氏(北本市教育委員会)
報告2「武蔵武士と板碑」師岡勝氏(埼玉県立文書館)
報告3「東松山市の密教系板碑」江原昌俊氏(東松山市教育委員会)
報告4「新発見の板碑石材採石遺跡」高橋好信氏(小川町教育委員会)
の内容であり、ともに中身の濃い報告であった。
昨年12月から博物館で開催されている企画展の関連事業として行われたものである。
(都幾川町の慈光寺へ向かう参道に立つ板碑群は、ちょっと異様な眺めである)
今回の板碑とは、武蔵型板碑と呼ばれるもので、石材として緑泥片岩を用い、板状に整形、頭部が山形に尖り、梵字や図像で主尊を配し、年号を入れ、卒塔婆としての性格をもつもので、13世紀鎌倉時代から約400年間にみられたものである。関東地方、主に埼玉県を中心に約4万基以上が確認されている。
(報告2の古墳石材を利用した板碑では、石室に使用した石材が後の板碑の材料となっていたのには驚いた。ーこの地方の終末古墳には石室に緑泥片岩が使用されていた。ー板碑の下部に石棺の溝が残っている)
(報告4、小川町下里割谷遺跡の発見では、石場沢のズリ斜面の石材堆積状態の報告には未発見の資料が堆積している様子が報告された)
このあと、パネルデスカッションが行われ講演会が終了した。
(写真は企画展図録より)
とにかく近場の、歴史・考古に関する情報は手当たり次第首を突っ込みたくなるのです。
月の半分を仕事に(たいした仕事ではないのですが)獲られているため時間不足です。
2月19日~奈良入りしております、おいでの説は連絡ください。
内容もっと知りたくなりました、機会があれば資料欲しいです。
卒論の結果待ちの状態で、ぼーっとしていたら、母が入院92歳だから老衰ですが、バタバタしています。
板碑については、埼玉・群馬に集中した中世先祖の卒塔婆です。丁度この頃(13世紀)関東では地場の豪族から武士が興った時代で、数少ない歴史の記録となっています。資料も集めたらお送りします。
板碑については先日も(3/5)嵐山史跡の博物館で、研究者の発表会があり聴講しましたが、分析が今ひとつでした。〈東国の図像板碑〉はゆっくりみさせていただきます。
今後ともよろしく!