シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

シベリア慰霊巡拝(2)

2009-09-14 16:49:14 | シベリア抑留
2009年8月28日、
今日はバレイ(第25収容所第5支部 163名死亡)への慰霊巡拝である。
朝大変な気温で零下3度、未だ8月なのに・・・9月始めに雪が降った事がある
とは聞いているが、近年流行の異常気象ではない、父達抑留者を悩ませた寒さの
片鱗を感じる事が出来た。
バレイには6年前に息子と来て、此処に2泊し父の埋葬地調査をした。その時の
模様は、ホームページの「慰霊碑17」で取り上げている。
http://www3.plala.or.jp/naga0607/r17.htm

ホテルから約40KM、35分でバレイ市役所に到着、副市長と面談、金鉱山の
ある町(日本の抑留者もその金山で働かされた)で市役所も立派、珍しく綺麗な
トイレが使えた。

6年前に泊まったホテルの直ぐ裏が市役所で、近くにバザールも有ったのは知ら
なかった。あの時は怖くて深夜まで外から音楽が聞こえていたが外出はしなかった。

市役所から墓地まで悪路を15分、此処を訪ねるのも2度目。前回はゴミ捨て場
で牧畜の糞が有ったので、帰国後厚生労働省へ「遺族の心情を考えてあそこは見
せない方が良い」と手紙を出したものである。しかし今回は草が伸びてその様な
事は感じなかったのは幸いであった。雑草の中で咲く花を皆でお供えする花に摘
み取った。国や気温は違えども日本の七草と同じだったので、毎日の様にバス移
動中の休憩時にこのように野花を摘み取ってお供えした。

姉妹でご参加の方の追悼式を行った、満州からの引揚げで大変ご苦労されたと聞く。


ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝団に参加して(1)

2009-09-13 11:24:18 | シベリア抑留
政府派遣 ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝団 平成21年度のザバイカル
地方コースに参加した。
期間は8月24日から9月4日
詳細旅程は http://www.mhlw.go.jp/za/0810/c06/c06.pdf の
別紙6をご参照下さい。

13日間に10箇所の埋葬地又は慰霊碑を訪れる慰霊巡拝の旅でした。
シベリア鉄道73時間、車中3泊、総勢15名で思い出に残る、父達へ
の慰霊の旅でした。
先ず最初に5日目の8月27日、私の父達56名の死没地ベルシーナ・
シャフトム村(通称。帰還兵の方はシャフタマと呼ばれる)を訪れた。
そこで厚生労働大臣の献花のもと、政府派遣巡拝団、総勢15名による
追悼式を行って頂けた事に対し大変感謝致して居ります。
恐らくこれが最初で最後かと思われますが、厚生労働省・国のこの様な
僻地への巡拝のご配慮・お手配に対して厚く御礼申し上げます。

この埋葬地は未だ埋葬場所が特定出来ず遺骨収集に至って居りません。
収容所の向かい側の小高い丘の中腹、樹木の生育以外64年間手付かず
の白樺林、幅300メートル、高さ50メートルの範囲内に父達は必ず
眠って居ります。
それだけに私も諦めが付かず、今回が3回目の訪問です。
今回は調査など出来ず、慰霊巡拝でしたが、村長に会え、顔つなぎが出
来て、調査続行に対しての協力を依頼出来た事で大変有意義な訪問でした。

出来たら訪問した埋葬地を写真入りでアップしたいと思います。

全国戦没者追悼式

2009-08-17 18:52:05 | Weblog
天皇、皇后両陛下をお迎えしての全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、母が遂に果たせなかった参列を私が代わって参列した。
会場でシベリア慰霊巡拝で共に涙しながら「お父さん」と叫んだ仲間が、高知と福井から参加、再会を喜んだ。


全国戦没者追悼式

2009-08-17 18:45:05 | シベリア抑留
天皇、皇后両陛下をお迎えしての全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、母が遂に果たせなかった参列を私が代わって参列した。
会場でシベリア慰霊巡拝で共に涙しながら「お父さん」と叫んだ仲間が、高知と福井から参加、再会を喜んだ。


シベリアに逝きし46300名を刻む

2009-07-25 21:14:26 | シベリア抑留
シベリア抑留中に死亡した我々の父親達の死亡者名簿に付いては幾度もこのBLOBで取り上げ、前回その予告を致しましたが、いよいよ書店店頭に並びました。
名簿部分を省き遺族や関係者以外の方にも是非お読み頂きたくお薦め致します。
地域の図書館に閲覧希望を出されますと、より多くの方でお読み頂けます。
今年も又慰霊のシーズンが参ります、シベリア抑留問題を風化させない為にも是非是非お読み下さい、お願い致します。

