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フィリピン国際結婚・菜の花の主婦日記goo版

南国フィリピン便りー結婚しフィリピン在23年。22才長女、20才息子、9才末娘のお母さんである私の毎日ー

ルルドとジプシー

2014年05月28日 04時42分55秒 | 旅行



バルセローナでジプシーのスリに遭った話しを前に書きましたが、
何も盗られなくて結果的には良かったとはいえ、
あの2人の女性が私をはさんでエスカレーターで体をぴったり寄せていた時の冷たい顔の表情とか、
その後、地図を広げて道を聞くふりをして地図の下から手を伸ばして私の鞄をさぐろうとした事や、
地下鉄の地下道のアコーディオン奏者の所に逃げて彼女達が諦めたけれど
凄い剣幕で怒鳴っていた様子などが頭に焼き付いて、
トラウマになってしまいました。

バルセローナは欧州では一番、犯罪が多いとかで、
警官もあちこちに居るんですが
地下鉄などは入り口も通路も無人が多かったので
犯罪が起こりやすい場所なんでしょう。

でもあれから色々な人に話しを聞くと
どうも危ないのはスペインだけではなく、
欧州全体が危険な感じ。

スペインの方が頻度は高いようで
スペインではシエスタ(長い昼休み)の習慣があって店もシャッターが閉まっているのですが、
その時間は人通りが少なかったりして
地下鉄に乗ったら通路で4人の男性に囲まれて鞄を盗られたとか・・・。

主人の友達はパリの地下鉄で、
ドアが閉まる直前にズボンのポケットから堂々と財布を抜き取られ
彼は財布には殆どお金を入れていなかったけど
クレジットカードが入っていたので国際電話であちこち止めるのに3万ペソ(7万円くらい)使ったとか、

ある人はドイツのモールで置き引きにあったとか、

やっぱりマニラと同じでお金がある人は車で移動し、
公共の乗り物に乗ったり、
盗られそうなものを持って道を歩いたりはしないのが常識なよう。

全ての犯罪がジプシーと関係あるわけではないと思いますし、
むしろそうじゃない方が多いかもしれませんが
バルセローナでは私達が食べてる食べ物を下さいと言ってきたジプシー女性もいて
貧しいのは確かだと思います。

そして今、欧州は国境があってないようなものなので
全て地続きで貧しい人でも別の土地に移りやすいせいで
一つの国の貧しい人も
別の国に簡単に行けてしまうんですものね。






で、パリと同じくらいホテルがあると言われているフランスのルルドなんですが、
一応、カトリックの巡礼地で
訪れる観光客の数もものすごいせいか、
ジプシーがものすごく多かったのです。

私もジプシーに襲われるまでは

「ジプシーってどんな人達なの?」

と全く未知だったのですが、
他の人達とはちょっと違う雰囲気なので気づくようになりました。


ジプシーを日本語のウィキペディアで検索するとこんな風に書いてあります。
(殆どそのままコピーペーストしました)

ジプシー (gypsy, gipsy) は、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す民族名。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。外名であり、当人らの自称ではない。

名称について
ジプシーは「西暦1100年にアトスに現れた」とする記録が最古のものとされる。ドイツでジプシーを確認している最古の記録は1407年のものである。1427年にパリに現れた彼らは、「自分たちは低地エジプトの出身である」と名乗った。ここから「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した「ジプシー」 (Gypsy) の名称が生じたと言われる[1]。
近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語、放送禁止用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向にある。しかし、「ジプシー」には「ロマ」以外の民族も含まれているので、これは他のジプシー民族を無視することになる。



スペインでは街頭で集団で演奏している人もいたし
手作りで紙袋に入ったお菓子を売ってた人もいて
みんなが悪い人ではないと思うんですが、
ルルドで見かけて物乞いをする子どもなどは寒いのに裸足で
学校にも行ってない様子。

多分、決まった場所に住んでないし
住所不定という感じで学校に行かれない場合が多いのでしょう。

スペインではジプシーでも定住して学校に行くようになった子もいると聞いたのですが
フランスではどうなのかしら。

ルルドのジプシーはスペインで見たジプシーより貧しそうでした。












前の写真の緑色の川で釣りをしているおじさん達が居たんですが
これが不思議な気がしました。

川はずっと続いていて
こんな町中で釣りしなくても
ちょっと離れたら川辺とか、もっと落ち着いて釣り出来そうな場所があるんですよね。















アルジェレス・ガゾストの前回紹介した自転車ロッジのご主人なんかは
ルルドなんてディズニーランド化してるから行きたくない、
と言ってるんですが、
本当にルルドの周りのお土産屋さんの数には驚きます。

でもお店がある周辺にはジプシーはあまり居ないし
お店の前に車を停めて
主人の自転車を入れたままルルドの行ったので心配だったんですが
自転車は無事でした。
(レンタカーの人に絶対に自転車を残して車を離れないでと言われた)

ルルドで車の窓を割られて盗られた人を先に聞いていたら
きっと自転車を車に残して置かなかったでしょうけど。

行ったのが夜だったので
(明るいけど夜なので寒かったです)
お店などはもう閉め始めていました。














集団で巡礼に来ている人は同じTシャツなど分かりやすい服装をしているので
見分けがつきます。

ここはルルドの横の入り口。














ベルナデッタという少女に聖母マリアが現れて
言われるままに泉を掘り、
その泉の水で病気が治る奇跡が起こったことから
ルルドの泉と呼ばれて病の人がこの水に浸かる為に訪れる場所になりました。

でもベルナデッタ自身は修道女になったのですが
結核で30代で亡くなっています。

彼女のご遺体は腐らないでそのまま今でも残っているんですが
彼女が入った修道院はリヨンの近くで
ルルドからは遠過ぎて行かれませんでした。

この他、丘の上にも色々な彫刻があって
これらを回って芸術作品を見たかったんですが
時間がなかったこともあり、
主人は前にもう見たから自分は見たくないとかで
行かれませんでした。













記念コインが1つ2ユーロで売られていたので
お土産にいくつか購入しました。














私が30年前に訪れた時はこのプラスチックの筒はなかったんですが
主人は言うには2年前に彼が来た時もなかったそうで
新しく付けたんですね。

やっぱり泉の水と言っても水なので
誰かが毒とか投げたら大変なことになるからかしら。











この洞窟の中で聖母マリアを見たとかなんですが
中では泉の水に浸かることも出来るようです。
女性と男性に分かれていて全裸で入るそうなんですが
寒いので3時だか4時までみたいです。

私は冷たい水に全身浸かる勇気はないです。












洞窟の上にベルナデッタの希望で建てられた教会。
ある司教が尽力して建てられたようです。
















壁に色々な言語で同じ意味の言葉が書かれていて
日本語もありました。










こちらは英語。

















30年前に訪ねた時、知り合いのお医者さんがこの橋の向こうの病院で患者さんを診てあげていて
(ボランディア)
もっと古めかしい、ちょっと小汚い建物だったんですが
モダンな感じになっていました。

でもルルドってやはり病気の方が訪れる事が多いせいか
もうひっきりなしに救急車が来ていました。













教会正面のモザイク画。時代が分かりますね。
(桃ちゃんがすごく小さく見えます)










とにかくどんどん気温が下がるし、
夜なので教会も閉まっていて入れないので
早々に引き上げましたが
世界中からカトリック信者の方が集まっていて
フランスではもうお年寄り以外で教会に行く人はあまり見られなくなったのですが
ルルドの中は別世界なのが良かったです。

そういう意味ではちょっとディズニーランドかもしれませんね。