入試に出る!!時事ネタ日記

現役の社会講師が最新の時事問題をコメント付きで紹介します!

たまにはサッカーと政治

2007-04-10 12:26:58 | Weblog

引き裂かれたイレブン~オシムの涙~

久々の休みを使って気になっていたDVDを観ました。旧ユーゴのドキュメンタリーで、現日本代表監督のイビチャ=オシム監督とその教え子たちの回顧録です。

個人的な好みで言えば昔は南米のサッカーが好きだったのですが、80年代後半のユーゴの登場で考えが一変したのを覚えています。ユーゴスラビア代表との出会いは1990年のイタリアワールドカップ予選の対ノルウェー戦でした。南米並みのテクニックに加え、スピードと組織力、何より美しいパスサッカーにこれまでにない魅力を感じました。そして極めつけはストイコビッチの素晴らしいフリーキック。これでやられました。以降国が分裂し名前が変ってもユーゴファンを貫いています。昨年のドイツワールドカップではセルビア・モンテネグロを応援していたし。

すっかりユーゴサッカーにハマってしまった中学生時代の私は色々と情報を集めました。私が見たチームの原型が1987年のワールドユースにあるということ。そして当時のメンバーは90年代のクラブシーンを彩る豪華なメンバーだったこと。(思いつくだけでも、サビチェビッチ、ミハイロビッチ、プロシネツキ、ボバン、シューケル、ボクシッチ、ヤルニ、ミヤトビッチなど)

さらに準決勝でブラジルに逆転勝ち、決勝では西ドイツに完勝とパーフェクトな出来でした。このときのMVPはプロシネツキ、準MVPはボバンでした。 なお、ストイコビッチはすでに2年前にフル代表にデビューしており(フランスで開催された欧州選手権で、あのプラティニと対戦して1ゴール決めています)、チリのワールドユースには出場していません。

期待が膨らむ一方で、国内情勢は激動の時代を迎えます。既にチトーが亡くなり、「モザイク国家」と言われていた複雑な民族構成のユーゴではかねてより裕福な北部と貧しい南部という構図があり、豊かなスロベニアやクロアチアは独立志向が強かったのです。そんな中、クロアチアで独立派のツジマンが選挙で選ばれ、セルビア中心のユーゴ連邦軍が武断政治を展開します。

この流れは国内リーグでも事件に発展。イタリアワールドカップ開催1か月前のリーグ戦、クロアチアザグレブとレッドスターベオグラードの試合で「チリ組」のカリスマ、ボバンが暴力行為を働き、処分されます。しかし、試合中に勃発したサポーター同士の乱闘に、警察が介入したのですが、クロアチア人だけ殴られているのをみてボバンは腹に据えかねたそうです。

そして迎えたイタリア大会、ボバンを欠いたユーゴ代表は第1戦で、マテウスの西ドイツに1-4の惨敗、期待を裏切りました。しかし後に分かったのですが、オシム監督は攻撃偏重の布陣を強要する国内メディアを黙らせるために、敢えて要求どおりのスタメンにし、わざと負けたというのです。

このことが単なる負け惜しみではないことがその後証明されます。バルデラマと堅守のコロンビアを1-0で下すと、UAEには4-1の圧勝。決勝トーナメント1回戦では難敵スペインをストイコビッチの2ゴールでねじ伏せ、準々決勝ではマラドーナ率いるアルゼンチンを数的不利ながらもワンサイドゲームを展開。

もしサビチェビッチがチャンスをモノにしていれば3-0の完勝だったでしょう。結局、この試合のMVPとも言えるストイコビッチがPKを失敗し敗退しましたが、ユーゴ代表の評価は揺ぎ無いものとなりました。最後のストイコビッチのPKの軌道やバーにあたって跳ね返る時の様子が今でも鮮明に残っています。

イタリア大会後はサビチェビッチの成長でユーゴは更に実力を増し、クラブではユーゴのレッドスターが世界一になり、代表では92年スウェーデンでの欧州選手権の予選を1試合の引き分けを除き、全て勝利し、本大会の優勝候補筆頭でした。

ところが、内戦に突入したユーゴの国内情勢に対し国連が制裁決議を発動、既にスウェーデン入りしていたユーゴ代表は大会から追放され、94年のアメリカワールドカップも出場停止になってしまったわけです。 ストイコビッチに加え、「チリ組」のスター選手は、キャリア全盛期を政治に奪われてしまったのでした。

監督のオシムは言います。「おこがましいようだが、もし1990年のワールドカップでユーゴが優勝していたら国の分裂は避けられたのかもしれない。」

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