(第五章-1)から続きます。
【李珍宇・小松川事件について】
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に . . . 本文を読む
(第四章)から続きます。
【李珍宇・小松川事件について】
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問わ . . . 本文を読む
(第三章)から続きます。
【李珍宇・小松川事件について】
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問わ . . . 本文を読む
(第ニ章)から続きます。
【李珍宇・小松川事件について】
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に . . . 本文を読む
(第一章)から続きます。
【李珍宇・小松川事件について】
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に . . . 本文を読む
(序章)から続きます。
【李珍宇・小松川事件について】
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問われ、に東京 . . . 本文を読む
(はじめに)から続きます。
李珍宇について
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問われ、に東京地裁で死刑が宣告。&darr . . . 本文を読む
最近時間ができて、やっと李珍宇資料本を読み始めました。(まだ全部読んでません)
李珍宇について
・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。↓・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。↓・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件 . . . 本文を読む
以下の会報は、永山則夫支援を1977~1982年までされていた武田和夫さんが1991年に発行された会報です。
上の会報のラストに、私個人、皆さんに伝えたいと強く思う文章が載っているので、抜粋します。
『沈黙の声』38号ラストより抜粋
「死刑」を原理的にものりこえるには、「国家」を批判するだけでは足りず、人間の「罪」、とりわけ殺人に対する忌避感情をのりこえて、「罪」を社会の . . . 本文を読む
元永山則夫支援者であり武田さんが発行していた、『沈黙の声』という会報に、たまに「試金石」というタイトルの別枠の評論が入るのですが、それを載せます。今回の内容は、「小松川女子高生殺人事件」についてです。
★「小松川女子高生殺人事件」の犯人として処刑された李珍宇の名は、70年代初頭位迄の闘争に参加した者の多くが、「在日朝鮮人への差別・抑圧ゆえの犯行」者として深く脳裏に刻みつけ . . . 本文を読む
前の記事からの続編ですが、
我々シャバの人間でも、確定死刑囚にお金や切手を贈ることができます。それは簡単です。
ちなみに…昔はそういうことができなかったのですが、死刑廃止活動家の方々が、Tシャツ訴訟を起こしてくれて頑張ってくれたおかげです。
で…たぶん、日本人のほとんどが、「はあ?死刑囚は俺らが払ってる税金で、三食昼寝つきで生かしてもらっとんのやろ . . . 本文を読む
ここで私が気にしてる死刑囚の方の話をします。
私は死刑廃止派なので、全ての死刑囚の心配をしなければいけないのですが、
…私が特に心配してるのは、奥本章寛死刑囚(福岡拘置所)と松本健次死刑囚(大阪拘置所)です…。
くどいけど、私は死刑廃止派なので、全ての死刑囚の心配をしなければいけないのですが…
“どう . . . 本文を読む
私はここまで、永山の支援から離れた武田さんが、1983~1992年まで、
どんなかんじで死刑廃止活動を頑張られていたのか…いただいた会報資料をさ~っと拝読させてもらいました。
(あ、武田さんの活動が1992年で終わりだって意味じゃないよ。そのあとも継続されてるよ。
でも、2001年で終了されたのではないかな。)
永山側も、自分の元支援者でああった武田さんを叩い . . . 本文を読む
ブログ管理人から解説。
1993年…これは最悪な状態だね。
国は、3年半も死刑執行しなかったのに、後藤田法務大臣が死刑執行してしまった。
たぶん、後藤田正晴が死刑執行した3人とは…
川中鉄夫93. 3.26執行 48歳没
立川修二郎93. 3.26執行 62歳没
近藤清吉93. 3.26執行 55歳没
かな…
会報の中に . . . 本文を読む
1992年12月20日ねっとわあく死刑廃止第17号より
申し訳ないですが、私の時間の関係で、興味が出た部分のみ抜粋します。私がここに載せたからと、内容を私が全部理解してるとか、全部私の頭の中に入ったわけではないので、ご容赦ください。それと、誤字脱字もご容赦ください。
フォーラムひろしま実行委員会 1月 . . . 本文を読む