川越市南大塚にある 上円下方墳『山王塚古墳』の第2次調査(平成27年度調査)における現地説明会が行われたので行ってきました。(平成24年度第1次調査報告2013.3.2をご参照)
場所は入間川右岸の高台に位置し、近くに古代の官道(東山道武蔵路)が走り、南大塚古墳群として約27基の古墳が現存しています。
(入間川の八瀬大橋:東山道武蔵路はこの近くを通っていました)
(墳丘頂には山王社のお社が鎮座します)
今回の調査は、紛糾規模及び構築方法の確認で、墳丘東西を断ち割ったトレンチ(4・5号)で計測することができた。
川越市教育委員会の資料によると、山王塚古墳は7世紀後半に造られた終末期古墳であり、
「上円部径:約35m、下方部一辺:約57mの規模で、構築方法は関東ローム層を主体とした土を細かく積み上げて版築した上円部と、ローム層の盛土の下方外周部で造られ、その後上円部と下方部外周部の間に暗褐色土を盛土をして、平坦部を造っていることが確認できた。」
ということでした。
(山王塚古墳全景)
(発掘調査略図)
(古墳西部、5号トレンチ)
(古墳東部、4号トレンチ)
(構築方法の確認状況)
盛土で固められていて、葺き石などはありません。
(当日は寒い1日でしたが、多くの人が見学しました。)
現在埋葬施設付近では地下レーザー探査等により、石室状の施設も推定されていますが、その確認は今後の調査を待たなければ判明しません。
上円下方墳は、前方後円墳が終わった終末期古墳で関東地方では府中熊野神社古墳などが有名です。
(国史跡:府中熊野神社古墳)
場所は入間川右岸の高台に位置し、近くに古代の官道(東山道武蔵路)が走り、南大塚古墳群として約27基の古墳が現存しています。
(入間川の八瀬大橋:東山道武蔵路はこの近くを通っていました)
(墳丘頂には山王社のお社が鎮座します)
今回の調査は、紛糾規模及び構築方法の確認で、墳丘東西を断ち割ったトレンチ(4・5号)で計測することができた。
川越市教育委員会の資料によると、山王塚古墳は7世紀後半に造られた終末期古墳であり、
「上円部径:約35m、下方部一辺:約57mの規模で、構築方法は関東ローム層を主体とした土を細かく積み上げて版築した上円部と、ローム層の盛土の下方外周部で造られ、その後上円部と下方部外周部の間に暗褐色土を盛土をして、平坦部を造っていることが確認できた。」
ということでした。
(山王塚古墳全景)
(発掘調査略図)
(古墳西部、5号トレンチ)
(古墳東部、4号トレンチ)
(構築方法の確認状況)
盛土で固められていて、葺き石などはありません。
(当日は寒い1日でしたが、多くの人が見学しました。)
現在埋葬施設付近では地下レーザー探査等により、石室状の施設も推定されていますが、その確認は今後の調査を待たなければ判明しません。
上円下方墳は、前方後円墳が終わった終末期古墳で関東地方では府中熊野神社古墳などが有名です。
(国史跡:府中熊野神社古墳)
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