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くろたまご

2024-05-06 07:59:00 | 旅行

ゴールデンウイークはどこも人でいっぱいですが、まだ行ったことのない観光地へ向かいました。場所は箱根です。

最初は、谷のいたるところから白煙が吹き出し、他では見られない異様な雰囲気が漂う大涌谷です。箱根の代表的観光スポットです。

約3000年前、箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが発生し堆積物が地表を覆いました。さらに約2900年前に、小規模な火砕流が発生、冠ヶ岳ができ、また火山砕屑物が積もりました。
この2つの火山砕屑物と山崩れによる堆積物の間が現在の大涌谷と呼ばれるエリアです。
かつては「大地獄」と呼ばれていたのですが、1873年(明治6年)8月5日の明治天皇・皇后のご訪問を前に、現在の「大涌谷」に改称されたと書いてあります。

気になるのは、黒いたまごです。なぜ黒なのか。地熱と火山ガスの化学反応を利用した「黒たまご」は、生卵を温泉池でゆでると、気孔の多い殻に温泉池の成分が付着し、黒色となり黒い殻のゆで玉子ができあるようです。

大涌谷には平安時代弘法大師によって作られたといわれている延命・子育ての「延命地蔵尊」というお地蔵様があり、このお地蔵様にあやかり「黒たまご」を食べると寿命が延びると言われるようになりました。「7年寿命が延びる」は7という数字が七福神など縁起の良い数字として使われるため、いつの間にか言われ始めたようです。

2つ食べましたので、14年寿命が延びるのでしょうか。(笑)

 

続いて有名なパワースポットである箱根神社へ参拝。

面白い旗を発見。ジンジャーエール。ちゃんと参拝もしてきました。人が多くて写真を撮ることができませんでした。

有名な鳥居は、写真スポットで長蛇の列。あきらめて遠くから眺めていました。

縁結びで有名な、九頭龍神社へ。本宮では、毎月13日に月次祭つきなみさいが執り行われ、毎年6月13日に例祭が斎行されています。お祭りでは、御本殿での祭典に続いて芦ノ湖畔の斎場で、祭典でお供えされた神饌しんせんの内、米・酒・するめ・卵の四品が、各々九度に分けて湖中の九頭龍大神に献供される「湖水神事」が執り行われます。

これも、日程が合わないので、箱根神社内でお参りでした。

続いて、海賊船にも乗ってきました。約1時間の遊覧。コーヒー飲みながらゆったり過ごしました。

今回箱根へは車で行きましたが、道も狭くいたるところで渋滞が発生していましたので、公共交通機関を使用していくのがベストですね。

登山電車、ロープウェイなどを利用いたほうが良いですね。特にロープウェイは、座席分の乗車で次々と乗車させますので、必ず座れます。大涌谷へは早雲山駅から乗車するのがベストです。無料駐車場100台程度駐車可能です。車を止めることができ駐車料金の節約にもなりました。

次回はどこへ行こうかな。

 


国定忠治

2024-04-06 20:16:56 | 日記

新年度の一週間が終了した。

本日は、午前中が仕事。午後時間があったので、ふらふらとドライブ。先日の送別会で話が出た国定忠治。そういえば群馬県に国定忠治のお墓があったことを思い出した。おもむろに訪ねてみた。

 国定忠治は、江戸後期の侠客。本名は長岡忠次郎。
 父は上野国(群馬県)佐位郡国定村の中農与五左衛門。
 17歳のとき人を殺し大前田英五郎の許に身を寄せ、博徒の親分として売り出す。
 博奕を業とするが,縄張りのためには武闘を辞せず、子分を集めて私闘を繰り返した。
 天保5(1834)年島村伊三郎を謀殺したことから関東取締出役に追われる身となり、以降一貫して長脇差、鉄砲などで武装し、赤城山を根城としてお上と戦い、関東通り者の典型となった。
 逃亡、潜伏を繰り返すうち、同7年信州の義弟兆平を殺した波羅七を討つため大戸(群馬県)の関所を破ったり、同13年には博奕場を急襲した八州廻りの手先で二足の草鞋の三室勘助を、子分の板割浅太郎(忠治の甥)を使って殺すなど幕府のお膝元関八州の治安を脅かす不遜な存在となった。
 逃亡、潜伏を支えたのは一家の子分の力もあるが、忠治をかくまった地域民衆の支持もあった。
 伝承によれば、同7年の飢饉(天保の大飢饉)に私財を投じて窮民に施したり、上州田部井村の名主西野目宇右衛門と語らい博奕のあがりで農業用水の磯沼をさらったりした。
 忠治は幕府にとって文武の敵となった。
  嘉永3(1850)年夏、潜伏先の国定村で中気となり隣村(田部井村)の宇右衛門宅で療養中捕らえられ、江戸に送られ勘定奉行の取り調べの上、罪状が多すぎるため最も重い関所破りを適用され、磔と決まった。
 磔に当たっては、刑場大戸まで威風堂々と道中行列を演技し14度まで槍を受けて衆目を驚かせた。
 忠治の対極にいた幕吏(代官)羽倉簡堂は『劇盗忠二小伝』(『赤城録』)を著して、凡盗にあらずして劇盗と評した。
 死後の忠治は,時代が閉塞状況となるたびに国家権力と戦う民衆のヒーローとして映画や芝居などを通して甦った。
 墓は養寿寺(群馬県佐波郡)と善応寺(伊勢崎市)にある。國定赤城神社HPから

曇り空でしたが、桜も満開でした。

忠治のお墓には『勝負運(ギャンブル運)』の御利益があるとされていることもあり、墓石を削ってお守りにするとギャンブルに勝てるという噂が広がってしまったため、柵が設置されたようです。また、墓石が丸くなっています。


