ha det sa bra!~よい一日を~

弓道の備忘録と ときどきお出かけ日記

迷走神経反射

2015-07-27 23:04:35 | じぶんのこと
今日は母がショートステイ出発日なので、
新しい簡単な洋服などを買いに
近所のコープに午前中に行きました。

約一ヶ月ショートステイに行ってもらうので
少しでもテンションをあげて欲しい、
けど、あんまり遠くには出掛けられない、
そんな理由からのお店の選択。

シャッと行ってシャッと帰ってくる、
日陰を選んで約10分、徒歩で向かいました。

ショートステイ用のカットソーや下着を
選び、さあ帰ろうとしたところ
母が、冷房が効いて寒くてトイレ、、、
とのことでお手洗いに。

その前までは暑い暑いって言っていたので
???年寄りの感覚は難しいな、、、
と思いつつ、トイレを案内し
会計終わったら向かうと伝え、
先に用を足してもらっていました。

外で待っていたところ
顔面蒼白な母が、壁伝いに歩いてくる。

これはおかしいとおもい駆け寄ると
白目を剥いて私に倒れかかり、
声に反応は無く、泡を吹きました。



脳溢血か?脳梗塞か?
とにかくよくわからないけれど
この状態から、どう支えることが最善なのか
分からなくて、私がパニックになりそうに
なりました。

お母さん!大丈夫!?

とわたしの叫んだ声を聞いて、
商業施設の事務所に
連絡してくれたお店の方や、
商業施設の方が、救急車を呼んでくれたり
濡れタオルをくれたり、
吐いた汚物を入れる袋をくれたり、
水分補給してくれたり、、、
みなさんに母が助けられました。


救急車が来てからは
冷静に状況を伝えたつもりだったけれど
どうだったかは、わからない、、、

けど、すべての状況は伝えられなかった
みたいです。


当初、母は、熱中症と脱水との診断だった
ものの、最終的には
迷走神経反射。

ストレスや排便などで自律神経が乱れ
失神してしまうとのこと。

父との生活中に二回程あったらしい。

まさかこんな状況、環境でなるとは、、、

治療法は特に無いらしく、
上手く付き合うしかないみたい。

便秘、便意がキーワード??、、、

そうなってしまってからは
点滴などで、整えるしかないようです。


点滴が終わってからは、
顔色も戻り、歩ける状況で、普段通りに
あっと言う間に戻りました。

本当に良かったです、、、




母のショートステイは、今日分を取りやめ
明日朝からに変更しました

母はいつもよりも夜更かしをして
先ほど布団に入りました。


色々と不安なんだと思います。




でも、、、
がんばってもらうしかない。


家族みんなで乗り越えるしかない。




現実的な話、、、
保険証を持ち歩いていないため
救急車から搬送された病院で
保険証がなくて焦りました。

弟や叔母に連絡がつき車を出してもらい
持ってきてもらい、送迎してもらいました。

誰かが、近くにいてくれる。

これほどの安心感ってないと思います。



みなさん、本当にありがとうございます。
助けられました。









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デイサービスの前日

2015-07-26 21:32:32 | じぶんのこと
今日は、母と一緒に、入院している
父の元へ行こう!と、前日から決めていて。
ショートヘアで、伸びきりボサボサの髪
だった母を、お父さんに会えるからと、
近所の1000カットのお店に連れて
行きました。
時短、、、



昔、幼い頃に母は、
美容師になりたかったらしく、
でも、昔の美容師さんは社会的地位を
認めてもらうことが難しい時代だったようで
諦めたらしい。

その後、事務員として働いたみたいだけど
母の昔の写真を、幼い頃にみた記憶でも
ミニスカート姿でツィッギーみたいな、
真似したくなるような
可愛いお洒落さんだった記憶がある。

