五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

医学と宗教をちょっと考える

2005-07-21 14:51:43 | 法話みたいなもの

■重度のインシュリン依存型の糖尿病に苦しんでいた中学生の女の子が、西洋医学の理論通りに若い命を失う事件が起こりました。尊師ならぬ「宗祖」がマスコミの玩具になる振りをして、信者獲得の道具にしようと得意げに意味不明の妄言を吐き散らしているようです。こうした出来事は何度も何度も繰り返されるのは止めようが無いと思います。

今回の話題は「真光元」という名の夢の万能薬で、新しいのは万病に薬効を示す以外にも環境問題も解決する神秘の物質という売り文句でしょうか。両方を繋ぐのは「活性酸素」と「解毒作用」らしい。どちらも健康本コーナーに並ぶ本の表紙に躍っている言葉です。マスコミ報道以上の情報は持ち合わせませんが、詐欺事件に付き物の学歴詐称に、今回はアメリカで問題になっている学位販売企業から買った博士号が付け加えられているようです。「次世紀ファーム研究所」という名前は「新世紀エヴァンゲリオン」ブームが忘れられた頃の思い付きかとも思われます。オウム真理教はチベット密教で売りましたが、グローバリズムが批判される時代に各地でナショナリズムが復興しているからか、しめ縄と白装束の神道スタイルを好んでいる集団のようです。中国との結び付きも味付けにして漢方薬神話も利用しているようです。次々に貼り付けた飾りを外すと、単なる催眠商法型のマルチ商法だけでしょう。

■宗教団体の活動の中には営利事業も含まれていて、その部門は課税を受けます。しかし、利益を求める事業家が宗教的な宣伝文句と演出を利用して暴利を得ようとする場合も有ります。宗教団体を維持するための営利事業なのか、それとも宗教めいた詐欺商売なのか、この区別はなかなか付けられないでしょう。オウム真理教の場合は、「悟りへの階梯」を売り物にし、修行(ワーク)と称して信者を無償で働かせて高い収益を実現していました。そして、各種の終末論を継(つ)ぎ接(は)ぎして最終的には世界変革を掲げるようになって暴力革命の計画に至りました。しかし、思い出してみれば、尊師・麻原が自分の出世欲を満足させようと最初に実行したのが「偽薬」販売でした。薬事法違反で逮捕されて前科持ちとなってからは「ヨーガ」による健康法に移って、インドとチベットを看板にして組織が巨大化したのでした。

■「病気治し」とまったく関係の無い宗教は存在しません。常に死を主要な問題とする宗教は、死に対する恐れを除去する方法を追求し続ける使命を持ちます。それは信者が求めるからです。「死を克服する」というような表現をすると、「不老不死」や「永遠の命」というイメージが湧き出して来ます。イエスが語ったとされる「永遠の命」は「不老不死」とはまったく違う意味が有ると解釈されているように、世界宗教として発展した教義は、単なる呪(まじな)いとは違う難解な理論によって支えられています。『新約聖書』に書かれている「死者の蘇生」や「ハンセン氏病の消滅」や「盲人の快癒」などの奇跡にも、神学者によってその象徴性に関する深い解釈が与えられています。

■しかし、信者が求めるのは深遠な理論ではなく、簡単に苦しみが消える秘薬や奇跡ですから、教団を成長させようと思えば「免罪符」販売と同じ事が企画されます。イエスにしても釈尊にしても、イスラムのマホメットにしても、奇跡や呪(まじな)いに対する批判的な言葉が残されています。しかし、開祖が神聖化されて伝説で飾り立て始めると、信者に気に入られるような奇跡が語られるようになります。今でも、フランスのルルドのような病気直しの聖地とされる場所があちこちに有るように、心身の悩みを一瞬で解いて貰いたいと熱望する信者は常に教団を発展させる原動力となるものです。奇跡というのは、誰も信じないような出来事だからこそ奇跡なのですから、救済されると信じ込んだ信者を説得するのは不可能でしょう。