金運神社

2024-03-20 09:55:56 | 旅行

神社巡りの旅

 今回は山梨県です。

最初は金運で有名になっている新屋山神社です。

新屋山神社は、戦国の室町時代後期、後奈良天皇の御時天文3年(西暦1534年)10月17日の創建にして、1727年修復、1890年(明治23年)に弊殿、拝殿の造営、1934年(昭和9年)10月17日に本殿を再建し、末社浅間社 大神社を合祀する。1973年(昭和48年)に弊殿、拝殿を改築し、社務所を設置して現在に至っています。

まだ、先日の雪が一部残っていました。有名な実業家がお参りに来るとネット上で流れていましたのでついつい行ってきました。

イメージとしては、ふもとにひっそりと鎮座していると思っていましたが、大きな駐車場が整備され多くの参拝者を受け入れる準備も整っていました。

続いて、善光寺。

長野県の善光寺と深い関係があり、武田信玄が川中島の合戦により長野県の善光寺の焼失をおそれ奉遷したことから始まっています。日本一の鳴き龍もあり、親切に立ち位置まで定められていました。大きく一度拍手すると響き渡り龍が鳴いているようでした。長野の善光寺にもある、地下の道もありました。

 

次は、武田神社です。

武田神社は武田信玄公を御祭神としてお祀りしています。信玄公は我が国戦国時代きっての名将であります。大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、諸戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されていたようです。治水工事などは歴史的にも有名で某教科書にも載っていました。

 

やはり風林火山ですよね。

「風林火山」は、古代中国の文献「孫子」に書かれた文を略した言葉で、「孫子」は、戦争などの兵の用い方を解説した兵法書です。戦争で勝つためにはどのようにすればよいかを理論的に解説しています。

疾如風
疾(はや)きこと風の如(ごと)く

徐如林
徐(しず)かなること林の如(ごと)く

侵掠如火
侵し掠(かす)めること火の如(ごと)く

不動如山
動かざること山の如(ごと)し

戦争ではなく、大事を成し遂げるときの参考ですね。

 


パワースポット

2023-07-09 21:16:31 | 旅行


御岩神社

茨城県で最強のパワースポット、しかも宇宙が絡んでいるということで参拝してきました。

御岩神社は創建の時期は不明。縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」とされる事から、古代より信仰の聖地であった事と記載されています。
御祭神は国之常立神 大国主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大山祗神 ほか20柱御岩山総祭神188柱を祀り、中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、江戸時代に至っては水戸藩初代徳川頼房公により出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置づけ、徳川光圀公(水戸黄門さま)など藩主代々参拝を常例とする祈願所でありました。 
仏像の現存、境内の遺跡、祭事内容など古代信仰(古神道)、神仏習合色が色濃く残り、「神仏を祀る唯一の社」として、他の神社、寺院に見られない独自の信仰を伝えています。

色々調べるとネット上では色々出ています。アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミシェル氏が、宇宙から地球を眺めたとき、1ヵ所だけすごく光っていた場所があったそうで。

その緯度経度を計測したところ、場所が御岩山(御岩神社)だったのです。

日本人の宇宙飛行士、向井千秋さんも「日本に光の柱が立っていて、その場所を調べたら日立市の山中だった」と言っています。

このような状況もあり、参拝してきました。

順番をまちつつ参拝。

手を洗うのではなく心を洗う。

上下を両方を回してしっかりお祈り。

なにやら変わった木を発見。

最初は二本しか見えませんでしたが、正面に来ると三本ありました。

山頂まで一時間ほど頑張りました。ここが光の柱の元です。

 

 


北信濃三大パワースポット

2023-04-30 19:31:01 | 旅行

北信濃三大パワースポット巡り。

あまり知られていなかったのですが、こんなキーワードを見つけたので行ってみた。

時間の関係もあり、戸隠神社、飯縄神社(皇足穂命神社)、善光寺、の順で巡ってきました。

多くの人がご存じの戸隠神社。2000年余り前に建てられたという古くから信仰を集めている神社です。ただし、戸隠神社は火之御子社、宝光社、中社、九頭龍社、奥社の五社からなっています。そして、日本神話にも登場する「天の岩戸」が飛んできたものが、この地に落ちて戸隠山になったという伝説が伝わっています。この神様の力に満ちた戸隠山を中心として、戸隠神社には「天の岩戸開きの神事」にかかわりのある神々がお祀りされているといわれています。

約2キロの参道を歩くと杉並木が出てきます。

しばらく杉並木を歩くと奥社随神問が出てきます。一礼をしてさらに奥に進みます。

実は、ここから少々う勾配がきつくなりある種の軽い登山。参拝する方は靴や服装にご注意ください。

そして、奥社、九頭竜社を参拝。

その後、中社、火之御子社、宝光社を参拝。戸隠神社の五社を参拝完了。

下りは快適に進んできてちょうどお昼になったことから、入口にあるお蕎麦屋で定番の戸隠そばをいただきました。

つづいて、あまり知らなかったのですが、飯縄神社(皇足穂命神社)へ向かいました。車で30分程度で到着。

入口にこんな看板発見。どうやら東京の高尾山との関係が深いようです。

そして、善光寺。善光寺は、一光三尊阿弥陀如来を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ています。特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として有名です。

あまり知られていないかもしれませんが、上田市の別所温泉に北向観音があります。厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになりました。

北向観音は現世、善光寺は来世へのご利益があるとされ、あわせてお参りする(両詣り)とさらにご利益があるといわれているので、善光寺の後に北向き観音へお参りして帰路へ。

暗くなってしまったので北向観音の写真がありません。

これで、無事に過ごせますかね。