三国ヶ丘便り

旅行、釣り、周辺の自然について、書き綴りました

2008/4/19

2008-04-19 21:46:34 | Weblog
 フィリピンに来て、一体どうしてこんなに怖い目に会うのだろうか?
私はこの国に何も恨まれるようなことはしていない。
戦時中、確かに日本軍はフィリピンに上陸、それも空挺師団がここセブ島に降下している。
日本軍がフィリピンで最初に占拠した地がセブ島なのだ。
住民を殺害、婦女を暴行、物品略奪し甚大な損害を与えている。
日本兵に腕を切り落とされた住民が、今でもこのセブ島に住んでいるそうだ。
然しながら、フィリピンは中国や韓国ほど反日感情は強くない。
むしろ友好的でさえある。
それはこの国が遠い昔から、数々の侵略の歴史で重ねられているからだとも言う。

 大航海時代、セビリアを5隻の船で出発したマゼランは、このセブ島の南にあるボホール島に1521年到着し条約を結んでいる。
その時の模様がボホール島に銅像のモニュメントとして残されている。
マゼランはのちに地元の紛争に加わり酋長から殺されたそうだ。
侵略者への怒りは強かったと思われる。
そのように侵略の歴に翻弄されながらも、フィリピン人としての誇りとプライドは今でも持っているに違いない。
地域によっては旧日本軍への怒りと反日感情が強くとても怖いと聞く。
セブがどの程度かわからない。

 私の父はフィリピンには来ていない。セブにも来ていない。
インドネシア領ボルネオ島(ミンダナオ島の南隣の島)の山中で5年間も逃げ回っていた。
父を含めた少数の日本兵が敗戦も知らず食糧を求めてジャングルの中を彷徨い、潜んでいたのである。
真夜中に、こっそり村里へ忍び込みニワトリなどをせしめていたようだ。
だからここで悪いことはしていない。
先祖への恨み、たたりもないはず。
でも私は日本人。
戦争の傷跡は今も痛々しい。
そんな話を聞くと胸が痛む。
そんなことが脳裏をかすめていたが、私たちがのっているクルマはゴールデンピークホテルに到着しない。

 車は走り続けている。
来るときは10分程度であったが、もうずいぶん走った。
すでにその倍以上経過していると思う。
一体どこへ向かって走っているのか。
ホテルマンは「ゴールデンピークホテル」と正しく伝えたのだろうか。
「またもや聞き違い?!」急に不安になってきた。
行けども行けども明るい街は見えてこない。
山中に連れて行かれてるのではあるまいか??Uターンしてもらい街へ引き返したい衝動に襲われていた。(続く)

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