出版のお知らせ

2009-07-15 10:51:04 | シベリア抑留
出版のお知らせ

村山 常雄 編・著 『シベリアに逝きし人々を刻す』の普及版が間もなく出版せれます。
私がこのBLOGでよくとりあげます、ソ連抑留中死亡者名簿 ― 『シベリアに逝きし人々を刻す』 が一昨年の吉川英治文化賞受賞に続き、この度「自費出版文化賞大賞受賞」を受賞されました。

この受賞が機縁となり、選考委員長の色川大吉様、選考委員の鎌田様が、その内容のうち名簿部分をのぞく解説部分、論考類、資料編等を総括整理し、これを一巻の単行本として出版することを勧奨され、これを快諾された「七つ森書館(社長・中里英章氏)」により来週7月23日に、刊行される運びとなりました。
重さ2キロを超える前著に比し、ご遺族や関係者に限らず広く一般の方々にも親しみやすい普及版で、ぜひお読みいただきたい形状と内容で、概要は次の通りです。

書名、『シベリアに逝きし46300名を刻む』 副題、(ソ連抑留死亡者名簿をつくる)
著者、村山常雄  判型、四六判  製本、上製  定価、2000円+税  
出版、七つ森書館(社長・中里英章)
 文京区本郷3-13-3三富ビル TEL.03-3818-9311 
本文、256ぺージ  
構成、シベリア抑留マップ(著者自作)
    解説 (鎌田慧さん「歴史記録の金字塔」)
    第1章 いま、なぜ抑留死亡者名簿か
    第2章 シベリア抑留死亡者問題
    第3章 シベリア抑留における大量死の実態
    資料編 (死亡者集計グラフ、ソ連側作成の「抑留者個人調書」「カルテ」など)

帯文 (鎌田 慧)
「ついに帰還できず、異国の丘に人知れず眠る、
無名戦士の名前を掘り起こした、祈りと鎮魂の紙碑。
一市井人が決意し、生涯を懸けて大事業を達成した。
この壮大な生と死の記録は、今後も乗り越えられる
ことはない」(鎌田慧 ルポルタージュ作家)。


戦没地慰霊巡拝

2009-07-13 08:41:03 | シベリア抑留
前回7月5日に「嗚呼 満蒙開拓団」と題して書いた。これに対してコメントが入り、回答を入れたり、7回のやり取りがあった。
中々コメントまで読んで頂けないのではと、それをダイジェストしてアップする。

一昨年シベリアの父の埋葬地調査に出掛けたが、場所が特定出来ず、落胆から仲間集めに始めたこのBLOGも停滞した。しかし父達戦没者への慰霊活動は続けて居るし、来月4度目の現地への慰霊巡拝を予定している。

そこへ、佐渡ヶ島出身のシンガーソングライターのYAMATOさんと言われる方からコメントが入った。「自分の母方の伯父がシベリア抑留中にチタ地区で亡くなっているということを知り、検索したところこのホームページにたどり着きました。
実は、これまでの人生で伯父の慰霊ということにほとんど意識がなかったのですが、昨年、「全国ソロモン会」というソロモン諸島方面での戦没者の戦友・遺族で組織されている会に知人がいることから【涙雨】という曲を提供したことがきっかけで会との交流が始まりました。会の皆さんが【涙雨】という唄に大変感動してくれまして、現地で是非慰霊のために唄って欲しいという強い要望を頂き、4月にガダルカナル島の慰霊巡拝にギターを持って行き、慰霊祭で唄って来ました。もう間もなくですが、7月11日~18日までブーゲンビル島にも行って唄ってきます。」
この歌は「YOU TUBE」で聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=tfcekRpU9AI 

それに対し、コメントのお礼を述べ、「幾度かのソロモン諸島への慰霊訪問、亡き伯父上様の為にシベリアへ慰霊巡拝ご計画との立派なお考えに敬服致します。」「佐渡島と言えばこのBLOG2007年7月27日に採り上げて居りますが前回の墓参の時、佐渡にお住まいのシベリア抑留帰還者の菊池様が書かれた般若心経を頂き持参致しました。前後は晴天でしたが慰霊祭の時だけ大変な大雨に降られました。これぞ涙雨でした。(折角の般若心経がこの涙雨で瞬く間に墨が流れてしまいました)」とご返事した。
その後、不思議な呼び寄せ現象の事や、千鳥が淵戦没者墓苑への納骨、11月3日のそこでのシベリア鎮魂慰霊祭の事、シベリア抑留死亡者遺児の愚痴・・・など続きましたが、詳しくは前回のコメントをお読み下さい。

