今作の主人公はキュアエール
エールという名前からもわかるように
彼女にとって応援は非常に大きな意味を持つ
そんなHugっとの応援について一度整理したい
まずは周りのキャラクターの
言葉について振り返る
ハリハムハリーはこう言った
「十分がんばっとるやつに
がんばれ言うんわ酷やで」
また若宮あんりはこう言った
「その無責任ながんばれが
彼女の重荷になっているんだよ」
実際には輝木さんにとって野乃さんの応援は
初めは確かに重荷だった
その意味では二人の主張は間違いではない
だが彼女は最終的にそれを力に変え
見事ジャンプを成功させた
「私は、みんなのがんばれを背負って
もう一度跳びたい」
応援は誰かの力にもなりえる
当然ながらそれも事実なのである
とはいえそれは野乃さんが変わったのではなく
輝木さんが応援を力に変える
強さを得たにすぎない
野乃さんにできることは応援だけなのだ
それが力になろうとなるまいと…
これは劇場でミラクルライトをふりながら
応援する子どもたちの姿にも重なる
プリキュアがどんなに頑張っていようとも
画面の外にいる彼女たちは
頑張れとライトを振ることしかできない
(私は心の中の応援しか許されませんが)
♪叶えたいより叶える私なんだ
(We can!! HUGっと!プリキュア)
夢を叶えるのは自分
何かをなすのも自分
OPの歌詞はこう伝えている
その時に果たして他人の応援に
どれほどの意味があるのだろうか
今後のHugっとの展開に注目である