そういえば私は、高校時代、
60年代ブームがあり
母の着ていた当時のレトロなアイテムや
古着をよく着ていた。

母のスカートは、
当時の痩せていた私ですら
ウエストがきつくて
きっと、
お洒落をきにしていたんだろうなと
感じられる。

当時の私は髪を外ハネにして、
よくわからないけど、
ベスパとか乗ったりして
いい気になっていたんだろうなー。
ははははは


そうそう、母は結婚して私が産まれ、
何十年か経って
商売が厳しくなってからは、
きっと、思うようなお洒落は
出来なかったんだろうと
幼いながらに、ぼんやり
感じていたことを思い出す。


きちんと決まった美容師さんに
お願いしていた母の事をおもうと
1000円カットは
申し訳ない、
けど、
下のことを考えると
家以外の場所で、ゆっくり出来ない、
うまい方法や解決法がわからない、
それが、現実です。


実家を引越し、
馴染みの店が無くなることも
悲しくなります。


頑張って二人でバスを乗り継ぎ、
自宅から大学病院に辿り着きましたが。

仙台の地理を知っている人間からしたら
バスで大学病院まで、、、
って遠回りすぎ。

だから、帰りはやはり
タクシーを利用しちゃうけど
一回あたり1500円。

私一人なら荷物が無ければタクシーを使わず
レンタル自転車のダテバイクも
利用してるけど(一時間100円)
時間の制約があるから
ついつい、タクシーを利用してしまう。

東京じゃ考えられない安さで
タクシー助かります!
でも、うっかり破産しそうww


前日なので、荷物チェック。
バタバタしていたから
まったく考えてなかったので、
電話で確認しました。

どうにでもなりますよ~な雰囲気、
頼れるなと思いつつ、
仕事柄か、不安、、、

指示書とか持ち物表とか
そういうものを、欲してる私がいる。

そんな自分にびっくり、、、





なんだか今日は疲れてるみたい。
愚痴みたくなりそうだから
おしまいにします。






頑張り過ぎず頑張ります。









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母のこと2

2015-07-25 21:41:21 | じぶんのこと

母は毎週水曜日と土曜日にデイサービスに
通っている。

毎回それはもう楽しみにしている様子。

父が一緒に暮らしていたときは
父の気分転換の時間だったみたいだ。


朝は、出発の1時間前に
デイサービスからモーニングコールが
かかってくるから寝坊せずに済む
ステキシステム!

今日は夏祭りがあったそうで
普段、送迎したりお世話をしてくれている
職員さんが、一芸も二芸も披露してくれた
らしく、それは大笑いしたと
帰ってきてから教えてくれた。


でも
朝から夜まで、着ていた服やパジャマ、
シーツなどなど、汚してしまうので
洗濯が多いんだと実感。

今、この短期間は
期間限定だし、これだけのために
実家にいるようなものだから
まだまだ余裕があるけれど、
仕事をしながら、は、厳しいんじゃないかと
感じている。

シーツパットは、毎日汚すだろうから
洗濯出来ない時には
使い捨てでも良しとしよう。
近所のサンドラッグで、早速買い出し。
継続的にかかるだろうから、
ネットとか、値段を調べておかないと。