そこにロシアの広さからのシベリア慰霊巡拝の大変さを記しました。「 チタから車で東へ1時間走った地点で私の父達の合同追悼式を行つて頂きましたが、父の埋葬地はそこから更に400キロ東です。埋葬地が名古屋にあるのに東京を出発して横浜で追悼式をしたようなものです。未だ酷い人が居られました、父上はモスクワの近くで亡くなられたのですが、イルクーツクで追悼式、その方はそこで「お父さーん」と叫ばれましたが、勿論声は届きません、それどこらかその地点は、地図を見て頂ければ分りますが、死没地より日本の方が未だ近いのです。新潟を飛びたって1時間半でロシア領、2時間でハバロフスクに到着しますが、その後が大変です。ハバロフスクーチタはシベリア鉄道で41-42時間掛かると思いますが、目覚めて起き車窓からの眺めは変わっていなかったの世界です。」
YAMATOさんは1昨日からブーゲンビル島に行かれ、今頃「涙雨」を奉納演奏され追悼を行って居られることと思います。ご苦労様です、有難うございます。
本日は私の父がもし生きていれば100歳の誕生日です。

「嗚呼 満蒙開拓団」

2009-07-05 11:57:32 | シベリア抑留
昨日、今年で第4回目になる「大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭」式典参加の為靖国神社へ行った。三笠宮殿下の玉串御奉奠を賜り、先の大戦での戦没者の御霊に追悼の意を捧げた。

その後、九段坂を下り、神保町の岩波ホールで上映中の「嗚呼 満蒙開拓団」を視に行った。

鑑賞後の感想は複雑で今も頭の中は混乱している。
送り出した日本はその補償も死亡者の慰霊も何もせず、迷惑をかけられた国の方が、敵国の為に慰霊碑を造った事が全面に出た、戦争責任を問う作品となっている。
観客は私と同じ満州生れや、満州からの引揚者が多いいのか、残留孤児の方も居られたのか、高齢者が殆どだった。
日本にもPOWの墓地では横浜の保土ヶ谷に立派な「英連邦戦死者墓地」があり見に出掛けた事がある。四国の松山市には「ロシア人墓地」があり、地元の中学生が清掃をしていると松山市のホームページに出ている。
戦後処理は、同じ立場であったドイツとは違い、日本は満蒙開拓団やシベリア抑留は未だに棄民扱いだとしか思えない。広島、長崎、沖縄にも大きな戦争の傷跡が残るが、モニュメントがあり、毎年国家的追悼式が行われている。

村山常雄様著「シベリアに逝きし人々を刻す」大賞受賞

2009-06-05 17:22:51 | シベリア抑留
このBLOGの2007年7月22日で採り上げました、我々父親をシベリアで亡くした遺児にとって、父親達のシベリア抑留中死亡者名簿を長い時間と大変なご苦労の末、ネットで公開、2年前に自費出版された、村山様が『第12回日本自費出版文化賞大賞』の受賞と決まりました。


今回の自費出版文化賞・大賞に選ばれたのは研究評論部門の『シベリアに逝きし
人々を刻す』(村山常雄・新潟県糸魚川市)。審査にあたった色川大吉委員長は
「シベリアの864の収容所に抑留され、亡くなった人々の名前を、ひとりひとり
丹念に調べ最終的に46297人の記録をまとめあげた。ロシア語からの変換などの
困難を大変な努力で克服し、数十年の労苦で刻んだ、日本の出版の歴史に残るよ
うな記念碑的な作品だと思う。自費出版でしか発行できない種類の記録なので、
この文化賞の意義も強く感じさせてくれる」とその選考理由を述べられて居ります。

以下各部門の受賞に関しましては失礼ながら省略させて頂きます。
URL  :http://www.jsjapan.net/

我々遺児にとってこんなにうれしい事はございません。村山様本当に受賞おめでとう御座います。

国士舘大学鶴川祭

2009-05-31 21:54:42 | シベリア抑留
昨29日と今日30日の二日間、国士舘大学の鶴川キャンパスでの学園祭に於いてJYMA(旧・日本青年遺骨収集団)のパネル展に東京ヤゴダ会が協賛した関係から、その語り部のお手伝いに出掛けた。
JYMAは今年2月に実施した沖縄での遺骨収集をパネルに加えて映像による報告も取り入れた報告がなされた。
メンバーも国士舘大、拓殖大に偏っていたが、日大、青学が加わり、JYMAのこれからの活動が楽しみである、特に私の母校でもあり大変うれしく感じた。

