ha det sa bra!~よい一日を~

弓道の備忘録と ときどきお出かけ日記

初七日までしなくてはならないこと

2015-08-28 23:39:47 | じぶんのこと
百か日までの法要を、
まとめて葬儀のあとの法要で済ませました。

亡くなったのがお盆前でお坊さんが
忙しい時期ってのもあり、
納骨は、9月中旬になりました。

納骨は四十九日までに間に合えばいいらしい。
それまでは、父の霊がうろうろしてる、
どこらへんにいるんだろう。


初七日までの間、
曹洞宗では、毎日団子をお供えする。らしい。

団子は毎日、朝に変える。
もちろん、お茶、水も。
箸をぶっ刺した山盛りごはんは、
変えなくていいらしい。

お茶は、急須にいれなくても
湯飲みにお茶っ葉を入れて水をいれる
だけで大丈夫。

団子の数は奇数らしい。
だから我が家は7個にしました。

久しぶりに白玉粉で作った。

昔、小学生だったかなー
家庭科で作った記憶。

なかなか美味しいんだよね。

はじめは、久しぶりすぎて失敗w
水の足し方が悪くて、団子にならなかった。

コツは少しづつ水を足すこと!でした。

余った分は、きな粉で頂きました。
これもうまーい!!

余裕があれば、白玉だんごのおやつって
ステキかも~。

優しいお味でした。

毎朝も楽しかった。


そして、、、
後から知ったこと、
実は、初七日までやらなければならないのは
団子作りだけではなかった。

ご膳に、朝食を一緒に供えるらしい!

「ごぜん」というだけあって
5種類を御膳に供えるんだって。

ごはん、汁物、主菜、漬物、果物って
ところかな。

まあ皆んなと同じものを分ければいいみたい。


でも、全くお供えしてなかった、、、
団子あったし、お父さんも腹ペコでは
なかったと思うけど、
ひもじかっただろうに、、、

すみません。

つか、教えてもらったときからやって
仙台から東京に戻るまではやったけどね、
遅いかな、
まあ、我が家らしいかな。

わはは








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実的にやらなくてはならないこと

2015-08-19 00:42:13 | じぶんのこと
その後、自分の感情は一時無くなった
かと思う。



父が遺体となってしまい、
病室にいつまでもいれないことに気づく。



看護師さんからも優しくさとされた。

「お迎えのお車はお手配ずみですか」


正直、父の短い闘病生活の中で
支えとなってくれた看護師さんに、それを
言われたら、もう、それは、ものすごく
ショックだったと思う。

けれど、その人は支えとなった方ではなくて
普通の看護師さん。
なんだか事務的というか、
仕事も雑な感じの看護師さんだったので
ムカッときながらも、そうですよね、と
受け入れた。



別に今思えば、お気遣い頂きながらの
言葉だったんだと思うんだけど、、、
ごめんなさい。

小さいことにもいちいち気になって
しまったのかもしれない。


そんなこんなで
遺体安置の場所を決めなければならない。

皆がそうなのかもしれないけれど
事前にどうするか決めてなかった。

こういう時って、親族は誰かが
しっかりしなくてはいけないなと
本当に思った。


夏だし暑いし、実家にエアコン無いし、で、
葬祭会館にお願いすることに決めた。


そして、申し訳ないけれど安いところに
決めた。


現実的で嫌だけど、仕方ない。
父は自由に生きてきた人間だ。



葬儀屋さんを決めただけでは
まだまだ、終わらない。

通夜、火葬、葬儀、法要、
誰を何人呼んで、お返しはどうする、
振る舞いはどうする、そもそも
お寺さんの都合はどうか、などなど、、

闘病中に、父が幼馴染に会いたいと
言っていたから、なんとか連絡を
繋げたい。
でも、会ったことないし確証ないし。

そして病院の支払いも。
超現実的。
悲しんでる暇なんてない。


親戚のおばちゃんが近くにいてくれた事は
精神的にも闘病のときもずっと支えになった。

状況が状況だけに
決めなくちゃいけない色々なことが
苦痛だった。


ちなみに仙台は、
通夜から、火葬を終え葬儀をする。

関東なんかだと、葬儀の後に火葬するらしい。


今回、お盆前に亡くなったので
お寺さんは忙しくて、火葬の際には
お坊さんに来てもらえなかった。
だから、通夜の際にまとめてもらった。


亡くなったばかりのときに
お寺に電話したが、早い時間で出なかった。
こういうことは、誠意が大切だから
直接伺うべきだと叔母が弟をつれて
お寺に向かってくれた。

おかげで、葬儀屋さんからは
しばらく遺体安置しなくてはならないかも
と言われていたのに、
翌日に通夜、翌々日に葬儀、法要となり
予測より早く供養することができた。

我が家は、親戚付き合いは濃くなくて
たぶん、最後に会ったのは私が中学生の頃
なんてのがザラ。

でも、叔父ちゃん、叔母ちゃん達は、
優しく話しを聞いてくれて
通夜にも葬儀にも法要にも来てくれて
本当にありがたかった。


そして、通夜には私の勤務先の本社から
供花、電報を頂いた。
今の事業所と前の事業所からも電報を頂いた。

通夜には友達も仙台の事業所のみんなも
心配して来てくれて。。。

その後も、会社の仲の良い方達から
気にかけてもらっていて、
申し訳ない気持ちと、
ちょっと挫けそうになっていたから、
がんばらなくてはと思うことが出来たし
ありがたかった。

そうそう、通夜に受付をお願いするのを忘れ
友達に急きょお願いしてしまった。

本当に助かった、、、
こんな時まで、みんなに支えられている。

通夜には父の幼馴染にも連絡がつき、
来て頂くことが出来た。



通夜の時にお坊さんが
ありがたい法話をしてくれた。

最近、戒名を自分で付けたがる人が
いるらしい。

戒名は仏様のところにいったときの
名前で、現世での生き方を表したものが
戒名となるそうで、自ら名乗るなんて
おこがましいことだと。

なるほどねー!