痴呆になると風呂を入りたがらないと
聞いたことがあったけど、
汗をかいたから、と夕方のうちに
晩ごはんを作っている間に入って
もらえた。

介助は必要かもしれないけど、
ちょっとまだ娘の私には必要としていない
ようす。
週に2日、デイサービスて入っているし
風呂に浸かるだけでもまだマシかなと。

今日は、夏祭りがあってお風呂がなかったので
お風呂で髪の毛を自分で洗ってね
と言ったら、ちゃんと洗って扇風機で
髪の毛を乾かしていた。

介護1の痴呆は、
まだ、やってねーと促すと、自分で
自分のことは出来るって聞いたことあったけど
まさしくその通り。

進んでは出来ないことが多いだけで
自分で出来るからまだこちらは楽だ。



新しい洗濯出来るシーツパットと、
使い捨てのシーツパットの表裏の説明を
母にしてみた。

真剣に話をきいてくれて、
手触りや、確認をしてきて、
寝床に関しては、自分から進んで
やっている。

ただし、万年床、、、
布団の上げ下げが面倒なようなので、
ベッドも検討してもいいかもしれない、、、


父のこと。
水沢出身の副看護婦長さんが
ものすごく感じが良いし、
対応も温かくて、父が気に入っている。

独身で私の一個下らしい。

仕事を理解してくれる人と出会えると
いいね~。

同級生の独身男子でいい人いないかなあ。
紹介したいわ。








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母のこと

2015-07-24 22:22:43 | じぶんのこと


写真は大学病院の待合室から。



父が入院したことで、
老老介護をしてきた我が実家は
これまでと少し違う生活が始まります。


父は、痛みを抑える治療のおかげで、
だいぶ顔色も良く、夜の付き添いも
現状は大丈夫だと看護士さんより
お墨付きを頂きました。


母は以前より少しだけ痴呆があり、
下がわからなくなっています。
介護1の状態です。

徘徊するわけでもなく、
大声出したり、急に怒りだしたり
するわけでもなく、
穏やかには過ごしています。

ただ、下がわからなくなっているので
色々大変なことが起こるので、
見守ってなくてはいけません。

ケアマネさんから
家族が一番大変な時期だと
労いのお言葉を頂きました、、、
父は本当に大変だったんだと思います。

秋から弟が、実家に戻り
仕事をしながら母を見てくれることに
なりました。

介護の大変さは、恐らく想像以上だと
おもいます。

毎日のことだし、
終わりが見えないことだし、
力を抜きながらじゃないと、
介護するほうも、されるほうも、
疲れてしまうんだろうとおもう。

出来れば、私も一緒に居たいけど
東京にお嫁にでてしまったので、
毎日は一緒にいれません。

この、葛藤って、どうしようもない。

任せるしかないんだけど、
私に出来ることをやるしかないんだけど。



弟が一緒に暮らすまでは
母は介護保険の範囲内と自費で
ショートステイで生活します。

8月はお盆は私が帰れるので
一緒に過ごすけど、
施設での生活が約一ヶ月。

急きょロングステイのお願いだったけれど、
ケアマネさんのおかげで助かりました。

普段お願いしているデイサービスの施設が
運営しているショートステイで、
個室も取れたので、少しは、
我慢してもらえるかな。。。


今週末は、会社からも急きょ有休を頂き、
ショートステイを取れなかった
この数日を母と一緒に過ごします。

会社からは、
今回の一連にたいして
家族を一番に考えていいから、と
有休全部使って休んでもいいから、
ちゃんとフォローするから仕事は心配するな、
と温かい言葉を頂き、
良い会社、上司と同僚に恵まれたことに
感謝してもしきれません、、、

落ち着いたら、仕事の成果で返すしか
ありません。。。

今は、甘えさせていただきます。
ありがとうございます。



弟に負担をさせ過ぎないように、
現実的な話だけど、お金のことも、
補助してもらえる介護について
勉強しなくてはいけないな。



出来ることをやる。
離れてても、やれることはたくさんあるはず
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突然すぎる出来事