シベリア抑留中死亡者名簿(続)

2009-05-19 18:15:11 | シベリア抑留
前回の死亡公告を受けながら厚生労働省や村山常雄著「シベリアに逝きし人々を刻す」にお名前の掲載がない場合、死亡公告を発行した県庁にお訊ね下さいと書きましたが、それは間違いではありません。
しかし厚生労働省には同様の、ないしはそれ以上の資料があります、そちらにお訊ねになるのが良いかも知れません。

インターネットによる情報収集に関して、厚生労働省のホームページ → 戦没者遺族等への援護 → 報道発表資料 社会・援護局 → と入りますと2001年1月以降、毎月1回以上の大変参考に成る情報が提供されます。シベリア抑留死亡に関しても、以下3点は特にご参考に成ると思われます。

厚生労働省・抑留中死亡者個人資料について、2008.8.8.
http://www-bm.mhlw.go.jp/houdou/2008/08/h0808-2.html
私は同年12月に父の署名の有る個人資料を頂きました。

厚生労働省・日露協議、2008.9.29.
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/09/h0929-1.html
過去3回はあまりにも少ないが、シベリア抑留死亡に関する死亡者名簿受け渡し・遺骨収集・慰霊巡拝等の促進策を国対国で話し合う一番大事な会合です。

厚生労働省・資料再請求について、2009.3.6.
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/h0306-1.html
確認済名簿42,000名の外に21,000名ぐらいの未確認氏名があり、再確認中だと推測されます。

DNA鑑定も本年3月現在の累計が674件で、未だ2%にも及ばぬ状態ですが、国が送り出したのだから、何年経ってもそのお遺骨は100%持ち帰る義務が有ると思います。

調査資料室、外事室にご相談下さい。

コメントにお答え致します

2009-05-07 20:21:30 | シベリア抑留
昨日次の様なコメントを頂きました、長い間お休み致して居りましたBLOGですが、お役に立てる事なら、久々のアップです。

【私の父の兄「岡光明・おかみつあきら」は、チタ州カダラ収容所病院で栄養失調で戦病死、との公報通知が広島県知事から、昭和22年に届いただけで、遺品は全然なく、その公報を仏壇に安置し拝礼するのみです。妻がいましたが、子供もなく、その妻も老衰で3年前になくなりました。本人は明治45年1月17日生で、昭和21年2月15日が歿日で、広島県尾道市久保町出身です。50年忌の法事も済ませた今、死亡の状況が少しでも分かりたく、厚労省などの抑留者名簿をネット検索するのですが、該当に当たりません。何とか探して現地墓参することで、御霊を慰めたいと念じています。どなたか適切な手法をご教示願いたいと渇望しています。】

岡光様
コメント有難う御座いました。遺児でも中々出来ない事、叔父上様に関する調査及び墓参をお考えとの事、ご立派なお心です。叔父上様もお父上様もそのお気持ちだけでもお喜びの事と存知ます。
何とかお力に成りたく色々調べて居りますがこれまでの所残念ながら名簿も見付らない状態です。
1. 死亡者名簿に関して:
  1991年に発行された月刊アサヒ、キリチェンコリスト、厚生労働省HP及び村山名簿には「岡光明」のお名前では掲載されて居りません。「カダラ収容所」と「アキラ」でも探しました。
2. カダラ埋葬地に関して:
  ここの埋葬地は2001年と2005年に遺骨収集が行われて居ります、そして2006年には立派な慰霊碑が建立されました。私のHPの慰霊碑9とBLOGの慰霊碑9(2007年5月30日)をご覧下さい。私も2007年8月27日に此処へお参りに行きました。
3. 死亡者名簿に氏名が無い場合は:
  A. 死亡公告にカダラとあり、ここは遺骨収集されているのでDNA鑑定がして貰えます、厚生労働省にお訪ね下さい。
  B. 広島県県庁は抑留帰還者等の報告にもとずき、死亡公告を発行しているので、その報告者は教えて貰えないでしょうが、叔父上の所属軍隊などは分ると思います。
  このカラダ収容所は広島県出身の陸軍歩兵231連隊が中心です。もし叔父上様がこの隊だったら、遺骨収集に行かれたり、翌年そこに慰霊碑を建立された方にコンタクトされると良いと思います。
4. 現地への慰霊訪問に関して:
  厚生労働省主催のソ連抑留中死亡者慰霊巡拝のザバイカル地方コースと日本遺族会主催の旧ソ連慰霊友好親善訪問団があります。毎年実施され本年も只今募集中ですが、前者は戦没者の配偶者・子・父母・兄弟姉妹、後者は遺児に限られて居ります。個人訪問は私の2007年の場合直接費用が44万円掛かりました。

