五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

NHK新シルクロードについて

2005-05-31 21:18:40 | 法話みたいなもの
今回も「玄奘さんシリーズ」から反れ、NHKの新・シルクロードについて書くことにいたします。

■NHKの『新・シルクロード第五集』を御覧になった方も多いと存じますが、「五劫の切れ端」としましては、なかなかの力作であることは認めるにしましても、はなはだ心許無い思いを強くした内容でした。シルクロードを観光名所として復活させようと熱望する北京政府と、NHKの思惑が一致したのでしょうが、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)の苛烈な人生を松平(最初のマにアクセントを置かないと叱られるそうです)さんの思い入れたっぷりの語りと、石坂浩二さんの熱演の声が被る風景は、全部イスラム教徒のウイグル人たちの暮らしぶりばかりですぞ!そこに何の違和感も湧かない視聴者ばかりならば、文句の付けようもないのですが、番組のテーマは「仏教東漸」のはずで、「イスラム東漸」ではないでしょう?イスラム教徒も、中央アジアのトルコ系民族も大好きという罰当たりな仏教徒としましては、頭の中が大混乱してしまったのですが、皆さんはいかがでしたしょう?

■涼州での長い軟禁生活の後で、「後秦」の王に迎えられた長安……どうしてその映像が玄奘さん所縁(ゆかり)の大雁塔の空撮なのでしょう?西安の観光スポットだからでしょうか?でも、玄奘さんの業績を一目見ようと塔に入れば、一階の妙に愛想の良い土産屋さんとガランとした空き部屋からの眺望を楽しむだけの「観光タワー」になってしまった大雁塔の成れの果てを実感するだけなのですがねえ。チャイナの人は玄奘さんが嫌いなのだ、それが正直な西安観光体験の個人的な結論でしたが、別の感慨を持って旅を楽しむ人も多いのかも知れません。シンガポールで唐時代のテーマ・パークが計画されて建設が進んでいたのですが、どうやら頓挫したらしいのですが、西安は町を挙げてその計画を受け継いでいるかのような勢いで町並みを改装中です。

■番組の看板にして予告編で煽っていた「色即是空、空即是色」が、どうして「心の自由」を表現していることになるのか、さっぱり分かりませんなあ。仏教は人の「無知」を戒めて、「心」を制御する方法を説いた教えではないでしょうか?欧州のルネサンスでもあるまいし、人間解放だの精神の自由などとはまったく無関係、まったくの逆方向に進んだ思想だとも言えるでしょう。クマーラジーヴァの翻訳経典は、漢語としては調子も宜しく読経の音も楽しめるのですが、重要な所を削ったり、調子を整えようと余分な文字を加えたりしていまして、正に玄奘さんが指摘した不完全な「旧訳(くやく)」と言われても仕方がない個所が多いようです。

■特に、中観哲学を学ぶ者には必読の『中論』に、この手法が用いられてしたのですから、原典を知らない者にとっては大変な障害になってしまいました。その時代状況の中でクマーラジーヴァの生涯は、真に感動的で偉大なものです。しかし、それと業績として残された翻訳経典の質とは別と考えねばなりません。そこには歴史の限界と個人の性格による影響が刻み付けられているのです。玄奘さんの「新訳」は正確を期し過ぎて、面白みに欠けると思われるのは実に心外な話なのです。玄奘さんは先輩のクマーラジーヴァを僧侶として尊敬していたので、露骨な非難はしていませんが、既存の翻訳経典を新たに訳し直しているのですから、その学問上の姿勢は明らかです。

■映像表現として必要だったのでしょうが、膨大なサンスクリット経典を持ち来たったクマーラジーヴァの姿を、あちこちの絵になる風景の中で孤独にとぼとぼ歩く姿で描くのはイカガナものでしょうか?そして、仏の言葉を書き記した紙を、床にばら撒いているような演出は最悪です。聖典と呼ばれる書物を信者がどんな思いで取り扱うのかを、NHKの演出スタッフは知らないようです。「皆様から頂いた大切な受信料」を食い散らかす人たちだからなあ、と考えるのは意地悪に過ぎるでしょうかねえ?イスラムの聖典『コーラン』をトイレに捨てたか捨てなかったかで、世界中で暴動が起きたのは、この番組が放送された直後のことではなかったでしょうか?例えば、神道で結婚式を挙げている場面を想像してみて下さい。本職かアルバイトかはさて置いて、神主様が祝詞の紙を儀式の最中の床に落としたらどんな事になるでしょう。笑って誤魔化して済むでしょうか?お葬式の時も同様です。お坊様が御経を椅子の上や床に置いたら遺族や列席者はどんな気持ちになるでしょう?

