いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

浅間山大噴火(天明噴火1783)を伝える伊勢崎市赤堀資料館・企画展資料見学

2023年12月08日 | 文化財・史跡

 年末の墓掃除の帰りに、隣町の赤堀歴史民俗資料館でやっていた企画展(天明3年浅間山噴火2023/6/16~8/27)の資料を見学してきました。(2023/12/7)

 

(田舎の墓掃除は今年も住職が電動鋸で手伝ってくれました。写真は昨年のものです)

 群馬・長野県境に位置する活火山浅間山、幾度となく噴火を繰り返した中で、240年前の天明3年(1783)5月に噴火始めて8月の大規模噴火による降灰・火砕流・溶岩流が発生し、鎌原土石流となって吾妻川~利根川を下り流域の村々の人・家屋・田畑・家畜などを埋め尽くしました。

(天明3年浅間山噴火の降灰・泥流被害の状況)

浅間山噴火による鎌原村の火山災害は知っていましたが、その土石流が伊勢崎市の利根川まで埋め尽くしたとはビックリでした。(以下は企画展パンフレットからの抜粋)

  

(当時の浅間山噴火の様子を嬬恋資料館が図解したもの)(昭和48年時の浅間山中規模噴火の写真)

当時の様子を伝える古文書や絵図が多く残されていました。

 

(江戸時代の伊勢崎藩の村々を伝える概念図)

 

(鎌原土石流の展示パネルと浅間焼吾妻川利根川泥押絵図)

(浅間山焼昇之記・三国街道渋川の関に迫る泥流が描かれ、人馬と共に溶岩が吾妻川を流れている様子を描いている)

伊勢崎へ押し寄せる天明泥流は利根川沿岸の多くの村々に押し寄せ、たはたを中心に深刻な被害を受けました。

(伊勢崎に押し寄せた泥流の範囲)

利根川の川幅が広がる伊勢崎市周辺は火石や家屋、材木、家畜と共に上流で飲み込まれた多くの遺体が流れ着きました。さらにその先江戸まで流れて着いたとされています。

   

(浅間山焼昇之記・日光街道幸手宿前の利根川と助けようとする人が描かれている絵図)

この他、群馬県中央から南部では榛名山や赤城山の噴火による多くの遺構が発掘されています。

  

(赤城山の土石流を伝える展示もありました)

 今から2~4百年前の出来事ですが、火山国の日本では、多くの活火山(富士山を含む)を抱えていて、近い将来このような事態が起こる可能性があることを実感させられる企画展の様子でした。

 この他伊勢崎市周辺には多くの遺構・遺跡が埋蔵されていて、赤堀歴史民俗資料館には石器時代~近世までの発掘遺物や写真など多くの展示物が整備されていました。

(赤堀歴史資料館内は、石器・縄文・古墳時代~近世までの出土品が展示されていました)

   

(お富士山古墳から発掘された石棺やハニワ、上野国佐位正倉跡復元模型)

 お墓のある前橋市東部地区~伊勢崎市には多くの遺跡が確認されています。墓参りの帰りに寄り道していますが新しい発掘もあり興味が付きません、時々散策しております。 

 

 


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