シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

戦没地慰霊巡拝

2009-07-13 08:41:03 | シベリア抑留
前回7月5日に「嗚呼 満蒙開拓団」と題して書いた。これに対してコメントが入り、回答を入れたり、7回のやり取りがあった。
中々コメントまで読んで頂けないのではと、それをダイジェストしてアップする。

一昨年シベリアの父の埋葬地調査に出掛けたが、場所が特定出来ず、落胆から仲間集めに始めたこのBLOGも停滞した。しかし父達戦没者への慰霊活動は続けて居るし、来月4度目の現地への慰霊巡拝を予定している。

そこへ、佐渡ヶ島出身のシンガーソングライターのYAMATOさんと言われる方からコメントが入った。「自分の母方の伯父がシベリア抑留中にチタ地区で亡くなっているということを知り、検索したところこのホームページにたどり着きました。
実は、これまでの人生で伯父の慰霊ということにほとんど意識がなかったのですが、昨年、「全国ソロモン会」というソロモン諸島方面での戦没者の戦友・遺族で組織されている会に知人がいることから【涙雨】という曲を提供したことがきっかけで会との交流が始まりました。会の皆さんが【涙雨】という唄に大変感動してくれまして、現地で是非慰霊のために唄って欲しいという強い要望を頂き、4月にガダルカナル島の慰霊巡拝にギターを持って行き、慰霊祭で唄って来ました。もう間もなくですが、7月11日~18日までブーゲンビル島にも行って唄ってきます。」
この歌は「YOU TUBE」で聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=tfcekRpU9AI 

それに対し、コメントのお礼を述べ、「幾度かのソロモン諸島への慰霊訪問、亡き伯父上様の為にシベリアへ慰霊巡拝ご計画との立派なお考えに敬服致します。」「佐渡島と言えばこのBLOG2007年7月27日に採り上げて居りますが前回の墓参の時、佐渡にお住まいのシベリア抑留帰還者の菊池様が書かれた般若心経を頂き持参致しました。前後は晴天でしたが慰霊祭の時だけ大変な大雨に降られました。これぞ涙雨でした。(折角の般若心経がこの涙雨で瞬く間に墨が流れてしまいました)」とご返事した。
その後、不思議な呼び寄せ現象の事や、千鳥が淵戦没者墓苑への納骨、11月3日のそこでのシベリア鎮魂慰霊祭の事、シベリア抑留死亡者遺児の愚痴・・・など続きましたが、詳しくは前回のコメントをお読み下さい。

そこにロシアの広さからのシベリア慰霊巡拝の大変さを記しました。「 チタから車で東へ1時間走った地点で私の父達の合同追悼式を行つて頂きましたが、父の埋葬地はそこから更に400キロ東です。埋葬地が名古屋にあるのに東京を出発して横浜で追悼式をしたようなものです。未だ酷い人が居られました、父上はモスクワの近くで亡くなられたのですが、イルクーツクで追悼式、その方はそこで「お父さーん」と叫ばれましたが、勿論声は届きません、それどこらかその地点は、地図を見て頂ければ分りますが、死没地より日本の方が未だ近いのです。新潟を飛びたって1時間半でロシア領、2時間でハバロフスクに到着しますが、その後が大変です。ハバロフスクーチタはシベリア鉄道で41-42時間掛かると思いますが、目覚めて起き車窓からの眺めは変わっていなかったの世界です。」
YAMATOさんは1昨日からブーゲンビル島に行かれ、今頃「涙雨」を奉納演奏され追悼を行って居られることと思います。ご苦労様です、有難うございます。
本日は私の父がもし生きていれば100歳の誕生日です。


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8 コメント

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終戦記念日が近いですね。 (YAMATO)
2009-08-01 00:31:16
終戦記念日が近くなりました。

今年のシベリア慰霊巡拝には間に合いませんが、来年は慰霊巡拝団ご一緒したいと思っています。
追々そのあたりの情報を頂けると有難いです。
それと、テレビの放送作家の方が、シベリア抑留関係の方々とお会いする機会がある時にはカメラを回したいと言っていますので、そういった機会があります時にはご協力お願い致します。

