県立嵐山史跡の博物館主催のシンポジウム『鎌倉街道を検証する』が行われたので聴講した。
文化庁 平成23年度文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業ということで、博物館に隣接する国立女性教育会館の講堂で行われ、近年の古道研究ブームにより会場は多くの歴史古道フアンで満員であった。(といってもその多くは我々と同じ高年齢者で占められていました)
「鎌倉街道」は、全国各地の拠点と鎌倉を結ぶ中世の道路の呼称である。
このうち今回は武蔵国を縦断し上野国に通じる「上道」について、文献史学・考古学・古美術の分野におけるこれまでの研究成果を確認して、今後の地域史研究の進展に寄与することを目的としている。
(鎌倉街道の推定ルート)
「いざ鎌倉!」、かつて坂東武者が鎌倉をめざしてはせ参じた、中世の幹線道路。新田義貞や足利尊氏の活躍する東国の舞台となった中世古道、というと関東に住む人たちには興味のつきない歴史地理物語でもあるのです。
内容は、
1)基調講演 「中世の幹線道路交通ー東海道を中心にー」、榎本雅治(東大資料編纂所)
2)報告1 「中世の幹線道路についてー文献資料を中心にー」、岡陽一郎(兵庫大学)
3)報告2 「鎌倉街道上道の道路遺構ー赤浜天神沢遺跡・六大塚遺跡を中心にー」、小林高(寄居町教育委員会)
4)報告3 「古代官道 東山道武蔵路と 東の上遺跡ー道路と集落を発掘調査から探るー」、根本靖(所沢市教育委員会)
5)報告4 「中世の美術工芸品からみた鎌倉街道ー彫刻・金工品を中心にー」、林宏一(東京家政大学)
6)パネルディスカッション、コーディネーター、宮瀧交二(大東文化大学)・加藤光男(嵐山博物館)
でありました。
しかし文献資料も少ないため後世の作り話も多く、地域活性化としてはまだまだ研究の余地も多いのであります。
(現在その面影のある入間郡内の道)
(苦林にがばやし宿と大蔵おおくら宿の境界に位置する笛吹峠)
埼玉県下の「鎌倉街道」の総合的な検討は大正11年(1922)から行っており、今年は90年目を迎えるというが今回の検討会をみても今後の研究に期待する出発点であると主催者側は記していた。(現在嵐山史跡の博物館において企画展開催中)
報告3 「古代官道「東山道武蔵路」と東の上遺跡 -道路と集落を発掘調査から探る-」
根本 靖(所沢市教育委員会職員)
の内容に
「武蔵路は進路変更して「第2の道」が作られたことが,その後の発掘でわかったそうである。」
とwebに有るのですが、
私が「鎌倉街道を探そう!」<http://blog.goo.ne.jp/mementosmori/e/2125f4a9bdd8490900ea1cb6e0250bff>
で書いた内容とは違うのでしょうか? ぼ輔
根本靖先生の「東山道武蔵道」は、主に宝亀2(771)年に武蔵国が東山道から東海道に所属替えになる以前の古代官道の発掘調査を主に解説されました。中世鎌倉時代の鎌倉街道上道とは一部重複箇所もありますが、道路遺構も時代も隔たりがあります。鎌倉街道もルートがいくつかあり、埼玉県内でも複数の街道跡が記録されています。