高崎市制施行110周年記念事業として、多胡郡建郡1300年記念シンポジウムが群馬音楽センターで開催されたので、奈良大の仲間と聴講した。
古代上野国多胡郡は、和銅4年(711)3月に近隣の郡から6郷を割り多胡郡を置くと『続日本紀』にあり、昨年の平城遷都(710年)の翌年に置かれたことがわかっている。これは郡の中心地とみられる地に建っている『多胡碑』にも記録されいて貴重な金石史料ともなっている。数年前よりいろいろなイベントが企画・実地され今回のシンポジウム「多胡碑は何を伝えようとしたのか」が最大のイベントである。
高崎市役所は高崎城址公園にある。音楽センターは市役所に隣接、昭和36年建築家アントニン・レーモン氏設計の評判の音楽ホールであり、高崎市の文化のシンボルとなっている。
(北村西望作の銅像と高崎市役所)
(先生方によるシンポ風景)
多胡郡建郡1300年記念事業シンポジウム「多胡碑は何を伝えようとしたのか」-多胡郡の成立とその時代ー
会場の群馬音楽センター大ホールは、約1500人の聴衆で満員となる盛況であった。(AM10:00~17:00)
講演は、
1.記念講演:「東国における渡来人の位相と多胡郡の建郡」、土生田純之氏(専修大学教授)
2.記念講演:「多胡碑の輝き」、平河南氏(国立歴史民俗博物館館長)
3.基調講演:「渡来人の東国移住と多胡郡建郡」、亀田修一氏(岡山理科大学教授)
4.基調講演:「多胡郡成立前夜ー古墳時代の多胡郡域ー」、右島和夫氏(群馬県文化財保護審議会委員)
そして、最後のシンポジウムが終わったのは5:00を廻ってしまいました。内容の濃い、講師の先生方の熱意が伝わってくるシンポジウムでした。日曜日夕方の関越道のスキー客混雑を避けて、一般道で帰りましたが8時ごろになってしまいました。奈良大の皆さん、先に帰らせていただき失礼しました。
今回のシンポの前日(3/5日)には、上野三碑巡りのバス見学会があり、我々奈良大(奈良組)の多くが参加(30名)し、バス見学とは別に乗用車7台に分乗して見学しました。(我々は三碑のほか八幡観音塚古墳(資料館)、少林山達磨寺などを巡り高崎市内で懇親会を行いました。)
『金井沢碑』
(金井沢碑と入口)
『山上碑』
(山上碑と隣接する山上古墳)
『多胡碑』
(多胡碑と保存小屋)
群馬県の高崎市の吉井町を中心とした上野国西毛地域は、5~6世紀に半島からの渡来系の進んだ民族(多くの胡人)が移住し地名の多胡が納得できるシンポジウムでありました。
見学会は私のブログとダブりますので今回の掲示は割愛します。参加の皆様2日間お疲れ様でした。
《ブログ掲載参考》
(1.多胡碑:2008.5.4掲載、 2.金井沢碑:2008.4.12掲載、 3.山上碑:2008.9.21掲載、4.観音塚古墳や達磨寺:2011.1.10等)
講師陣のメンバーは、蒼々たるメンバーですね。
亀田先生が参戦されていたのですね。
記録に残る郡街は貴重です。
設立された国は解かりますが、内容や背景が掴めないところもあります。
これが歴史の面白さ!なんて考えています。
関東での参集は、この石碑でどうですか?
楽しみにしています。
「東国の古代を探る」なんて・・・
話の内容が豊富で、驚きました。
このところ、上野国や武蔵国では国衙や郡衙の発掘等が多く講演会を聴講するだけでも忙しいです。
上野国:太田市(新田郡)、伊勢崎市(佐井郡)
武蔵国:府中市(国府)、深谷市(藩羅郡)、日高市(高麗郡)などあります。
群馬は温泉もいっぱいあるし、ゆっくり周遊してみたいです。
群馬は、東国では古墳の宝庫です。
確かに渡来系の地名は多いですね、私も元々は群馬の大胡です。
埼玉も藩羅郡、高麗郡、新羅郡など多いです。
考古学を学んでいると中国も朝鮮も元は同じです、仲良くしましょう!