以上甚だ簡単な説明で申し訳御座いませんが、もし質問が御座いましたらコメントを入れて頂くかメール頂ければ私の分る限りBLOGにアップ致します。

シベリア抑留中死亡者個人資料

2008-12-07 20:48:29 | シベリア抑留
シベリア抑留中死亡者個人資料

一昨12月5日、厚生労働省から表記のようなシベリアで死亡した父の個人資料が届いた。
これは、去る8月13日に既に亡くなった母宛に厚生労働省から手紙が来て、母が死亡の為息子の私が、8月15日に靖国神社へ行く前に渋谷区役所に寄り戸籍抄本をとり速達で厚生労働省に申請した、3ヶ月過ぎても何も送られて来ず、どうなっているのかと案じていたら、一昨日送られて来た。
抑留帰還兵は数年前から希望すれば入手出来た、死亡者へも発行されるとの事だったが待てど暮らせど・・・、平成17年にロシアから入手して遺族に届くのに3年も掛かった訳である。
遺族・遺児はこの様な情報を60年以上も待っていた、無いので有れば仕方もない、遺骨は見付るまでに時間が掛かるのは仕方がないが、ソ連側作成の「個人資料」(登録簿、身上調書、個人台帳と言うの)が有るのである。国は何故アクションを取らないのだろうか。母は遂にそれを見ずに亡くなった。国が戦争に引っ張り出しておきながら、これが国の為に死んだ者への扱いだろうか。

我々は何とか遺骨を発掘して持ち帰りたい、いつも何も入っていない空のお墓を拝んで居る訳だが、一昨日入手した書類は間違いなく父の署名があり、母と私の名前が記されて居た。一昨晩はそれを握り締めて泣いた、そして仏壇に供え焼香した。

25項目の尋問表、死亡調書、死ぬ直前のカルテ等9枚と部分翻訳が送られてきた。遺児の皆さん厚生労働省にご連絡の上是非入手の事をお勧め致します。



秋のイベント

2008-11-06 10:45:18 | シベリア抑留
シベリア抑留犠牲者の鎮魂慰霊祭
毎年千鳥ケ淵戦没者墓苑で11月3日に開催される慰霊祭も今年で12回目、100名の参列者を得て、尺八演奏家き乃はち様の奉納演技など頂き、シベリア抑留中死亡者の追悼供養が行われた。
そもそもは抑留帰還兵の方が死没した戦友の為に行った慰霊祭で、我々遺族はお招き頂く立場だったが、帰還兵の参加者も減り、後は遺児でやってくれと、我々もお手伝いをしてきたが、昨年からJYMA(旧・日本青年遺骨収集団)の若者が参加し、開催準備のお手伝いを頂き、力強い後継者を得た。

地元遺族会の靖国神社参拝
毎年春か秋に実施してるが、今年は菊花展開催中の昨11月5日に3台のバスで出掛け、昇殿参拝をした。

宮崎静夫展

2008-10-03 13:18:40 | シベリア抑留
昨年シベリア抑留中死亡者名簿「シベリアに逝きし人々を刻す」を出版された村山
常雄様から、
『わが畏友にして、誰にも増してシベリアの死者たちとその魂に寄り添い、生涯を
貫く画業のそのキャンバスに、鎮魂と人間再生への祈りをこめて止まない熊本在住
の抑留画家「宮崎静夫」画伯と、その作品展につきご紹介させて頂くことを光栄に
思います』とご案内頂いた。

2008年10月2日(木)―10月11日(土)
午前11時―午後7時、最終日のみ5時半まで
みゆき画廊、東京都中央区銀座6-4-4
銀座第2東芝ビル2階

「生きて80年、青春は戦争の中にあった。満州、そして軍隊とシベリア。
それは骨深く刻まれていて、いまも疼く・・・。
戦争の時代の生と死。その死を見詰めることが、私の生の証しとなってし
まった。」と案内状に宮崎画伯の言葉がある。