■或る大学時代の友人が、日本在住のイラン人学者と散歩していた時の話をしてくれたことが有りました。彼は古代ペルシアやイスラム経に関していろいろと調べるのが大好きだったので、こういう知人を増やそうと努力していたようでしたが、日本人の聖典に対する弱点は克服していなかったようです。古代ペルシアの文化に関する話題の時には機嫌良く頷(うなづ)きながら聴いていたイラン人学者が、話題がイスラム教に移って、聖典『コーラン』の内容について彼が質問を発した瞬間!急に表情を硬くして、すっと彼の耳元に口を近づけて囁(ささや)いたそうです。「われわれは、こんな場所と状況で、神聖な話は絶対にしないのですよ」と。彼は、改めて自分の研究態度を反省しつつも、宗教文化の凄(すご)みを知ったと語っていましたなあ。

■クマーラジーヴァの拉致・監禁・破戒という悲劇は、今のチベット人が見れば、「それは決して過去の話ではない!」と涙ながらに怒鳴るでしょうなあ。NHKの泣かせる演出は、パンチェン・ラマ10世が北京時代に味わった悲劇をそっくりなぞっているのです。その悲劇が起こったのは、日中友好条約が結ばれた後のことで、極最近のことなのです。番組では、ちゃんと「前秦」という五胡十六国時代の国名を挙げていましたが、この国は広い意味でチベット系と考えられているので、この番組を観たチベット人は泣いたり当惑したり、大変に忙しい思いをするでしょう。

■生まれる時には、地方の土着信仰と神道、すこし大きくなったら道教の「七五三」と雛祭り、生意気になり始めるとキリスト教のクリスマス、色気づいたらバレンタイン祭りで、結婚式は神道かキリスト教、あれこれ迷ったら得体の知れない「占い本」で、初詣(年に一回しかお参りしない人は初と言ってはいけませんぞ!)は欠かさずに出掛けて神道系の神様に拍手を打って、帰りには道教のお札に破魔矢を買って、御神籤(おみくじ)も引く、病気になったら西洋医学にお世話になって、いよいよとなれば、日本仏教の出番です。たった小一時間のNHKが作った番組を見ながら、日本人の節操の無い宗教文化を考えてしまったのでした。多過ぎる神や仏は、何にも無いのと同じなのではないでしょうか。

■中央アジアの激動と変遷を表現しようと、亀慈(きじ)国の王は姓を「白」と名乗ったペルシア系の民族だったと紹介したのは良いとして、画面に現れたのは混血が進んだロシア系の顔でした。こういう番組は、ラジオでやった方が宜しいのではないでしょうか?「シルクロードを巡る一週間のツアー」御一人様40万円、そんな呼び込みが聴こえるような番組に、クマーラジーヴァを出してはいけません。有ろう事か、クマーラジーヴァが自分の人生を投影させて仏典に勝手な味付けをしたことを称えるような表現が多過ぎました。これでは、キリスト教のパウロに当たる役割をクマーラジーヴァが意識的に担ったことになってしまいます。それではクマーラジーヴァの立場が無くなってしまいます。贔屓(ひいき)の引き倒しでしょうなあ。

■ラビスラズリの青と、クマーラジーヴァの人生を強引に重ね合わせるアイデアは最悪の印象を生み出してしまったようです。青は天空の色で、それは神を表わしているなどというゾロアスター教徒が言いそうな台詞を石坂浩二さんが熱演してはいけません。どうしても、宗教に救いを求めたがる人の業(ごう)を凝視した仏教が、クリマス・ケーキを喜ぶ甘ったるい外来思想に変化してしまうのを全面的に肯定してしまうような番組を作ってはいけません。番組で大写しになったクマーラジーヴァの坐像も、露骨に観光客の撮影用の道具でしょう?少しばかり期待して観てしまった自分が愚かでした。
まあ、番組冒頭のトラック運転手さんが、観音様のお守りの御利益を語るシーンは微笑ましく、「以前は毛沢東の肖像画をお守りにしていましたが……」という松平さんのコメントも良かったと思います。ウイグルは強圧的に偶像崇拝を広めようとすると爆発する可能性が高いので、共産党も遠慮がちに教育している事が分かりましたなあ。舐められきっているチベット地域では、今でも毛沢東のお守りをこれ見よがしにぶら下げている自動車が沢山走っています。何故でしょう?仏教を厚く信仰しダライ・ラマ猊下を深く敬愛するチベット人達の心情をちょと考えて下されば幸いです。

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