もしよろしければ、先日レコーディングしたばかりの【涙雨】をCDに焼いて長峯様にお送りしたいと思いますので、yamatoxsunvic@yahoo.co.jp、までご住所をメールして頂けるとありがたいです。
よろしくお願い致します。
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今年も慰霊のシーズンに入ります (長峯精一郎)
2009-07-31 17:37:52
YAMATO様
コメント有難う御座います。
菊池様よりお便りが来ました。それには28日にYAMATO様のお父上にお会いになったようです。
「涙雨」のご披露を大変期待されて居ります。23、25、28日と1枚ずつ般若心経をお書き頂き為シベリアの凍土に眠る戦友各位の霊位と3枚お送り下さり、シベリアの土にお納め下さいとありました。ご英霊に大変有難いものを頂きました、お届けさせて頂きます。
私自身は15日は武道館、20日は厚木市の慰霊祭、そして23日からシベリアへの慰霊巡拝、その間に広島、長崎の慰霊祭をマスコミは報道するでしょう、今年も慰霊のシーズンが来ますね。
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今日「涙雨」の歌入れをします。 (YAMATO)
2009-07-29 00:42:13
>長峯 様

伯父は、シベリア抑留者として、会合などに参加している様子は無かったのですが、
(自分が知らないだけかも知れませんが...)菊池様は随分と積極的に行動されいたのですね~。
益々おあいするのが楽しみになりました。

さて、TBSで挿入歌として流して頂く【涙雨】ですが、今日歌入れをする予定です。
まだCDになっていませんが、おそらく年内中にはCDにして全国リリースすることになると思います。【涙雨】ともう1曲【男道】という曲を収録予定です。

8月4日~15日まで佐渡に帰る予定です。

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全国郵政シベリア抑留者の会 (長峯精一郎)
2009-07-28 06:54:24
全国郵政シベリア抑留者の会

本当に不思議なご縁ですね、菊池様から山登さんからの手紙を見せて貰った、涙雨コンサートに行くとおハガミ頂きました。
TBS番組楽しみにして居ります、詳しくはHPを時々覗かせて頂きます。
島の新聞もHPにアップして下さい。

さて、表題の会は郵政OBのシベリア抑留体験者の会で、勤務地も全国ばらばら、シベリア抑留も抑留地は違い戦友会ではありませんが、人生で二度の同じ体験をした者達が年一回全国のかんぽの宿で会合を持ち、今年の第17回奈良大会はインフルエンザ騒ぎで秋に延期されました。
この会との関係は私が父の遺骨収集調査の初期の段階で調査が進まず悩んでいた時、取り合えず生れた満州へ出掛け、その旅行記を親戚の逓信省出身者に送ったら、この会の存在を教えてくれ、連絡をとると、メンバーの中の父上のお墓を見つけ、遺骨を持ち帰った石川県の表谷さんを紹介され、突破口を得られた関係から、特別会員に入れて頂いた訳です。表谷さんともうお一人郵政OBと私の3人が遺児です。
淡路島や熱海での会で菊池様にお会いし、シベリア朝顔の種子を交換し、その成長を報告したり、手紙の交換などで親しくして頂いて居ります。
菊池様は淡路島の後、呉にお住まいの息子さん・お孫さんを尋ねられ軍艦ヤマトを見に行かれました、高齢から耳が遠く最近は娘さんの同行で参加されますが、大変ご健康で表谷さんがカンゾウを見に佐渡へ行かれた時は山登りを先頭になって案内されたとか・・・
菊池様の抑留地はハバロフスク地方ソフガワニー地区だったと思います、表谷さんの父上はクラスノヤルスクで全長4300キロのバム鉄道の端と端の外側ですね。表谷さんの父上のお名前が私が良くこのBLOGに取り上げる、糸魚川の村山様の名簿に初期はカタカナで「オムチヤ・コイチ」でしたので私がお願いして「表谷好一」と漢字名を入れて頂きました。
皆素晴らしい方ばかりです。
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菊池様の件 (YAMATO)
2009-07-26 22:28:01
>長峯 様

今夜、母親の実家に電話して従姉の姉さんに菊池様の件確認しました。
佐渡と言っても東京23区より広いんですが、
何と驚いたことに実家から車で10分かからない集落の方でした。
実は、「菊池」という姓をお聞きした時に、
もしかして?と直感で思った”大倉”という集落の方でした。
”大倉”という集落は、自分の実家のある地域では「菊池」姓が何軒かある集落なので、
そう思ったのですが、
当然、佐渡全体で見たら”菊池”姓は多いわけなので、
まさか..という感じですが、本当ご縁ですね...。
この夏帰郷しましたら、すぐにお会いできます。
8月9日に、自分の実家のある集落でライブをする予定なのですが、
そこにお越しいただけると従姉の姉さんから聞きました。
お会いできるのを楽しみにしています。
本当、不思議ですね....。
長峯様を通してのご縁に感謝です。

