三池 

2006年07月30日 | 読書、そして音楽と芝居と映画
ポレポレ東中野に炭鉱を撮ったドキュメンタリー「三池ー終わらない炭鉱の物語」を見に行く。これはアンコール上映もなされた。
私は、「君に書かずにはいられない」で炭鉱も描いた。その主人公ともいうべき篠島秀雄は昭和のはじめ、三菱鉱業に勤務し、筑豊の炭鉱に配属されたためである。

篠島は労務係であり、炭鉱で働きたい少年との出会いを恋人への手紙に書いている。拙著には、その全文をのせ、少年とのやりとりもくわしく書いたが、少年は三菱という大企業の安定した、労働条件のいい働き口を求めて応募してきた。しかし、篠島はまだ10代の少年働くところではない、と取り合おうとはしなかった。そのとき少年は涙ぐんで、働かせてください、と懇願するのである。


この映画は、まず基礎知識として炭鉱労働の厳しさをまず伝える。地元に存在する数々の施設が映される。また当時働いていた人々へインタビューもある。炭鉱には労働の厳しさとともに、日本のエネルギー産業の最前線、最重要企業をになったという自負も見え、当時の人々は懐かしむ口調で喋っているのである。

事故により障害をもった人々も映し出される。
石油の出現によって、合理化を迫られる資本家側。労働組合に1700人の解雇が宣言されると、そこから三池闘争がはじまる。とき安保闘争の時代である。

ストライキは長引き、全国の支援者などが駆けつけて、単なる一企業の闘争ではなくなったころ、第二組合が出現。当時の両組合などへの取材もはいっているが、これが監督の意図というものが見え見えで、不快であった。どうしても第二組合と会社側とのつながりをあばきたいという監督の意図がある。

なにもそのようにしなくても、もっと自然にインタビューをつなげることによって、引き出すことによって、結論をつけてほしいとおもうのであるが、監督は性急に迫る。

結局は、三池は消滅するのである。労組の対立はそれほど簡単に描けるものではなく、ことはもうちょっと複雑である。前半と後半が結びついていない。

観客は圧倒的に老年の人々である。若い人もちらほらいたが、わたしのような中途半端な年齢の人間はいない。
なくなってしまった炭鉱、それは栄華と地獄をそなえた夢のごとき、激烈の人生だったということか。監督の切り口がぶれていたところが、難点か。
いずれにしろ多くの観客を集めていたのは喜ばしいことである。


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