少女たちに魅せられて

主にプリキュアとラブライブの感想や考察を挙げていきます

Hugっとプリキュア考察 〜最終決戦を前にして(47話時点)

2020-12-04 09:51:42 | Hugっとプリキュア考察

次回はいよいよ野乃花の誕生日

そして世界の命運をかけた戦いが始まる

 

 

ドクタートラウムはクライという男

についてこう語った

 

「君たちの幸せの前に

 あの男はきっと立ちはだかるだろう

 いや、彼の幸せの前に

 君たちが立ちはだかっているのか

 一言でいうと何もしない男なんだよクライは」

 

「彼はただ我々を見つめている

 深い絶望に染まった目で」(以上46話)

 

そしてクライ自身の言葉

 

「ぼくは皆を救いたい、破滅へ向かう前に

 人類が生まれ命を持つこと

 それは悲しみ、悪いことなんだ」(46話)

 

「希望を持つことは残酷

 望まぬ未来を前に

 人は歩みを止めてしまう」(47話)

 

 

以前から書いているように

彼が目指すのは人類の幸福である

そこについては野乃さんと何も変わらない

だが彼にとって人類は愚かな存在であり

未来とは破滅へつながる道でしかないのである

だからその道を絶ちたい

それが彼の願いである

 

 

この考えを完全に否定することは難しいだろう

未来は確かに自分の思うようにはならないし

命が有限である以上、終末に対する恐怖も

拭うことはできない

未来も幸せも永遠には続かない

そう考えると時を止めるというのは

人間にとって幸せなことなのでは

とさえ思えてくる

 

 

野乃花にも言い分はある

はぐたんの成長に喜びを見出し

未来を愛おしいと感じたり

ハリーもまた暗い過去を背負いながら

それを受け入れ未来へ進むことに決めた

未来へ向かっていけば

いつかきっとそれは思い出に変わるから

 

 

そしてどちらの考えが正しいのかを

考えることは結局のところあまり意味はない

未来に希望を持つ人間は

クライの考えは理解できないし

未来に絶望する人間は

野乃の考えを受け入れられない 

両者の和解の道はクライが希望を持つか

野乃が絶望するかしかないのである

 

 

人間にとって未来を信じるとは

どういうものなのだろうか

その先が決して明るいものでなくても

それでも守らなければならないものなのだろうか

希望を持つ意義

それを考えたとき

赤毛のアンのある言葉が頭に浮かんだ

 

「何かを楽しみにして待つということは

 その嬉しいことの半分にあたるのよ

 本当にならないかもしれないけれど

 でも、それを待つときの楽しさだけは

 間違いなく自分のものですもの」

 

未来を信じて前へ進むことは

それだけで価値のあること、楽しいこと

それをこの言葉は伝えてくれる

 

 

人生はうまくいかないことも多いし

常に希望が見出せるとも限らない

だがそうはいっても

じゃあ今日から生きるのやめよう

とはならないわけで

現実世界において時を止めることはできない

私たちがいくら未来に絶望しようとも

プレジデント・クライにはなれないのである

 

 

そうであるならば私たちに残されたのは

野乃花的な生き方

暗い過去があっても劣等感を持っていても

他者、そして自分自身の幸せを願い応援する

それが幸せに最も近い生き方なのではないだろうか

 

 

そのような生き方ができているかと

問われれば私自身できているとは言い難い

どちらかといえばクライの思考に近いとさえ

言えるかもしれない

だが野乃花への憧れ

未来を信じる気持ちを愛おしいと感じる心

それだけは忘れてはならないと思う

嫌でもこの先未来を進んで行かなければ

ならない人間として

 

 

だからとりあえず私は

自らの誕生日に私たちの未来を守るため

たった一人で敵に立ち向かう野乃花という少女を

テレビの前で全力で応援しようと思う