それから、正しいおりんの鳴らし方も
教えていただいた。

側面や断面部分を叩くと良い音が出ない。
綺麗な音色を出せるやり方は
断面部分の外側を下の方から叩くらしい。

あと、叩く回数は
後ろに並んでいる人の人数によって、
つまり周りの空気を読んで叩けば
良いらしい。

本当の回数は、
あれ、何回だっけかな、、、
忘れた、、、

まあ、とにかくありがたいお話で
皆んな、良かったと言っていたから、
これもありがたいと感じた。


火葬、葬儀が終わり、
法要では、久しぶりに親戚に会った母が
ごはんもしっかり食べていたし、
笑っていたので少し安心した。

葬儀社にお願いして何から何まで
やってもらって本当に良かった。

遺骨を、自宅に持ち帰り
曹洞宗だから?仙台だから?
初七日まで、毎日、団子を7個作って
お供えした。

こういう、やらなくてはならないこと、
全く分からなくて、叔母に沢山教えてもらい
感じたこと。

これまで、こういうことを面倒と思っていた
けれど、その、やらなくてはならないことを
やるだけで、心の支えとなっていたことに
気付くことが出来た。


































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうとうこの時がきてしまった

2015-08-17 20:15:19 | じぶんのこと
8/7 5時31分 父が亡くなった。


その日も、病室に泊まりこんでいて、
父は力強い寝息を立てて寝ているように
みえていた。


病院からは、
脳梗塞が進むといつ呼吸が止まるか
分からない、と言われていた。

うつらうつらと眠りながらも
父の様子を注視していた。

夜中、何度も様子を確かめ
力強い寝息に安心していた。



それなのに

5時過ぎころ
気づくと父の呼吸が薄くなってしまっていた。


慌てて看護師さんを呼ぶと

もう最期だから、家族を読ん方が良いと。




いくら声をかけても、反応してくれない。



結局、そこから、誰も間に合わず、

私だけ看取った。



何が起きているのか、理解したくなかった。





しばらくして
皆が集まってくれて
冷静にならなければ、と思い直す。


現時的なことも始まっているんだ。

私に悲しんでいる暇はない。


やるべきことはちゃんとやって
父を見送らなくては。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肺炎と主治医との面談

2015-08-05 12:43:50 | じぶんのこと
心配していた肺炎になってしまった。

そして、脳梗塞ももう一段階進んだらしい。

ひゃっくりをずっとしている。
穏やかな顔をしているけれど
苦しそうだ。



月曜日、弟と主治医からの話を一緒に聞いた。

ちなみに午前中は、総回診があった。
ドラマみたいなあれ、そのまま。
感じが悪くて笑えたわ。

総回診で偉い?人がくるときには
見舞いの人間は病室をでなくちゃいけない。
なんでだ??

まあいいや、そんなことは。



父は7月中旬に、軽い心不全と熱中症で
大学病院にきた。

下旬には検査入院する予定だったが、
それを待たずして緊急入院。

心臓のまわりに水が溜まっていたことが
わかり、抜いてもらった。

そこから半月が経ち、
今は、
脳梗塞、肺腺癌のステージ4、腹部動脈瘤、
狭心症、陳旧性脳梗塞で、
容態が一変する可能性は大きく、
この一週間が山だと。

会わせたい人がいれば、
今のうちに連絡を取った方がよいと。。。


まだ元気そうなのに。
ひゃっくりの声も、あくびも
力強い大きな声なのに。


翌日は、ショートステイにいる母を
外出させ、会わせることができた。

親戚にも連絡した。
でも、猛暑過ぎて年配の親戚達が
倒れても困るので、
また何かあったら連絡すると伝えた。

父の友人は、
話を聞いたことはあるが、
連絡先が分からない。。。

年賀状、携帯の中の連絡先、
そこまでしか追えなかった。


もっと早めに、
確認しておくべきだった。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳梗塞にも

2015-08-02 20:42:54 | じぶんのこと
週末、入院している父に
脳梗塞が出た、と、仙台から
連絡を受けた。

いちじ意識不明になったようだけど
左側に麻痺が残ったけど
ろれつも回り、右側をせわしなく
動かしてるとも、その後に
連絡があったので、少し
安心して、会社からも有休を頂き
週明けに、自分の病院に行き薬をもらってから
仙台に向かおうとのんびり構えていた。


けれど今朝、出勤している途中に
叔母から連絡があり、
看護師さんとも電話で話し、
もう一段階、脳梗塞が進んでしまったと。

万が一を思ってしまったと、
そう叔母がいう。


途中まで出勤していたのを折り返し、
急きょ休みをいただき
夫と一緒に仙台に向った。
夫と一緒にこれたのは、心強かった。
日曜日で助かった。



父を見た感じ、
痛みを抑える治療になる前より、
穏やかな顔をしていて、
正直、安心した。

痛くて辛そうで、顔をしかめ、
血の気がない白い顔をしているよりも
病状は悪化しているかもしれないけど
よっぽど良かった。


意識はもう、ない。
眠っているみたい。

タンがからむみたいで
ひゃっくりがたまにでる。

タンが気管に入らないように
ひゃっくりがひどくなると
吸引してもらっていた。

意識がないとはいえ、
無意識に痛いのは嫌みたいで
口に管をズイズイと入れて吸引すると
口を閉じてそれ以上やられないようにしてる。

まだ反応があるということらしい。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする