怪獣との毎日は、お互い「譲歩」の連続。
怪獣は「遊んでー」だけど、私は「お掃除したい」。
怪獣は「歩きたいー」だけど、私は「バギーに乗ってー」。
まあ、誰とでも共同生活ってこんなものですが。
でも、子どもはやっぱり無力なので
どちらかというと、大人の都合にあわせられる事が多い。
それを「大人のエゴ」というのか「しつけ」というのかは難しいところ。
そんな時、子どもには「ごめんね」じゃなくて
「ありがとう」と言うように教わった。
前置きが長くなりました。
先日、私のリフレッシュのために託児をしたら、
怪獣は1時間泣き通しだったらしい。
お迎えにいったら、泣きつかれて保育士さんのだっこで寝てた。
寝ながらも、ひっくひっくとすすり泣き。
こちらは申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど
「ごめんね」じゃなくて、「ありがと」。
その一言で、あら不思議。
その1時間が、怪獣にとっては成長の場になり
私にとっては、有意義なフリータイムになる。
ものは言い様。
気の持ち様。
これでこれから、私のワガママを、
後ろめたさ無く行使できそうだ。
うしし。
怪獣は「遊んでー」だけど、私は「お掃除したい」。
怪獣は「歩きたいー」だけど、私は「バギーに乗ってー」。
まあ、誰とでも共同生活ってこんなものですが。
でも、子どもはやっぱり無力なので
どちらかというと、大人の都合にあわせられる事が多い。
それを「大人のエゴ」というのか「しつけ」というのかは難しいところ。
そんな時、子どもには「ごめんね」じゃなくて
「ありがとう」と言うように教わった。
前置きが長くなりました。
先日、私のリフレッシュのために託児をしたら、
怪獣は1時間泣き通しだったらしい。
お迎えにいったら、泣きつかれて保育士さんのだっこで寝てた。
寝ながらも、ひっくひっくとすすり泣き。
こちらは申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど
「ごめんね」じゃなくて、「ありがと」。
その一言で、あら不思議。
その1時間が、怪獣にとっては成長の場になり
私にとっては、有意義なフリータイムになる。
ものは言い様。
気の持ち様。
これでこれから、私のワガママを、
後ろめたさ無く行使できそうだ。
うしし。