■1995年に慶応大学医学部付属病院の近藤誠医師が著した『患者よ、がんと闘うな』という本がベストセラーになって、大きな論争が起こりました。近藤さんが問題にしているのは、医学の限界を知れ!という当たり前の事だったようです。まるで「自己を知れ!」と言い続けたソクラテスのような主張です。近藤さんが批判している検査万能、手術万能、などは、人間が傲慢になっている事への警鐘でしょう。興味深かった論争の中に「ガンもどき」論争が有ります。「○○をしたら、奇跡的にガンが消滅した」という話が良く有りますが、それは始めから悪性腫瘍ではなかっただけの話で、現在でも正確に悪性腫瘍を発見するのは難しい面が有るという医学の限界を前提とした議論だったようです。近藤さんの主張は、医学を通して「生命観」や「人生観」に通じて行くようです。「病」と「死」は人が生きている限り必然的に訪れるものなのですから、それをどう受け止めて生きて行くのか、という最も大切な問題にぶつかりますが、多くのお医者さん達はそこを避けて検査・治療の技術をひたすら磨こうとしています。

■運悪く医学万能信仰に凝り固まっている医師の治療を受けてしまった患者の中から、使い古された呪(まじな)いに飛び付く人々が現れます。深い生命観によって書かれた優れた医学書も沢山あるのですが、「○○を飲んだらガンが消えた!」というような手軽な本の方が買い易いし、情熱的に語るプロの講演会の会場に座っているのはもっと手軽でしょう。主として主婦を相手にしたワイド・ショーでも、この種の企画が大人気なのは、講演会に出掛ける手間が省けるからで、習慣的にこの種の番組を観ている人達の中にも、悪い人達の餌食になり易い人が沢山含まれているでしょう。

■嫌な予感がするので、最後に書き加えて置きますが、チベット仏教に含まれている医学体系が確かに有ります。しかし、それは飽くまでも仏教の一部門であるので、信仰を持たない者を対象にしたものではありません。チベット地域に自生する冬虫夏草や雪蓮華などの不思議な植物が、近代科学を超える神秘の万能薬のように宣伝する悪い人が居ますが、仏教の正しい信仰を持って「死を怖れるよりも正しく生きる事が大切」という人生観を理解しないで、難病治療を目的として接近すると落胆するだけです。『明るいチベット医学』という本を書いた大工原 彌太郎というチベット医学を修めた日本人がいます。勿論、大工原さんは仏教修行のために医学を学び、治療に当たっている人です。この本の中に、過酷な巡礼の旅に出て戻った難病患者が完治する奇跡の謎解きが有ります。死を覚悟した旅立ちの段階で、世俗のシガラミを脱するのでストレスから解放され、厳しい環境によって自然治癒力が蘇るという解釈です。それから、悪性のガン患者が世俗を捨てて難病に苦しむ人々が集まっている施設で献身的に働いていると完治する軌跡が起こるのは、看病している結核患者から結核菌を移されて、その影響で癌細胞が死滅する、つまり、丸山ワクチンと同じ効果が知らない内に起こっているという解釈も示されています。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というわけです。

■とは言っても、実際に自分が難病に苦しんでいる時に、過酷な巡礼の旅に出るとか、献身的に病人の世話をすると決意し、またそれを周囲が受け入れるという事は、そういう精神文化が定着していなければなりません。それが無いところでは、宗教一般が否定している「我執」や「我欲」に翻弄されて、うっかり偽薬や偽医者に騙される危険が常に自分の中に有るという事でしょう。釈尊はひどい下痢に苦しみながら憔悴しきって死亡しましたし、イエスは兵士の槍に突き殺されました。しかし、どちらも死の瞬間まで正しく生きることを止めませんでした。このことだけは忘れてはならないと思います。


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2 コメント

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法話ポッドキャスト始めました。 (寺男)
2005-08-05 16:06:57
はじめまして。ちょくちょく拝見しております。このたびスリランカ出身の初期仏教(上座仏教)僧侶、A.スマナサーラ師による日本語法話のポッドキャスト配信を始めました。Godcast ならぬDhammacast として発展させたいと願っています。ぜひご聴取ください。

http://gotami.txt-nifty.com/journal/podcasting/
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寺男さんへ (旅限無)
2005-08-05 21:15:53
御丁寧な御挨拶、痛みいります。素人考えの浅はかさを晒しておりますが、何か参考になる欠片でも見つけて頂ければ、それは望外の喜びでございます。本店ブログ『旅限無』に時間を取られて、ついつい『五劫の切れ端』の記事が遅れます。しかし、それは内容の吟味と足りない知識を補う手間と時間が原因だとお考え下さって、末永くお読み下さい。間も無く、「玄奘さんの御仕事」再開いたします。
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