2015-07-21 19:46:02 | じぶんのこと
先週金曜夜に、
地元の東北大学病院から
私の携帯に連絡があった。

父が検査を受けに行ったところ、
緊急手術が必要になった、
不測の事態も有り得るが、
了承したうえで、手術をすることに
合意をいただけるか、と。

手術が終わり、再び、私の携帯に
連絡が入る。

緊急手術は終了し、一命はとりとめたが
油断ならない状況だと。



数日前、父からの電話で、
肺癌が見つかり、詳しいことをみるため
検査することは聞いていた。

電話の声からも相当がっくりきていて
転移してたらもう終わりだと言っていた
でも、肺は二つあるし
まだ検査結果出てないし
早期発見なら良かった
と、思っていた。


休日と有休を頂き、仙台に向かった。

父は思ったよりも元気に見えた。
娘夫婦がきて、はしゃいでいるようにも
見えた。

不穏な言動や行動は、
手術が終わったばかりだし、
意識が朦朧としているだろうし、
現実逃避で周りに迷惑をかけて、
不安を取り除こうとしているのかと
思っていた。

しかし、連休で仙台にいる間に、
病状は悪化した。

今回の緊急手術は
心臓の周りに出来た水を抜くもの。

心臓は動いているので
水があると血液を送るための
ポンプのような動きが鈍る。
そのため、呼吸が苦しくなる。
だから、水を抜いて楽にして
もらった。

肺癌が原因で、出来るらしい。
これが出来てしまっている状態は
心臓に転移しているようなもので
いわゆる末期の病状らしい。

土曜の夜には、酷い腹痛で
急遽レントゲンをとった。

便が4、5日出なかったために
腸への負担が大きく、激痛となった
そうだった。

しかしそのレントゲンで
緊急手術の状態が新たに分かった。

心房を突き抜けて
心臓の周りにある水を抜く管が
貫通してるそうだ。

そのため、本来の機能は
果たしていないものの、
もしかしたら、肺の周りにも
出来ている水を抜いているかもしれない
らしい。


日曜、病院から、夜は
看護師の人数が少ないため
付きっきりにはなれないから
付き添いして欲しいと言われ、
夫と泊まり込んだ。

まだ不穏な行動はするものの
腰の痛みが苦しいとか、
体に管が繋がっているのがいずいとか
意識障害になってどこに
いるのか分からなくなるのは
睡眠導入剤のせいかもしれないと
思っていた。


そして、祝日の月曜の夜には
私一人で泊まり込んだ。

父は、苦しそうにしていて
意識障害で不穏になり
もう、本当にどこにいるのか分からなく
手術をしたことも、病院にいることも
分からなくなってしまった。

私のことは、一応分かるようだったのが
救いだ。

父は、夜になると余計に
苦しそうになり、
点滴の睡眠導入剤では眠れず、
追加で錠剤の睡眠導入剤を飲み、
それでも、なかなか眠れずにいた。

痛みや気持ちが落ち着くと
眠りにつきそうになるが
30分もたつと、また動き出したり
興奮したりする。

身体は起き上がることも
出来ない状態なのに
ここから抜け出したいらしく、
あっちにいく、車にのっていく、
なんで身体が動かない、と叫びながら
痛みに苦しんでいた。

見るからに、状態は悪化している。

そして火曜日。
ようやく、病院も機能をし始め
5人いる担当チームの一人の先生と
今回の状況説明と今後の方針を
決める面談を受ける。

肺癌末期の為、
痛みを取り除くことに主軸を置き
最善を尽くしてもらうことになった。

そして、打ち合わせ終了し
すぐに、レントゲンで検査した後、
方針通りに痛みを取ってもらうことに
なった。


病院の先生は土日祝日は休みだから、
仕方ないんだろうけど、
この数日苦しんでいた父は
曜日によっては、処置をしてもらえた
かもしれないと思うと、
やりきれない。

金曜の時点で、担当医が連休だから
週明けの火曜日に面談とのアポだが、
土曜の晩に、たまたま夜勤でいた
同じチームの別な先生からも
病状説明を受けていたわけだから
土曜の晩でも、方針は決められたの
ではないかと、多少不信感もある。

そういう仕組みなのだから、
仕方ないことなんだろうと
諦めるしかない。



余命は一ヶ月から三ヶ月。

突然の、残り少ない父との時間。

今更だけど、私に出来ることは、
何でもしたい。

これまで、私は親孝行が
出来ていたのだろうか。

何かあっても東京と仙台じゃ、
すぐに駆け付けられないよ。。。



父は、今回の入院直後、
私たちに、
ショートステイに預けている母の薬や、
保険証がどこにあるのか、
町内会費をまだ払ってないことなど
気になっていることを
伝えてきてた。

もう戻れないだろうと
感じているのだろう。



あと少ししか時間がないみたいだから
出来る限り会いに行きたい。


お父さん
今週末にお休みを頂けたので
お母さんを連れて会いにいくよ。























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