五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

ポール牧さんの自殺 其の弐

2005-06-19 10:17:44 | 法話みたいなもの
其の壱の続き。

■さて、ポール・牧さんが二度目の出家をした時に、どういう訳だか、ワイド・ショーの「芸能コーナー」で紹介されておりました!追悼記事では「禅寺」としか書かれていないので、宗派ははっきりしませんが、出家の決意を確認する「問答」をしている様子がテレビで放送されました。本来は宗教上の儀式ですから、見世物にしては行けないのですが、何せ、ここは日本ですから……。それに、「芸能活動の傍ら……」の出家ですから……。因みに、作った映画が、欧州で人気を博しているビートたけしさんを紹介する時に、「芸人の傍ら映画を撮影……」とは誰も書かないのではないでしょうか?彼の場合は、職業上の区別ですが、出家生活はもっと重大な区別を以って語られるべきもののはずなのですが、どうも日本は出家を軽く扱い過ぎるようですなあ。

■その出家問答で、喜劇役者の大先輩に当たる清川虹子さんが質問者役を務めておられたようです。寺院の、それも男性出家者の後見人が女性だと知ったら、多くの仏教国のお坊さん達は唖然としてしまうでしょうが、日本では大丈夫のようです。この場面を取材するためにテレビ・カメラが闖入(ちんにゅう)していたのでした。問答に答えたポール牧さんは、「お笑い芸は菩薩行に通じる」というような意味のことを大声で叫んでいたと記憶しています。チベットのお坊さん達の中にも、幅広いジョークを楽しむ才能に恵まれている方が沢山おられて、ダライ・ラマ猊下御本人がいつもジョークを言う方です。しかし、それが修行や菩薩行に関係があるとは誰も思ってはいません。

■芸能ネタが少なかったのか、袈裟姿のポール牧さんが取材を受けることが多かったようです。居ずまいを正し、言葉遣いも改めて、あれこれと衣装に関する説明などしている様子を記憶しています。喜劇役者と出家者との二つの顔を使い分けるのは容易なことではないはずなのに、御本人はまったく悩んでいないようでした。再出家の得度を受けている時のビデオを自分で解説して、「戻って来たのが嬉しくて泣いているんです」と感動的に語っていたポール牧さんでしたが、出家の身のままで自殺してしまったのは残念です。

■記事に戻りますと、「新築」と「建立」を使い分けているのも気になりますし、野良犬を可愛がっていた事で、慈悲や菩薩行のイメージを喚起しようとしているらしいのですが、「すべての生きとし生けるもの」とは言っても、仏教は何よりも人間を救うことを最大の目標としています。大乗仏教運動が起こったのも、出家者個人だけが救われるのでは不足である、という問題意識が原因でした。出家した個人がホトケの慈悲に触れ、ホトケの教えに導かれながら修行することを何よりの幸福と考えるところから仏教は出発するはずなのですが、その出家した御本人が世俗の悩みに押し潰されてしまったような「事件」に、とても強い衝撃を受けました。

■日本では、お坊様達の中にも精神を病んでいたり、家庭の問題や御寺の経営に苦悩している人たちが沢山いるとも聞きます。経済的な問題は、御布施の文化が廃れてしまったことが原因でしょうが、檀家制度や親子相続による寺の経営が、信者と出家者との間にあるべき宗教的な緊張関係を失わせてしまったような気がします。ポール牧さんが、お寺を「新築」してしまった段階で、お葬式や法事を営む特定の檀家さんが居ない経営を強いられていたはずですから、芸能活動の悩みと、寺院経営に関する構造的な悩みが重なってしまったのではないでしょうか?

■数々の禅の名著に、禅定の楽しさや功徳が沢山書かれているのに、ポール牧さん(追悼記事にも法名は無い!)の僧侶としての生活の中に、座禅と瞑想の効用はまったくなかったらしい事が、とても残念です。この記事の副題「芸人・僧侶 生きつ戻りつ」は、ひどく残酷な響きを持った仏教とは無縁の慈悲心に欠けたもののような気がして、とても悲しくなります。改めて、ポール牧さんのご冥福をお祈り致します。合掌

其の参に続く。

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