YAMATO

P.S.そう言えば、「島の新聞」という佐渡島内で発行している新聞があり、
自分のソロモン諸島の慰霊巡拝の件も取材いただいたんですが、
伯父の話をしたところ、シベリア抑留の体験談も今回取材して頂いたようです。
これまで、直接伯父の口からシベリア抑留の話を詳しく聞いたことがなかったので、
自分も早く読みたいと思っています。

【訂正】8月8日(土)のTBSの番組は、「THE NEWS」と書きましたが、
土曜だと夕方5時からの「報道特集 NEXT」という番組だと思います。
今週、早々に番組の放送作家の方とお会いする予定ですので、
訂正がありあしたら、また追ってお知らせさせて頂きます。
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ありがとございました! (YAMATO)
2009-07-25 11:02:28
>長峯 様

菊池様の件、ありがとうございました!
伯父も大変喜んだことと思います。
自分も佐渡でお会いできる機会があれば大変うれしく思います。

「抑留者70万人資料発見」 の記事、インターネットで見ました。

>我々遺児仲間でも15-20%は国から死亡公告を受けながら、死亡者名簿に名前がありません、これ等の方が判明する事を祈ってます。

亡くなられた方々一人一人に掛け替えのない命、人生があったことを思うと、
せめて、一人の犠牲もうやむやのままにしておくことなく判明できるようにと強く願うばかりです。

菊池様の件ありがとうございました!



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お帰りなさい (長峯精一郎)
2009-07-25 07:44:00
お帰りなさい、お疲れ様でした。ホームページも読ませて頂きました。ご英霊をきっとお喜びになられた事でしょう、ご苦労様でした。
佐渡の私の知るシベリア抑留経験者菊池様にYAMATO様とのコメント交換をコピーして暑中見舞いを出しましたら、早速平腰様を訪ねられたようです、8月中旬のYAMATO様のコンサートに行くとありました。
8月8日のTBS必ず視させて頂きます。
昨日の新聞で「抑留者70万人資料発見」と報道されました。YAMATO様の帰還された伯父様とお亡くなりに成った伯父様のご両人に関する資料が含まれている事でしょう。今になって段々数字が大きくなるのもチョックです。
我々遺児仲間でも15-20%は国から死亡公告を受けながら、死亡者名簿に名前がありません、これ等の方が判明する事を祈ってます。
コメント有難う御座いました。

出て居りました。、
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ブーゲンビル島の慰霊巡拝から帰りました。 (YAMATO)
2009-07-24 20:39:47
>長峯 様

暑い毎日ですが、お変わりございませんか?
ブーゲンビル島の慰霊巡拝から無事帰りました。
ブーゲンビル島は、酷いデコボコ道の悪路を片道6時間余りを車で往復しなければなりませんでしたが、93歳の会長はじめ、80歳代後半の戦友の方々お二人も一緒に行動され、
その精神力、忍耐力に驚かされるばかりでした。
現地で計7回の慰霊祭をしましたが、慰霊祭では天候が恵まれ無事に終えることが出来ました。
ただ、ブーゲンビル島の合同慰霊碑での合同慰霊祭の時には、太陽が眩しく輝いているにも関わらず、慰霊祭が始まるそのタイミングから細かい霧雨のような雨が振り出し、合同慰霊祭が終わる頃に雨が上がるという、ガダルカナル島に続き、まさに【涙雨】と感じるひと時を体験させて頂きました。
詳しくは、自分のホームページで3回ほどに分けてアップしています。
http://yamato.smail.co.jp/blog/
お時間があるときにでもご覧頂ければ幸いです。
それと、ガダルカナル島の慰霊巡拝のテレビでのオンエアですが、また、直前で変わる可能性もあるようですが、今のところ8月8日(土)のTBS「THE NEWS」の予定のようです。
自分のライブの模様や、現地の慰霊祭で【涙雨】を唄っているときに雨が降ってくるシーンなども出てくるようです。是非、ご覧下さい。
取り急ぎの帰国報告でした。


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